山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くるま旅くらし最後のガイド本のこと

2010-01-23 02:41:36 | くるま旅くらしの話

現在本の製作中です。といっても大したことではなく、手づくりでくるま旅くらしのガイド書を作ろうとしています。このことについて、ちょっと紹介させて頂きます。

私は、2006年の秋に「くるま旅くらし心得帖」というガイド書を新風舎という所から出版しました。もうそれから3年以上が経過していますが、この間に世のくるま旅に対する関心はかなり高まり、旅のための車の購入も増加の道を辿っていると聞いています。いわゆる団塊の世代と呼ばれた人たちが現役リタイアの時を迎え、この後の人生を楽しむ一つの方法として、くるま旅への関心が強まったことが大きく影響しているのだと思います。

私がガイド書を書いたのも、ちょっとばかり先にリタイアした一人として、新しくくるま旅を始めようとされる方に役立つ基本的な情報を提供しようとしたからでした。その目的の達成を目指して、これから少し前進できるかなと思っていた矢先、頼みとしていた出版社が倒産してしまいました。これは予想外の出来事でした。継続出版の可否は、倒産した出版社を引き継いだ会社との折衝にありましたが、多大の追加費用を求められたのに対してOKする余裕は無く、出版を断念せざるを得ませんでした。

しかし、当初の目的への思いは未だ醒めやらず、どうしてももう一度ガイド書を世に出したいと考えてきました。本というものは、自分の思いの全てをそこに織り込むことがなかなか出来ず、伝えたかった肝心な部分の幾つかは依然として心の中に燻り続けています。最初の本が出来上がった直ぐ後には、その不足していた思いを補填すべく次の本の執筆に取り組み、どうにか続編の完成を見ていたのですが、これを本にするためには再び多大な費用が必要であり、年金暮らしの身には実現困難な状況です。無料で出版をするには、確実に売れるという見込みがなければならず、これは私の思いだけで決められることではなく、扱って頂ける出版社を探すのは至難のことです。

そのような事情から、思い切って自作の出版を試みようと決めました。私は過去20冊に近い旅の記録を冊子として製作していますので、市販のようなレベルではなくても、読んで頂くに適う程度の冊子の製作は可能だと思っています。それで、来る2月1日がブログ開始の3周年目に当たるのを期して、「山本馬骨のくるま旅くらし読本」(サブタイトル~60歳からのくるま旅くらしの楽しみ方)というのを発行することにしました。只今、その製作の最終段階に入ったということなのです。詳しいことは追って紹介させて頂きますが、予めその思いの概要についてお知らせしたいと思います。

私は、くるま旅くらしを考えるに当たって最も大切なことは、それが今の世をそしてこれからの世を生きるために、どのような意味(意義)を持っているのかを知っていることだと思っています。そのような難しげなことは何も考えずに、気楽にくるま旅を楽しみさえすればそれでいいのだとは思いますが、思いも為すことも無く気楽な旅をし続けるなどということは、実際できるものではありません。ボヘミアンのような放浪の旅は、私の考えるリタイア後のくるま旅くらしとはかなり違うものなのです。現実の世に背を向けたような流浪の旅は、リタイア後であればタダのくるま暮らしになってしまいます。

私の提唱するくるま旅くらしは、ちゃんとした母港(=最終的に帰ってくる場所=棲家)があって、どんな長旅であっても必ずそこに戻るというものです。車が家となるのは、旅の間だけであって、旅が終っても家は車だと言うことでは、それは流浪ということになってしまいます。リタイア後の人生を流浪や放浪で終らせるのも一つの方法かも知れませんが、あまり健康的ではないように思います。家族も地元も捨て去って、勝手な人生だけで終末を迎えるというのは、ある意味で無責任ではないかと思うのです。

このような前提に立ちますと、くるま旅くらしというのは、その楽しみの中に人生の意義のようなものが含まれてくると思うのです。それは意識しようとしまいと、結果としてそうなるものであって、もしそれが無ければ、本当の楽しみにはならないと思うのです。簡単にいいますと、くるま旅をしていても飽きてしまう、面白くないというのは、人生の意義を感じていないからなのではないかということです。人生の意義というのはわかり易く言えば、生きていて良かった、生きているのが嬉しい、ありがたいという気持ちです。人は意義を感ぜられない時にたくさんの不幸を抱え込むのだと思います。

くるま旅が人生の意義に叶うかどうか、すなわち活き活きとして生きる人生に役立っているかどうかということが大切と思うのです。そして、間違いなく60歳以降の人生に役立つ!というのが私の結論であり、主張なのです。これはほぼ10年のくるま旅の経験を通して実感することであり、これからの高齢化社会の中で、高齢者の果たすべき最大の役割である、心身共に健康で世の中にかける迷惑を最小化するという、このことに大きく貢献することでもあると思うのです。この思いは、私自身が古稀を迎えて、より一層確実なものとなりました。

私はくるま旅がしたいために、自分自身の健康に対してはできる限り妥協をせずに快食・快眠・快便のための工夫と努力(=発想と実践=言行一致)を積んでいます。その結果(と思っていますが)今のところ年間の医療費は、春先に一度花粉症の薬を貰うだけです。糖尿病も医薬ではなく運動と食事で対処しています。国民健康保険料の支払いは(=くるま旅くらしの北海道でのおよそ2ヶ月分くらいの費用に相当する)多大ですが、これは国家に寄付していると思っています。そう思わなければバカバカしくて支払えません。くるま旅をするためには、何よりも健康でなければならないのです。このことだけでも、高齢者としては世の中にかける迷惑を減らし、貢献していると思っています。くるま旅は、個人として生きるためにも、そして社会に対しても大いなる意義を持っており、一つの文化として成長する可能性を秘めているのだと考えています。

これが本を書く思いの最大のものでありますが、そうであれば、読んで頂く本も楽しいものでなければなりません。そしてそれは芸人が人を笑わせるような楽しさではなく、読む人の心を底の方から揺さぶるようなものでありたいと思っています。最初の本はそれが不足していたと反省しています。今度の本では、その部分を少し改善したいと、ちょっぴり理屈を少なくしました。さて、本当にそう受け止めて頂けるかは、自信がありません。

ところで、くるま旅に関するガイド書はもうこれで終わりとしようと思っています。いつまでもくるま旅くらしの考え方に拘っている必要は無く、これからは旅の出来事だけを拾って、世の中を見て行きたいと考えています。私に残された時間がどれだけあるのかわかりませんが、それほど多くはないと思います。その時間を思うと、日本という国はとてつもなく広く感じます。無数の出会い(含再会)や発見(含再発見)という宝物が埋まっています。それを一つずつ拾い上げて賞味・鑑賞する、これほど生きがいを感ずるものはありません。これからはその感じたことを、機会を見つけて本に出来れば良いなと思っています。

2月1日までにはまだ少し時間がありますので、ずっと見直しを怠っていたホームページ(「山本馬骨のくるま旅くらし元帳」)にも手をつけ、その中でお分けする要領等についてご案内をさせて頂く予定でいます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする