私は水戸ッポだと思っています。封建末期の幕末から明治・大正にかけての歴史の中で、全国に俗に三ポと呼ばれる県民性というか幕藩体制をベースとする地域性を丸出しの人間性格(気性)の特徴があったようで、それは今でも若干残っているようです。三ポというのは、薩摩の薩摩ッポと土佐の土佐ッポそれに水戸の水戸ッポを指しているとのことです。今の時代ではどうでもいいことなのかもしれません。が、私的には、これらの三ポは、とても同じだとは思えません。
本来自分が深く関わっていそうならば、防御の煙幕を張るべきなのだと思いますが、私にはそれができません。とても水戸ッポが他の薩摩や土佐と同格とは思えないからです。私はこの三ポの中で、 もし社会変革的貢献レベルでランク付けをするなら、一番は薩摩、二番は土佐、そして水戸は枠外で順番には入らないと思っています。一番と二番は歴史の結果論からのランク付けであり、本当のところはどちらが上なのかなどは判りません。しかし水戸が枠外だということは明快だと思います。薩摩も土佐も維新から明治への移行に係わっては、それなりの貢献をしたし、その成果を享受した部分も多かったように思います。しかし、水戸といえば、時代変革の最初のきっかけを作ったくらいであって、プロセスにおいても結果においても殆ど貢献や見返りに見るべきものは無かったように思えるのです。
幕末・維新に最大の成果(?)を得た長州の山口県人に、「ッポ」などという呼び名の欠片(かけら)もないのは、この国の生んだ人物が巧みな処世術を持っていた証なのかもしれません。吉田松陰がその様な知恵を授けた人物だとは思えず、これは往時の混乱の時代の中で、なるようになるべくして身につけた、組織的知恵の結果だったのかも知れません。いずれにしても本当のところは判りませんが、三ポに挙げられるエリアの住民(といってもリーダー格の行動者)の性格(気性)が、かなり特徴的なものであったことは間違いないと思います。
さて、その三ポに共通した特徴といえば、頑固・強情で己の信念を曲げず、思い込んだことには全身・全霊を傾注して取り込むといったことかと思います。簡単にいえば、余計な策を弄せず、単純明快に目標というか、志の実現に向って邁進するといった姿勢かと思います。ま、このように書くと、解り易いのですが、人間の行動は複雑ですから、同郷の人であっても必ずしも皆が皆同じ考えや行動を取るとは限りません。「ッポ」というのは最大公約数的な呼び方なのだと思います。
薩摩と土佐は良いとして、水戸の場合は、何といっても最大の相違は、徳川御三家の一つという体制側の藩であったということです。光圀時代から続く尊王の思想は、形式的には幕末の尊皇思想と一致しているところがあったとしても、体制の土台は鎖国であり、開国を前提とした尊皇の考え方と一致するはずもなく、その辺に水戸の曖昧さというか、開国への矛盾があったように思います。簡単に言えば国のあり方に対する思いの深さは相当なものであったけど、世界の現実を見る視野が狭かったということなのだと思うのです。この結果が水戸ッポをして、変革貢献の枠外に至らしめたのでした。私はその様に思っています。
ま、このようにいうと同郷の、水戸ッポを自認しそれを誇りに思っておられる方からは、烈火のような怒りの反論があるかもしれませんが、それこそが水戸ッポの愚かなところのように思います。思考や活動のエネルギーのボリュームでは、薩摩にも土佐にも少しも引けはとらないと思いますが、水戸ッポの弱点は大局観が乏しいというところにあるように思うのです。大局観というのは、長期的展望ということであり、志の大きさです。例えば戦(いくさ)を例に挙げれば、戦に勝つための戦略や戦術を考えますが、勝ったあとその国をどう治めてゆくかまでを明確にしておくことが長期的展望であり、大きな志といえます。戦に勝つまでということでは、志は小さいと言えるでしょう。当面の目標を達しなければ、その先へは進めないという考え方は大事ですが、当面の目標を達成した後で次にやることを考えるというのでは、大したことはできないように思えるのです。水戸ッポには、これが欠けているように思えてなりません。つまり戦に勝つには相応しい力があるけど、その後の治世にまでは思いが行き届きにくい発想の持ち主だということです。皆が皆そうだとは思いませんが、少なくとも幕末・維新の時代においては、傑出した人物は見当らなかったように思います。
私の中の水戸ッポは、まさにその典型のようなもので、実に短絡的で、些事であってもその相手が己の癇の虫に触ると、激昂したり或いはその反対に一切ものを言わないなどの過剰反応を示すことになります。これは何とも自己制御が利かず止めようがありません。癇の虫というのは、私の信念や心情に反する言動を得意げに振舞ったり、或いは私をバカにするような言動をされた場合で、その場合は自分なりには相当に我慢をしているのですが、その限界が切れた時には、もう爆発のエネルギーを止めようがありません。真に愚かで嫌悪すべきことなのですが。ダメなのです。
この気性というか、短絡的で陰険な性格が災いして(?)サラリーマンは結局成り下がりとなりました。成り上がれば、今頃このようなブログなど書いているヒマなどなかろうと思います。大局観が全くないのかといえば、そうでもないのですが、当面の些事であってもそいつを見過すような器用な振る舞いができず、感情を爆発させてしまうのです。このような人間は、集団の中では上に立ってはいけない存在であり、従って政治家や経営者などになったら、下の者を悩まし続けるに違いありません。度量の狭さ・少なさのなせる業ではないかと思っています。向いているといえば、基本的に一人で仕事をする世界かも知れません。例えば評論家とか芸術サイドのようなものが挙げられると思います。
私の中の水戸ッポを分析すると、様々な部品で成り立っていると思いますが、その根源にあるのは、「弱さ」ではないかと思っています。己の弱さを知って、平然と弱いままの行動がとれる人が本当に強いのだと思いますが、そういう人物はなかなか見当たらず、殆どの人間は何がしかの鎧を被っています。私の場合は、それが己の弱さのなせる仕業なのだということを知っていながら、尚頑固にその弱さを踏み潰して、愚かな振舞いをし続けているわけです。
実のところ長年この頑固・強情さを自分なりに持て余してきました。時にはヤケクソ的に水戸ッポを自慢しちゃえなどと思ったりしましたが、その根っこにあるのは自己嫌悪のようなものだったと思います。しかし、この年齢になると、もうその様なものはどうでもよく、些細なことはポイと捨てるようにして、自分の感性に素直に映るものを大切にして生きてゆきたいと思うようになりました。まだ思っているだけなので、時々癇の虫が疼くことがありますが、これからは大事に至るようなことはなかろうと思います。特にくるま旅をするようになってから、世の中のたくさんの人々や事象との出会い・ふれあいの中から、水戸ッポの捩れた根性は少しずつ是正され、まともに近づきつつあるように感じています。
久しぶりに水戸の街の中を歩きながら、水戸の大きさよりも小ささを感じたのでした。