今回の旅の楽しみの一つに備前焼の里を訪ねるというのを加えていました。名前は良く聞く焼き物ですが、それが備前のどの辺りで焼かれているのかを知ったのは、つい先日NHKの「街道てくてく旅」という番組で、山陽道の伊部宿が紹介されていたのを見たからでした。伊部を「いんべ」と読むのを知ったのもその時なのです。つまりは備前焼というものに対してはまったく知識がないということの証明のようなものです。後で調べたら、備前焼は江戸時代では伊部焼とも呼ばれていたということですから、全く無邪気なものです。
日本各地にはそれぞれの土地の土を使った固有の焼き物の里がたくさんあります。茨城県でも笠間焼は有名です。笠間焼きよりも栃木県の益子焼の方が有名かも知れません。でも益子町と笠間市は仏頂山や雨巻山というような4~500mほどの高さの山を挟んで隣接しており、元々は笠間焼の方が古くて笠間で修業した人が益子に帰って江戸末期に焼き始めたということですから、親戚のようなものなのでしょう。益子焼が有名になったのは、何と言っても人間国宝の浜田庄司の功績によるものでしょう。しかしその師匠といえば板谷波山であり、この方は茨城県出身ですから、我が故郷には陶芸に縁の或る土地や人材が多いのだということを気づかされます。
少し余計なことを書きましたが、書いている私自身は全くの無粋な人間で、焼き物の価値などさっぱり判らず、ただ酒を美味く飲める盃や徳利やぐい飲みが手に入れば良いと思っているだけなのです。今回も何か手ごろな値段で、形と手触りの良い盃が見つかればいいなと思っての訪問でした。この頃はぐい飲みを卒業して、陶磁器や漆器の盃が欲しいと思っているのです。なかなか心ときめくようなものは見つからず、ときめいても超高価では手が出せず、器よりもそれに注ぐものの方にお金を回すべきだと考えてしまうのです。これ又余計なことでした。
さて、初めて訪れた伊部の町は、これはもう疑いも無く陶磁器の町でした。小じんまりとしていて、丁度備前焼のあのキュッとしまった赤銅色の感じのする町並みでした。駅の横に美術工芸館というのがあり、そこで予備知識を得てから歩こうと考えていたのですが、その日は生憎と休みでした。ぶっつけ本番の探訪です。駅前を通る国道2号線の横断歩道を渡ると、北に向かって50mほどの広いまっ直ぐな道があり、突き当たるT字路の交差点の左右に少し細い道が町並みをつくって伸びています。それらの道の両側の殆ど全てが備前焼の店であり、そのうちの幾つかは窯を持っていて、製造販売を兼ねているといった様子でした。店先に並べられている焼き物は勿論全てが備前焼で、一体どれがどのように良いのかなどと比べるのは、審美眼の無い自分には全く見当もつかないほどの多さなのでした。
どこへ行く宛もなく、案内図を貰っても何がどうなのかさっぱり判りません。とにかく行けば何かがあるだろうという、いつもの開き直りの散策でした。先ずはT字路を右に曲がったのですが、その突き当たり近くにある店の前に、「只今窯開き中、見学どうぞ」という貼紙があるのに気がつきました。野次馬精神旺盛の家内が、早速中へ入って行きました。店には誰もいないようなので、大声で訪うと、窯出しの作業中だったらしい若い男性が顔を出して、中へどうぞと案内してくれました。
店の奥に設えられた小型の登り窯。右手の方が燃焼室となっている。
いやあ、それら後はその青年に丁寧な説明を受け、かなり勉強になりました。そこには2段ほどの登り窯が設えてあり、まさに只今そこから焼きあがった作品を取り出している最中なのでした。実際に触ってみることはしなかったのですが、何だか未だ温かみが残っている感じでした。取り出された様々な作品には備前焼独特の光沢が輝いていて、どれも皆傑作のように見えました。
窯出し中の窯の中の様子。出来上がった様々な作品が並べられて、まさに出番を待っている感じだった。
製品が出来あがるまでの工程などについて、家内は熱心に訊いていたようでしたが、私の方は作品の中に欲しいと思っているタイプの盃はないかと、ただそれを探すことに集中していたのでした。途中から我々以外のお客さんも入ってこられて、狭い作業場はかなりの混雑となりました。竃の焼成には松の木の薪が使われているようで、今頃は集めるのが大変だろうなと思いました。
話は少し横に逸れますが、その昔私の実家では葉タバコの栽培をしていました。葉タバコは専売公社の委託を受けて栽培するのですが、生育したタバコの葉を乾燥させるのには、幾つかの方法があって、大別すれば太陽の光に当てて乾かすのと、もう一つは乾燥室に入れて薪を燃やして温度管理をしながら乾燥させるものとの二つになるのです。我が家ではその後者の乾燥室での乾燥を行なっていました。土壁の特別の乾燥棟をつくり、摘んできた葉タバコを縄に挟んで吊るし、それで一杯になった室を3日間ほど、乾燥状況に合わせて温度管理をしながら、昼夜兼行で薪を燃やし続けるのです。この間はもちろん不眠不休となるため、一人で全工程を担当するのは困難です。父母の外に我々子どもたちも手伝わされたのでした。
その時の様子と、この窯での焼成のあり方はとても似ているなと思いました。勿論葉タバコなどとは違って、土や石を高温で焼くのですからご苦労は一層のことだと思います。もし途中で火の温度管理をなおざりにしたりすれば、中の製品が全部ダメになってしまう可能性だってあるわけです。折角丹精を籠めてつくった作品がダメになったなどしたら、その損失は失敗だけでは済まされなくなるのでありましょう。疲労と眠気と戦いながら、一方で出来上がりへの期待を籠めての竃の作業の大変さを思ったのでした。そのような苦労のことなどさっぱり解からない家内は、全くノーテンの様子で、私も一度その火を燃やす仕事の手伝いをして見たいなどと言っていました。
竃から出来上がった作品を取り出す作業は、大変だけど一番嬉しく楽しい工程なのだろうなと思いながら、若い工人たちの話や仕事ぶりなどを覗いたのでした。匠といわれる工人を求める世界では、どこの分野でも後継者不足に悩んでいると聞きますが、この陶芸の世界ではどうなのでしょうか。この窯での若者には質問はしなかったのですが、好きで仕事をされているのが良く判り、少なくともこの店は大丈夫だなと思ったのでした。
最初からいきなり良い経験をさせてもらうことが出来、ラッキーでした。その後はとにかく道の両脇には皆同じような製品を並べた店ばかりなので、少し違った所へ行こうと店の脇の生活道路と思える細い道を入って行くことにしました。人一人が離合するのに顔を鉢合わせしそうな狭い道です。私は妙にそのような道が好きで、ヨーロッパの町を訪ねた時にも、そのような所に迷い込んで、方向を失いかけたことがあります。日本ならば言葉が通ずるので、安心・安全です。このような道を歩いていると、焼き物に関わる人たちの、暮らしの対話や会話が伝わってくるような気がするのです。道の脇には小さな畑があって、大根や白菜などの野菜が育っていました。
少し歩くと、天保窯跡というのにぶつかりました。これは備前市の指定文化財だそうで、現存する江戸時代からの窯はこれだけなのだと説明に書かれていました。かなりの大きさの登り窯で、先ほどの若者の所の数倍以上の大きさですが、この窯は文字通り江戸時代の終わりに近い天保年間に新しく造られたもので、それまでの窯はもっと大規模なものだったということでした。窯のことは良く判りませんが、規模が大きければ大きいほど焼くための経費も時間も多く掛かるということらしく、その軽減を狙っての築窯だったということらしいです。
天保窯の様子。この窯は江戸時代の後期の天保年間に築かれ、昭和15年まで使われていたとか。100年以上の歴史を偲ばせる貫禄があった。
備前焼は遠く平安時代頃に始まり、鎌倉期にいわゆる古備前と呼ばれる盛隆期があり、その後時代を乗り越えて今日まで続いているとのことですが、その長い歴史の中では、様々な変動、変遷が内包されていたのでありましょう。天保窯もその歴史の一つの証なのだと思いました。
天保窯の横の店で備前焼の焼玉のようなものを数個買いました。水やご飯の中に入れて使うと、何やらの力で美味しくなるのだということです。1個百円で美味しい水やご飯が食べられるのなら、こんな結構なことはないと買い求めたのですが、その後の使用結果では店のおばちゃんの言うとおり、確かに美味いように思いました。我が家のご飯の中やポットの中には、今はそれが常備されています。
再び細い道を歩いてゆくと、天津神社という所に出ました。ここは確か先日のNHKの放映で、紹介されていた場所だと思います。今日は誰もいなくて、境内の中は静まり返っていました。天津神社を二人占めです。
天津神社の鳥居付近の様子。両側に備前焼で作られた狛犬一対が構えている。
狛犬の一つ。実に見事な出来栄えである。石像と違ってリアルな躍動感があり、邪心者には今にも飛び掛りそうだ。
境内の至る所に備前焼の置物があります。狛犬も牛の像も皆備前焼です。石段の途中の壁には陶板がはめ込まれており、門も門の屋根瓦も皆備前焼です。さすがだなあと思いました。しかし、気がつけば、ここまで観光客が一人もやってこないというのはどういうことなのだろうかと、少し疑問に思いました。一見の価値のあるスポットだと思います。
その後は元の大通りに戻って、両側の店を覗きながら駅前に戻り、駅の構内にある産業会館というのを覗いて今回の探訪を終ることにしたのでした。この産業会館の2階には備前焼の展示即売所があり、そこを今日の仕上げのつもりで覗いていましたら、ちょっと心を引かれる盃があったのです。盃と言うべきか、ぐい飲みに近いというべきか。ぐい飲みというのは茶碗を持つのと同じ持ち方で飲むものであり、盃と言うのは縁を掴んで持って飲むのをいうのだと、自分で勝手に思っていますので、その形から言えばこれは私には盃なのです。少し迷った結果、それを買うことにしました。千五百円でした。あと3万円加えると、お宝となる感じの青備前などの盃が幾つか並んでいましたが、仕舞っておくのではなく、使うものなのだからと、結局は手ごろ感は急落したのでした。しかし、気に入っています。今回の備前焼探訪の一巻は、これで終わりとなったのでした。これからも機会を作って、何回かは訪ねたいなと思っています。
大枚(?)をはたいて手に入れた盃? 気に入っている。大事にしたい。