山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くるま旅の交響楽(シンフォニー)

2009-11-29 05:17:43 | くるま旅くらしの話

くるま旅では、天候が悪化すると、特別の音楽を堪能することが出来ます。今回の小さな旅でもそれを楽しむことができたのでした。その特別の音楽とは、天井を打つ雨音であり、車の壁の側の空気を切り裂いて通り過ぎる風の音であり、閃光と共に大地を揺るがして轟く雷鳴なのです。これらが一度につながって一夜の一時を奏でることは滅多にないのですが、時としてそれを震えながら堪能することもあるのです。このことについて少し書いて見たいと思います。

ショパンの小品に雨音というのがあったと記憶していますが、今の時代、自然の雨音に耳を傾ける人が居るのでしょうか。傘に降る雨の音すらも災いとしか感じない人が多いように思えるのですが如何でしょうか。現代人の多くは、雨音に耳を傾ける余裕など何処かへ置き忘れてしまっているように思います。ショパンの雨音は、大自然が奏でる天からの贈り物の響きを、その時の思いと一緒に受け止めて楽譜にしているのではないかと思うのです。恐らくこの曲を作ったときのショパンは、自然と融和し、降り落ちる雨の中から心を弾ませてくれる音をたくみに拾ったのではないかと思います。ま、音楽評論ができるほどの知識も耳も持ってはいないのですが、ショパンのピアノにはそのような感銘を覚えます。

先日の小さな旅でも、その前の山陽・山陰の道ふらり旅でも、私たちは何回も雨音と風の奏でる深夜の音楽を堪能しました。キャンピングカーの天井というのは、薄い鋼板に樹脂のようなものをコーティングしているだけ(正確なことはよく解りません)の、遮音効果など殆ど無い代物ですから、音響効果は抜群で、雨が降り出しますと、霧雨で無い限りは直ぐにその音に気づきます。寝飽きて目覚めて、さてどうするかと思案し出すようなときに雨が降ってくると、オッッ、始まるぞ、とこの頃はそれを味わうことにしています。

雨の音というのは、じっと聴いていると千変万化です。大抵は風と一緒にセットになって落ちてくることが多く、音の強弱、時に断続、リズムの錯乱(?)など、微妙に変化するのです。優しかったり、厳しかったり、哀しかったりと心に響いてきます。勿論大自然がそのようなことを意図的に表現しようとしているのではないのですが、時としてそのように感じるのは、私自身の心の問題なのかも知れません。

でも時々思うのです。これは大自然の何かのメッセージではないのかと。雨が降るという現象は、科学的にはそのメカニズムが解明されているのだと思いますが、そのメカニズムがもたらす結果としての雨降りの中には、大自然の何らかの思いが含まれているような気がするのです。この頃はそれを読み取れはしないかなどと、大それたことを考えたりしながら雨降りを楽しむようにしています。

今まで聴いた大自然の一大シンフォニーの思い出といえば、何といっても能登は中島ロマン峠という道の駅の一夜でした。ロマンなどとは対極にあるような大自然の凶暴な本性を表現した一大演奏の時間だったのです。雨が降り出す前は、何時でもどこでも空は暗雲に覆われるのですが、その時の空は異常なほどの急激な暗さで、何か悪魔が牙をむき出して吠え出しそうな感じの邪悪な群雲の暗さだったのです。海の方で発生し、急激に発達した積乱雲の巨大な塊が、一挙に陸に向かって押しよせ、それが飽和状態になったかのごとくに、爆発的に雨を降らせ始めたのです。降り出し初めから大粒の雨でしたから、車の天井は俄かに賑やかになって、これは大変な音だなと思っていましたら、突然の雷鳴です。閃光と共に轟音一発、ズッシーンと大地を揺るがしました。これには肝を冷やしました。

しかしそれはその後2時間近く続いた大自然の一大交響楽の始まりだったのです。雨音は益々強くなり、外を見ると雨ではなく雹(ひょう)が混ざっているのです。閃光と雷鳴は、まるで道の駅をめがけて攻撃して来ているかの如くでした。これほど多くの雷鳴が身近に連続して落下したのを見たことがありません。生まれて初めての経験でした。もはや音楽を聴くどころの状況ではなく、天井の音と直ぐ外の大地を揺るがす断続的な轟音と、時折音のトーンを切り替えている風の音とが綯い交じって、恐怖を通り越してポカーンと言う感じの、呆気にとられた何ともいえない不思議な時間でした。もしかしたらそれは、大自然が奏でる一大シンフォニーに私たち二人が取り込まれて、もみくちゃにされた時間だったのかもしれません。その時、これは大自然の何かのメッセージに違いないと思ったのでした。

冷静になれた後によく考えてみると、どうやらあの一大シンフォニーは富山湾の名物と言うか、恐怖の鰤起し(ぶりおこし)と呼ばれる現象のようでした。何しろ外海を泳いでいた鰤君たちが轟く雷鳴と閃光に恐怖を覚えて、一斉に富山湾に逃げ込むほどの威力を持った光と音の一大ページェント現象だったのです。鰤君たちは難を逃れるためにもっと重大な大難にぶつかることになるわけですが、我々の方といえば、逃げることも出来ずにただただ翻弄されただけなのでした。いやあ、今思い出しても、あれは凄かったなあ。

最近は大自然からのメッセージの頻度が多くなっている感じがします。家に戻って部屋に居ると、雨音も風の音も聞こえてこなくなり、窓を開けて初めて今日は雨が降っていると気づくのですが、旅に出ると、直接大自然からのメッセージを受け取ることが出来るのです。もしかして、これはやせ我慢の屁理屈を言っているのかも知れませんが、この頃はくるま旅での天気の悪い日は、大自然からのメッセージを受け取る日なのだと思うことにしています。まだまだ中途半端な受け止め方しか出来ていませんし、これからも大して変わらないと思いますが、時には何か格別なプレゼントがあるのではないかと、ちょっぴり期待したりしています。

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