旅の終わりは、東京を経由して戻らない限りはいつも二つの道の駅に寄って締めくくりとすることが多いのです。北海道や東北エリアからの帰りでも、太平洋側の常磐道などを通らない時以外は、この二つの道の駅には必ず寄っていると思います。今回の旅でも当然のように立ち寄って、それぞれの良さを味わっての帰宅となりました。
その二つの道の駅とは、栃木県にある道の駅:きつれがわ(=喜連川)と道の駅:はが(=芳賀)です。この二つの道の駅は比較的近くにあり、我が家からも2時間足らずで行くことができます。我が家からは芳賀の方が近く、喜連川はそこから30分ほど北にあります。二つの道の駅とも、温泉入浴施設を備えており、又地元の新鮮な野菜を買うことが出来る点でもよく似通った特徴を有しています。ま、田園地帯を中心とした町ですから、同じようなスタイルとなるのは、ごく自然なことだと思います。
私どもは、原則として温泉は喜連川で、宿泊と野菜類は芳賀でという風に決めています。喜連川の温泉は本格的で、道の駅構内に1箇所だけしかない芳賀と違って、幾つもの入浴施設があるからです。そして野菜類の方は、喜連川もそれなりに悪くは無いのですが、芳賀のそれと比べるとどうしても見劣りがしてしまいます。芳賀の方がいろいろな面でスケールが大きいのです。
喜連川というのは変わった地名ですが、その由来が何なのかはわかりません。那珂川の支流の荒川と内川が合流する地点に道の駅がありますが、この二つの川以外にも幾つかの川が町の中を流れていますから、それらの川との係わり合いでこのような地名が出来たのかも知れません。(これは勝手な想像です) 喜連川は、現在は隣の氏家町と合併してさくら市となりました。何故さくら市なのかわかりませんでしたが、ネットの百科事典によれば、喜連川と氏家町には桜の名所なるものがたくさんあって、公募したところ、小学生が応募した「さくら」という名称が選ばれたとのことでした。これには現在でも賛否両論が渦巻いているようです。馬骨的にはあまり感心できない気持ちの方が多いですね。何故かといえば、喜連川も氏家も全く消えてしまって、昔からの歴史の匂いが全く無くなってしまっているからです。ですから、今でも心の中ではさくら市などとは全く思っていません。
というのも、喜連川はれっきとした城下町です。石高はたったの5千石でしたが足利の正統を継ぐということで、家格として10万石を与えられていた喜連川藩があった所なのです。町の中心地と思われる小高い丘の上には古城があったらしく、そこには今スカイタワーという妙な建物が建っていますが、喜連川藩は城持ちではなく、その丘の下に陣屋を構えての治世だったとのことです。その付近を散策すると、ほんのわずかですが城下町だったことを思わせる建物や道のレイアウトに気がつきます。
喜連川の温泉は、歴史が新しくて、昭和に入ってからも遅い50年代の半ば過ぎに、町おこしの目的で行なった1200m以上ものボーリングで掘り当てたとのことです。かなり良質の本格的な温泉で、現在は小さな温泉町といっても良いのではないかと思っています。町営の浴場や公共の温泉宿などが幾つかあり、保養に来られる人も多いようです。私も、何年か前にばね指になったときに、この湯に何度か来ている内に直ってしまったという経験があります。
私どもが気に入っているのは、露天風呂だけしかない施設で、そこは石組みの露天風呂が一つあるだけでの掛け流しのお湯なのです。露天風呂の半分は雨降りなどでも大丈夫のように屋根が作られていますが、初めて来た頃は雨降りに備えてなのか、蓑笠のようなものが用意されていたのを覚えています。少し熱めの湯なのですが、身体を冷ましながら何度も入っている内に、体の疲れが自然と抜け出して、お湯の中に逃げ込んで消えてゆくような感じがします。
又ここへ来ての楽しみの一つは、地元の人たちの自由奔放な世間話を聴くことです。殆どがご老人なのですが、皆さん仲間同士とあってか話が弾んでいて、女房・子供に対する愚痴やら嘆きやらを始め、健康問題、日本の時事・政治問題、果ては世界の環境問題まで話題のテーマは果てしなく広がって、湯気を揺らしています。勿論、全てが栃木弁です。これは実に楽しいです。うっかり話しかけられたら困るなあと、なるべく隅の方で目立たないように、ひっそりと耳を傾けています。
温泉から出た後は、本当は近くにある喜連川の道の駅に行って、そこでビールを直ぐにでも飲みたいのですが、残念ながら道の駅は国道に面している所為か、夜間のトラックの往来や仮眠駐車の車が多く、駐車帯を守らず、エンジン掛けっぱなしの車などが多いため、安眠が保証されないのです。それで、汗を流しながら30分ほど走って芳賀の道の駅に急ぐことになるわけです。
芳賀町のことは殆どわかりません。道の駅の野菜類の販売状況から思うには、果樹やイチゴの栽培などを含めた一大農業生産地なのではないかと思います。道の駅に温泉がありますが、これは喜連川とは違って幾つもの温泉施設に拡大してゆくような規模ではないようです。栃木県のこの辺りは、いわゆる那須火山帯(※その後の研究の進歩により、今頃はこのような火山帯の区分は使われていないようですが)に属するエリアですから、掘れば温泉が出てくる確率はかなり高いのだと思いますが、ま、あまり堀りまくらなくても、この町では道の駅のロマンの湯だけでいいように思います。
道の駅の近くに祖母井(うばがい)神社というのがあり、そこへ行くと作家川口松太郎に縁があることが書かれています。川口松太郎は、大正の初めの頃、この地で郵便局の電信技士として勤務していたことがあり、その時に作品の一つ「蛇姫様」の構想を練ったとか。その作品は随分昔に読んだことがあるのですが、その内容はすっかり忘れてしまっていて、思い出せません。あの著名な作家がその昔電信技士をされていたなんて、想像もつきません。初めて芳賀の道の駅を訪れ、近くの祖母井神社に参詣した時は、何故川口松太郎なのかと不思議に思ったのですが、そのようなことが判るともう一度作品を読み直してみようかなと思ったりします。
芳賀というのは、元々郡部の名称だったのを、昭和の合併で祖母井町が消えて新しく芳賀町となったとのことです。こちらの方も本当は祖母井の方が歴史の香りが高かったのではないかなどと思ったりします。ことの真偽は判りません。
何とも中途半端な紹介となりましたが、この二つの道の駅は、私どもの旅にとっては、とても大切な場所なのです。これからもずっとお邪魔させて頂くことになると思っています。
今回の山陽・山陰の道ふらり旅で拾ったテーマについての記述は、一応これで終わりとすることにします。まだ幾つか残っていますが、それは別の機会とすることにします。ところで、今日で主夫業を終えて、明日からは本物の主婦と交替しますので、お互いの気分転換のため短い旅を予定しています。ブログは2~3日休みとさせて頂きます。