山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

道の駅:アリストぬまくまの朝

2009-11-16 04:04:27 | くるま旅くらしの話

くるま旅くらしの宿泊環境といえば、そのための専用の場所があるわけではなく、これからも生きている間にそのような環境が整備されることを期待するのは無理だと思っていますが、只今のところは何といっても一番利用させて頂いているのが「道の駅」と呼ばれる場所です。道の駅は全国に幾つあるのか正確には知りませんが、毎年少しずつ増えて900箇所に近づいていると思います。これはくるま旅をする者にとっては大へんありがたいことです。

日本という国は、不思議なことに世界でも有数の車社会を形成していながら、その車を使って旅をするなどという暮らしには殆ど関心がなく、車といえば仕事に使うか短期のレジャーのための移動・運搬手段としてしか考えておらず、従ってそれを使う環境も一時的な駐車施設を設けるくらいの発想しか無いように思います。

車を使っての旅は、本当はかなり良質なものが期待できるはずなのですが、定年後を迎えた方たちの多くは、車を所有していてもそれを使っての旅までには思いが届かず、届いても実践される人は少なくて、旅といえば時々ツアーなどの慌しい旅に出かけられるというスタイルが殆どのように思われます。そのことを批判する気持ちなど毛頭ありませんが、車を使えばもっともっと自由で質の良い楽しみ方のできる旅が実現できるのにと、ちょっぴり気の毒というか残念だなという気持ちがあります。

これは鶏が先か、卵が先かという議論と同じことになるかもしれませんが、私的にはくるま旅の環境が整備されれば定年後に旅を楽しむ人はもっともっと増えると思いますし、くるま旅が大きな力となって定年後の人生の過し方の質が向上し、例えば病院通いの老人はかなり減るのではないかと思っています。旅の中には、人を元気にする要素がたくさん詰まっているからです。ところが現実は殆ど全くといっていいほど、そのような環境整備などには関心が向かっていません。くるま旅の効能を実感している者にとっては、真に嘆かわしいことだと思っています。

ま、この話をし出すととんだ長い主張となりますので、それは止めますが、現在の国内のくるま旅の宿泊環境の中で唯一といって良いほど頼りにしているのが道の駅ということになります。このほかにも高速道のSAやPAなどがありますが、これらは高速道に入らなければならず(高速道が無料化されれば道の駅と同じとなると思いますが)、今のところは何といっても道の駅が一番だと思います。

その道の駅というのは、国交省が旗を振って、車を使う者のための休憩・仮眠など安全・健康の確保や地域交流による活性化拠点などの目的で造られた施設で、全国展開がされている施策です。この目的・対象の中には、勿論くるま旅などは含まれてはおらず、トラックや一般の乗用車と同様の扱いで、くるま旅をする人はそれにあやかっているというわけです。ですから道の駅での長期滞在などは基本的にルール違反となるのは明瞭です。そのようなことはつゆ知らずオーニングや椅子などを持ち出している人がいますが、これは批難されても仕方のない避けるべき行為です。道の駅はあくまでも仮眠までが許される場所なのです。仮眠というのは居座って時間を使うのではなく、一時的に眠りを確保するということなのですから。従って、同じ場所に何日泊まっても差支えはないけど、居続けてはダメということになります。

何だか又同じような話になりかけ出したようです。つまり、私の言いたいのは、道の駅の利用には条件と限界があり、自ずから自制が求められるということです。私どもの場合は、道の駅の利用に当たっては、絶対に居続けの姿やスタイルをとらないことにしています。それを見せたら世のひんしゅくを買うのは明らかだからです。同じ場所に泊まるとしても、日中駐車し続けることは極力避けるようにします。とにかく目立つ存在ですから、そのような気配りは不可欠だと思っています。

そのような条件、考えの下で道の駅を利用させて頂いているのですが、道の駅には楽しみも多いのです。それは目的の一つである地域活性化のための施設として位置づけられていることもあり、殆どの道の駅には地元の産業振興のための様々な工夫が用意されているからです。一番多いのが何といってもそのエリアでとれる農産物や海産物、それにみやげ物などの販売所だと思います。これには様々なスタイルというか運営方法というのか、やり方の違いがあるようで、上手くいっている所と、そうでない所との差はかなり大きいものがあると感じています。単に販売されている品物だけではなく、それをどのような仕組みで運営しているのかという視点で見ていますと、道の駅というのは結構興味深いのです。私の場合は、それも又楽しみの一つに付け加えています。交流をうたいながらも何の施策も講じていない道の駅や10時開店などというデパートのような発想で商売をしている田舎の道の駅があるかと思えば、新鮮な野菜や地産の工夫された食べ物や加工品などを求めて、朝からマイクロバスで買い物客がやってくる道の駅、早朝6時の霧の中で声がすると思ったら何ともう開店していて、地元のご老人たちが買い物に来ているといった道の駅など等、その運営の実態は様々です。

今回の山陽・山陰を下見的に廻った旅の中で、一夜をお世話になった福山市沼隈エリアのある道の駅:アリストぬまくまの朝の様子を紹介したいと思います。アリストというのは何のことか良く判らなかったのですが、ホームページを見ましたらこれは造語で、駅の位置づけをAssennble(集)、Rest(憩)、Image(創)、Study(学)、Talk(話)、Oasis(場所)の6つの要素で決めたものを、つないでARISTOとしたものをカタカナにしたものとの様でした。なかなかの工夫だと思いました。そしてその各要素は実現されていると思いました。どこかにアリストの説明があれば良いのになと思いましたが、私の方が見落としたのかも知れません。

   

道の駅:アリストぬまくまの自由市場開店前の様子。静かだった朝に気合と活気が漲り出す。

この道の駅は私どもの気に入りの場所の一つです。近くに来た時は、少し無理をしてでも泊まるようにしています。寄るだけではダメなのです。何故かといえば、私どもにとってのこの道の駅の楽しみは朝にあるからです。というのは、道の駅では地元で獲れた新鮮な魚介類が販売されているからなのです。地元の漁師の方たちが獲って来られたいわゆる地物の魚介類が、飾りのない素朴な形で販売されているのです。スーパーなどとは違うのです。これが嬉しいのです。私どもの一番の目当ては瀬戸内海のワタリガニなのですが、それだけではなくその時節の獲物が、ごく当たり前に並べられています。今回はシャコ、ゲタ(=舌平目)、コウイカ、アナゴ、コノシロ、エビ、アサリなどが無造作に並べられて、格安の値段で売られていました。

    

魚介類売り場には、魚の獲れた場所や魚の入荷の状況などの説明が為されている。心配りが嬉しい。

   

昨日までは海の中にいたと思われる様々な魚介類が買い易い値段で手ごろなパックに入れて売られている。見るだけでも楽しい。

開店は朝の8時半でしたが、7時ごろには商品の搬入が始まり、ひっきりなしに軽自動車がやってきます。8時ごろには待ちかねた人たちが入口付近を偵察に覗き出します。そして10分くらい前になるともう店の中に入ってゆくのです。私どももワクワクしながらその後に続くのでした。

   

野菜売り場の様子。昨日の午後遅く覗いた時には、殆どの商品が空になっていた。回転は早いようである。

魚介類だけではなく、野菜や切花などの農産物も豊富に並べられています。こちらの方はどこの道の駅でも一般化されて販売されていますが、海の幸の方は扱っている道の駅は少ないようです。それは扱う商品の性格・鮮度の問題があるからなのかもしれません。海の近くにあっても干物しか力を入れていないような店が多いのですが、ここはその壁を破ってチャレンジされているようで、買う側もそれに応えているということを実感します。午後に寄ったのでは、海産物はもう手に入らないのです。ですから泊まって朝を迎えないと楽しみは成就しないわけです。

全国に数ある道の駅の中で、今のところ海産物に関してはここが一番だと思っています。未だ訪ねていない道の駅もたくさんありますから、もっと嬉しい場所があるのかもしれませんが、その発見はこれからの大いなる楽しみです。

コメント
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