行程:道の駅:ようか但馬藏→出石町営駐車場(豊岡市)→道の駅:舞鶴港とれとれセンター→瓜割り名水(若狭町)→(敦賀インターから北陸道へ)→南条SA(泊)
道の駅:ようか但馬藏は、水汲み場が無いことを除けば、くるま旅の者には、とても優れた場所だと思う。R9というメイン道路があり、夜間のトラックの往来も多く騒音も少なく無いが、広い駐車場があり、裏の方に行けばそれらは解消できるし、直ぐ側に天女の湯という温泉もある。お陰様で快適な夜を過ごすことができた。駅が開設されてから3周年を迎えたらしく、今日は何かイベントがあるらしい。関係者の人たちがテントを張り、何やらマイクのテストなどをしていた。
今日は移動日を予定しているが、午前中は近くにある出石の町を歩くつもりでいる。それが済んだ後、舞鶴に向かい道の駅で魚を物色し、若狭町の瓜割り名水を汲んだ後、敦賀から北陸道に入り行ける所まで行ってどこかのSAに泊まるつもりでいる。
9時半過ぎ出発。天気は良すぎて、やたらに暑い。予報では午後辺りから荒れ模様となるらしいが、そのような気配は少しも無い。出石への道は400番台なので狭いのではないかと心配したが、全くの杞憂だった。40分も掛からずに到着。町営の駐車場に車を入れる。
出石の町はかねてより一度訪ねたいと思っていた。私は山手樹一郎という作家の作品が好きで、その殆どを読んでいる。この方の作品は、皆似たような筋書きなのだが、それが解っていても面白い。一番好きなのは又四郎行状記である。その時代小説に時々登場するのが出石の町である。出石ではなく、福岡の秋月や福島の棚倉の城下町でも良いのだが、何故か出石という所が印象に残っている。しかし、まだ一度も訪ねたことはなかった。今日はその念願が叶う日である。
長いこと思い続けていた割には、全く土地勘がなく、手元に何の案内資料もない、思い付きの訪問だった。何処へ行ったらこの町の様子が判るのか見当も付かなかったが、駐車場の直ぐ上にお城の櫓が見えたので、そこへ行って見ることにした。これは正解だった。城跡からは眼下に町全体を眺望することができた。黒い瓦屋根の家々がちんまりと櫛比(しっぴ)していた。碁盤目に町割りがなされているのが判る。時代小説の場としては、なるほど使い易い、いろんなイメージが膨らむ景観だなと思った。
石段を降り、凡その見当をつけて、町中の散策に。戦禍を免れたのか、そこには大正・昭和初期からと思われる古い町並みが静かに息づいていた。何となく懐かしい。観光化された来訪者の多いエリアよりも、静かな佇まいの並ぶ町中の方が良い。とりわけて、その昔からのひと一人がやっとすれ違える程度の細い生活道路が好きだ。そういう道を入って行くと、小さなお地蔵さんや何やらの社があったりして、本物の昔が息づいているように思うのである。
この町の名物は皿蕎麦というものらしい。一度は食べておかないと話にならないかなと、店に入る。町には蕎麦屋さんが50軒もあると言うことで、呼び込みも賑やかである。初めて食べる皿蕎麦は、東北のわんこ蕎麦に似ていて、椀の代わりに地元で焼かれた白磁の皿に蕎麦が盛られて出てくるのだった。一人前が5皿だとか。追加は一皿単位でOKとのこと。なかなか面白い。わんこ蕎麦のように急かされないのがいい。オマケを入れて6皿食べて、何となく物足りない感じだったが、あとになって丁度良かったと解った。蕎麦と言うのは、食べ方で腹の感じ方が変わる食べ物のようだ。
散策の途中で丹波の黒豆の枝豆と白磁の蕎麦用の徳利を買う。本物の丹波の黒豆の枝豆は、見てくれは悪いけど、味の方は東北のダダチャ豆を凌ぐと思う。数年前初めてそれを食した時からこの枝豆のファンとなってしまった。ここでゲット出来て嬉しい。
12時を過ぎる頃から雲行きが怪しくなりだし、風と一緒に雨が降り出した。今日の予報は当たっているようだ。出石の町の散策に充分満足して、別れを告げたのは12時半だった。
その後は次第に激しくなる雨の中を、ひたすら舞鶴市を目指す。途中あまりの激しい降りに、由良川が氾濫するのではないかと、相棒が静かになった。こちらの方が不気味である。多少雨脚が弱くなり出した頃、道の駅:舞鶴港とれとれセンターに到着。日曜日なので駐車場が空いてないのではないかと心配したが、この雨の影響もあってか、大丈夫だった。この道の駅のウリは、何と言っても魚である。地元でとれた魚をはじめ、新鮮な魚介類が数多く並んでいる。自分の目当てはサバの串焼きである。日本海側を旅する楽しみの一つはこれをゲットすること、そしてもう一つはサバ寿司の美味いのに出会うことである。相棒は刺身を見つけたようである。念願の串焼きが手に入り、ウキウキ気分で車に戻り出発。
舞鶴市街を抜け、小浜の宇佐美で給油の後、少し走って若狭町(元の上中町)の瓜割り名水に寄り、車の水槽と持参の飲料水のペットボトルを満たす。ここの水を汲む通行手形を持参している。飲料水には拘る方で、水道水は使わない。名水と言われているものも、選ぶようにしている。瓜割り名水は信用している。良い水をたくさん手に入れると、とてもリッチな気分になる。今日は枝豆と串焼きサバも手に入れて、最高の嬉しい気分である。
止まない雨の中を走り続けて、敦賀から北陸道へ。当初は富山県の小矢部川SAまで行こうかと思っていたが、雨は止まないし、海側に出れば風も強いかも知れないし、更に暗くなって目は疲れるし、ということで無理をせず、最寄りの南条SAに泊まることにする。今夜はどこに泊まろうとご馳走が待っている。
SAに着いてからは、雨や風のことは忘れて、ご馳走にうめえウミャ~と声を上げながら一杯やったのでありました。二人で130歳を超えるコンビの夕食風景とは思えぬ下品さなのでした。おわり。
道の駅:ようか但馬藏は、水汲み場が無いことを除けば、くるま旅の者には、とても優れた場所だと思う。R9というメイン道路があり、夜間のトラックの往来も多く騒音も少なく無いが、広い駐車場があり、裏の方に行けばそれらは解消できるし、直ぐ側に天女の湯という温泉もある。お陰様で快適な夜を過ごすことができた。駅が開設されてから3周年を迎えたらしく、今日は何かイベントがあるらしい。関係者の人たちがテントを張り、何やらマイクのテストなどをしていた。
今日は移動日を予定しているが、午前中は近くにある出石の町を歩くつもりでいる。それが済んだ後、舞鶴に向かい道の駅で魚を物色し、若狭町の瓜割り名水を汲んだ後、敦賀から北陸道に入り行ける所まで行ってどこかのSAに泊まるつもりでいる。
9時半過ぎ出発。天気は良すぎて、やたらに暑い。予報では午後辺りから荒れ模様となるらしいが、そのような気配は少しも無い。出石への道は400番台なので狭いのではないかと心配したが、全くの杞憂だった。40分も掛からずに到着。町営の駐車場に車を入れる。
出石の町はかねてより一度訪ねたいと思っていた。私は山手樹一郎という作家の作品が好きで、その殆どを読んでいる。この方の作品は、皆似たような筋書きなのだが、それが解っていても面白い。一番好きなのは又四郎行状記である。その時代小説に時々登場するのが出石の町である。出石ではなく、福岡の秋月や福島の棚倉の城下町でも良いのだが、何故か出石という所が印象に残っている。しかし、まだ一度も訪ねたことはなかった。今日はその念願が叶う日である。
長いこと思い続けていた割には、全く土地勘がなく、手元に何の案内資料もない、思い付きの訪問だった。何処へ行ったらこの町の様子が判るのか見当も付かなかったが、駐車場の直ぐ上にお城の櫓が見えたので、そこへ行って見ることにした。これは正解だった。城跡からは眼下に町全体を眺望することができた。黒い瓦屋根の家々がちんまりと櫛比(しっぴ)していた。碁盤目に町割りがなされているのが判る。時代小説の場としては、なるほど使い易い、いろんなイメージが膨らむ景観だなと思った。
石段を降り、凡その見当をつけて、町中の散策に。戦禍を免れたのか、そこには大正・昭和初期からと思われる古い町並みが静かに息づいていた。何となく懐かしい。観光化された来訪者の多いエリアよりも、静かな佇まいの並ぶ町中の方が良い。とりわけて、その昔からのひと一人がやっとすれ違える程度の細い生活道路が好きだ。そういう道を入って行くと、小さなお地蔵さんや何やらの社があったりして、本物の昔が息づいているように思うのである。
この町の名物は皿蕎麦というものらしい。一度は食べておかないと話にならないかなと、店に入る。町には蕎麦屋さんが50軒もあると言うことで、呼び込みも賑やかである。初めて食べる皿蕎麦は、東北のわんこ蕎麦に似ていて、椀の代わりに地元で焼かれた白磁の皿に蕎麦が盛られて出てくるのだった。一人前が5皿だとか。追加は一皿単位でOKとのこと。なかなか面白い。わんこ蕎麦のように急かされないのがいい。オマケを入れて6皿食べて、何となく物足りない感じだったが、あとになって丁度良かったと解った。蕎麦と言うのは、食べ方で腹の感じ方が変わる食べ物のようだ。
散策の途中で丹波の黒豆の枝豆と白磁の蕎麦用の徳利を買う。本物の丹波の黒豆の枝豆は、見てくれは悪いけど、味の方は東北のダダチャ豆を凌ぐと思う。数年前初めてそれを食した時からこの枝豆のファンとなってしまった。ここでゲット出来て嬉しい。
12時を過ぎる頃から雲行きが怪しくなりだし、風と一緒に雨が降り出した。今日の予報は当たっているようだ。出石の町の散策に充分満足して、別れを告げたのは12時半だった。
その後は次第に激しくなる雨の中を、ひたすら舞鶴市を目指す。途中あまりの激しい降りに、由良川が氾濫するのではないかと、相棒が静かになった。こちらの方が不気味である。多少雨脚が弱くなり出した頃、道の駅:舞鶴港とれとれセンターに到着。日曜日なので駐車場が空いてないのではないかと心配したが、この雨の影響もあってか、大丈夫だった。この道の駅のウリは、何と言っても魚である。地元でとれた魚をはじめ、新鮮な魚介類が数多く並んでいる。自分の目当てはサバの串焼きである。日本海側を旅する楽しみの一つはこれをゲットすること、そしてもう一つはサバ寿司の美味いのに出会うことである。相棒は刺身を見つけたようである。念願の串焼きが手に入り、ウキウキ気分で車に戻り出発。
舞鶴市街を抜け、小浜の宇佐美で給油の後、少し走って若狭町(元の上中町)の瓜割り名水に寄り、車の水槽と持参の飲料水のペットボトルを満たす。ここの水を汲む通行手形を持参している。飲料水には拘る方で、水道水は使わない。名水と言われているものも、選ぶようにしている。瓜割り名水は信用している。良い水をたくさん手に入れると、とてもリッチな気分になる。今日は枝豆と串焼きサバも手に入れて、最高の嬉しい気分である。
止まない雨の中を走り続けて、敦賀から北陸道へ。当初は富山県の小矢部川SAまで行こうかと思っていたが、雨は止まないし、海側に出れば風も強いかも知れないし、更に暗くなって目は疲れるし、ということで無理をせず、最寄りの南条SAに泊まることにする。今夜はどこに泊まろうとご馳走が待っている。
SAに着いてからは、雨や風のことは忘れて、ご馳走にうめえウミャ~と声を上げながら一杯やったのでありました。二人で130歳を超えるコンビの夕食風景とは思えぬ下品さなのでした。おわり。