山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

走りの願望

2008-02-11 00:58:17 | 宵宵妄話

  今日(2/10)は守谷ハーフマラソン大会があった。今の時期はマラソン大会の開催が多い。昨日の天気予報では雪が降るとのことだったので、どうなるかと心配していたが、この地の予想は外れて、今日は朝からそれほど冷え込みも感じられない絶好のマラソン日和となった。

      

 走りもしないのに、マラソンの話となると俄然興味を感ずる自分なのである。TVでの各地での大会の実況は必ず見るし、地元の大会とあれば見に行かないわけにはゆかない。今日も早速近くのコースまで見に行った。守谷に越してきてから3回目の見物となるけど、いつも見に行くのは最後のランナーが走っているような時間帯である。今日も11時過ぎに行ったのだが、最後のランナーはいかにも「私、走っています!」という服装というか衣装を着けた人だった。その前を走る人の中にも、このような衣装の人が多い。競走ではなく、走るのを楽しんでおられるのだと思う。それでいいのかもしれない。

     

 もう走るのを止めてから20年以上が経ってしまっているようだ。43歳の時、休日になると15kmほどのジョギングを楽しんでいたのだが、ある日走っている最中に突然膝に急激な痛みが走り、動けなくなってしまい、休み休みながら足を引き摺って、やっとの思いで帰宅したのだが、医者に行ったら膝に水が溜まっており、この年齢なのに、サポーターもつけずに走るなんて、真に無謀だと叱られてしまった。その後1年以上をかけてリハビリを続けて、ようやく普通の状態に戻ったのだが、それ以来走るのが怖くなって、ほどほどの距離を走るのに止めることになった。

 走るのは嫌いではない。短距離走は苦手だけど、マラソン等の長距離走には自信があった。30歳過ぎまで、20年間ほどバスケットボールに戯れていたので、身体を使うのに苦を覚えたことは殆ど無い。バスケというのは瞬発力が必要なスポーツだが、何よりも持久力が無ければ続かない競技である。だから、長距離を走ると結構長続きするのである。大学時代は、陸上のクラブの人よりも長距離走は上を行っていたように思う。単位のかかっている運動会のマラソン(といってもたった8kmほどだったが)では10番内には入っていた。今の自分からは想像もつかない話ではある。

 糖尿病の宣告を受けてからは専ら歩きに徹してきたのだが、ここ3年この季節の地元開催のハーフマラソンを見ていると、走りたくなってしまう。間もなく古希が近づいていることを考えると、気持ちだけで走ってしまって、再び膝を痛めたら大事(おおごと)になるとは思うのだが、走りたい気持ちは高まるばかりである。

 今は走ろうと思っても、恐らく100mも走れば息が上がってしまうに違いない。守谷のハーフマラソンには、10kmくらいのコースも設定されているようだから、とりあえずはそのくらい走れるようになることを目指すのがいいのかもしれない。歩くのを止めるわけにはゆかないけど、最近は歩くだけでは物足りなさを感じたりしているのである。それは体力が有り余っているというのではなく、このまま走ることなく一生を終わってしまうのは寂しいような思いに捉われるからなのである。無謀な欲望なのかも知れないけど、今日のマラソンの人たちの中には、自分よりも遥かに高齢の方もたくさんおられたようだし、見物している側よりも見物される側の方がやっぱりいいなと思ったのだった。

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