山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

雪の風情

2008-02-04 00:03:30 | 宵宵妄話

  この冬一番の雪となった。朝4時過ぎ、玄関を開けてみると、予報通りの雪だった。昨夜は、久しぶりに天気予報に騙されたいなと思っていたのだが、最近はよほどの気象条件の急変でもない限りは、短期間の予報のズレは殆どなくなった。ありがたいような、味気ないような感じがする。

   

  寒さと言う奴は好きではないが、雪というのは必ずしも嫌いではない。こんなことを言うと、雪国に住む方たちからは、わかっちゃいないな、と思われるに違いないが、関東のこのあたりに住む者には、雪景色というのは、家にいるだけでは滅多に見られるものではないので、一面が真っ白になった景色を見ると、何か心が少しばかり浮き立つようなところがあるのである。冬の嵐の、雪のブリザードの怖さは、先日ブログにも書いたのだが、関東では雪が降っても北部の山沿い地帯でもない限り、そのような怖さを体験することは殆どない。

 人間は、安心と安全が保証される状況では、それが例え短い時間であっても、雪景色に風情を感ずるようだ。何といっても、今まで眼前にあった汚れ、くすんだ景色を一挙に白一色に覆い尽くしてしまうのであるから、大自然のその不思議な力に感動せずにはいられないということなのであろう。汚れたものも、そうでないものも全てを純白に包んで、そこに新しい世界をつくり出すような力を、人間は持ってはいないのである。

 今まで体験した雪景色の中で一番感動したのは、十年以上も前の現役時代に、仕事で真冬の旭川を訪れ、空いた時間に車で美瑛町の拓真館(写真家、前田真三先生の記念館)に連れて行って貰った時だった。美瑛は丘の町である。なだらかな丘陵地帯が広がる春から秋にかけての景観は、何度訪ねても飽きることがない。ワイドな自然を満喫することが出来る場所である。しかし、真冬にそこを訪れたことは一度もなかったのである。

 行ってみた冬の美瑛は、全くの灰色一色の世界だった。その日は曇天で、時々空から黒い煤(すす)のような雪が舞っていた。空と丘との境界の見分けが付かず、光の少ない世界は、雪の色を白から灰色に変えて、舞い落ちる雪片も同じ灰色に染めていた。沈黙の世界がそこにはあった。人影は何処にも見えず。このような世界を見るのは初めてのことだった。感動の半分は恐怖だったのかも知れない。冬を除く季節を有色とすれば、美瑛の冬は単色だなと思った。

 これが晴天であれば、澄み渡る青空の下に、眩しい純白の世界が広がって、又別の感動を味わうことになるのであろうが、それは冬山でしか経験したことがない。雪国の本性は晴れた日にあるのではなく、暗い空から音もなく雪が降り続ける世界の中に潜んでいるのではないかと、そのとき思った。その本性を知っているからこそ、有色の世界の美しさに価値があるのだとも思った。

 今日の守谷は、雪国の本性などとは無縁の、雪国ならば淡雪のレベルに過ぎなかったのかもしれないが、しばし雪の風情を味わうのに不足はなかった。偶々(たまたま)市会議員選挙の投票日だったので、久しぶりに雪を踏みしめて近くの中学校の投票所まで往復した。帰路は寄り道をして、いつもの散歩道などを歩いたのだが、滑るだけではなく、凹凸の激しい路面と化していて、明日の朝は大丈夫かな、とたちまち現実の世界に引き戻されたのだった。途中、雪をかぶった山茶花の赤が、ひと際(きわ)目立って、こんなに美しかったのかと改めて見直したのだった。

     

  滅多にないこのような日は、雪見酒に限ると、梅安鍋(今回は、昆布のだし汁に鶏のササミを入れ、その中に千切り大根を掴(つか)み入れて、煮上がったのを掬い取って、七味唐辛子を振り掛け、それに味ポンをかけて食べる)をつつきながら、一升瓶を抱えて、暫し庭に降りしきる雪に見とれながら、家人のひんしゅく顔などは無視して一杯、二杯とやったのだった。最後は、雪の風情からはかなり遠い体(てい)たらくとなった。これが不断の自分の正体である。

コメント
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