山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

どうにも止まらない 

2008-02-28 00:07:00 | 宵宵妄話

 俗に3ポというのがある。薩摩ッポ、土佐ッポ、水戸ッポ。ある種の県民性のようなものをいうのかも知れないが、本来は幕末あたりに発揮された武家社会の藩閥集団の特性のようなものを呼ぶようになったのではないか。3ポには共通した頑固さのようなものがあるが、この中でどうやら程度をわきまえぬほどひどいのが水戸ッポらしい。幕末の中で、最も早く尊皇攘夷を掲げながら、結果的には一つの力として、歴史の転換にあまり貢献できなかったように見えることが、それを証明しているようにも思う。(この考え方には私としては異論を唱えたい思いがあるが、今日は止そう)

 私はどうやら水戸ッポらしい。水戸藩の末裔ではなく、徒(ただ)の馬の骨なのだけど、精神は水戸に育てられたようなところがあり、飛び切り頑固になることがあるのである。人間、間もなく古希を迎えようとするほどの者ならば、いかに馬齢を重ねようと人前で辺り憚(はばか)ることもなく、大声を上げて相手に吠え掛かるなどということをするのは見果てた奴だと言われざるを得ないのだが、昨夜それをやってしまった。

 年に1、2回開催される同じ学舎のゼミ仲間の集まりに出席したのだが、宴も二次に入り、久しぶりにカラオケなどに興じているときに、メンバーの一人との対話の中で怒り心頭に発することがあったのである。その詳しいことは書かないが、私は自分が大事にしているものを踏みにじられるようなことがあると、それを黙って耐え忍ぶなどということが出来ない。侮辱(ぶじょく)と受け止められることがあると、もう断じて我慢が出来ないのである。

 大事にしているものが幾つかあるが、その一つに話す態度というのがある。話すというのは聴くという行為とのやり取りで成り立つものである。どちらか一方がどのように懸命にたくさんのことを話しても、相手が聴かなければ話合いは成り立たない。話すというのは、だから聴くということなのでもある。その話す態度の中で、最も許せないのは、自分が訊きたいことだけを相手に話させようとする態度である。「お前のそのようなことは聞きたくない!俺の聞きたいことだけを話せ!」などという態度は、例えそのようなことばを吐かないとしても、断じて許せない。コミュニケーションというのは、ことばだけで成り立つものではなく、態度や行為等を含めたその人間全体の心の働きがなせるものなのであるから、その心の働きが自分を侮辱したようなものである場合は、直ぐにそのことはわかるのである。少なくとも私自身はそう思っており、他人(ひと)との話にはそれなりに感性を働かせているつもりである。

 その感性がカチンと来たのであった。その昔の現役時代、新社長と重役さんが集まった会議の中で、私の責任担当の部署の説明会があったとき、新社長から説明を求められ、関連事項も含めて説明をした方がより正確にご理解を頂けると考え、そのような話を始めたのだったが、その新しいトップから関連事項は話すなと強く遮(さえぎ)られたことがあった。そのとき、関連事項もお聞き頂かないと説明が不十分となると申し上げたら、急に怒りだして私の言うことが聞けないのなら、お前は馘首(くび)だ、などと言われたことがある。簡明に報告・説明することが時間効率上も含めてビジネスの要点のひとつであることぐらいは、こちらも重々承知はしているが、碌(ろく)に話も聴かないで、己(おのれ)が求めたものだけ聴けば大概のことは解るのだ、というのは思い上がりである。冗談じゃない。お前さんを馘首にしたいのは俺の方だ、とそのとき思った。ビジネスの場なので、ま、一理はあるのだろうと我慢したが、ビジネス以外の世界では、この種の人間行為を簡単には許せない。許さないのではなく、許せないのである。

 一昨夜は、似たような状況だった。普段かなり信頼していた人物だったので、殊更に腹が立った。一喝した。相手は勿論、その場にいた人は吃驚(びっくり)したであろう。突然雷鳴が鳴り響いたようなものなのであるから。振り返れば申しわけないことをしたと思うが、さほど反省はしていない。傍(はた)から見れば、酒席上のお決まりの悪い癖が出たなどと映るのであろうが、私は怒り上戸でも酒乱でもない。人間は酒を飲むと本当のことを言うことが多いように思う。酒の席のことは酒が言わせているのだから忘れろ、などと人は無責任に言うけど、私は決して忘れない。本当のことには敏感に対処したい。だから、この種の侮辱に出会うと、放置できないのである。

 江戸時代で、もし自分が武士だったらどうだろうかとふと思った。当然のことながら決闘を申し込むであろう。いや、果し合いなどと面倒なことはせず、その場で切って捨てるかも知れない。しかし、怒ったままでは人を切るのは難しいだろうから、一瞬にして冷静になるに違いないと思う。冷静になれば、確実に人を切ることができる。剣士というのは、冷静な人物しかなれない。確実に人を切ることができるから、滅多なことでは剣を抜かないのであろう。何だか変な話になりだした。

 もともと変な話なのである。他愛もない話といっても良いのかも知れない。一喝した後、自分的には冷静に戻ったのだが、周囲は逆に今度は冷静にはなれなかったようである。それでも相手が少しは気づいてくれたのか、或いはその種の上手の者なのか判らないけど、折れてくれたので掴(つか)み合いにはならなかった。間もなく古希を迎える者同士が掴み合いの立ち回りをやったら、けが人が出るに違いない。真に愚かなことである。愚かなのは自分ひとりだけだったのでよかった。いやはや。水戸ッポの成れの果てだなと思った。

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コメント (1)
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