山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

天然記念物と六地蔵

2008-02-03 00:49:56 | くるま旅くらしの話

 毎日の散歩が楽しい。今日は久しぶりに鬼怒川の向こう側に渡り、少し長距離のコースを歩くことにした。我が家を出て、つくばみらい市に入り、鬼怒川に架かる玉台橋というのを渡り、常総市(旧水海道市)側に入り、しばらく歩いて再び守谷市域に入って、今度は滝下橋というのを渡り、市街地の外れにある自宅へ戻る約10kmほどのコースだった。

 毎日が日曜日の暮らしに入って3年近くになり、旅に出かけていない時の暮らし方も何となく定着しつつあるようである。畑の仕事がない今の時期は、専ら歩くことに楽しみを見出している。歩くというのは、単に体力の維持に良いなどという話ではなく、自分にとっては考える時間なのである。妄想を膨らます時間だと言ってもいいい。机に座っていては、いい考えはなかなか浮かばない。特にお天道様がある日中は刺激が多すぎて、とても集中することなど出来るものではない。しかし、歩いていれば、意外と集中してものごとを考えられるのである。それが楽しみなので、歩くことが辛いとか苦痛などと思ったことは一度もない。

 今日は今まで通ったことのない道を歩こうと思った。玉台橋を渡って、旧水海道市内(といっても鬼怒川沿岸近くの、全くの農村地帯であり、古い民家が20軒足らず点在しているに過ぎない)のエリアを歩くことにした。玉台橋付近一帯には、新興住宅街と工業団地が展開されており、それらは昔の農地や林を開発して造成されたものである。その開発の結果、その昔の農村の集落は、今は片隅に追いやられたような形で点在しているという感じになってしまった。何時もは、その集落の外れを歩くことが多いのだが、今日は中心と思(おぼ)しき古そうな道を選んで歩いてみたのである。

 しばらく歩いて、内守谷地区の鹿小路という所を通りかかると、中心部が白く枯れている巨大な樹木に出会った。何だろうと近寄ってみると、案内標に「鹿小路のタブの木」とあり、市の天然記念物指定とな書かれていた。傍に説明板らしきものもあったけど、古くなってしまったのか、表に書かれていた文字は、一字も確認不可能で、樹の由来などを知ることが出来ず残念だった。

 推定するに300年以上は経っているのではないか。傍にお堂が建てられているから、その昔から近所の住人たちの尊崇(そんすう)を集める存在だったのだと思う。

 老樹と言うのは、言うに言われぬ風格があるものだ。くるま旅の初めに、何故か屋久島の縄文杉に会いたくなって、参上したのだったが、あの時の感動は今でも忘れられない。とても植物とは思えず、巨大な樹幹に埋め込まれた幾つもの木の瘤(こぶ)が、生命の塊(かたまり)のように思えて、思わず敬虔(けいけん)な気持ちになったのである。そのとき感じた樹木というものに対する感慨を、老樹と言われるものを見るたびに感じるのだが、このタブの木にもそれを感じたのだった。写真を撮ったけど、全部を画面に納めるには、畑に入らなければならず、中途半端な画像となってしまった。

   

  そのタブの木の横に、集落のものであろう小さな共同墓所があり、その入口に石で造られた六地蔵が安置されていた。守谷に越してからは、道祖神は数多く見かけているけど、六地蔵にお目にかかるのは初めてだった。共同墓所というから、恐らく江戸時代の頃からの墓なのかも知れない。傍にタブの木が植えられていたのも、その昔からの故人を慰めるためるためだったのであろうか。

 六地蔵と言うのは、仏教の世界で、衆生を教化(きょうけ)するために現れる六種類の地蔵で、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天界道において、衆生の苦患を救う役割を担っていると言われている。これは広辞苑の説明だが、仏教の哲学論理は深くて難解であり、自分のようないい加減な頭では、とても理解するのは無理である。只判るのは、衆生の様々な悩み、苦しみには、それがどのようなものであれ、ちゃんとそれを救ってくれるお地蔵様が付いているんだよ、というくらいの理解しかない。そして、村の小さな集落の墓所の入口に六体の身を寄せて立ち、その中には我が身を風化させてお顔を無くしてしまった方がいても、江戸の昔から連綿と続く、仏の慈悲の御心は何か伝わってくるものがあると感ずるのである。

 直ぐ近くまで工業化の波と宅地造成の波が押し寄せてきて、やがてはこの小さな集落の魂の憩いの場所も喧騒にまみれ、消えてゆくのかも知れない。その時が来ても、この六地蔵には残っていて欲しいなと思った。昔から続く、このような大切な場所を忘れてはならないと思う。この集落に住まわれる方たちには、もう少し丁寧に面倒を見て欲しいなと思った。

こ のタブの木と六地蔵を見ただけで、今日の歩きには大いに満足した。2時間ほどの歩きを終えて家に戻ったときには、万歩計は1万4千歩を少し超えていた。明日辺りから、近くにある菅生沼を取り巻く七福神めぐりを始めようかと考えている。さて、どうなるか。先の楽しみである。

何度やっても余計な写真が1枚どうしても入ってしまって、うまく行きません。今回は写真については、練習ということでご容赦願います。しばらくこのようなことが続くと思いますが、これまたご容赦ください。

コメント
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