山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

全国高校駅伝に思う

2007-12-24 07:25:15 | 宵宵妄話

今日は久しぶりというよりも、最近では珍しいことなのだが、全国高校駅伝競走の中継を、男女とも最初から最後までTV観戦した。都大路を若者たちが走るのを見るのは、気持ちの良いもので、何だか自分までもが若返る気分になるのである。駅伝というのは、日本固有のものらしいが、個人と団体の組み合わせで成り立つ、優れた競技ではないかと思っている。

走るのが結構好きだった。だったというのは、40代の前半に走り過ぎて膝を傷め、溜まった水を抜いたりして、回復に2年近くかかり、それ以降は走るのが怖くなって諦め、専ら歩くことに努めている。しかし、本当は走りたい気持ちがまだかなり残っている。

こう見えても(といってもその正体をご存知でない方が殆どだと思うが)私は、所属したクラブは体育系なのである。中学から始めたバスケットボールは、高校、大学と続け、就職後も新入社員たちなどと30歳過ぎまで一緒に遊んだりしていたのだった。大して強いクラブではなかったが、高校、大学と一応はレギュラーの端くれだった。あまり背が高くないので、戦力としては使いにくかったのではないかと思う。バスケットボールというのは、走る格闘技であって、シュートなどの裏では結構厳しい駆け引きや競り合いなどが潜んでいるのである。

バスケットボールの走りは、ボールの動きに合わせて全くの混迷の織りなす走りなので、走りに集中するというのは殆ど不可能である。そのようなこともあって、長距離走というのは、結構楽でいいなあとずっと思っていた。息を整えながら自分のペースで走れるというのは楽しいものである。

私の出身の高校は、最近3、4年前だったか、「夜のピクニック」という小説と映画で少し話題となった学校である。最近はそれがどのような形で行われているのか良く分らないけど、我々の入学した昭和31年頃は、ピクニックどころの話ではなく、県外から学校のある水戸城址まで歩くコースが3つあって、一つは栃木県の小山から、あと二つは福島県の勿来と矢祭山から、40kmほどを夜を徹してクラスごとに幟などを立てて歩き、早暁時に今度は20kmほどを個人のマラソン競技として走るという荒っぽいものだった。

多くのクラスメイトは、40kmの歩きの中で足に肉刺(まめ)を作り、マラソンなど出来るはずもなく最初の3、4kmを辛うじて走った辺りから歩き始めて、ふうふう言いながら校門に辿り着くのだった。正午までに到着しないと、順番外となってしまうのである。

高校時代の私の唯一つの取り得といえば、そのマラソン競技で上位入賞を果たしたことくらいなのである。1年生の時は10位、2年は途中で中止になり、3年の時は16位だったかと思う。全学年1,300名近くの在籍者がいたのだから、20位以内に入れば上等といってよいと思う。少し走る距離が長ければもっと上位に入る自信があった。バスケをやっているくせに短距離は遅くてダメなのだが、長距離になると、何故か走ってもあまり疲れないのである。

そのようなこともあって、30代を過ぎてからも休日の日などに20kmくらいを走るのはごく当たり前の愉しみだった。私の走り方は、走り出したら家に着くまで決して休まないというのを心がけていた。どんなにスピードを落としても停まらないのである。一旦休んで歩いてしまうと気が抜けてしまい、走るのがつまらなくなるのである。それは現在の歩きにもつながっており、歩き出すとゴールに着くまでは殆ど休まない。しかし、この頃はそのようなことにこだわらなくても良いのではないかと思うようになった。

何だか駅伝とは違う話になってしまった。戻すとしよう。今年は女子は立命館宇治、男子は仙台育育英が優勝を果たした。それぞれ厳しい練習の成果が出たのだと思う。大いに賞賛のエールを送りたい。彼らの走りを見ていて感ずるのは、1位と47位の差が何処から、何故生まれるのだろうかということだ。素質や練習の仕方、指導者の優劣などがあるのかもしれない。画面を見ていると、概して下位チームの人の走りの方が苦しそうである。上位チームの人たちの走る表情には、左程の苦しさは伺えない。

これを見ていて思うのは、全てのチームが県の代表校とはいえ、練習への取り組みには各校に大きな差があるのではないかということだ。弱いチームはやることをやっていない所が多い。練習で笑って本番で泣いてというコメントがあるが、そのようなことを言うつもりはないけど、上位チームは恐らく練習で存分に苦しみ、泣いて来ているのではないかと思う。

全国大会という視点では、下位チームの練習不足は否めないのではないかと思ったのである。素質などというものには、それほど大差ないはずだから、結果を出すのはどれだけチームが一丸となって練習に励んだかという以外に大した理由などないように思う。また、駅伝にはアクシデントというのがあるが、今回走っているのを見ている限りでは、タスキを渡す直前で足が攣()ってしまった女子選手がいて、ほんとに可哀相だなと思ったが、それ以外は大して事件はなかったように思う。TVに映らない世界では、脇腹が痛くなったりなどのアクシデントもあったのだとは思うが、その殆どは練習不足と休養不足のどちらかだと思う。試合に向けてのコンディション調整が上手く行かないというのは、練習不足以外の何ものでもないというのが私の見解である。やることをやらないで、やったつもりになることほど危ないことはない。

駅伝は、人生のレースそのものである。一人ひとりの力が最大限発揮されて、チーム(組織)全体の成果が出せるのである。今日の駅伝に参加した多くの若者たちは、その意味をちゃんと理解してくれていると思うが、今日のいざという本番で力を発揮できなかったという反省がある場合には、練習不足と自分の甘えに対して厳しく対峙して欲しいなと思ったのだった。選ばれた者の責任というのはそれほどに厳しいのだということを知って欲しいなと思った。

コメント
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