山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

誕生日に思ったこと

2007-12-18 03:05:13 | くるま旅くらしの話

 3日前に一つ歳をとってしまった。古希まであと3年となった。誕生日というのは、この頃はあまり嬉しくはない。今までも誕生日が本当に嬉しかった時があったのか、自分でも良くわからない。ま、ここまで無事に生きて来られたのだから、嬉しくはなくても感謝はしなければならないと思っている。両親を初め、ここまで来るのに係わった大勢の方たちにも感謝しなければならないし、感謝している。

 さて、仕事をリタイアして早くも4年が過ぎてしまった。自分に残されている時間がどれほどなのかわからないけど、せめて八十路に辿り着くまでは生きてみたいと思っている。特にくるま旅は第一目標が80歳、そして願わくば88歳までは続けたいと思っている。というのも既に米寿を超えながらも車を駆って旅をされている方が居られるからである。その金沢市隣の野々市町にお住まいのFさんにあやかって、新しくご当地ナンバーの「つくば」が生まれたのを機に、車のナンバーを「88-55」に変更したのだった。88歳まで旅にゴーゴーという意味である。

 どうしてそれほどくるま旅にこだわるのかといえば、要するに好きだからなのだろう。その気になりさえすれば、日本国内の何処へだって、自由に行くことが出来るし、他の手段よりはお金もかからない。そして何よりも、旅に出かければ様々な未知との遭遇が至るところに待っているのである。日々是新なのである。毎日が新鮮というのは、生きていることを実感できる最大の力となるように思っている。生き生きと生きている人は、皆毎日が新鮮な生き方をされているのではないか。自分もそのような生き方をしたいと思っている。そしてその新鮮さの発見や実感をくるま旅に求めているのである。

 尤も、この様なことを言っていても、己の感性が磨り減ったらダメだと思う。新鮮さを感じられない感性に取り付かれてしまったら、その時は老人化する以外にない。一旦老人化が始まったら、あっという間に心までもが萎え果てた老人となってしまうように思う。身体が衰退しても、感性が働いている間は、老人化は進まないと信じている。くるま旅は、感性の磨耗を防ぐための大きな力を持っているように思っている。感性が働かなくなったら、自分のくるま旅は終わるだろうし、人生も終わるに違いない。

 少しややこしい話となったが、自分の人生の中で、古希までのこれからの3年間が、一番大切な時期だと思っている。旅の中に何かを見つけたいと思っている。それが何なのかは、未だ良く見えて来ていない。自分ひとりが喜ぶようなものではなく、世の中の一人でも多くの方が、くるま旅の中に人生の楽しみや喜びを実感できるようなガイドをしたいと考えている。そのためには、まず何よりも自分自身がそれをしっかり見つけていないと、他人様にガイドなどおこがましい話となってしまう。

 又、くるま旅には課題が山積している。世の中では、くるま旅などというものは、殆ど認知されていない。旅車の製造に係わる方でさえも、くるま旅の実態をあまり知らないことが多いように思う。世界でも有数の車の保有国でありながら、わが国では車を使った旅の発想は貧しく、せいぜいアウトドアの休日を楽しむキャンプレベルのことくらいしか認知されていない。キャンピングカーなるものが、たったそれだけの目的で作られ、使われているとしたら、勿体なくもお粗末な話ではなかろうか。現役世代は、それでもやむを得ないと思うが、リタイア後の世代では、そのような狭い使い方ではなく、くるま旅に使いたいと考えるのは自明のことであろう。しかし、その車を使っての旅の実際の場面では、受け入れ環境の不整備は歴然としているのである。

 このテーマも、自分のこれからの取り組まなければならないものの一つだと思っている。思い上がって、足を踏み外すようなことは厳に慎まなければならないけど、何か具体的な行動を起こさなければ、事態は変わらないと思われるので、動かなければならない。

 一つ歳をとるということは、それだけ残りの時間が少なくなったという証明でもあるから、褌(ふんどし)を締め直して、前進しなければと思った次第である。

コメント (2)
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