山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

親しき知己と初対面

2007-12-01 06:05:26 | くるま旅くらしの話

変なタイトルである。親しき知己というからには、何度も会って親交を深めているというのが絶対条件であろう。ところがその知己とはまだ一度も会ったことが無かったというのであるから。

今回の旅で、京都在住のIさんご夫妻と初めてお会いした。Iさんとは大阪在住の親しき知人のTさんを介して、私の「くるま旅くらし心得帖」をお読み頂き、ご賛同を頂戴し、嬉しいメールが送られてきた。それ以来ブログもご愛読を賜わり、電話でのやり取りなどもあって、いつの間にかすっかり普通以上の知人関係となったのであった。

言うて見れば、その昔の文通の友達となるのかもしれない。今は文通などという言葉は死語となっているに違いないと思うけど、携帯電話もEメールも無かった50年ほど前は、見知らぬ人との交流はお互いに手紙を交換し合うというような手段しかなかった。往時の電話は、一般家庭の何処にもあるというものではなかったのである。

それから比べれば今の世の中は、想像もつかなかったほどのハイレベルのコミュニケーション手段が出現し、文字はもとより音声も画像も自在に交信が可能になろうとしている。今のところ画像に最大の課題があるようだが、技術的にはまもなく問題がクリアーされ、やがては動画中心のコミュニケーションが当たり前の世界となるのかもしれない。

しかし、コミュニケーションの質はといえば、人間の心が軽くなればなるほど低下し、薄っぺらな信義のもとに頼りない交流が中心となってゆくような気がする。コミュニケーションの手段が技術的にどんなに進歩しても、それを使う人間の心が貧しければ、本当のコミュニケーションの成立とは無関係のものとなる。ま、そう断言するには危険性があるが、今の世の飽くなき悪事のニュースを見ていると、そのような疑念を持たざるをえないのである。人とのコミュニケーションというのは、実際に生身の人間同士が会うことによって始めて本物の入り口に立つということになるのではないか。

文通の時代のコミュニケーションは、書くという作業が煩わしく、それが苦手の者は、なかなかそのような世界には目を向けなかったと思う。又書く以上は相手のことを考え、かなりの真面目さで文章を推敲した人が多かったと思う。今の携帯メールのような、よく言えば率直、悪しく言えば文章にもなりえない、考えなしのおしゃべり文語のような手抜きのコミュニケーションではなかった様に思う。時間がかかった分だけ、人は誠実さを保持できていたように思うのだ。勿論今の世だって、50年前と変わらぬ誠実な人間はたくさんいるに違いない。そうでなければ、この世は成り立たないのであるから。

又少し脱線したようだ。元に戻って、Iさんとの交流はその最新のコミュニケーション手段を用いてのものだったが、それを使う者同士は、お互い還暦を過ぎているのである。現代の青臭い(アホくさい、というべきか)少年少女とは違って、絵文字ばかりのような交信とは当然違っている。お互い尊敬できるからこそ交流が深まるのである。何度もメールや電話でやり取りをしているうちに、本当に知己というべき関係となってしまった。このような体験はこの年になるまでIさんが初めてである。

そのIさんに今回の旅で、初めてお会いした。というのも、やっぱりお会いしなければ本物の知己は成り立たないと考えていたからである。携帯メールで写真は拝見していたが、写真は本物ではないから、顔形しかわからない。Iさんには悪いけど写真のことは頓着せず、交信の中身を大切に考えていただけだった。会う前の心境といえば、これはもう間もなく古希を迎える(?)年代の者とは無関係に、少年の如き心弾む思いなのだった。少年と何が違うかといえば、お互いに相棒を連れているということだけであろうか。

京都の美山町(今は南丹市)の道の駅で会うことを約して、その夜は一緒にそこに泊まることにしたのだった。お互い旅車でつながっている。旅館などに泊まらなくても、車同士隣り合わせていれば、食事も歓談も自由自在というのが旅車のありがたさである。約束の時間に間に合って着くと、Iさんは既に先着されていた。たちまち感激の握手と挨拶を交わす。いやあ、百年の知己に会うのと全く変わらない感激の心境だった。初めてお会いするIさんご夫妻は、大へん身長の高い方で、奥さんも私より背の高い方だったので少し驚いた。お二人とも優しげなまなざしの方で、背の高かったことを覗けば思った通りの素晴らしいご夫婦だった。

その夜はIさんが用意された湯豆腐と、我が家で用意したおでんを囲み、つまみながら、遅くまで旅のあれこれを中心に話が弾んだ。気がつけば、私がやや強引に勧めた日本酒は相当量に達していて、Iさんは少しいつもと違うお酒に戸惑われたようだった。嬉しくなると、我を忘れて酒を勧め、自分も飲み過ごすという悪い癖が出たようだった。もはや完全に知己となった思いに満たされ、充実した時間だった。

旅の、特にくるま旅の醍醐味は、やっぱり人との出会いにあるように思う。旅の味わいは、人によって様々だと思うが、私の体験からは、旅からもたらされる一番の感動とその後の生きる励みは、人との出会いにある様に思う。くるま旅は、今まで全く異なった人生を歩んできた者同士が、考え方を共有しやすい機会に恵まれているように思う。特にリタイア後の人生を、くるま旅を通して心豊かに過ごしてゆこうと考える者同士にとっては、旅の楽しさ、大切さが腑に落ちるのである。

コメント (1)
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