秋は読書の季節とされています。おそらくそれは、「秋の夜長」からきていると思います。夜が長いから本を読む時間がたくさんあるだろう、ということでしょう。でも、果たしてそうでしょうか。秋は夜が長いと言っても、夕方が早くなるだけです。それに合わせて、会社の終わる時間が早くなる訳ではないので、秋の夜長イコール読書に割ける時間が増えることにはなりません。ですから、「秋の夜長」と「読書の秋」の結びつきは弱くなりますが、それとは別に、秋は涼しくなるので読書に適しているという理屈もあるかもしれません。しかしながらここで私は、学生の頃、夏休み前になると本屋のレジの辺りに「新潮文庫の100冊」の小冊子が積まれていたのを思い出します。出版社としては長い休みがあるので、暑かろうがどうだろうが本を読んで欲しいと思っているのです。そもそも、暑いから本を読まないなんて言う人は、涼しくなっても本を読みません。涼しさを「読書の秋」の理由にするのも無理がありそうです。結局、出版社や教育関係者は季節に関係なく本を読んで欲しい訳で、それぞれの季節で本を読ませる理屈をこしらえようとします。たまたま、秋は文化的なイメージがあるため、どこかの誰かが「読書の秋」と言い出したのが、何となく定着してしまったような気がします。その意味では、「読書の秋」は「土用の丑の日」に似ています。
ただ、自分に関して言えば、こんなことを考えないでもありません。秋は寝苦しい暑さから解放され、ぐっすり寝られるようになり、また春と違ってどれだけ寝ても寝足りないということもないので、朝、しゃきっと起きられます。そこで、早めに起きて、本を読むのも悪くないなと思います。虫の音がまだ残り、新聞配達のバイクの音が聞こえる早朝、朝ご飯までのしばしの間、頁をめくるとすればどんな本が良さそうか、そんなことを考え始めると、いろんな本のタイトルが頭に浮かんできます。読書にふさわしい季節を考えるよりも、季節に応じた読書の楽しみ方を考える方が、ずっと愉しそうです。
ただ、自分に関して言えば、こんなことを考えないでもありません。秋は寝苦しい暑さから解放され、ぐっすり寝られるようになり、また春と違ってどれだけ寝ても寝足りないということもないので、朝、しゃきっと起きられます。そこで、早めに起きて、本を読むのも悪くないなと思います。虫の音がまだ残り、新聞配達のバイクの音が聞こえる早朝、朝ご飯までのしばしの間、頁をめくるとすればどんな本が良さそうか、そんなことを考え始めると、いろんな本のタイトルが頭に浮かんできます。読書にふさわしい季節を考えるよりも、季節に応じた読書の楽しみ方を考える方が、ずっと愉しそうです。