花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

土曜の銀座

2006-03-11 22:13:11 | Weblog
 子供の服を買いに銀座へ出た。まず、有楽町の慶楽で腹ごしらえ。ケチャップ入り鶏ごはん、豚肉ともやしの焼きそば、焼売とビール。サヱグサで子供服を買った後、歩行者天国をぶらついた。今日はG.W時分を思わせる陽気で、ポカポカの中を歩くホコ天は本当に気持がいい。思わず、ライオンでハーフ&ハーフが飲みたくなったが、おんぶした背中でスースー寝息が聞え始めたので、地下鉄に乗って帰った。

はなのいのち (後編)

2006-03-08 19:40:55 | Weblog
 それでは、つづきは第3フェーズから。
 第3フェーズは反動期である。それまでの拍手喝采の揺り戻しか、今度はバッシングが始まる。みんなの関心が薄れてくると、押してもだめなら引いてみなとばかりに、ネガティブな扱いがみられるようになる。需要が冷えれば何とか需要を喚起しようというのか、その挙げ句がバッシングである。そんなこんながあって、プラス、マイナス両面のネタ切れとなったところで、時の人もお役ご免と相成る。
 最後の第4フェーズは、しばらく間をおいてやって来る。「あの人は今」的な取り上げ方である。第4フェーズは回顧期と言えるだろう。このフェーズでは、多くの場合他の「あの人」たちとセットになって、忘れた頃にしばしば間欠泉的に再登場することになる。

 一躍脚光を浴びてブレイクした人は以上のようなサイクルを経ることが、ままあるようだ。スポーツ選手の場合、その後の活躍度合いとも絡んでくるので、荒川静香がどうなるかは分からないし、こんな目に遭わずに済めばそれに越したことはない。でも、芸能人などではいい迷惑をした人は多い。
 アメリカの歴史学者・ダニエル・J・ブーアスティンは「幻影の時代」(東京創元社)の中で、マスメディアの発達とともに人々が過剰な期待を持つようになったと指摘している。例えば、新聞は日々あっと驚くようなニュースに溢れ、とんでもなく面白い映画や小説が次から次へと出て、みんながしびれまくるスーパーヒーローが続々と現れる、などの途方もない期待である。私たちが、そんな途方もない期待を抱く限り、有名人の使い捨ては続くのかもしれない。

はなのいのち (前編)

2006-03-07 21:35:45 | Weblog
 荒川静香の金メダルの余韻が依然として残っている。いや、まだ余韻とは言えない程の熱狂ぶりである。TVをつけても、新聞の雑誌広告を見ても「荒川静香」の名前がない日はない。もちろん、快挙だし、ブラボーだし、すげぇーことなのは間違いない。異論もないし異存もない。
 ここでは少し目線を変えて、スポットライトを浴びる人が現れた時、その扱われ方に共通の構図があることを述べたい。扱われ方は4つのフェーズに分けられる。第1フェーズは賞賛期である。荒川静香で言えば、当然金メダルをとったことに注目が集まり、彼女のトリノでのスケーティングの素晴らしさや、これまでの業績、功績が取り上げられる。話題の中心は荒川静香のフィギュアスケート、あるいはスケーター・荒川静香である。
 続く第2フェーズは、取り上げられるネタが本人の中心軸から少しずつズレていく周辺情報期である。金メダルをとった時の舞台裏であるとか、幼少の頃の話、○○秘話といった類に焦点が移っていく。また時の人ともなればいろいろな所に呼ばれるので、どこへ行っただの、何を喋っただのが逐一報じられる。プライベートなこともどんどんほじくり返されてしまう。汲めども尽きないネタの宝庫のような人はそうそう居ないので、取り上げられるネタがだんだん瑣末なことに及んでくる。このあたりから少しずつ、観客が飽き始めてくる。さらには、情報化社会の次の一面が追い討ちをかける。2/14付け朝日新聞夕刊の文化欄で、メディアの多様化の一方で情報や意識は画一化に向かっていると書いてあったが、このような画一的な報道とその受容が、ネタの瑣末化と相まって、ある時点から人々は「つまんなくなった」と思い始める。ここまでが第2フェーズである。(つづく)

富士に向かってパオーン

2006-03-04 20:44:43 | Weblog
 家族旅行2日目。今日は富士サファリパークへ。トラさんバスに乗って、約1時間掛けて園内1周。途中クマとライオンとラクダに餌をあげた。子供はほんの30センチ程の間隔で動物を見ることが出来、大喜びだった。が、親の方は少し寂しさを覚えた。ヤットコの大きなのでバスの中から金網越しに餌をあげる訳だが、リンゴ目当てにバスに寄ってくるクマや、一口サイズの生肉をもらうライオンに、何か切ないものを感じてしまう。これは、どこかの観光用の牧場で玉乗りをするクマに通ずる切なさである。星野道夫ではないが、実際に眼に出来なくとも、想像の世界で触れ合う存在にとどめておけば感じなくても済んだ切なさかもしれない。さらには、私たち自身の野生との付き合い方を思うことから、身につまされる切なさでもあろう。

雛祭り

2006-03-03 22:51:27 | Weblog
 今日はお雛様。家族旅行に出掛ける。霞が関から首都高に乗り、東名で沼津へ。三島に出て、昼めしはうなぎ。うな丼と白焼き。グァムからやって来たのかなぁ、と思いながら舌鼓。昼めしの後、修善寺に向かう。15時修善寺着。ミニ休憩後、風の径、竹林の径を散策。梅、桃、寒桜の花を楽しむ。やっと見頃の梅に出会えた。旅館に戻り雲の流れを見ながら露天風呂。夕食までの間を埋めるべくビール。夕食は会席。特に黒豚のパイ包みが花○。焼酎でホロ酔い、多勢美味の料理でおなかがくちくなったところで、今日はフィニ。○久旅館に感謝。