花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

西行と桜と波跡

2024-02-18 14:37:03 | Weblog
 「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」
 (出来ることなら、生涯愛してやまなかった桜花舞い落ちる木の下で、二月十五日の釈迦入寂の日に、この世の生を終えたい)

 西行の有名な歌ですが、この歌に込めた願い通りに西行は1190年の二月十六日に73歳で亡くなりました。桜の季節になるとこの歌が思い出されるのは、日本人が桜に対して特別な感興を持っており、毎年桜を見るたびに、その感興の連想として「願はくは」の歌を思い出すからではないかと思っています。西行の強い思いをして、桜の興趣に自らを添わせることが可能となったのでしょう。

 さて、西行の死に臨んで当時の有力歌人たちは、追悼の歌を詠んでいます。

 「願ひおきし花の下にて終りけり 蓮(はちす)の上もたがはざるらむ」 藤原俊成
 (日頃願っていた桜の花の下で、臨終を遂げられました。この上は、極楽往生は疑いないでありましょう)

 「望月の頃はたがはぬ空なれど 消えけむ雲の行方悲しな」 藤原定家
 (かねて西行上人が願っておられたのに違わぬ望月の空ではありますが、消えてしまった雲 ―上人― の行方が、ひたすら悲しく思われます)

 「紫の色と聞くにぞ慰むる 消えけん雲はかなしけれども」 藤原公衡
 (紫の雲に迎えられての大往生であったと伺って、心が慰められます。雲と消えてしまわれたのは、悲しい限りでありますが)

 「君知るやその如月といひおきて 詞におくる人の後の世」 慈円
 (あなたはご存じですか。「その如月の望月の頃」と詠み置いて、その言葉どおりに亡くなった人の後世のめでたさを)

 同時代人に悼まれ、また現代にまで及んで後世の人々の心にも刻まれた西行の死、もし死に幸福な死と不幸な死があるとすれば、西行は幸福な方のそれであったと思われます。

 その西行が、死の前年にあたる1189年に比叡山から琵琶湖を見下ろして詠んだ歌があります。

 「鳰(にほ)てるやなぎたる朝に見わたせば こぎ行く跡の浪だにもなし」
 (静かな朝に琵琶湖を見渡すと、漕ぎゆく船の跡には、波すら立っていない)

 湖を渉る舟が立てる波の跡は、だんだん消えて、湖面は何事もなかったように元の姿に戻ります。自分の人生も、生きている間は多少の波跡を立てたとしても、やがて痕跡も存在も忘れ去られてしまいます。それは幸福でも不幸でもない、普通の当たり前の死であろうかと思います。

※歌と訳の出典は、寺澤行忠著「西行 歌と旅と人生」(新潮選書)