5月25日付けの朝日新聞朝刊の文芸時評で、「自撮り的な読み」という言葉に目が留まりました。評者の鴻巣友季子さんによると、「自分から遠く感じるものには無関心」な一方、親近感が湧くものを「私の物語だ」と愛好し、「本の中に自分の似姿を見つけ」ようとする読書傾向を指すそうです。
こういった読み方では感動が均質なありきたりのものになってしまうので、「自分からちょっと遠いなあと感じる」本を読んでは、と勧めていらっしゃいます。
さて、この時評を読みながら、私は「ブーメラン読み」なるものはどうだろうと思いました。と言うのは、最近、子どもとの間で次のようなやり取りがあったからです。何かの話の流れで作家の宮本輝さんの名前が出てきて、「大学生の頃、『青が散る』を読んだけど、あれは面白かったなぁ」と言って、あらすじを説明しました。子どもが興味を示したので、「読んでみたいなら貸してあげる」と、ページがすっかり茶色っぽく変色した文庫本を渡しました。
子どもが読み終わったら、自分も何十年ぶりかで読み返してみようかと思います。自分が薦めた本の感想を聞き、それを頭に入れたうえで読み直してみる、その中で新たに感じるものがありそうな気がします。「ブーメラン読み」が如何なるものとなるか、子どもの読み終わりが楽しみです。
こういった読み方では感動が均質なありきたりのものになってしまうので、「自分からちょっと遠いなあと感じる」本を読んでは、と勧めていらっしゃいます。
さて、この時評を読みながら、私は「ブーメラン読み」なるものはどうだろうと思いました。と言うのは、最近、子どもとの間で次のようなやり取りがあったからです。何かの話の流れで作家の宮本輝さんの名前が出てきて、「大学生の頃、『青が散る』を読んだけど、あれは面白かったなぁ」と言って、あらすじを説明しました。子どもが興味を示したので、「読んでみたいなら貸してあげる」と、ページがすっかり茶色っぽく変色した文庫本を渡しました。
子どもが読み終わったら、自分も何十年ぶりかで読み返してみようかと思います。自分が薦めた本の感想を聞き、それを頭に入れたうえで読み直してみる、その中で新たに感じるものがありそうな気がします。「ブーメラン読み」が如何なるものとなるか、子どもの読み終わりが楽しみです。