花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

これが我世界

2020-05-05 13:55:30 | Weblog
 脊椎カリエスに侵され、寝たきり生活を強いられた正岡子規は、死の4ヶ月前にあたる1902年5月5日、「病床六尺」を書き始めました。その書き出しは、

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。」

 「病床六尺、これが我世界」の子規に比べれば、人との接触8割減、外出を自粛して家に垂れ込めるくらいで文句を言うのは罰が当たりそうです。子規は「極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない」中、新聞を読めば「何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない」と申されています。実際、高知県柏島にある水産学校の記事を紹介しては、カツオを切ったり、イカを乾したり、魚を獲る網を編むなどしたら楽しいことであろうと嬉しがっています。

 さて、子規に倣う訳ではありませんが、私も新聞を開いてみました。前日、新型コロナウィルス感染防止のため緊急事態宣言が月末まで延長されたことを承け、紙面は関連する記事でいっぱいです。社会面を開くと、「不安 負担 まだ続く」、「飲食店も 町工場も」、「子どもも 親も」、「医師らも」の見出し。記事は沈鬱な暮らしの実態を伝えます。新聞を通して見る世相においては、子規と私の間に大きな違いがあるようです。