先日、図書館から二葉亭四迷の「浮雲」を借り、通勤電車の中で読みました。教科書で明治時代の文学を記述する際には、言文一致体の小説として必ず出てくる作品なので読むのを楽しみにしていたのですが、内容は下手なドタバタ・ホームドラマみたいで期待外れでした。下宿先の娘に惚れた主人公は、娘といい仲になるのを期待していたものの、急な人員整理で失業してしまい、以来、娘のお母さんから冷たくされるようになります。また、娘との関係がぎくしゃくし出したり、主人公の友人が娘に色目を使いだすやらで、心中穏やかならず、歯噛みする日々を送ります。そこで局面を打開するための積極策に出るでもなく、部屋に閉じこもって疑心暗鬼に駆られるかと思えば、娘のつれない態度を楽観的に全く自分に都合良く解釈してみたりと、中途半端な行ったり来たりが最後まで続き、そのままどっちつかずで話が終ってしまいます。文学史のことは詳しく知りませんが、言文一致で書かれた戯作文学なのだろうかと思いました。
さて、「浮雲」で付いた離れたの男女関係を演ずる三人に共通しているのは、英語の習いがあることです。主人公の内海文三は「何時の試験にも一番と言ッて二番とは下らぬ程」の秀才、下宿先の娘、お勢の英語を見てあげることや、失業中に翻訳でもしてみようかと思うことから、英語が達者なことがうかがえます。また、お勢も英語の塾に通っているので、多少はかじっているのでしょう。そして、内海文三の恋敵、本田昇は上役の課長の奥さんと娘に英語を教えていると言っているので、これも英語の覚えがあると見て差し支えありません。三人、少なくとも文三と昇は、当時ではインテリと呼ばれても差支えなかろうと思いますが、やってるドタバタからはインテリ然たるところは感じられません。学問は修行ではないので、勉強すれば人間性が向上するとは言えないながら、それでも色恋に終始するありさまは如何なものでしょう。作者の二葉亭四迷がロシアとの外交に携わるべくロシア語を学んだことからすると、英語を学んでも身辺にのみかまける登場人物に、作者がどういう思いを寄せていたのか気になるところではあります。
さて、「浮雲」で付いた離れたの男女関係を演ずる三人に共通しているのは、英語の習いがあることです。主人公の内海文三は「何時の試験にも一番と言ッて二番とは下らぬ程」の秀才、下宿先の娘、お勢の英語を見てあげることや、失業中に翻訳でもしてみようかと思うことから、英語が達者なことがうかがえます。また、お勢も英語の塾に通っているので、多少はかじっているのでしょう。そして、内海文三の恋敵、本田昇は上役の課長の奥さんと娘に英語を教えていると言っているので、これも英語の覚えがあると見て差し支えありません。三人、少なくとも文三と昇は、当時ではインテリと呼ばれても差支えなかろうと思いますが、やってるドタバタからはインテリ然たるところは感じられません。学問は修行ではないので、勉強すれば人間性が向上するとは言えないながら、それでも色恋に終始するありさまは如何なものでしょう。作者の二葉亭四迷がロシアとの外交に携わるべくロシア語を学んだことからすると、英語を学んでも身辺にのみかまける登場人物に、作者がどういう思いを寄せていたのか気になるところではあります。