花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

中禅寺湖畔逍遥

2017-09-18 16:51:40 | Weblog
 三連休の初日、日光の中禅寺湖畔を歩きました。台風の接近で天気が心配されましたが、幸い雨に降られることはありませんでした。しかし、湖越しに見られるはずの男体山の堂々とした山容は、すそ野まで厚く垂れこめた雲の中に隠れていました。それでも雨も風もなかったことは、九州で大荒れに見舞われている地方に比べれば良しとせねばならないでしょう。
 中禅寺湖の標高は約1200メートル。季節で言えばひと月は先を行っているようで、早くも色づき始めた落葉樹がちらほら見られました。イタリア大使館別荘記念公園を過ぎると、人影はわずかな釣り人のみ。聞こえるのは何種類もの鳥のさえずり、そして水鳥が湖面から飛び上がる時の羽音。落ち葉を踏む「サッサッサッ」という音や、時折遠くを走る遊覧船から送り出された波が岸に当たり、最初は「ザァーブ、ザァーブ」、後からは「チャァープ、チャァープ」という音を立てましたが、それらさやかな物音はあたりの静けさを余計に際立たせました。
 「古代ギリシャの逍遥学派もこのような静寂の中を歩いたのだろうか」と思いつつ、自分にも何か深遠な考えが浮かびはしないかと期待しながら歩きました。でも、普段くだらないことしか考えていない人間に、いきなり素晴らしい思考が現れるはずもありません。どんな脈絡があったのかはとんと分かりませんが、ややあってふと頭に浮かんだのは、「金持ちは足し算と掛け算をし、貧乏人は引き算と割り算をする」ということでした。つまり、金持ちはお金がどんどん増えていくので足し算をし、いくらの利回りで何か月経てばどれくらいになると掛け算をします。一方貧乏人は少ないお金でやり繰りをするため、あとどれくらい残っているかと引き算をし、今月はあと何日あるから一日当たりいくら使えるかと割り算をしなければなりません。我ながら考えることが小さいと呆れるばかり。器が小さい自分はさしずめ「小容学派」かとニヤついていたところ、サルが赤いお尻を向けて私の前を横切っていきました。