花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

読み始め

2016-01-10 14:17:52 | Book
 「汝殺すなかれ」、これはモーセの十戒のひとつであり、かつ信仰の有無にかかわらず誰もが首肯しうる教えです。お正月に帰省した折、本棚を見ていたら新潮文庫の「海と毒薬」が目に留まりました。遠藤周作さんの代表作で、高校生の頃に読んだものです。何だか急に読みたくなり、家に持ち帰りました。久しぶりに読み返して思ったのは、「汝殺すなかれ」、この自明のことがいかにもろい戒めであるかということでした。戦時中、福岡の大学病院で実際に行われた米軍捕虜への人体実験による殺人に材をとった小説の中で、人は肺をどれくらい切り取られたら死に至るのかといった実験が平然と行われます。実験を行った医師たちの中でひとりを除いて誰も命の尊厳に思いをはせる人はありません。この医師たちは血に飢えた悪鬼のような性格ではなく、妻や子を持ち、また人並みに出世や保身に心を砕く普通の人たちです。そういえば、小説の最初のところにある銭湯でのシーンで、ガソリンスタンドの主人や洋品店の店主が戦争で中国へ行った時に、人を殺して悪びれない話が出てきます。これらの人などもどこにでもいそうな小市民です。残虐な性格異常者や殺人嗜好症の人間ではなく、私たちの身の回りにいる普通の人間が、時と場合によっては良心の呵責もなく人が殺せる、今年最初に読んだ本からこのことが強く心に残りました。人体実験に加わったものの、壁際に立ったまま何も出来なかった医師に対して同僚が次のように語ります。「あの捕虜のおかげで何千人の結核患者の治療法がわかるとすれば、あれは殺したんやないぜ。生かしたんや。人間の良心なんて、考えよう一つで、どうにも変わるもんやわ」 時と場合によって良心がどうにでも変わるのが人間の本性であるなら、そのような時と場合を作らないことを考えなくてはならないのかもしれません。