9/15付朝日新聞朝刊には、政治家の発する言葉のあいまいさ、虚と実に関する識者の見方が載っていました。思想史研究者・片山杜秀さんは、「政治家は何か魅力的な言葉を振りまかないといけません。虚構を掲げてでも人々に夢を見させ、刹那的でもいいから人気を集めないといけない。でないと政治は回りません」としつつも、阿倍政権については次のように危惧感を述べています。「安倍政権はあいまいな言葉を連発しています。原発再稼働もそう。いかにあいまいなゾーンを広げ、いかにごまかして政策を押し通すか、ということで政治が回っている。怖いのは、みんないつの間にか、飛び交うインチキな言葉に慣れっこになり、状況に流されて、『しょうがない』と現実をどんどん肯定し始めることです。そうなると少数意見は排除され、世の中は一色に染まっていく。これは一種のファシズムです。民衆自らが、それでいいと思ってしまうのですから、民主主義とも矛盾しません。みんなが、それでいいと思うとき、民主主義は容易にファシズムに転化するのです。」
この記事を読んで、丸山眞男さんの「『現実』主義の陥穽」(未来社刊「現代政治の思想と行動」所収)を思い出しました。片山さんの言う「状況に流されて、『しょうがない』と現実をどんどん肯定し始めること」は、丸山さんの「既成事実への屈服」に符合しています。「既成事実への屈服」は、現実に抗おうとせず、ただ受け入れるだけ、そして、現実の多面性に目を向けるのではなく、一面だけをクローズアップして見ようとする特徴を持っています。そういった精神的態度が帰結するものは、「その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて『現実的』と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に『観念的』『非現実的』というレッテルを貼られがち」になることです。
丸山さん思考停止に陥り、現実に押し流されてしまわないよう、こう訴えかけています。「既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした『拒絶』がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。」丸山さんが半世紀以上も前に鳴らした警鐘が、今もまだ響き続けているかのように思えます。
この記事を読んで、丸山眞男さんの「『現実』主義の陥穽」(未来社刊「現代政治の思想と行動」所収)を思い出しました。片山さんの言う「状況に流されて、『しょうがない』と現実をどんどん肯定し始めること」は、丸山さんの「既成事実への屈服」に符合しています。「既成事実への屈服」は、現実に抗おうとせず、ただ受け入れるだけ、そして、現実の多面性に目を向けるのではなく、一面だけをクローズアップして見ようとする特徴を持っています。そういった精神的態度が帰結するものは、「その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて『現実的』と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に『観念的』『非現実的』というレッテルを貼られがち」になることです。
丸山さん思考停止に陥り、現実に押し流されてしまわないよう、こう訴えかけています。「既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした『拒絶』がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。」丸山さんが半世紀以上も前に鳴らした警鐘が、今もまだ響き続けているかのように思えます。