花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

東一の生酒

2011-05-07 09:52:19 | Weblog
 G.Wのある日、タケノコご飯を食べながら日本酒を飲みました。銘柄は五町田酒造の東一・生酒です。ひと口で言うなら、「しっかりとしたお米の存在感があるお酒」でした。普通、飲み口の良いお酒は、お米の存在感を薄くする傾向にあります。「ワインのような」と形容されるお酒などは、まさしくそうです。一方、お米の存在感が充分ありそうなお酒でも、杯を重ねるうちに口の中に甘みが残り、だんだんくどくなってくるものもあります。しかしながら、この東一の生酒は、飲み続けてもくどくはならず、それでいて「依然としてお米の存在感は変わらず」でありました。
 このような実直で美味しい日本酒は、正々堂々と飲みたいものです。我が家でお酒を飲むのは私ひとりなので、ややもすると日陰者の悲哀を感じつつ、こっそりとお酒を飲むことがあります。冷蔵庫で冷さないとなかなか飲めない安いワインなんかで、何度も席を立ち、冷蔵庫の扉を開けてグラスにワインを注いでいると、「何杯目?」とか「飲みすぎよぉ」といった声が飛んできて、申し訳なさげに、「これで最後」と答えて、小さくなっています。でも、この日は、東一のボトルをどんと置いて、さも当然といった素振りで杯を干したり、「どうだい、芳醇な香りだろ?」と家族にお酒の匂いをかがせたりしました。家族も、私が堂々と飲んでいるせいか、いつもの「飲みすぎ」の言葉は出ず、「そうね、いい香りねぇ」なんて言っています。
 さて、若山牧水の歌に、「妻が眼を盗みて飲める酒なれば 惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ」というのがあります。最初、この歌を目にした時、身につまされるというか、同情を禁じえないというか、でもどこか滑稽であるとか、そんな風に感じたものです。今にして思えば、牧水翁も安酒を飲んでいたのかもしれないなという気がしてきます。東一なら妻の眼を盗んで飲まなかったかもしれません。もっとも、牧水の奥さんは、牧水があまりに大酒飲みだったので、身体を気づかって飲みすぎをたしなめていたのでしょう。そうであれば、"適度に飲む"東一なら妻の眼を盗んで飲まなかったかもしれない、と言い換える方が良さそうです。