まだ二十代だったころ、ある大先輩に言われたことに、「朝から酒を飲むようになったらおしまいだ」というものがあり、「ギクっ」とした覚えがあります。日常的に朝酒を飲むのはアル中でしょうし、周りの人から白眼視されてしまいます。但し、お正月のお屠蘇は別です。白眼視されないばかりか、何やら厳かな雰囲気すら漂います。この日だけは、正々堂々と朝からお酒が飲めます。
正岡子規の正月の句に、「今年はと思ふことなきにしもあらず」があります。年が改まり、「今年こそは」と心機一転、やる気を胸にするのは、何も子規だけではありません。でも、おそらく子規と私の違うところは、お屠蘇を飲んで、それからお酒の杯を重ねるうちに、だんだんとやる気が溶けて消えてしまうことでしょう。いい気持ちになって寝込んだ後、夕方、はっと目を醒ました時には、十年変わることのない、いつもの自分がそこにいます。そして、一年が経ち、また年が改まり、「今年こそは」と思う繰り返しです。
分かっているけど、でも、分かっているから、今年もまた今年こそ。
「今年はの 思いも洗う お屠蘇かな」
「初春や 今年こそはも お屠蘇まで」
正岡子規の正月の句に、「今年はと思ふことなきにしもあらず」があります。年が改まり、「今年こそは」と心機一転、やる気を胸にするのは、何も子規だけではありません。でも、おそらく子規と私の違うところは、お屠蘇を飲んで、それからお酒の杯を重ねるうちに、だんだんとやる気が溶けて消えてしまうことでしょう。いい気持ちになって寝込んだ後、夕方、はっと目を醒ました時には、十年変わることのない、いつもの自分がそこにいます。そして、一年が経ち、また年が改まり、「今年こそは」と思う繰り返しです。
分かっているけど、でも、分かっているから、今年もまた今年こそ。
「今年はの 思いも洗う お屠蘇かな」
「初春や 今年こそはも お屠蘇まで」