花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

メイドさんの気持ちが分かりますか? (下)

2009-01-21 20:44:20 | Weblog
 「メイドさんを使って自分がキャリアディベロップメントする社会」を目指すか、目指さないかについて考える際、もうひとつ気になることがあります。それは、今の世の中では欲望が大々的に解放されていることです。1月7日の朝日新聞朝刊では、「きっと、もっと、ずっと」がアラフォー世代のキーワードとして紹介してありました。「もっとキャリアアップしてきっと幸せな結婚をして、寿命いっぱいまでずっと女を磨きたい」ということだそうです。また、同じ紙面では、アラフォー世代について、「人生は右肩上がりが基本」とか「日本のアラフォー女性は欲望の海を泳いでいる」などとも書いてありました。このような欲望の追求をためらわない傾向は、アラフォー世代に特徴的なのかもしれませんが、おそらくアラフォー世代に特有のものと言うことは出来ないと思います。みんなが程度の差はあれ、アラフォー的なものを共有していると思います。そのような欲望が解放された社会にあって、欲望を追求してひた走る人を眺め続けるしかない人たち、その人たちのことを竹中平蔵さんの言葉を借りて象徴的にメイドさんと呼ぶなら(もちろん派遣さんでも構いませんが)、メイドさんたちのこころのうちはどのようなものとなるでしょうか。自己実現の道が開かれ、その道を邁進することを謳歌している人たちと、一方でその道を閉ざされたメイドさん。しかもカツカツの生活で身動きすらとれないのに、「きっと、もっと、ずっと」と世間が騒いでいるとしたら、メイドさんはそれを良しとするでしょうか。そういった問いは言わずもがなで、こころある人ならメイドさんの胸のうちを思う時、やるせなさが湧き上がってくることでしょう。でも、メイドさんに共感するこころやメイドさんの気持ちへの想像力が欠如した人たちの手によって、力が握られているのが事実です。でなければ、「メイドさんが雇えるような枠組みをつくる必要がある」と言えるはずがありません。これも朝日新聞で読んだのですが、1月20日付け朝刊に作家・大江健三郎さんのエッセーが載っていました。大江さんは今の社会状況を憂慮しながら、次のような言葉で文章を結んでいます。「『閉塞』は『とじふさぐこと。とざされふさがること』です。強権が社会を閉ざす。若者がふさがれた社会を見つめ打ち開く方向に出て行かず、自らを閉じれば、暴発よりほかにないと思い詰める不幸はさらに続くでしょう。」 重ね重ね思うのは、先日、先生がおっしゃった「メイドさんを使って自分がキャリアディベロップメントする社会を目指さな」いこと、このことがサステナブルな社会を築く上で必要だということです。