花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

市民参加と地方自治の明日(後編)

2006-04-20 22:17:49 | Weblog
 平成大合併の牽引役は経済的合理性である。国から地方に対する財政支出の削減と、人口流出による公共サービスの非効率化が引き金となって、台所事情から合併に踏み切った自治体は多いと思う。乱暴な言い方だが、銀行や製薬会社の合併と同じく、規模を大きくすることで経済効率を高めようという狙いであろう。銀行を例えとするなら、売上は減りました、顧客も減りました、でも店舗数や行員の数は変わりません、それでは効率が悪いですね、では合併して売上規模を増やし店舗(インフラ)は統廃合しましょう、といったところである。それはそれで致し方ないかもしれないが、経済的合理性を追求する場合、非効率をもたらすファクターが排除されてしまうことを忘れてはならない。先の銀行で言うならリストラである。しかし、民間企業と違って自治体が住民に対して排除の論理を行使する訳にはいかない。経済的効率を最優先するあまり弱者を切り捨ててしまっては、それは行政とは言えない。(残念ながら現実には行われているけれども)
 そこで、松下圭一さんが実践した「武蔵野方式」の出番登場である。自治体は財政の健全化を目指す一方で、経済的合理性の網の目からこぼれ落ちた人たちをすくい上げていく方策をとらねばならない。草の根の住民の声をから一つずつ政策を考えていく場合、武蔵野方式が活きてくる。お上の施しを待つのではなく、弱者が切り捨てられないよう、市民自らが自分たちの要求をまとめて上げ、自治体サイドとともに実現していくのである。もっとも市民の声を上げると言っても、単なる住民エゴに終始していては誰からも顧みられないだろう。それ避けるためには、行政に対して声を上げている人たちが、政策を練り上げる手腕を磨かなければならない。そのためには、既成政党の活動にもっと積極的に入り込むことが必要ではないだろうか。willはあるけれどskillがない人たちは、skillのある集団の中に居場所を作ってしまえばいい。そういった人が党の中で結集していけば、草の根の声を議会に届けやすくなるだろう。また自治体との連携プレーもとりやすくなるだろう。楽観的過ぎるかもしれないが、町内会の寄り合いに行く感覚で政党に加入してみてはどうだろうか。そうすれば、武蔵野方式に新たな息吹が吹き込めるように思えるが。(もちろん、無い袖は振れないので、財源の地方自治体への移譲は絶必である)