花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

法と政治と理念

2024-05-03 13:44:00 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「理念は『意味』の世界において『妥当』する。」

 私たちの日々の活動には目的や意思がある。それらから私的な利害関心を取り除き、価値あるものへと客観化していくと理念になる。例えば、公共の福祉、社会の秩序、平和などである。理念はどこかから勝手に降ってくるものではなく、人々が生み出すものであるが、一方で人々の行動に影響を与える矩ともなる。理念が我々の現実意識や現実意欲と結びつき、ある意味を持った時、それは社会を動かす力となり、政治の原動力となる。そして政治は理念に基づいて法を創造し、運用していく。法の窮極に在るものは政治であるが、政治に恣意を許さないのは理念の力であると、戦前、戦中、戦後を生きた法学者は語る。

尾高朝雄著「法の窮極に在るもの」(有斐閣刊)から

ヱビスビール

2024-04-28 13:07:00 | Weblog
 G.Wの初日、ちょっとした集まりの後、4月3日にオープンした「YEBISU BREWERY TOKYO」へ行きました。オープン後間もないこと、G.W初日、そしてこの日は初夏の陽気だったことなどがあったのでしょう、かなり混んでいました。

 整理券をもらってから館内のミュージアムを見て回り、30分ほど経ってやっとビールにありつけました。最初はヱビスインフィニティ、ヱビスビールをやや濃くしたような味で、待った分美味しさも増しました。1時間のしばりがあったので、次の4種飲み比べのセットでフィニッシュ。4種の中で気に入ったのは、市販のビールにはない苦みとフルーティーさが同居した味のフォギーエール2024(Foggy ale 2024)でした。

 さて、山手線の恵比寿駅はヱビスビールを出荷する貨物駅としてスタートしたそうです。七福神の名前が駅名になっているのは、珍しいと言えば珍しいと、今さらながら思いました。それから、かつてサッポロビールが銀座にあった本社を恵比寿に移した時、華やかな銀座を離れるのが嫌だという社員が多かったそうです。住みたい街の上位常連でスタイリッシュな今の姿からすると隔世の感があります。この発展はゑびす様のご利益よるものかもしれません。恵比寿に行った折は、駅前にあるゑびす像をなでてみることにしましょうか。

少しだけ花の下にて酒飲まん

2024-04-14 20:51:01 | 季節/自然
 13日の土曜日、子どもと連れ立って山へ出掛けました。街の桜はだいぶ葉っぱが目立つようになってきましたが、山の上では見頃かと思って出掛けました。山道を1時間ほど歩いて、桜のポイントはそろそろといったあたりで、登山道にいくつか桜の花びらが落ちていました。いい感じに咲いているのではと期待して、もうひと踏ん張りすると、杉木立の緑に混ざって、薄桃色の桜が見事に咲いていました。

 ここらでお昼にしようと、棒ラーメンや野沢菜のお焼きを食べました。それから、桜にちなんで持ってきた出羽桜を飲みました。昔、とある大先輩に「明るいうちから酒を飲むようになったら人間はおしまいだ」と言われ、以来なるべく守るようにしてきたのですが、今日は勘弁してもらうことにし、子どもと二人でちょっとだけ飲みました。

 その大先輩は、10年以上前、会社を卒業してまだそんなに経っていないお歳でお亡くなりになりました。明るいうちからは飲んでいなくても、明るくなるまで飲まれていたのかもしれません。今日は、山の爽やかな風と、その風に舞う桜の花びらに心が乗せられ、昼酒をしてしまいましたが、大体においては大先輩の戒めに従おうと思いました。

 山を下り、駅に着いた時は夕方になっていて、多少日が陰ってきていました。電車に乗り、途中下車して、のれんをくぐり、焼き鳥やもつ焼きを食べながら、楽器正宗と名倉山「新(にゅう)」を一杯ずつ飲んで帰りました。

次は桜花無きにしも非ず

2024-04-08 22:38:00 | 季節/自然
 昨日の日曜日、山に出掛けました。街の桜は満開ですが、山の上はまだ固い蕾のままでした。「見ごろは次の週末あたりか」と思いつつ、どういう訳か太平記に出てくる児島高徳の話がふと頭に浮かびました。

 鎌倉幕府への謀反を企てた後醍醐天皇が隠岐の島へ流されるのを、児島高徳は救おうとしましたが、果たせませんでした。せめて自分の忠節を示そうと、後醍醐天皇が道中泊まった宿から見える桜の木に漢詩の一節を刻みます。

 その一節とは、
 天莫空勾践(天勾践を虚しうすること莫れ)
 時非無范蠡(時に范蠡無きにしも非ず)

 これは、中国の春秋戦国時代、呉に敗れた越王勾践を范蠡が助け、逆に呉を滅ぼした故事にならい、後醍醐天皇にも范蠡のような臣下が現れると励ましたものです。

 山で桜が咲いていなかったことと、児島高徳の話は全く関係ありませんが、「今日桜が見られなくても虚しく思うな、もうしばらくすれば見られないこともない」と読み替えてみたくなったのでしょう

 桜には少し早かったものの、足元に目をやればスミレの薄紫、ニリンソウの白い花々がちょうど盛りと咲いていました。

「知は力なり」の陥穽

2024-03-27 20:27:00 | Weblog
 イギリス経験主義の祖と言われる哲学者フランシス・ベーコンは、「知は力なり」という有名な言葉を残しました。経験的知識の蓄積の重要性を述べたものです。知識に基づく合理性、計画性を軽視する「当たって砕けろ」的な行為よりも、知識を積み重ねて不確実性を出来るだけ排除した行為の方が、意図した結果に至る可能性が高いことは、誰の目にも明らかです。ベーコンに異を唱える人はいないでしょう。

 しかし、それ一辺倒では足をすくわれることになりかねないように思います。知識を得るとは、あるモノやコトの性質や働きを知ることです。その時、知るは自分で、モノやコトは自分の外部のものとして対象化されます。もし、この態度のみで突っ走ってしまったら、人間とモノやコトとの関係は一方通行の隘路に行き詰まってしまいそうです。

 「知は力なり」の「力」がモノやコトに及ぶ際、「力」による作用のことは考えても、モノやコトからの反作用が意識の外に置かれる恐れがあります。その結果、知らず知らず自分を優位的なものとし、モノやコトは単なる操作の対象とみなすことにつながってしまいます。そこからは、共生や共存の考えは生まれにくくなります。

 今、世界的、地球的に環境破壊が問題となっています。これはモノやコトを操作の対象と見ることに偏りすぎた結果のように思えます。一方通行的な視点に陥ってないかを反省するとともに、「知は力なり」に再帰的な見方をも加えていくことが求められていると感じます。

だめ連

2024-03-23 15:26:04 | Weblog
 本日の朝日新聞朝刊のひと欄は「だめ連」の神長恒一さんでした。神長さんは、「考えると、人生ロクなことがない」と言われて育ち、大学卒業後就職するも10ヶ月で退職し、留年した友人と「だめ連」を結成、以来「三年寝太郎」ならぬ「三十年寝太郎」を決め込みます。

 「だめ連」と聞けば、根っからのダメダメちゃんを思いがちです。事実、神長さんは朝遅くまで寝ているし、起きて朝ごはんを食べたら二度寝をします。でも、神長さんが単なるダメダメちゃんではないのは、「だめ連」の「連」の部分があるからなのだろうと思います。

 先ず、「だめ連」を一緒に立ち上げた友だちがいました。5万円の家賃を折半する奥さんがいます。飲み会に参加するし、週に一度、障がい者と学童保育のそれぞれをお手伝いしているそうです。

 この人とのつながりが、怠け者と「だめ連」の間に一線を画しています。自分の時間とエネルギーをどう使うか、その割振りが個性的なだけで、決して怠惰をむさぼっているのではありません。「面倒臭いけど、そこにこそ生きている手応え、快楽と喜びがあるんです」と神長さんは言っています。快楽と喜びがあれば、「だめ連」は全然ダメなんかじゃありません。

(ひと)神長恒一さん 24年ぶりの新刊を出版した「だめ連」の主宰者:朝日新聞デジタル

(ひと)神長恒一さん 24年ぶりの新刊を出版した「だめ連」の主宰者:朝日新聞デジタル

 とにかく忙しくて、「働いている暇がない」。イベントや飲み会などでの「交流」が人生のメイン。二度寝が大好きで、朝遅く起きて朝ごはんを食べたらまた寝る。その合間、...

朝日新聞デジタル

 

隣人愛の陥穽

2024-03-11 23:26:00 | Weblog
 イエス・キリストの教え、「汝の隣人を愛せよ」はあまりにも有名です。素晴らしい教えではありますが、ある危険性が潜んでいるような気がします。イエスは隣人の例として善きソマリア人の話を挙げています。盗賊に襲われて怪我をした人を、たまたま通り掛かったソマリア人が助け、路銀を工面してあげます。イエスは、これこそが隣人と言える行為であるとしています。

 善きソマリア人同様、一人ひとりがそれぞれ隣人を愛するのであれば、問題はありません。しかし、教徒、教団、宗派など組織性を帯びてくると、往々にして隣人とそうでない人の区分けがなされます。教区が同じかどうか、あるいはキリスト教信者か異教徒か、などなどで線を引くケースです。そうなると、隣人は愛しても、隣人でない人は愛さない、さらには敵とみなすといった態度が現れてきます。イエスの教えを守っているようでも、実は大いに反している、みたいなことが起きてしまう恐れがあります。

 おそらくイエスはその危険性を分かっていたのでしょう。「汝の敵を愛せよ」と教えることも忘れていませんでした。この言葉にも忠実であるなら、全ての人に対してソマリア人的に接するわけで、隣人愛は教徒、教団、宗派、そして民族や国境を超えてみんなが対象になります。

 また、イエスは「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」と教えました。暴力を否定しているのはもちろん、悪に対して悪で立ち向かえば、相手と同じ土俵に乗ったことになり、それは自らを貶めることを意味するよ、と戒めているのでしょう。

 新聞で、テレビで、血なまぐさいニュースを見ない日はありません。そこにはイエスが危ぶんだ間違った隣人愛が、悪い働きをしているのかもしれません。普通に考えれば誰にでも分かる、たった3つの教えを守るだけで良いのに。日々、悲しく思っています。

鉄器と猛々しさ

2024-02-25 10:48:22 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「鉄器が入ると猛々しくなる」

 琉球王朝では製鉄が抑制される。鉄製の鍬や鋤の使用により生産力が上がれば、「これは自分が開いた畑だ、次は隣の畑を手に入れてやろう」と、土地の私有に対する欲求が強まってくる。こん棒でタロイモを栽培していた頃は、「自分の所だけでも大変なのに、人の土地へ入っていくなんてとても無理」、だから世の中は穏やかだった。琉球王は、生産力は高いが猛々しい世界よりも、食糧生産のレベルは低くても平和な世界を好ましいと思ったようだ。統治のしやすさの意図は、もちろんあったであろうが。一方、鍬・鋤によって土地を開墾し灌漑設備を整えた関東では、武士層が起こることになった。

岩波現代文庫「網野善彦対談セレクション 1 日本史を読み直す」所収「多様な中世像・日本像」から

西行と桜と波跡

2024-02-18 14:37:03 | Weblog
 「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」
 (出来ることなら、生涯愛してやまなかった桜花舞い落ちる木の下で、二月十五日の釈迦入寂の日に、この世の生を終えたい)

 西行の有名な歌ですが、この歌に込めた願い通りに西行は1190年の二月十六日に73歳で亡くなりました。桜の季節になるとこの歌が思い出されるのは、日本人が桜に対して特別な感興を持っており、毎年桜を見るたびに、その感興の連想として「願はくは」の歌を思い出すからではないかと思っています。西行の強い思いをして、桜の興趣に自らを添わせることが可能となったのでしょう。

 さて、西行の死に臨んで当時の有力歌人たちは、追悼の歌を詠んでいます。

 「願ひおきし花の下にて終りけり 蓮(はちす)の上もたがはざるらむ」 藤原俊成
 (日頃願っていた桜の花の下で、臨終を遂げられました。この上は、極楽往生は疑いないでありましょう)

 「望月の頃はたがはぬ空なれど 消えけむ雲の行方悲しな」 藤原定家
 (かねて西行上人が願っておられたのに違わぬ望月の空ではありますが、消えてしまった雲 ―上人― の行方が、ひたすら悲しく思われます)

 「紫の色と聞くにぞ慰むる 消えけん雲はかなしけれども」 藤原公衡
 (紫の雲に迎えられての大往生であったと伺って、心が慰められます。雲と消えてしまわれたのは、悲しい限りでありますが)

 「君知るやその如月といひおきて 詞におくる人の後の世」 慈円
 (あなたはご存じですか。「その如月の望月の頃」と詠み置いて、その言葉どおりに亡くなった人の後世のめでたさを)

 同時代人に悼まれ、また現代にまで及んで後世の人々の心にも刻まれた西行の死、もし死に幸福な死と不幸な死があるとすれば、西行は幸福な方のそれであったと思われます。

 その西行が、死の前年にあたる1189年に比叡山から琵琶湖を見下ろして詠んだ歌があります。

 「鳰(にほ)てるやなぎたる朝に見わたせば こぎ行く跡の浪だにもなし」
 (静かな朝に琵琶湖を見渡すと、漕ぎゆく船の跡には、波すら立っていない)

 湖を渉る舟が立てる波の跡は、だんだん消えて、湖面は何事もなかったように元の姿に戻ります。自分の人生も、生きている間は多少の波跡を立てたとしても、やがて痕跡も存在も忘れ去られてしまいます。それは幸福でも不幸でもない、普通の当たり前の死であろうかと思います。

※歌と訳の出典は、寺澤行忠著「西行 歌と旅と人生」(新潮選書)

パートタイマー・秋子

2024-02-03 12:28:56 | Weblog
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「私、変わったんじゃないわね、きっと。元々この程度だったのかもしれない。」

 パートタイマーとしてスーパーで働きだした秋子が目にしたのは、従業員たちの不正や歪んだ人間関係だった。レジを通さない商品の持ち出し、レジのお金のごまかし、古くなった肉を新しい肉に混ぜ、加工日を書き換える。また新しくきた店長と古株の対立や足の引っ張り合いなど、それまで専業主婦だった秋子には驚くことばかり。ある時、元品出し担当の貫井が訪ねてきた際、くすねた肉を持っていってと差し出し拒否される。秋子の変わりように唖然とする貫井に対して、変わったのではなく、今までは恵まれていたので正体が表に出なかっただけ。このスーパーで自分がどうなっていくか見極めたい、と答える。人が状況に試された時、露わになった姿を変わったと見るか、本来のものと見るか。


二兎社公演「パートタイマー・秋子」での沢口靖子さん演じる樋野秋子役のセリフ