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未唯への手紙

未唯への手紙

行くべき図書館

2015年01月13日 | 6.本
『世界の美しい図書館』より

世界で最も美しいバロック様式の図書館

 オーストリア国立図書館(宮廷図書館)

 オーストリア/ウィーン/1737(プルンクザール完成)フィッシャー・フォン・エルラッハ
 オーストリアの世界遺産のーつ、ウィーン歴史地区に建つホーフブルク王宮内にある。
 もともとは王室の宮廷図書館で、1920年に国立図書館として一般に開放された。宮廷画家ダニエル・グラン作のフレスコ画のある豪華絢爛たる大広間〈ブルンクザづレ〉は、奥行き80m、高さ20m。「世界で最も美しいバロック様式の図書館」として知られている。

新古典主義の様式を体現するフィンランド最古にて最大の図書館

 フィンランド国立図書館

 フィンランド/ヘルシンキ/1810-1845(本館)/1902-1907(ロタンダ)
 2006年にヘルシンキ大学図書館からフィンランド国立図書館に改称された、同国最古にして最大の図書館。本館はフィンランドにおける帝政様式を代表する建造物で、新古典主義建築の特徴である左右対称が厳密に守られている。閲覧室はコリント式の円柱が上層の回廊を支える形になっている。
 後に増築されたロタンダは61琳建てで、20万冊の書籍を収蔵する。木製の書架が放射状に並び、天J↑のガラスドームから柔らかな光が差し込む。

3層の書架が円形のホールを囲む北欧新古典主義の傑作

 ストックホルム市立図書館

 スウェーデン/ストックホルム/1928 エーリック・グンナール・アスブルンド
 北欧諸国にモダニズムの時代をもたらした建築家エーリック・グンナール・アスブルンドの設計。円柱形が低い直方体を貫くような赤茶色の建物の中に入り、正面の階段をのぱると、中央閲覧室の明るい空間が広がる。高い天井、3層になった書架が円形のホールを360度取り囲む光景は圧巻だ。閲覧室の椅子や卓上ランプもアスプルンドのデザインによるもので、細部へのこだわりが感じられる。

ヨーロッパ最大の規模を誇る、未来型のメディアセンター

 アムステルダム公共図書館中央館

 オランダ/アムステルダム/2007 ヨー・クーネン
 同館はヨーロッパ最大規模の図書館であるとともに、モダンなデザインと多機能性を誇る未来型の図書館として名を馳せている。PC、Wi-Fi設備の充実に加え、マルチメディアルーム、ミーティングルーム、特設シアターなど、図書館という概念にとどまらない設備の充実が特筆される。明るく、開放感のある館内には、円筒形の書架が配置され、絵画が展示されるなど、従来の図書館のイメージを覆す工夫が凝らされている。外観もユニークで、大きな庇を備えたファサードが印象的。総蔵書数は約50万冊、デジタル資料も充実。

古代の大図書館に捧げた、新しい知の交流拠点

 新アレクサンドリア図書館

 エジプト/アレクサンドリア/2001 スノヘッタ
 古代都市アレクサンドリアに数十万巻に及ぶ膨大な蔵書を誇る知の殿堂、アレクサンドリア図書館が誕生したのは紀元前4世紀末。この古代最大にして最高の図書館があったとされる場所のすぐ近くに建てられたの低新アレクサンドリア図書館である。 11階建ての巨大な建物には、世界最大の閲覧室のほか、800万冊の蔵書が可能な図書室、プラネタリウムや博物館などの施設も併設。外壁には世界各国の文字が刻まれ、新しい知の交流地点にふさわしい偉容を示している。

20世紀のアメリカが生んだ「公立図書館」の新しいかたち

 ニューヨーク公共図書館 スティープン・A・シュワルツマン館

 アメリカ/ニューヨーク/1911〔建物完成〕
 市ではなく法人が運営する世界屈指の「公共」の図書館。ニューヨーク市に在住、または勤務している者であれば誰でも会員になることができる。スティープン・A・シュルツマン館は80以上の地域分館を持つニューヨーク公共図書館の中央館。写真の「ローズ・リーディング・ルーム」は幅23.8m、長さ90.5mもの広さを誇り、アメリカ最大の閲覧室のひとつにも数えられる。書棚は総延長、約142kmにも汲ぶ。

増え続ける蔵書を、巧みに操る「ブック・スパイラル」

 シアトル公共図書館・中央館

 アメリカ/シアトル/2004 レム・コールハース
 シアトルのマディソン通りに建つ「ガラスの箱」はOMAによる設計。ガラスとメッシュ状の鉄で構成された11階建ての建物の内部は、明るく、開放感にあふれている。6階から9階は「ブック・スパイラル」と呼ばれる構造になっており、書架が螺旋状に並ぶ。利用者は各階をつなぐスロープを進み、目的の書架へとたどり着く仕組みだ。スパイラル状に書架を並べる事で、増え続ける書籍を巧み収納する、次代のレイアウトの形を示した。

現代中国講義 民主化の行方 引き締めを強める習近平政権

2015年01月13日 | 4.歴史
『社会人のために現代中国講義』より

習近平の政権ができて1年が経ちました。胡錦濤政権の時よりも、さらに強く引き締めをしていると言われています。例えば2013年4月に出された9号文件(中国共産党中央弁公庁9号文件[現在のィデオロギー領域の状況に関する通報])では、憲政(憲法に基づいた政治)が批判されています。

中国の憲法には言論の自由ももちろん書いてあり、素晴らしい内容ですが、それを「西側の憲政民主と喧伝してはいけない」と9号文件で批判しています。それは中国の特色がある社会主義体制を否定する狙いがあると指摘しています。また、「普遍的な価値」、例えば人権や民主・自由を強調するのは、共産党執政の思想・理論的な基礎を揺るがそうとしていると言っています。また、先に言った「公民社会」を広めていく動きはやはり共産党の執政による社会的な基礎を破壊させようとしていると言います。さらに新自由主義も、我が国の経済制度を改変しようとしていると言います。西側の報道観を喧伝するのもよくないし、我が国の党のメディアのコソトロールと新聞・出版管理制度に挑戦しようとしているとしています。歴史的なニヒリズムを喧伝するのもだめで、中国の党の歴史と新中国の歴史の否定を狙おうとしていると言います。改革・開放に対する疑念もよくないとしています。それは「中国の特色がある社会主義」に対する疑念を示しているとします。このように西側の民主主義的な思想が入ってくることに対する強い警戒感があります。

この状況に、海外のメディアがものを言うことも難しくなってきています。つい最近、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙とブルームバーグの記者20人のビザが出ていないと報道されました。また日本でも産経新聞の支局長になる予定の人にもビザが出ていません。そのような人が何人か出ていたら、やはり西側のジャーナリスト達も自分も入国できなくなったらどうしようという感じで自己規制していきますよね。だから、西側の人達が自由に声を上げられなくなっているとすれば、それはすごく危機的な状況です。日本のメディア、日本の政府も、ある意味で中国政府にもっと異議を伝えるべきではないかと思います。中国政府が世論をコントロールしたり、メディアを誘導したりすることによって日本のイメージが悪くなるのは状況としては深刻です。それを放置していたら、大変なことになるぞと中国の研究者たちが言っていました。

先の9号文件と関連しますが、「七不講」(「七つの言ってはいけないこと」)があります。これは大学の中で、普遍的な価値を教えてはいげない、報道の自由について語ってはいけない、党の歴史的な誤りについて言ってはいけない、といった内容です。だから、歴史認識なんかも日本に都合か悪いことが教えられて、中国に都合がいいことばかり伝わってしまうというようなことが起こってしまうのですね。司法の独立についても語ってはいげないという風に内部の通知が出され、実際に北京大学の夏業良教授が解雇されました。そもそも、大学の中にも党の組織がありますから、自由に学問を追究できるということはないわけですけれども、それが習近平の体制になってから、さらにひどくなっていると思います。

まとめに入りましょう。中国の公民社会、民主化の問題をどのように考えていくべきでしょうか。インターネットが主戦場になって、それからそれに対抗する国民側でも過激なことをしないとなかなか注目されない状況になっています。もちろんそこで声を上げることができる民主的な動きがあるわけですけれども、非公式であり、制度的に保障されているものではありません。だから、日和見主義になってしまいます。長期的な視野で建設的な議論かできないというようなこともあります。また、積極的に意見を発信している人達はまだまだ中国では一部で、マジョリティの人達、中産階級や経済的にある程度安定している人達、自分が特権を受けている人達、党の組織に入っている人達とその家族は表だってそのような活動には参加しません。ですから、既得権益層に切り込むのはとても難しいと思います。

中国は他の多くの国々が辿ってきた民主化のプロセスを辿っていないのですが、それは最初に私が申しましたように、経済格差があまりにも大きいからです。中国でも所得が一定基準に達しなかった場合には生活保護をもらいますけれども、例えば私が調査している農村地域の人達がみな上海に移住したとしましょう。そうすると全員が上海で生活保護をもらえる水準の所得しかありません。それぐらい所得の差があるわけです。上海では1か月で稼ぐ所得が、私が調査した村では1年の所得なわけです。それぐらい差がある国で幅広い連帯というのはまず無理です。

また、ナショナリズムも大きな問題の根源となっています。中国では左派と右派、自由主義と保守主義など、様々な考えを持つ人達が活発に議論を進めています。しかし、ナショナリズムは西側諸国、日本を含めて、他国から介入されるのは嫌だ、という感情をもたらします。このナショナリズムを政府が利用して、「あのような国に利用されてはいけない」と喧伝するので、それは中国を健全に民主化するうえでの足麹になっていると思います。

また家族やコミュニティが、様々な形で社会のセーフティネットとして機能している部分もありますが、ネガティブな部分もたくさん出てきています。例えば出稼ぎに多くの人が行った農村では、たくさんの老人の自殺者が出ています。なぜ老人が自殺してしまうかというと、自分はもうお荷物じゃないかと思ってしまうからです。今までの伝統的な中国だったら年取った人を大事にするのは当たり前のことでした。しかし最近では老人は軽視されているようです。私が調査した中で一番ひどいケースは、まだ死んでいない寝たきりになった老人を棺桶に入れて運ぼうとした子供がいるそうです。途中でその業者に声が聞こえて、まだ生きているとわかって送り返したという話があります。それぐらい親孝行といった伝統的な価値観というものが廃れていっているわけです。

伝統的な道徳心や功徳心が廃れて、またもう一方で、制度的な改革が進まないと、本当に悲惨なことになってしまいます。いま共産党の主義、思想に対して皆冷めて凝集力を高めるような力にはなりません。中国がこれだけ大きな人口を抱えて巨大な国土を統治していく中で、どのような理念で国をまとめていくかという問題が、いま問われていると思います。

所有という虚構

2015年01月13日 | 5.その他

『善の根拠』より

--次の「盗まない」という戒についての解釈も、またなんだか極端だな。君はとの戒の主旨を所有という行為の虚構性を暴露することだと述べている。とすると、そのアイデアは、所有概念を無力化して、結局、市場経済や、それを前提とする社会体制を否定することにならないか。

 もちろん、その意味合いはある。ただし、ゴータマ・ブッダの昔から、私的所有を前提とする市場経済は、事実の問題として、もはや否定したくたってできるものではない。我々はそれを前提に生きざるをえない。
 ただし、否定はできなくても、これを批判し、相対化することはできる。

--なぜそんなことをする必要があるんだ。

 人は取り引きするために生まれてくるわけではない。稼ぐために生きているのではない。生まれてくれば取り引きすることもあり、生きているから稼ぐ必要もある、というにすぎない。
 ところが、過度の市場化は、経済を超えて実存の全体を侵食していく。存在するがゆえに所有するのではなく、所有するがゆえに存在するかのどとくに錯覚する。そうなれば、実存の無常はまるで自覚されないだろう。貨幣をそれ自体に価値があるもののように実体視して、結果、貨幣や物の所有が「自己」存在に根拠を与えると錯誤する。
 所有が実存に根拠を与えると誤解するなら、所有の欲望は際限がなくなる。底の抜けたバケツに水を入れるようなものだ。まさに「無明」による「苦」としか言いようがない。
 僕はこの市場による実存の侵食を牽制し、制御するべきだと思うんだ。

--それで所有と別に物の帰属を決める行為として「布施」を持ち出したわけか。

 まあ、そういうところだ。ただ、眼目は後の先端医療をめぐる議論で出した、貸借行為、あるいは預ける・預かる行為の方だ。
 「布施」という行為は、物の帰属判断に、人間同士の利害ではなく、人間と物の関係性を優先させる。この態度をより一般的な状況で実現するのは、貸借行為や預かり行為だろうと思った。

--預ける・預かる関係の中では、その物が毀損されることは両当事者の不利益になるから、結果として物の在り方も充実する、と言うのだな。

 それが「布施」の理念に類比的だと考えた。大事なのは、「布施」はチャリティではないということ。持っている物を差し上げましょうという、所有行為を前提とした話ではない。『眼蔵』が言うように、誰の物かということを度外視して、関係する存在者(人、物)の充実が問題なんだ。

--その観点から、今後いわゆる先端的な医療が高度に市場化されることを牽制するんだな。

 私的所有と市場取引を無条件的に肯定すれば、最後はデザインペビーどころか、「赤ちゃんの注文」にまで行き着きかねない。これを防ぐには、「所有する人間」という様式で形成される「自己」の在り方を解毒する必要があると思う。

所有の終わり

 --それは現実的に物の帰属を所有以外の概念で決定する時代が来ると期待している、ということか。

 そういうアンチテーゼがあってもよいと思う。実際、ITが劇的に展開した結果、すでに「著作権」なる所有の概念は危機に瀕しているし、将来、脳科学とITが高度に融合すれば、個人の意識が相互接続して、従来の「自意識」とはまったく別の実存様態が出現するかもしれない。そのときは、物の帰属に関して、概念を抜本的に改定しなければならないだろう。

 --だが、そこまで行けば、君が倫理を「自己」をめぐる問題だと言う以上、倫理も「自己」も消滅するのではないか?

 そうだ。そしてそうなったら、ある意味「デジタル・ニルヴァーナ」が実現する。それがよいことか悪いことかは知らないがね。
 いや、我慢はそれなりに偉いと思うんだが、それと成仏やニルヴァーナにどういう関係があるのかが、わからない。ただのコントロールではなく、完全な禁欲を要求する戒の根拠が不明だ。

 --その方が修行にエネルギーを集中できるだろう。

 集中できるとどうなる?

 --どうなるって、修行が進むだろう。

 すると、他人より早く成仏した方がよいのか? 時間差が成仏の「質」に影響するのか?

 --そう言われても……。

 わからないだろう。修行の能率や効率がブッダの教えと深刻に関係するとは思えない。

 もうひとつの理屈は、ゴータマ・ブッダ登場時代の宗教事情として、バラモンの修行者や沙門と言われた自由思想家連中も、ほとんどが独り身で山林修行をしていたらしいから、当時の「新興宗教」である仏教も、パフォーマンスとしてその伝統を引き継いだのだと考える。

Iさんのモールデビュー

2015年01月13日 | 5.その他
お気に入りの席

 スタバの入口の奥の席が気に入っています。前が長机で電源が入るようになっている。よく、女性が勉強しています。片一方が壁で、落ち着いて居られます。女性の活力が感じられ、バリスタの声が聴け、カウンターに来る客の様子も分かります。モノを考えるには、丁度いい。

 退職後はここをキーステーションにしましょう。お金がない時は、図書館6階のパソコン席になる。

黒を着る心理

 駅前のスタバのバリスタが6名とも、皆、黒でした。なぜ、合わせるのか。メバエは常に白です。Iさんも白です。黒を着る心理状態。クリスマスの時は水・土が赤でした。もっと、バリエーションを持たさないと。

モノがなくなる

 この間、ユニクロで買った、オレンジ色の帽子とマフラーが見つかりません。色々なモノが見つかりません。馴染まないです。

朝のIさん モールデビュー

 「専用スリーブを用意して、お待ちしていました」「気を利かせて、変わってくれたんです」「金曜日に早速、こちらに来て下さったようですね」「聞きました」「昼にこっちへ来た時に、来ていたよと教えてもらいました」

 「しばらく、こっちでお願いします」(道が分からなくて)「シャッターばかりで、目印もあまりないし」「今日は12時まで何ですよ」「これそうですかね」「距離がちょっと、あるじゃないですか」

 「明日は1時半からなんですよ」「6時までなんです」「次の日が7時に入っているので」「明後日には絶対、お会いできるとは」

 「早いですね」「一日?」「1月?」(2月13日に決めたから)「あと、一ヵ月ですね」

 「モールは週4回の内、2回は朝だけど」「後は、お昼とか夕方とか」

 (富山だから)「雪、大変ですよね」

 (DVD返しながら)「そのままでした」「見ていただいたんですね」「お恥ずかしい」「一年に一回、発表しているんです」「また、感想があれば、聞かせてください」「真剣な顔して、弾いていたんですね」「もうちょっと、笑えばよかったけど」

 やはり、あの笑顔には救われます。あと、一ヵ月です。二胡の時に、あの笑顔が出せるといいですね。

中野に会いたい

 中野美代子は主任になっていた。部署は以前と同じです。

昼前のIさん

 「今か今かと首を長くして待っていました」「だいぶ、早いですね」「抜けてきたんですか」

 「ネタではないけど、ラテの時はトールじゃないですか」「お店のマグがトールしかないからですか」「ラテだとすぐ飲んじゃうから」

 「店長が後ろに居る」「今日は、お仕事してて」「偵察という名で、Iさんに会いに来ていたんでしょ」「近くてよかったね」「一応、皆と一緒に働くことにしている」「モールには4人来ています」「色々な所に行けば、色々な子に会えるから」

 (2月13日の話)「初日にはぜひ、来てください」「日曜日だよ」「その日はシフト出しました」「マジで」

 「レジ二つしかないから」(豊田の6人は黒)「そうですか」「ロードも皆、黒という時がある」「黒を皆、好んで着ますね」「イメージが落ち着きすぎてしまう」

 「明日もお会い出来たら」

火曜日友の会

 韓国料理のお店。国内では、初めて行った。楽しそうに話していた。時間が短いので、定時後を考えるとのこと。

 黙々働くのとボディランゲージでコミュニケーションをとるのでは、後者の方が生かせる気がします。

 木彫りをするのであれば、木を見ていて、掘られるもののイメージが浮かばないと難しい。コミュニケーションは天性の才能に近いものがある。触りたがりが生きてきます。

乗車後、30分のメール

 パートナーからのメールが3時半に届きました。携帯を胸ポケットに入れておいたので、マナーモードで心臓マッサージを経験した。

 金曜日に引き続いて、昼間だった。スケジュールを確認したら、販売店での訪問が終了して、電車に乗った後、30分以内だった。山梨と富山です。共に、色々な感想を持ったみたいです。発想が豊かになっています。

スタバのチームプレー

2015年01月12日 | 7.生活
あと一ヵ月

 あと一か月の過ごし方を決めないといけない。今日は11時まで寝転がっていました。4時には起きていたから、それから7時間、ダラダラと。

 私の世界だけに生きているから、やることは絞れます。紙の世界で遊びましょう。あと、一ヵ月しかないのだから。それとICレコーダーです。ここに入れ込むことをどうしていくのか。紙を極めることで、デジタルの世界ができる。

 あとは、今、起こっている現象について、コメントを書けるようにします。それを示唆している「考える日々」です。

 入力負荷を絞ります。OCRする件数を5点ぐらいにします。40冊からすると、興味の範囲を絞れば可能です。だけど、哲学体系のOCRは今日中に終えます。目的の方から、絞り込みます。

スタバのチームプレー

 サンロードで思ったのは、私の情報をIさん以外のスタッフが知っているということです。朝のミーティングで、情報公開をしているんです。Iさんからすべて出ている。それが本来のチームプレーでしょう。お客様に関する情報を交換する。来店した時に適切な応対ができる。

 こんなことが他のところで出来るかどうか。駅前のスタバでも無理です。個人のオペレーションで済んでいる。

紙の世界とデジタルの世界

 紙に書く込むよりは、そのまま、直した方がいいです。全体を見るときに紙を使います。全体を見ることができる、デジタルツールを作り出していく手掛かりにする。

 それぞれの項目の距離感というか、順列を付けていきます。あくまでも対応させての評価です。紙の出力をそのまま出来て、紙に替わる世界は割と近いうちにできそうです。タブレットノ文化として。それに一番近いのは、アマゾンでしょう。デジタルライブラリを知の入口にするために、本を超えるものを追及している。

 完全に紙を凌駕します。グーテンベルグを超えます。連続性に於いてですけど。本来のタブレットと意味が少し離れてしまいます。

車の所有に関して

 所有できないものは多い。例えば、トイレです。なのに、なぜ、車は所有するのか。そのために、免許証まで取るのか。そして、リスクを抱えながら、動くのか。

 そんなことよりも、自分の世界を所有すればいいんです。この世界自体も自分たちは所有していない。借りのモノです。宗教は皆、そうなっています。所有することが、ヒットラー、アレキサンダー、ジンギスカンなカタチにしても、出来なかった。

 時間軸との関係からすると、所有することはありえないです。<今>しかないのだから。なのに、車を所有しようとするのか。そのために膨大なお金と犠牲を払って。

 大きな錯覚がそこにはあります。「自由」という錯覚でしょう。持つことで自由を表現する。持つことが希望である。恋愛にしても、これは所有はできません。

未唯宇宙の中項目の説明

 一月中は、中項目の説明に専念しましょう。本は減らさないけど、OCRは減らします。未唯空間に反映して、意味あるものに限定します。そのために、中項目の見出しを反映させます。全体として、云いたいことのキーです。

 ついでに、キーワード空間が成立するかも確認します。

 寝ながらでも、項目名でメモを書けるようにしましょう。そのためにも、ナンバーを言って、変更内容を記述できるようにする。その中から、それぞれの距離感をつなぎます。

 たとえば、「2.2.2.1① 全体を見る」では全体を見るとはどういうことかを定義できるようにする。全体を見ていく目的は、先を見るためであり、全体を見るためには根本を考える。仕組みを考えて、想像力を活かす。

 「2.2.2.1② 空間認識」とは何か。「2.2.1.3 再構成する」にはを述べる。その時に、動詞の部分は省きます。「2.2.2.1④ 構築」は何の構築なのか。これを「論理の構築」にすれば、もう少し分かり易い。

 内容を決めると同時に、項目名を確定させます。それがどういう意味なのかというだけではなく、他との関係もハッキリさせます。

 生まれてくるものは、決して、所有はできない。その中に仮住まいしながら、自分の目的を探すのが人生でしょう。全てが目的であり、手段である。そういう空間は本当に優しいと思いますよ。

 そこでもやはり、自由とは何か。哲学も存在といいながら、自由との関係が一番の課題です。現象なのか、認識なのか、一般的なのか、個別なのか。

幸せな会社生活

 幸せな会社生活だったかもしれない。最期の五年間は、誰から邪魔されずに、自分の28歳から目的としたものができました。他者から承認されることは望まないから、邪魔されないのが一番です。邪魔してくるんだったら、会社を辞めようと思ってきたけど、それも途中で終わりました。彼らには私の存在を見えなくすることができた。

 ブログ一つとっても、何が言いたいことが分かるようなものではない。彼らのとってはどうでもいい事にさせてしまいます。

 あくまでも、この世界がどうなっていくのか、メーカーというものがどうなってくのか、販売店がどうなっていくのか、そのためにどうしたらいいのかを思いつくことができた。

項目から見る、全体と部分の関係

 中項目の完成に入ります。項目一つひとつが上からのハイアラキーではなくて、それぞれが独立しているという境地まで来たし、その理論も明確になってきた。

 これは個人がそうであるのと同じです。ハイアラキーの下に居るのではなく、あくまでも、それが意味を持つ。その世界を組み合わせてどうしていくのか。組み合さなくてもいい。それは影響範囲も皆、異なる。そういった空間をイメージすることができる。

部分が目的を持つ空間

 部分が全体よりも大きくなるためには、部分に完結性と独立性を持たさないといけない。それ自体が目的を持つということです。全体の中の一部ではなく、目的を持つものが集まって、小さな目的を果たします。この目的空間そのものが未唯空間になります。

 配置されたものがそれぞれの役割に従って、自分で動くことによって、役割を作り出して、全体の循環をなしていく。完結でありながら、つながるということ。オープンでありながら、クローズであること、つまり、コンパクト性。なぜ、そこに在るかを問い詰めれば、答が出てくる、そこまで来ている。予感ですけど。

インタープリテーションにおける評価

2015年01月12日 | 5.その他
『インタープリター・トレーニング』より

評価とは

 環境教育の評価の考えとして、以下の4W1Hを考えています。

 ・What for=何のために評価するのか?

  持続可能な社会実現につながる学びを提供するため

 ・Who=誰が評価するのか?

  自己評価:自分やチームでふりかえる

  参加者評価:アンケートや対話から材料を得る

  第三者評価:オブザーバーを配置する

 ・When=いつ評価するのか?

  診断的評価:企画段階の評価

  形成的評価:プログラム中の評価

  総括的評価:終了後の評価

  フォローアップ型評価:追跡調査

 ・What=何を評価するのか?

  指導:インタープリターの指導

  学び:参加者の学び

 ・How=どのように評価をするのか?

  データ(質的データ、量的データ)を収集し分祈する

  データの収集方法(アンケート、インタビュー.観察など)

フィードバック

 効果的なフィードバックには留意点があります。「フィードバックとは個人やグループが成長するためになされるものであり、お互いの関係をふかめるものである」と述べ、以下を挙げています。

  ①記述的であること(評価的でないこと)

  ②「私は…」のメッセージであること

  ③必要性が感じられること

  ④行動の変容が可能であること

  ⑤適切なタイミングであること

  ⑥伝わっているかどうかの確認をすること

  ⑦多くのメンバーからフィードバックをもらうこと

 「フィードバックとは相手にとっての“鏡”になることです」と述べ、以下のように続けています。

 フィードバックとは自分が相手に対してとった態度や行動が、相手にどのように映ったのか、また、どのような影響を与えたかを、そのまま返してもらうことです。その時、特に注意しなくてはならないことは、自己開示と同じように良いとか悪いとかの評価をしないことです。鏡はただ映すだけで評価はしません。鏡に映った自分を見て判断したり評価したりするのは自分自身です。

 皆さんも、フィードバックをする/受ける機会があるでしょう。その際には相手にとっても自分にとっても成長の機会と捉え、鏡となって情報を伝えることが必要です。

 皆さんが若手インタープリターに同行し、プログラム後にフィードバックするとします。解説が早口だったと感じたのであれば、「私には早口に感じたよ」と伝えることがフィードバックですが、「あなたはゆっくり話した方がいい」は厳密にはフィードバックではないことになります。早口だったと言われた相手が、「次からはもっとゆっくり話してみよう」と気づいてもらえるようなフィードバックをすることが大切です。

 もちろん、相手が求めるのなら、クリティーク(批評)やアドバイス(助言)も必要です。相手のニーズに合わせて、評価のデータのやりとりをしていくことが大切です。

 なお、フィードバックでは、自らの行動や態度に関して、自ら気づくことも大切とされています(セルフフィードバック)。自らを客観視し、真摯にふりかえる姿勢をもつ、つまり、内省的インタープリターであり続けることと言えます。

 筆者は自ら気づくことをサポートし合うフィードバックという行為が非常に大切だと考えています。環境教育が育てたい「持続可能な社会実現のために主体的に行動する人」は、誰かから言われて行動するのではなく、自ら気づいて行動する人のはずです。そのためには、日々のフィードバックで小さな行動実践を積み重ねることが重要です。

空海

2015年01月12日 | 2.数学
『ほんとうの偉人列伝』より 空海

日本の密教の開祖たる万能にして不死の天才

 日本の歴史のなかで弘法大師空海ほど、大勢の人びとに敬愛されている人物は少ない。仏教だけではなく、詩歌(文学)、芸術、教育、医学薬学、土木工学、鉱山学など、あらゆる分野に大きな足跡を残し、「万能の天才」とよばれており、その影響力には計りしれないものがある。

 異端や悪役、埋もれた傑物などを多く取りあげた本書のなかでは、むしろ異色ともいえようが、それでもなお、看過するわけにいかない。それはどの大物なのである。

 生誕は宝亀五(七七四)年、讃岐国多度郡屏風浦(現・香織川県善通寺市)。父は郡司の佐伯直田公、母は外来系で学問に秀でた阿刀氏の玉依姫といわれている。佐伯氏については諸説あるが、現在では、その出自は蝦夷というのが有力である。

 当時、日本の中央にも大伴氏の一派たる佐伯氏はいたが、空海の父方の佐伯氏はそれらの氏族によって征服された側の「俘虜の長」だった、というものだ。

 空海がその生前から一般大衆に慕われていたというのも、一つにそうした出自がからんでいるのかもしれない。

 讃岐の佐伯氏は諸国との交易なども盛んにおこない、かなりの財力があったようだが、それに関しても、空海みずから彼の代表的な著作である『三教指帰』のなかで、否定的な文言を残している。

月日は矢のごとくにすぎて、両親は余命いくばくもない。家の資産は乏しく、家作は傾きつつある。二人の兄はあいついで亡くなり、とめどなく涙が流れる。親族はだれも皆貧しく、暗澹たる思いがする。-

かつては繁栄したかもしれないが、現在は「斜陽の一族だ」と明かしているように取れるのだが、どうだろう。

ともあれ、幼少のころから神童ぶりを発揮し、父母をはじめ、親戚縁者に期待をもたせたことは確からしい。幼名は真魚というが、じつは定かではなく、「真言」を彷彿させる名前なので、のちにつくられた可能性もなくはない。

延暦七(七八八)年、十五歳のときに、その真魚こと空海は母方の祖父(一説に伯父とも)阿刀大足のもとで、儒学を学びはじめる。大足は桓武天皇の皇子の一人、伊予親王の侍講、すなわち家庭教師で、この伊予親王がのちに空海を援助することになる。

同十年、空海は十八歳で大学寮へ。専攻は明経道、今日でいう政治経済学部だった。しかし彼は、儒学を基本とし、官僚の養成を優先させる大学寮の教育に疑問を抱き、二年後に突然、退学する。

その後のほぼ十年が、空海の空白の時期である。

同十六年、二十四歳のとき、儒教、道教、仏教を比較した『聾贅指帰』(のちに『三教指帰』に改作)を著わした以外、その足取りはまったくわからない。

ただ、その時代多くいた私度僧(私的に得度する僧)の一人として、各地の霊山をめぐり、仏教思想や鉱山学、医学薬学などを学んだのだろうと推察される。入手し得た教典はもとより、入唐時に通訳のごとき役割までしていることからして、語学(唐や天竺の言葉)をも修めたのではないかと思われる。

またこのころ、一沙門の勤操から記憶力を奇跡的に高める「虚空蔵求聞持法」をさずかり、和泉国の槙尾山寺で出家し、得度受戒したともいわれる。

出羽三山など、遠く奥州まで足を伸ばしたという話は伝説としても、故郷の四国にもどって石鎚山の近辺で荒行をし、土佐の室戸岬の洞窟で、さきの求問持法の修行中、

「突如、空から流れ落ちてきた明星を呑みこんだ」

といわれ、このとき「空海」の法号を思いついたという。

ちなみに空海が修行したとされる御厨人窟は室戸岬に現存し、人気の観光名所(霊感スポット)になっている。

空海がつぎに正式な史料に現われるのは、延暦二十三(八○四)年、東大寺の戒壇院で正式な得度をしたのち、遣唐使船で入唐するときである。

四般仕立ての船団の二瑕には、すでに桓武天皇の護持僧の一人であった最澄も乗っていた。のちの伝教大師である。空海は別の船に乗っていたが、なおも彼は一私度僧にすぎない。その空海が、なぜ留学をゆるされ、遣唐使船に乗ることが出来たのか。

これまた、奇跡としか言いようがない。が、かの伊予親王の支援があったとか、一族や郷里の人びとの絶大な援助を得たともいわれる。さきにも触れたとおり、その語学力を買われて、「通詞ならびに正使の補佐的な書記官」

といった役をあたえられたとの説もある。

じっさい、暴風雨に遭遇して船が福州に漂着し、海賊の嫌疑で拘束されたときに、空海の「交渉人」としての才能が、いかんなく発揮される。正使の藤原葛野麻呂の代理で、福州の監察使にあてた書状を書いたのだ。この書状は、

「条理をつくしつつ、慰勲に抗弁した立派な外交文書である」

として、福州の官人をいたく感動させ、一行は釈放されて、葛野麻呂は無事、長安に向かうことが出来た。このときも空海は、掛の監察使におのれの要望を切々と訴えた書状を送って、みとめられ、ほんらいなら一介の留学僧などにはかなわないはずの長安入りを果たした。

一行は同年暮れに長安に到着。それからも、空海の奇跡的な活躍はつづく。

彼はまず長安市中にあるさまざまな寺を訪ね、梵字や梵語、密教に関する教法などを学んでいる。そして翌年五月、青竜寺の恵果和尚のもとに入門、半年あまり密教の指導を受ける。それだけならば、たんなる優秀な留学僧にすぎまい。が、空海はそこでは終わらない。

驚くべきことに、並みいる高弟を出し抜いて、胎蔵界と金剛界の「両界(両部)灌頂」に浴する。弟子入りしてわずか三月後の八月には「伝法阿闇梨濯頂」すらも、さずかってしまった。

EU統合とスウェーデン

2015年01月12日 | 4.歴史
『男女機会均等社会への挑戦』より スウェーデンはどうなる

深まるとまどい--世論市場の動揺

 EU加盟を前にして、スウェーデンではさまざまな領域でシステム調整作業が進行している。一時の過剰ムード論が後退し、冷静さが戻っている。調整作業の過程では、当然のことながら女性政策も大きな影響を受ける。いや、最も大きな影響を受けるのが女性環境と予想されているからこそ、女性の間で加盟反対論や加盟慎重論が根強いといえる。ここ数年の調整作業は、スウェーデン女性の未来を考えるうえで、極めて重要な意味を持つであろう。

 システム調整・変更作業を急いでいるが、「北欧のユニークな国」から「ヨーロッパのごくありきたりの国」への変身は[混乱ととまどい一をパートナーにしているようである。豊かな福祉・工業国家の枠組をそのままヨーロッパ全体の中で維持するのは困難であるとはだれでもが知っている。既得権の一部をいずれ放棄しなければならないであろうこともだれもが知っている。しかし、システム変更の作業工程についてはだれも明確なシナリオを書けないでいる。それほどまでに、スウェーデンはユニークであった。市民が手にしている安心・安全・安定の装置がいかに大きいかを、EU加盟を前にして改めて知りっつあるのではないか。EU加盟問題がなければこれはどの自己省察の機会に恵まれなかったかもしれない。未来は依然として不明確である。確かなのは、こんな福祉水準でEUに加盟したら、国際競争力を維持するのが難しいのではないかということである。

加盟反対派が過半数

 一九九二年ごろの世論調査では、EU加盟賛成派が減り、反対派が増える傾向を示していた。しかも、反対派が賛成派を上回っていた。九二年一〇月~一一月に行われた世論調査では、賛成が三五%で、同年四月~五月調査の三九%から四%後退していた。逆に反対は四三%で、同年四月~五月調査での三八%から五%増えている。この時点で、初めて反対派が賛成派を上回った。世論調査は動揺していた。主要政党ですら、党内世論を統一できなかったのであるから無理からぬことであった。

 この時点でも、男性のほうが女性よりも賛成派が多かった。四四%対三四%であった。この差は容易には縮まりそうもなかった。ヨーロッパ化で既得権を奪われるのは、どう考えても男性よりも女性であった。また、大都市圏住民のほうがそれ以外よりも賛成派が多かった。農業利益の維持・調整は、どこの国でもそうであったが、EU加盟にともなう最も微妙な問題であった。政党支持では、穏健党支持者の間では賛成六三%、反対一五%、国民党支持者の間では賛成五五%、反対三五%と、賛成派が上回っていたが、その他の政党の支持者の間では、いずれも反対派のほうが多かった。九二年時点で、特に反対が多かったのは、環境党・緑の支持者(賛成一五%・反対七二%)と左党の支持者(賛成三%・反対九四%)であった。この傾向はその後も続いた。農業利益の問題で苦しい選択を余儀なくされる中央党は、賛成二四%、反対六一%となっていた。この政党と穏健党が連合政権を形成していたのであるから大変である。社民党支持者では四八%が賛成、二五%が反対となっていた。興味深いのは新民主党であった。結党時のメンバー構成から見て、圧倒的に賛成派かと思われていたが、支持者の間では、反対派(四〇%)が賛成派三五%)よりも多かったのである。

 スウェーデン企業はEU加盟で生き延びるだろうが、農業従事者の所得は低下し、環境が悪化し、失業者が増え、社会福祉水準が低下し、男女機会均等が縮小するのではないか。こうした不安感が世論市場に広がっていたのである。

 一九九四年になると雰囲気が変わってきた。二月の調査では、加盟賛成が増え反対が減った。五三%が反対、四七%が賛成となった。九三年九月では、反対が六三%、賛成が三八%であったから、反対が一〇%減り、ほぽその分だけ賛成が増えたということになる。ただし、賛否が接近してきたとはいえ、全体としては、反対論が依然として多いという事実は変わらない。主要政党は、一一月の国民投票までにこれを逆転させようとするのであるから、大変な作業である。既得権喪失恐怖症に端を発する不安感を除去するのは容易ではない。だが、加盟賛成を表明している以上、それができなくて何が責任政党か。政党政治への信頼をかけた説得作業になる。

EU加盟国の労働時間

 EU諸国の工業労働者の年間平均労働時間は一九七〇年以後、おしなべて短くなっている。一〇%程度短縮されている計算になる。スウェーデンは七〇年には年間一九五七時間であったが、九〇年には一七九六時間になっている。短縮率は八・二%である。ただし、これは法律もしくは団体協約による通常の労働時間であり、実際の労働時間となると、はるかに短くなる。九一年で一四六五時間、九二年で一五二五時間といわれている。この数字はどの国と比較しても、衝撃的な少なさである。

 休んでも困らない所得補償があり、休んでも簡単に解雇されない法的保障があるからこそと容易に類推できよう。前者は手厚い疾病保険で(既述)、後者は雇用安定法である。こんな労働体質では、EUに加盟しても競争力に限界がある。簡単に病欠できない制度、安易に病欠したら少しは所得が減る制度の導入が急がれる。長期不況と労働市場の低迷が、「失業したら大変だ、この職を失ったら、職がないかもしれない」という不安をかき立てたのであろうか、九二年には労働時間が少し長くなった。こうしたムードだけでは十分ではない。病欠しても一日目からは所得補償が出ない制度が導入されて、病欠率が低下しているという報告がある。

 いくつかの施策を実施しても、市民が必要を感じないかぎり、既得権の一部放棄にはつながらない。政府もまた、選挙が近づくと、経済政策の成功を誇示しようとして、「スウェーデン経済の未来は明るい、その兆候が見え始めた」論を宣伝するものだから、「それならいまのままの労働環境をそれほど無理してまで劣化する必要はなさそう」で終わってしまう。実質労働時間の数字を見るだけでも、まだまだEU諸国に比べて短過ぎることがわかる。EU加盟にともなってノーマライズの速度を速める必要があろう。こんな短い労働時間で企業が競争力を維持するのは難しいであろう。


パソコンを持ち歩く

2015年01月11日 | 7.生活
パソコンを持ち歩く

 ユニクロで買ったトートバックがパソコンにピッタリなので、持ち歩いて、駅前と元町のスタバに持っていきました。

一日の短さ

 この最近の一日の単調さ、時間の速さにはかなり、参っています。からと言って、何をすればいいのか分からない。パートナーからのメールがあれば、十分という感じもします。

超巨大企業を所有してしまえばいい

2015年01月11日 | 3.社会
『未来予測を嗤え』より

--超巨大企業が支配的なカを持つようになった状況に対して、一般の人間は危機意識を持つべきだと思いますか? Google や apple に対抗できる勢力を作る必要があったりするんでしょうか?

小飼 はたして、彼らの支配をひっくり返す必要はあるんでしょうかね? ネットワークに限らず、インフラの保守管理というのは、けして易しい仕事ではなく、誰もやりたがらない汚れ仕事です。コンピュータの世界についていえば、何百万台ものサーバーをメンテナンスして、OSなどのソフトウェアもきちんとアップデートしていかなければなりません。サーバーのメンテナンス自体はある程度自動化できても、データセンターの構築や、ソフトウェア自体の開発は人間が行う必要があります。必要な人員の数はそれほど多くないけれど、誰かがやらなければいけない仕事なんです。IT業界の内部でも、例えばApple はデータ管理などの一部を Amazon などに任せていたりもする。

 いいじやないですか。今やコンピュータやネットワークを利用するためのコストはものすごく低下したのですから、そんな安い仕事はどんどん彼らに任せてしまいましょう。

--しかし、コスト的に安いといっても、生殺与奪の権利をプラットフォーム企業に握られているのかもしれないと思うと、不安になったりしませんか?

小飼 超巨大プラットフォーム企業がどうして問題になるかといえば、私たちのほとんどがそういう企業の単なる客だからです。だったら、私たちが彼らのオーナーになってしまえばいい。そうすれば、もう彼らは敵ではなくなるでしょう?

 ―つまり、 Googleや Apple に支配されているから対抗しようと考えるのではなく、彼らの株をどんどん買って、影響力を行使すればいいということですか?

小飼 そういうことです。インフラに依存しているという意味でプラットフォーム企業に支配されていたとしても、その支配者のオーナーであればいいんです。

 企業による支配力にせよ、経済的な格差にせよ、結局のところ、問題の根源はオーナーシップが極端に偏っていることにあります。だから、オーナーシップをばらけさせるようにしなければなりません。

--オーナーシップとは、企業を所有しているということですか?

小飼 企業に限らず、土地なりその他の資産なり、金の卵を産むガチョウを所有しているということです。お金を得る方法を大別すると、労働によって対価を得ることと、資産からの「アガリ」を得る方法があります。

 この2つの方法は、お金を得るという点では同じように見えますが、実はまったく異なります。労働による対価に掛かる所得税は累進課税。ところが、不動産などの資産に対して掛かる税金は固定なんです。だから、少なくとも税制という観点から見た場合に限っても、働くヤツはバカ、情弱ということになってしまう。

--豊かな暮らしをするためには頑張って働かないといけないと、どうしても考えてしまいます……。

小飼 そうですね。ほとんどの人は、金の卵を産むガチョウが本当にいるということを、悲しいほどに知らないんです。金の卵を産んでいるのは私たち自身だというのに、産んだ卵は私たちのものになりません。

 1000円で取引されている株券をもらって誰かに売れば、確かに1000円が得られます。だけど、その株券を持っていれば数円かもしれないけど配当金があるかもしれない。つまり、所有しているだけで、それが明日にはお金を生むものもある、それに気づくべきなんです。このことに気づいている人が世界的に少ないということがまず大きな問題です。

--労働の尊さを、私たちは小さい頃からすり込まれますからねえ。所有しているビルからの家賃収入で暮らすのが素晴らしいなんて、学校の先生は言ってくれません。オーナーシップによって働かずに収入を得ることの重要性は、もっと広く知らされるべきですね。

小飼 教育によって、私たちはありもしない檻に閉じ込められているのかもしれません。「人のモノを勝手に使ってはいけない」のが社会の前提になっているのは、まさに教育のたまものでしょう。私たちは成長する過程で、他人の所有物には手を出してはいけない、自分の所有物を守る、そういう不可侵の原則を学んでいきます。そういう教育によって、私たちはオーナーシップを揺るぎない実存として感じるようになっていきますが、それだって幻想にすぎません。

神永 お金だってそうですよね。要するに、お金にしても価値があるとみんなが幻想を共有しているのですから。

小飼 そうなんです。

--そうはいっても、人間の能力なりスキルなりには差があるでしょうし、価値を得られるほどの差別化をみんなができるものなんですか?

小飼 その考え方こそがまさに教育による刷り込みですよ。オーナーシップと所有者の能力なんて無関係なんです。つまり、どんなバカでも油田を所有していれば金持ちになれます。

 IT長者のサクセスストーリーを聞くと、並外れて優秀でないとストックオプションを得られないような気がしてきてしまいます……。

小飼 もちろん、知能テストを受けさせて高い点数を取った人しかオーナーシップを得られないといった制度設計にすることも、理屈の上では可能ですよ。だけど実際のところ、不動産にせよ株にせよ、オーナーシップと所有者の能力は無関係だし、一度オーナーシップが確立されたら所有者の同意がない限り取り上げることはできないというのが、私たちの社会のルールになっています。

神永 オーナーシップの考え方が浸透しないのは、抽象的だからわかりにくいんでしょうね。

--オーナーシップというのは、元々先天的に備わっている感覚なのか、後天的なものなのか、どちらなんでしょうね。縄張り争いが自然に起こるのを考えると、本能のような気もしますけど。

小飼 北米大陸に元々居住していた先住民たちには、あまりオーナーシップの概念がなかったようですね。