未唯への手紙
未唯への手紙
スタバのチームプレー
あと一ヵ月
あと一か月の過ごし方を決めないといけない。今日は11時まで寝転がっていました。4時には起きていたから、それから7時間、ダラダラと。
私の世界だけに生きているから、やることは絞れます。紙の世界で遊びましょう。あと、一ヵ月しかないのだから。それとICレコーダーです。ここに入れ込むことをどうしていくのか。紙を極めることで、デジタルの世界ができる。
あとは、今、起こっている現象について、コメントを書けるようにします。それを示唆している「考える日々」です。
入力負荷を絞ります。OCRする件数を5点ぐらいにします。40冊からすると、興味の範囲を絞れば可能です。だけど、哲学体系のOCRは今日中に終えます。目的の方から、絞り込みます。
スタバのチームプレー
サンロードで思ったのは、私の情報をIさん以外のスタッフが知っているということです。朝のミーティングで、情報公開をしているんです。Iさんからすべて出ている。それが本来のチームプレーでしょう。お客様に関する情報を交換する。来店した時に適切な応対ができる。
こんなことが他のところで出来るかどうか。駅前のスタバでも無理です。個人のオペレーションで済んでいる。
紙の世界とデジタルの世界
紙に書く込むよりは、そのまま、直した方がいいです。全体を見るときに紙を使います。全体を見ることができる、デジタルツールを作り出していく手掛かりにする。
それぞれの項目の距離感というか、順列を付けていきます。あくまでも対応させての評価です。紙の出力をそのまま出来て、紙に替わる世界は割と近いうちにできそうです。タブレットノ文化として。それに一番近いのは、アマゾンでしょう。デジタルライブラリを知の入口にするために、本を超えるものを追及している。
完全に紙を凌駕します。グーテンベルグを超えます。連続性に於いてですけど。本来のタブレットと意味が少し離れてしまいます。
車の所有に関して
所有できないものは多い。例えば、トイレです。なのに、なぜ、車は所有するのか。そのために、免許証まで取るのか。そして、リスクを抱えながら、動くのか。
そんなことよりも、自分の世界を所有すればいいんです。この世界自体も自分たちは所有していない。借りのモノです。宗教は皆、そうなっています。所有することが、ヒットラー、アレキサンダー、ジンギスカンなカタチにしても、出来なかった。
時間軸との関係からすると、所有することはありえないです。<今>しかないのだから。なのに、車を所有しようとするのか。そのために膨大なお金と犠牲を払って。
大きな錯覚がそこにはあります。「自由」という錯覚でしょう。持つことで自由を表現する。持つことが希望である。恋愛にしても、これは所有はできません。
未唯宇宙の中項目の説明
一月中は、中項目の説明に専念しましょう。本は減らさないけど、OCRは減らします。未唯空間に反映して、意味あるものに限定します。そのために、中項目の見出しを反映させます。全体として、云いたいことのキーです。
ついでに、キーワード空間が成立するかも確認します。
寝ながらでも、項目名でメモを書けるようにしましょう。そのためにも、ナンバーを言って、変更内容を記述できるようにする。その中から、それぞれの距離感をつなぎます。
たとえば、「2.2.2.1① 全体を見る」では全体を見るとはどういうことかを定義できるようにする。全体を見ていく目的は、先を見るためであり、全体を見るためには根本を考える。仕組みを考えて、想像力を活かす。
「2.2.2.1② 空間認識」とは何か。「2.2.1.3 再構成する」にはを述べる。その時に、動詞の部分は省きます。「2.2.2.1④ 構築」は何の構築なのか。これを「論理の構築」にすれば、もう少し分かり易い。
内容を決めると同時に、項目名を確定させます。それがどういう意味なのかというだけではなく、他との関係もハッキリさせます。
生まれてくるものは、決して、所有はできない。その中に仮住まいしながら、自分の目的を探すのが人生でしょう。全てが目的であり、手段である。そういう空間は本当に優しいと思いますよ。
そこでもやはり、自由とは何か。哲学も存在といいながら、自由との関係が一番の課題です。現象なのか、認識なのか、一般的なのか、個別なのか。
幸せな会社生活
幸せな会社生活だったかもしれない。最期の五年間は、誰から邪魔されずに、自分の28歳から目的としたものができました。他者から承認されることは望まないから、邪魔されないのが一番です。邪魔してくるんだったら、会社を辞めようと思ってきたけど、それも途中で終わりました。彼らには私の存在を見えなくすることができた。
ブログ一つとっても、何が言いたいことが分かるようなものではない。彼らのとってはどうでもいい事にさせてしまいます。
あくまでも、この世界がどうなっていくのか、メーカーというものがどうなってくのか、販売店がどうなっていくのか、そのためにどうしたらいいのかを思いつくことができた。
項目から見る、全体と部分の関係
中項目の完成に入ります。項目一つひとつが上からのハイアラキーではなくて、それぞれが独立しているという境地まで来たし、その理論も明確になってきた。
これは個人がそうであるのと同じです。ハイアラキーの下に居るのではなく、あくまでも、それが意味を持つ。その世界を組み合わせてどうしていくのか。組み合さなくてもいい。それは影響範囲も皆、異なる。そういった空間をイメージすることができる。
部分が目的を持つ空間
部分が全体よりも大きくなるためには、部分に完結性と独立性を持たさないといけない。それ自体が目的を持つということです。全体の中の一部ではなく、目的を持つものが集まって、小さな目的を果たします。この目的空間そのものが未唯空間になります。
配置されたものがそれぞれの役割に従って、自分で動くことによって、役割を作り出して、全体の循環をなしていく。完結でありながら、つながるということ。オープンでありながら、クローズであること、つまり、コンパクト性。なぜ、そこに在るかを問い詰めれば、答が出てくる、そこまで来ている。予感ですけど。
あと一か月の過ごし方を決めないといけない。今日は11時まで寝転がっていました。4時には起きていたから、それから7時間、ダラダラと。
私の世界だけに生きているから、やることは絞れます。紙の世界で遊びましょう。あと、一ヵ月しかないのだから。それとICレコーダーです。ここに入れ込むことをどうしていくのか。紙を極めることで、デジタルの世界ができる。
あとは、今、起こっている現象について、コメントを書けるようにします。それを示唆している「考える日々」です。
入力負荷を絞ります。OCRする件数を5点ぐらいにします。40冊からすると、興味の範囲を絞れば可能です。だけど、哲学体系のOCRは今日中に終えます。目的の方から、絞り込みます。
スタバのチームプレー
サンロードで思ったのは、私の情報をIさん以外のスタッフが知っているということです。朝のミーティングで、情報公開をしているんです。Iさんからすべて出ている。それが本来のチームプレーでしょう。お客様に関する情報を交換する。来店した時に適切な応対ができる。
こんなことが他のところで出来るかどうか。駅前のスタバでも無理です。個人のオペレーションで済んでいる。
紙の世界とデジタルの世界
紙に書く込むよりは、そのまま、直した方がいいです。全体を見るときに紙を使います。全体を見ることができる、デジタルツールを作り出していく手掛かりにする。
それぞれの項目の距離感というか、順列を付けていきます。あくまでも対応させての評価です。紙の出力をそのまま出来て、紙に替わる世界は割と近いうちにできそうです。タブレットノ文化として。それに一番近いのは、アマゾンでしょう。デジタルライブラリを知の入口にするために、本を超えるものを追及している。
完全に紙を凌駕します。グーテンベルグを超えます。連続性に於いてですけど。本来のタブレットと意味が少し離れてしまいます。
車の所有に関して
所有できないものは多い。例えば、トイレです。なのに、なぜ、車は所有するのか。そのために、免許証まで取るのか。そして、リスクを抱えながら、動くのか。
そんなことよりも、自分の世界を所有すればいいんです。この世界自体も自分たちは所有していない。借りのモノです。宗教は皆、そうなっています。所有することが、ヒットラー、アレキサンダー、ジンギスカンなカタチにしても、出来なかった。
時間軸との関係からすると、所有することはありえないです。<今>しかないのだから。なのに、車を所有しようとするのか。そのために膨大なお金と犠牲を払って。
大きな錯覚がそこにはあります。「自由」という錯覚でしょう。持つことで自由を表現する。持つことが希望である。恋愛にしても、これは所有はできません。
未唯宇宙の中項目の説明
一月中は、中項目の説明に専念しましょう。本は減らさないけど、OCRは減らします。未唯空間に反映して、意味あるものに限定します。そのために、中項目の見出しを反映させます。全体として、云いたいことのキーです。
ついでに、キーワード空間が成立するかも確認します。
寝ながらでも、項目名でメモを書けるようにしましょう。そのためにも、ナンバーを言って、変更内容を記述できるようにする。その中から、それぞれの距離感をつなぎます。
たとえば、「2.2.2.1① 全体を見る」では全体を見るとはどういうことかを定義できるようにする。全体を見ていく目的は、先を見るためであり、全体を見るためには根本を考える。仕組みを考えて、想像力を活かす。
「2.2.2.1② 空間認識」とは何か。「2.2.1.3 再構成する」にはを述べる。その時に、動詞の部分は省きます。「2.2.2.1④ 構築」は何の構築なのか。これを「論理の構築」にすれば、もう少し分かり易い。
内容を決めると同時に、項目名を確定させます。それがどういう意味なのかというだけではなく、他との関係もハッキリさせます。
生まれてくるものは、決して、所有はできない。その中に仮住まいしながら、自分の目的を探すのが人生でしょう。全てが目的であり、手段である。そういう空間は本当に優しいと思いますよ。
そこでもやはり、自由とは何か。哲学も存在といいながら、自由との関係が一番の課題です。現象なのか、認識なのか、一般的なのか、個別なのか。
幸せな会社生活
幸せな会社生活だったかもしれない。最期の五年間は、誰から邪魔されずに、自分の28歳から目的としたものができました。他者から承認されることは望まないから、邪魔されないのが一番です。邪魔してくるんだったら、会社を辞めようと思ってきたけど、それも途中で終わりました。彼らには私の存在を見えなくすることができた。
ブログ一つとっても、何が言いたいことが分かるようなものではない。彼らのとってはどうでもいい事にさせてしまいます。
あくまでも、この世界がどうなっていくのか、メーカーというものがどうなってくのか、販売店がどうなっていくのか、そのためにどうしたらいいのかを思いつくことができた。
項目から見る、全体と部分の関係
中項目の完成に入ります。項目一つひとつが上からのハイアラキーではなくて、それぞれが独立しているという境地まで来たし、その理論も明確になってきた。
これは個人がそうであるのと同じです。ハイアラキーの下に居るのではなく、あくまでも、それが意味を持つ。その世界を組み合わせてどうしていくのか。組み合さなくてもいい。それは影響範囲も皆、異なる。そういった空間をイメージすることができる。
部分が目的を持つ空間
部分が全体よりも大きくなるためには、部分に完結性と独立性を持たさないといけない。それ自体が目的を持つということです。全体の中の一部ではなく、目的を持つものが集まって、小さな目的を果たします。この目的空間そのものが未唯空間になります。
配置されたものがそれぞれの役割に従って、自分で動くことによって、役割を作り出して、全体の循環をなしていく。完結でありながら、つながるということ。オープンでありながら、クローズであること、つまり、コンパクト性。なぜ、そこに在るかを問い詰めれば、答が出てくる、そこまで来ている。予感ですけど。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
インタープリテーションにおける評価
『インタープリター・トレーニング』より
評価とは
環境教育の評価の考えとして、以下の4W1Hを考えています。
・What for=何のために評価するのか?
持続可能な社会実現につながる学びを提供するため
・Who=誰が評価するのか?
自己評価:自分やチームでふりかえる
参加者評価:アンケートや対話から材料を得る
第三者評価:オブザーバーを配置する
・When=いつ評価するのか?
診断的評価:企画段階の評価
形成的評価:プログラム中の評価
総括的評価:終了後の評価
フォローアップ型評価:追跡調査
・What=何を評価するのか?
指導:インタープリターの指導
学び:参加者の学び
・How=どのように評価をするのか?
データ(質的データ、量的データ)を収集し分祈する
データの収集方法(アンケート、インタビュー.観察など)
フィードバック
効果的なフィードバックには留意点があります。「フィードバックとは個人やグループが成長するためになされるものであり、お互いの関係をふかめるものである」と述べ、以下を挙げています。
①記述的であること(評価的でないこと)
②「私は…」のメッセージであること
③必要性が感じられること
④行動の変容が可能であること
⑤適切なタイミングであること
⑥伝わっているかどうかの確認をすること
⑦多くのメンバーからフィードバックをもらうこと
「フィードバックとは相手にとっての“鏡”になることです」と述べ、以下のように続けています。
フィードバックとは自分が相手に対してとった態度や行動が、相手にどのように映ったのか、また、どのような影響を与えたかを、そのまま返してもらうことです。その時、特に注意しなくてはならないことは、自己開示と同じように良いとか悪いとかの評価をしないことです。鏡はただ映すだけで評価はしません。鏡に映った自分を見て判断したり評価したりするのは自分自身です。
皆さんも、フィードバックをする/受ける機会があるでしょう。その際には相手にとっても自分にとっても成長の機会と捉え、鏡となって情報を伝えることが必要です。
皆さんが若手インタープリターに同行し、プログラム後にフィードバックするとします。解説が早口だったと感じたのであれば、「私には早口に感じたよ」と伝えることがフィードバックですが、「あなたはゆっくり話した方がいい」は厳密にはフィードバックではないことになります。早口だったと言われた相手が、「次からはもっとゆっくり話してみよう」と気づいてもらえるようなフィードバックをすることが大切です。
もちろん、相手が求めるのなら、クリティーク(批評)やアドバイス(助言)も必要です。相手のニーズに合わせて、評価のデータのやりとりをしていくことが大切です。
なお、フィードバックでは、自らの行動や態度に関して、自ら気づくことも大切とされています(セルフフィードバック)。自らを客観視し、真摯にふりかえる姿勢をもつ、つまり、内省的インタープリターであり続けることと言えます。
筆者は自ら気づくことをサポートし合うフィードバックという行為が非常に大切だと考えています。環境教育が育てたい「持続可能な社会実現のために主体的に行動する人」は、誰かから言われて行動するのではなく、自ら気づいて行動する人のはずです。そのためには、日々のフィードバックで小さな行動実践を積み重ねることが重要です。
評価とは
環境教育の評価の考えとして、以下の4W1Hを考えています。
・What for=何のために評価するのか?
持続可能な社会実現につながる学びを提供するため
・Who=誰が評価するのか?
自己評価:自分やチームでふりかえる
参加者評価:アンケートや対話から材料を得る
第三者評価:オブザーバーを配置する
・When=いつ評価するのか?
診断的評価:企画段階の評価
形成的評価:プログラム中の評価
総括的評価:終了後の評価
フォローアップ型評価:追跡調査
・What=何を評価するのか?
指導:インタープリターの指導
学び:参加者の学び
・How=どのように評価をするのか?
データ(質的データ、量的データ)を収集し分祈する
データの収集方法(アンケート、インタビュー.観察など)
フィードバック
効果的なフィードバックには留意点があります。「フィードバックとは個人やグループが成長するためになされるものであり、お互いの関係をふかめるものである」と述べ、以下を挙げています。
①記述的であること(評価的でないこと)
②「私は…」のメッセージであること
③必要性が感じられること
④行動の変容が可能であること
⑤適切なタイミングであること
⑥伝わっているかどうかの確認をすること
⑦多くのメンバーからフィードバックをもらうこと
「フィードバックとは相手にとっての“鏡”になることです」と述べ、以下のように続けています。
フィードバックとは自分が相手に対してとった態度や行動が、相手にどのように映ったのか、また、どのような影響を与えたかを、そのまま返してもらうことです。その時、特に注意しなくてはならないことは、自己開示と同じように良いとか悪いとかの評価をしないことです。鏡はただ映すだけで評価はしません。鏡に映った自分を見て判断したり評価したりするのは自分自身です。
皆さんも、フィードバックをする/受ける機会があるでしょう。その際には相手にとっても自分にとっても成長の機会と捉え、鏡となって情報を伝えることが必要です。
皆さんが若手インタープリターに同行し、プログラム後にフィードバックするとします。解説が早口だったと感じたのであれば、「私には早口に感じたよ」と伝えることがフィードバックですが、「あなたはゆっくり話した方がいい」は厳密にはフィードバックではないことになります。早口だったと言われた相手が、「次からはもっとゆっくり話してみよう」と気づいてもらえるようなフィードバックをすることが大切です。
もちろん、相手が求めるのなら、クリティーク(批評)やアドバイス(助言)も必要です。相手のニーズに合わせて、評価のデータのやりとりをしていくことが大切です。
なお、フィードバックでは、自らの行動や態度に関して、自ら気づくことも大切とされています(セルフフィードバック)。自らを客観視し、真摯にふりかえる姿勢をもつ、つまり、内省的インタープリターであり続けることと言えます。
筆者は自ら気づくことをサポートし合うフィードバックという行為が非常に大切だと考えています。環境教育が育てたい「持続可能な社会実現のために主体的に行動する人」は、誰かから言われて行動するのではなく、自ら気づいて行動する人のはずです。そのためには、日々のフィードバックで小さな行動実践を積み重ねることが重要です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
空海
『ほんとうの偉人列伝』より 空海
日本の密教の開祖たる万能にして不死の天才
日本の歴史のなかで弘法大師空海ほど、大勢の人びとに敬愛されている人物は少ない。仏教だけではなく、詩歌(文学)、芸術、教育、医学薬学、土木工学、鉱山学など、あらゆる分野に大きな足跡を残し、「万能の天才」とよばれており、その影響力には計りしれないものがある。
異端や悪役、埋もれた傑物などを多く取りあげた本書のなかでは、むしろ異色ともいえようが、それでもなお、看過するわけにいかない。それはどの大物なのである。
生誕は宝亀五(七七四)年、讃岐国多度郡屏風浦(現・香織川県善通寺市)。父は郡司の佐伯直田公、母は外来系で学問に秀でた阿刀氏の玉依姫といわれている。佐伯氏については諸説あるが、現在では、その出自は蝦夷というのが有力である。
当時、日本の中央にも大伴氏の一派たる佐伯氏はいたが、空海の父方の佐伯氏はそれらの氏族によって征服された側の「俘虜の長」だった、というものだ。
空海がその生前から一般大衆に慕われていたというのも、一つにそうした出自がからんでいるのかもしれない。
讃岐の佐伯氏は諸国との交易なども盛んにおこない、かなりの財力があったようだが、それに関しても、空海みずから彼の代表的な著作である『三教指帰』のなかで、否定的な文言を残している。
月日は矢のごとくにすぎて、両親は余命いくばくもない。家の資産は乏しく、家作は傾きつつある。二人の兄はあいついで亡くなり、とめどなく涙が流れる。親族はだれも皆貧しく、暗澹たる思いがする。-
かつては繁栄したかもしれないが、現在は「斜陽の一族だ」と明かしているように取れるのだが、どうだろう。
ともあれ、幼少のころから神童ぶりを発揮し、父母をはじめ、親戚縁者に期待をもたせたことは確からしい。幼名は真魚というが、じつは定かではなく、「真言」を彷彿させる名前なので、のちにつくられた可能性もなくはない。
延暦七(七八八)年、十五歳のときに、その真魚こと空海は母方の祖父(一説に伯父とも)阿刀大足のもとで、儒学を学びはじめる。大足は桓武天皇の皇子の一人、伊予親王の侍講、すなわち家庭教師で、この伊予親王がのちに空海を援助することになる。
同十年、空海は十八歳で大学寮へ。専攻は明経道、今日でいう政治経済学部だった。しかし彼は、儒学を基本とし、官僚の養成を優先させる大学寮の教育に疑問を抱き、二年後に突然、退学する。
その後のほぼ十年が、空海の空白の時期である。
同十六年、二十四歳のとき、儒教、道教、仏教を比較した『聾贅指帰』(のちに『三教指帰』に改作)を著わした以外、その足取りはまったくわからない。
ただ、その時代多くいた私度僧(私的に得度する僧)の一人として、各地の霊山をめぐり、仏教思想や鉱山学、医学薬学などを学んだのだろうと推察される。入手し得た教典はもとより、入唐時に通訳のごとき役割までしていることからして、語学(唐や天竺の言葉)をも修めたのではないかと思われる。
またこのころ、一沙門の勤操から記憶力を奇跡的に高める「虚空蔵求聞持法」をさずかり、和泉国の槙尾山寺で出家し、得度受戒したともいわれる。
出羽三山など、遠く奥州まで足を伸ばしたという話は伝説としても、故郷の四国にもどって石鎚山の近辺で荒行をし、土佐の室戸岬の洞窟で、さきの求問持法の修行中、
「突如、空から流れ落ちてきた明星を呑みこんだ」
といわれ、このとき「空海」の法号を思いついたという。
ちなみに空海が修行したとされる御厨人窟は室戸岬に現存し、人気の観光名所(霊感スポット)になっている。
空海がつぎに正式な史料に現われるのは、延暦二十三(八○四)年、東大寺の戒壇院で正式な得度をしたのち、遣唐使船で入唐するときである。
四般仕立ての船団の二瑕には、すでに桓武天皇の護持僧の一人であった最澄も乗っていた。のちの伝教大師である。空海は別の船に乗っていたが、なおも彼は一私度僧にすぎない。その空海が、なぜ留学をゆるされ、遣唐使船に乗ることが出来たのか。
これまた、奇跡としか言いようがない。が、かの伊予親王の支援があったとか、一族や郷里の人びとの絶大な援助を得たともいわれる。さきにも触れたとおり、その語学力を買われて、「通詞ならびに正使の補佐的な書記官」
といった役をあたえられたとの説もある。
じっさい、暴風雨に遭遇して船が福州に漂着し、海賊の嫌疑で拘束されたときに、空海の「交渉人」としての才能が、いかんなく発揮される。正使の藤原葛野麻呂の代理で、福州の監察使にあてた書状を書いたのだ。この書状は、
「条理をつくしつつ、慰勲に抗弁した立派な外交文書である」
として、福州の官人をいたく感動させ、一行は釈放されて、葛野麻呂は無事、長安に向かうことが出来た。このときも空海は、掛の監察使におのれの要望を切々と訴えた書状を送って、みとめられ、ほんらいなら一介の留学僧などにはかなわないはずの長安入りを果たした。
一行は同年暮れに長安に到着。それからも、空海の奇跡的な活躍はつづく。
彼はまず長安市中にあるさまざまな寺を訪ね、梵字や梵語、密教に関する教法などを学んでいる。そして翌年五月、青竜寺の恵果和尚のもとに入門、半年あまり密教の指導を受ける。それだけならば、たんなる優秀な留学僧にすぎまい。が、空海はそこでは終わらない。
驚くべきことに、並みいる高弟を出し抜いて、胎蔵界と金剛界の「両界(両部)灌頂」に浴する。弟子入りしてわずか三月後の八月には「伝法阿闇梨濯頂」すらも、さずかってしまった。
日本の密教の開祖たる万能にして不死の天才
日本の歴史のなかで弘法大師空海ほど、大勢の人びとに敬愛されている人物は少ない。仏教だけではなく、詩歌(文学)、芸術、教育、医学薬学、土木工学、鉱山学など、あらゆる分野に大きな足跡を残し、「万能の天才」とよばれており、その影響力には計りしれないものがある。
異端や悪役、埋もれた傑物などを多く取りあげた本書のなかでは、むしろ異色ともいえようが、それでもなお、看過するわけにいかない。それはどの大物なのである。
生誕は宝亀五(七七四)年、讃岐国多度郡屏風浦(現・香織川県善通寺市)。父は郡司の佐伯直田公、母は外来系で学問に秀でた阿刀氏の玉依姫といわれている。佐伯氏については諸説あるが、現在では、その出自は蝦夷というのが有力である。
当時、日本の中央にも大伴氏の一派たる佐伯氏はいたが、空海の父方の佐伯氏はそれらの氏族によって征服された側の「俘虜の長」だった、というものだ。
空海がその生前から一般大衆に慕われていたというのも、一つにそうした出自がからんでいるのかもしれない。
讃岐の佐伯氏は諸国との交易なども盛んにおこない、かなりの財力があったようだが、それに関しても、空海みずから彼の代表的な著作である『三教指帰』のなかで、否定的な文言を残している。
月日は矢のごとくにすぎて、両親は余命いくばくもない。家の資産は乏しく、家作は傾きつつある。二人の兄はあいついで亡くなり、とめどなく涙が流れる。親族はだれも皆貧しく、暗澹たる思いがする。-
かつては繁栄したかもしれないが、現在は「斜陽の一族だ」と明かしているように取れるのだが、どうだろう。
ともあれ、幼少のころから神童ぶりを発揮し、父母をはじめ、親戚縁者に期待をもたせたことは確からしい。幼名は真魚というが、じつは定かではなく、「真言」を彷彿させる名前なので、のちにつくられた可能性もなくはない。
延暦七(七八八)年、十五歳のときに、その真魚こと空海は母方の祖父(一説に伯父とも)阿刀大足のもとで、儒学を学びはじめる。大足は桓武天皇の皇子の一人、伊予親王の侍講、すなわち家庭教師で、この伊予親王がのちに空海を援助することになる。
同十年、空海は十八歳で大学寮へ。専攻は明経道、今日でいう政治経済学部だった。しかし彼は、儒学を基本とし、官僚の養成を優先させる大学寮の教育に疑問を抱き、二年後に突然、退学する。
その後のほぼ十年が、空海の空白の時期である。
同十六年、二十四歳のとき、儒教、道教、仏教を比較した『聾贅指帰』(のちに『三教指帰』に改作)を著わした以外、その足取りはまったくわからない。
ただ、その時代多くいた私度僧(私的に得度する僧)の一人として、各地の霊山をめぐり、仏教思想や鉱山学、医学薬学などを学んだのだろうと推察される。入手し得た教典はもとより、入唐時に通訳のごとき役割までしていることからして、語学(唐や天竺の言葉)をも修めたのではないかと思われる。
またこのころ、一沙門の勤操から記憶力を奇跡的に高める「虚空蔵求聞持法」をさずかり、和泉国の槙尾山寺で出家し、得度受戒したともいわれる。
出羽三山など、遠く奥州まで足を伸ばしたという話は伝説としても、故郷の四国にもどって石鎚山の近辺で荒行をし、土佐の室戸岬の洞窟で、さきの求問持法の修行中、
「突如、空から流れ落ちてきた明星を呑みこんだ」
といわれ、このとき「空海」の法号を思いついたという。
ちなみに空海が修行したとされる御厨人窟は室戸岬に現存し、人気の観光名所(霊感スポット)になっている。
空海がつぎに正式な史料に現われるのは、延暦二十三(八○四)年、東大寺の戒壇院で正式な得度をしたのち、遣唐使船で入唐するときである。
四般仕立ての船団の二瑕には、すでに桓武天皇の護持僧の一人であった最澄も乗っていた。のちの伝教大師である。空海は別の船に乗っていたが、なおも彼は一私度僧にすぎない。その空海が、なぜ留学をゆるされ、遣唐使船に乗ることが出来たのか。
これまた、奇跡としか言いようがない。が、かの伊予親王の支援があったとか、一族や郷里の人びとの絶大な援助を得たともいわれる。さきにも触れたとおり、その語学力を買われて、「通詞ならびに正使の補佐的な書記官」
といった役をあたえられたとの説もある。
じっさい、暴風雨に遭遇して船が福州に漂着し、海賊の嫌疑で拘束されたときに、空海の「交渉人」としての才能が、いかんなく発揮される。正使の藤原葛野麻呂の代理で、福州の監察使にあてた書状を書いたのだ。この書状は、
「条理をつくしつつ、慰勲に抗弁した立派な外交文書である」
として、福州の官人をいたく感動させ、一行は釈放されて、葛野麻呂は無事、長安に向かうことが出来た。このときも空海は、掛の監察使におのれの要望を切々と訴えた書状を送って、みとめられ、ほんらいなら一介の留学僧などにはかなわないはずの長安入りを果たした。
一行は同年暮れに長安に到着。それからも、空海の奇跡的な活躍はつづく。
彼はまず長安市中にあるさまざまな寺を訪ね、梵字や梵語、密教に関する教法などを学んでいる。そして翌年五月、青竜寺の恵果和尚のもとに入門、半年あまり密教の指導を受ける。それだけならば、たんなる優秀な留学僧にすぎまい。が、空海はそこでは終わらない。
驚くべきことに、並みいる高弟を出し抜いて、胎蔵界と金剛界の「両界(両部)灌頂」に浴する。弟子入りしてわずか三月後の八月には「伝法阿闇梨濯頂」すらも、さずかってしまった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
EU統合とスウェーデン
『男女機会均等社会への挑戦』より スウェーデンはどうなる
深まるとまどい--世論市場の動揺
EU加盟を前にして、スウェーデンではさまざまな領域でシステム調整作業が進行している。一時の過剰ムード論が後退し、冷静さが戻っている。調整作業の過程では、当然のことながら女性政策も大きな影響を受ける。いや、最も大きな影響を受けるのが女性環境と予想されているからこそ、女性の間で加盟反対論や加盟慎重論が根強いといえる。ここ数年の調整作業は、スウェーデン女性の未来を考えるうえで、極めて重要な意味を持つであろう。
システム調整・変更作業を急いでいるが、「北欧のユニークな国」から「ヨーロッパのごくありきたりの国」への変身は[混乱ととまどい一をパートナーにしているようである。豊かな福祉・工業国家の枠組をそのままヨーロッパ全体の中で維持するのは困難であるとはだれでもが知っている。既得権の一部をいずれ放棄しなければならないであろうこともだれもが知っている。しかし、システム変更の作業工程についてはだれも明確なシナリオを書けないでいる。それほどまでに、スウェーデンはユニークであった。市民が手にしている安心・安全・安定の装置がいかに大きいかを、EU加盟を前にして改めて知りっつあるのではないか。EU加盟問題がなければこれはどの自己省察の機会に恵まれなかったかもしれない。未来は依然として不明確である。確かなのは、こんな福祉水準でEUに加盟したら、国際競争力を維持するのが難しいのではないかということである。
加盟反対派が過半数
一九九二年ごろの世論調査では、EU加盟賛成派が減り、反対派が増える傾向を示していた。しかも、反対派が賛成派を上回っていた。九二年一〇月~一一月に行われた世論調査では、賛成が三五%で、同年四月~五月調査の三九%から四%後退していた。逆に反対は四三%で、同年四月~五月調査での三八%から五%増えている。この時点で、初めて反対派が賛成派を上回った。世論調査は動揺していた。主要政党ですら、党内世論を統一できなかったのであるから無理からぬことであった。
この時点でも、男性のほうが女性よりも賛成派が多かった。四四%対三四%であった。この差は容易には縮まりそうもなかった。ヨーロッパ化で既得権を奪われるのは、どう考えても男性よりも女性であった。また、大都市圏住民のほうがそれ以外よりも賛成派が多かった。農業利益の維持・調整は、どこの国でもそうであったが、EU加盟にともなう最も微妙な問題であった。政党支持では、穏健党支持者の間では賛成六三%、反対一五%、国民党支持者の間では賛成五五%、反対三五%と、賛成派が上回っていたが、その他の政党の支持者の間では、いずれも反対派のほうが多かった。九二年時点で、特に反対が多かったのは、環境党・緑の支持者(賛成一五%・反対七二%)と左党の支持者(賛成三%・反対九四%)であった。この傾向はその後も続いた。農業利益の問題で苦しい選択を余儀なくされる中央党は、賛成二四%、反対六一%となっていた。この政党と穏健党が連合政権を形成していたのであるから大変である。社民党支持者では四八%が賛成、二五%が反対となっていた。興味深いのは新民主党であった。結党時のメンバー構成から見て、圧倒的に賛成派かと思われていたが、支持者の間では、反対派(四〇%)が賛成派三五%)よりも多かったのである。
スウェーデン企業はEU加盟で生き延びるだろうが、農業従事者の所得は低下し、環境が悪化し、失業者が増え、社会福祉水準が低下し、男女機会均等が縮小するのではないか。こうした不安感が世論市場に広がっていたのである。
一九九四年になると雰囲気が変わってきた。二月の調査では、加盟賛成が増え反対が減った。五三%が反対、四七%が賛成となった。九三年九月では、反対が六三%、賛成が三八%であったから、反対が一〇%減り、ほぽその分だけ賛成が増えたということになる。ただし、賛否が接近してきたとはいえ、全体としては、反対論が依然として多いという事実は変わらない。主要政党は、一一月の国民投票までにこれを逆転させようとするのであるから、大変な作業である。既得権喪失恐怖症に端を発する不安感を除去するのは容易ではない。だが、加盟賛成を表明している以上、それができなくて何が責任政党か。政党政治への信頼をかけた説得作業になる。
EU加盟国の労働時間
EU諸国の工業労働者の年間平均労働時間は一九七〇年以後、おしなべて短くなっている。一〇%程度短縮されている計算になる。スウェーデンは七〇年には年間一九五七時間であったが、九〇年には一七九六時間になっている。短縮率は八・二%である。ただし、これは法律もしくは団体協約による通常の労働時間であり、実際の労働時間となると、はるかに短くなる。九一年で一四六五時間、九二年で一五二五時間といわれている。この数字はどの国と比較しても、衝撃的な少なさである。
休んでも困らない所得補償があり、休んでも簡単に解雇されない法的保障があるからこそと容易に類推できよう。前者は手厚い疾病保険で(既述)、後者は雇用安定法である。こんな労働体質では、EUに加盟しても競争力に限界がある。簡単に病欠できない制度、安易に病欠したら少しは所得が減る制度の導入が急がれる。長期不況と労働市場の低迷が、「失業したら大変だ、この職を失ったら、職がないかもしれない」という不安をかき立てたのであろうか、九二年には労働時間が少し長くなった。こうしたムードだけでは十分ではない。病欠しても一日目からは所得補償が出ない制度が導入されて、病欠率が低下しているという報告がある。
いくつかの施策を実施しても、市民が必要を感じないかぎり、既得権の一部放棄にはつながらない。政府もまた、選挙が近づくと、経済政策の成功を誇示しようとして、「スウェーデン経済の未来は明るい、その兆候が見え始めた」論を宣伝するものだから、「それならいまのままの労働環境をそれほど無理してまで劣化する必要はなさそう」で終わってしまう。実質労働時間の数字を見るだけでも、まだまだEU諸国に比べて短過ぎることがわかる。EU加盟にともなってノーマライズの速度を速める必要があろう。こんな短い労働時間で企業が競争力を維持するのは難しいであろう。
深まるとまどい--世論市場の動揺
EU加盟を前にして、スウェーデンではさまざまな領域でシステム調整作業が進行している。一時の過剰ムード論が後退し、冷静さが戻っている。調整作業の過程では、当然のことながら女性政策も大きな影響を受ける。いや、最も大きな影響を受けるのが女性環境と予想されているからこそ、女性の間で加盟反対論や加盟慎重論が根強いといえる。ここ数年の調整作業は、スウェーデン女性の未来を考えるうえで、極めて重要な意味を持つであろう。
システム調整・変更作業を急いでいるが、「北欧のユニークな国」から「ヨーロッパのごくありきたりの国」への変身は[混乱ととまどい一をパートナーにしているようである。豊かな福祉・工業国家の枠組をそのままヨーロッパ全体の中で維持するのは困難であるとはだれでもが知っている。既得権の一部をいずれ放棄しなければならないであろうこともだれもが知っている。しかし、システム変更の作業工程についてはだれも明確なシナリオを書けないでいる。それほどまでに、スウェーデンはユニークであった。市民が手にしている安心・安全・安定の装置がいかに大きいかを、EU加盟を前にして改めて知りっつあるのではないか。EU加盟問題がなければこれはどの自己省察の機会に恵まれなかったかもしれない。未来は依然として不明確である。確かなのは、こんな福祉水準でEUに加盟したら、国際競争力を維持するのが難しいのではないかということである。
加盟反対派が過半数
一九九二年ごろの世論調査では、EU加盟賛成派が減り、反対派が増える傾向を示していた。しかも、反対派が賛成派を上回っていた。九二年一〇月~一一月に行われた世論調査では、賛成が三五%で、同年四月~五月調査の三九%から四%後退していた。逆に反対は四三%で、同年四月~五月調査での三八%から五%増えている。この時点で、初めて反対派が賛成派を上回った。世論調査は動揺していた。主要政党ですら、党内世論を統一できなかったのであるから無理からぬことであった。
この時点でも、男性のほうが女性よりも賛成派が多かった。四四%対三四%であった。この差は容易には縮まりそうもなかった。ヨーロッパ化で既得権を奪われるのは、どう考えても男性よりも女性であった。また、大都市圏住民のほうがそれ以外よりも賛成派が多かった。農業利益の維持・調整は、どこの国でもそうであったが、EU加盟にともなう最も微妙な問題であった。政党支持では、穏健党支持者の間では賛成六三%、反対一五%、国民党支持者の間では賛成五五%、反対三五%と、賛成派が上回っていたが、その他の政党の支持者の間では、いずれも反対派のほうが多かった。九二年時点で、特に反対が多かったのは、環境党・緑の支持者(賛成一五%・反対七二%)と左党の支持者(賛成三%・反対九四%)であった。この傾向はその後も続いた。農業利益の問題で苦しい選択を余儀なくされる中央党は、賛成二四%、反対六一%となっていた。この政党と穏健党が連合政権を形成していたのであるから大変である。社民党支持者では四八%が賛成、二五%が反対となっていた。興味深いのは新民主党であった。結党時のメンバー構成から見て、圧倒的に賛成派かと思われていたが、支持者の間では、反対派(四〇%)が賛成派三五%)よりも多かったのである。
スウェーデン企業はEU加盟で生き延びるだろうが、農業従事者の所得は低下し、環境が悪化し、失業者が増え、社会福祉水準が低下し、男女機会均等が縮小するのではないか。こうした不安感が世論市場に広がっていたのである。
一九九四年になると雰囲気が変わってきた。二月の調査では、加盟賛成が増え反対が減った。五三%が反対、四七%が賛成となった。九三年九月では、反対が六三%、賛成が三八%であったから、反対が一〇%減り、ほぽその分だけ賛成が増えたということになる。ただし、賛否が接近してきたとはいえ、全体としては、反対論が依然として多いという事実は変わらない。主要政党は、一一月の国民投票までにこれを逆転させようとするのであるから、大変な作業である。既得権喪失恐怖症に端を発する不安感を除去するのは容易ではない。だが、加盟賛成を表明している以上、それができなくて何が責任政党か。政党政治への信頼をかけた説得作業になる。
EU加盟国の労働時間
EU諸国の工業労働者の年間平均労働時間は一九七〇年以後、おしなべて短くなっている。一〇%程度短縮されている計算になる。スウェーデンは七〇年には年間一九五七時間であったが、九〇年には一七九六時間になっている。短縮率は八・二%である。ただし、これは法律もしくは団体協約による通常の労働時間であり、実際の労働時間となると、はるかに短くなる。九一年で一四六五時間、九二年で一五二五時間といわれている。この数字はどの国と比較しても、衝撃的な少なさである。
休んでも困らない所得補償があり、休んでも簡単に解雇されない法的保障があるからこそと容易に類推できよう。前者は手厚い疾病保険で(既述)、後者は雇用安定法である。こんな労働体質では、EUに加盟しても競争力に限界がある。簡単に病欠できない制度、安易に病欠したら少しは所得が減る制度の導入が急がれる。長期不況と労働市場の低迷が、「失業したら大変だ、この職を失ったら、職がないかもしれない」という不安をかき立てたのであろうか、九二年には労働時間が少し長くなった。こうしたムードだけでは十分ではない。病欠しても一日目からは所得補償が出ない制度が導入されて、病欠率が低下しているという報告がある。
いくつかの施策を実施しても、市民が必要を感じないかぎり、既得権の一部放棄にはつながらない。政府もまた、選挙が近づくと、経済政策の成功を誇示しようとして、「スウェーデン経済の未来は明るい、その兆候が見え始めた」論を宣伝するものだから、「それならいまのままの労働環境をそれほど無理してまで劣化する必要はなさそう」で終わってしまう。実質労働時間の数字を見るだけでも、まだまだEU諸国に比べて短過ぎることがわかる。EU加盟にともなってノーマライズの速度を速める必要があろう。こんな短い労働時間で企業が競争力を維持するのは難しいであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )