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未唯への手紙

未唯への手紙

Iさんとの会話は楽しい

2015年01月19日 | 1.私
未唯の相手

 未唯の内面が好きだというけど、本当に内面が分かっているのか。まあ、内面ではないでしょう。

 相手が誰だろうと、生きていける強さを感じました。だから、相対的なモノはどうでもいいです。

退社後の生活

 退社後、何をするのと言われても、この4年間やってきたことと同じことをするだけではない。全てを知るというのは、そんな簡単なテーマではないから。

所有は幻想

 やはり、所有は幻想なんでしょう。

奥さんの記憶力

 奥さんはよく覚えている? 働きに出ようかと言った時に、俺が言った言葉は一字一句、述べていた。

未唯宇宙の作業遅れ

 「4.5.5 未来の姿」は組み替えられていない。歴史編は途中にロジックを変えたから、底辺まで徹底させないといけない。

 未唯宇宙の作業がほとんど、出来なかった。3日間のイベントが大変だったのと、本を借り過ぎました。

Iさんとの昼過ぎの会話 何のためにお店に行くのか

 「時間は大丈夫ですか」「マナカはこの間、チャージしましたもんね」「ありがとうございます。まさか、まさか」

 「だって、本当に少ないんだから」「今日来たら、また、明日から三日、休みで、次は8時からですから」「出勤は全部、○で出しているんですけど」

 「今日、一杯目ですか。もしかして」「すごく、待ってましたよね。コーヒー、飲みたくて、飲みたくて」「コーヒーを家で淹れたりはしないんですか」「VIAでしのいでいてくれる感じ」

 (昨日は、未唯の相手と)「ああ、そうですか」「幸せな家庭の根底には仕事が…」「心配ですもんね」「しっかりしていても、心配は心配ですよね」

 (免許更新の話)「よかったですね」

 (記憶障害の話)「そうなんですか」

 「今日は6時まで何ですよ」「本当ですか。6時まで首を長くして、待っていますので、来てくださいね」

 「来た甲斐がありました」「今日は会えないしなーと思って」「何のために、お店に行くのかと内心、思ったりしていたので」「大きな声では言えないですけどね」

 「金曜日はそうしていただいたら」「8時から1時まで居るので」「また、待っています」

夕方のIさん お持ち帰り?

 (入口のスタッフ)「お持ち帰りですか」「Iさんですか。それはちょっと、飲み物でないと」

 「お帰りなさい。お疲れ様でした」「もう、終わったんですよね」「聞きましたよ。私は6時を過ぎないと、テイクアウトの時間にならないんですよ」「6時まではフォーヒアの時間です」

 「もう、眠たいんですよ。めちゃくちゃ」「すごいしんどくて、眠たいから」「いつもなら、そういう準備に入っている頃なんで、体が温かくなってきているですよ」「最後はバーと言われたので、このレジが終わったら、バーなんです」

 「ありがとうございます。今日も諦めていたので」「三日間、空きますけど、その間どうするんですか」「来てくれますか」

 「明日からは名鉄なんですか」「その時の気分次第なんですね」「結構、皆さん、別れるみたいで。モール派と名鉄派で」

 「ここはずーと、満席です」「居心地がいいんだと思います」「そうなんですよ、学生さんではないんですよ」「ロードもこの時間だとワーとなっている」

 「6時になると、テイクアウトの時間なんだけど、まだ、フォーヒアなんです」「4時半ぐらいから怪しくなってきて」「9時に寝るというサイクルで生きているので、しんどいですね」

 「お会いできてよかったです」「金曜日にお会いできれば」「金曜日は2回、お会いできますので」

素因数分解

 前に車のナンバーは「58-506」だった。何となく、大きな素数を感じたので、素因数分解をした。58=2×29、506=2×23×11だった、予感は当たっていた。

 豊田市から名鉄電車で、名古屋の大学に通っていた。その時は、列車番号を毎回、素因数分解していた。大きな素数同士の掛け算の時はいいことがあると信じていた。今日はいいことあるのかな。

ヒトラーの本当の日本観とは

2015年01月19日 | 4.歴史
『海軍反省会7』より

ヒトラーの本当の日本観とは

これも佐薙(毅・兵50)さんのあれ(報告)に書いておられますが、ヒトラーが非常に対日不信感を持っておったということはここに述べられておるようでありますが、これは私どもがちょっと現地で聞いておりました限りにおいては、ヒトラーは非常に日本のことをよく勉強して日本に対しては非常な尊敬を持っておりましてね。それで大使あたりはちょいちょいヒトラーと直接話をしておりますが、その都度私どもの耳に入っておったヒトラーという者は、決して日本をこういうふうにばかにして、あんなものは相手にならんというような考え方は持っていなかったというふうにしか聞いておりません。

そこまで大島(浩・士18)大使は、嘘はおっしゃらないと思いますが、いつも我々が聞いておったのは、ヒトラーは非常に日本のことをよく勉強しておる。それから、日本を尊敬しておると。そして、独ソ戦を始めてから後も、決して日本に無理強いをして、東のほうからソ連をつつけということは一回もヒトラーの口から、大島(浩・士18)大使はそういう気配を聞いたことがないと。そういう要請をされたことがないと。やっぱりあれだけ苦労しておってもヒトラーは偉いわいという考え方を、これは度々大使の口から我々は聞いておりました。

ヒトラーがまたそのほかにしょっちゅう言っておったことは、日本という国は実に立派なうらやましい国体の国だと。結局私がこのヒトラーの時代に、ヨーロッパを完全に席巻してみても、それは一時期の英雄としてとどまるだけであって、決してそれが長続きするという何の保証もない。その点、日本は上に万世一系の陛下を戴いておるので、これはもう世界にもその類がないし、この点だけはいくら逆立ちをしても真似のできないことだということをよく言ったというふうなことでありました。もちろんそれは下のほうは色々作戦の状況その他によって、日本側につらく当たったり、あるいはドイツが苦戦しておっても日本は東からちっとも助けようとしないじゃないかと。何のための同盟なんだというようなことを言った者も、それはあると思います。

現に私どもも空軍と連絡しておりまして、独ソ戦を開始して初めての冬将軍に悩まされたあの時期ぐらいから、私らは空軍に行っても風当たりが今までと違ったことを感じたことはよくありました。そういうことはあったと思いますが、ヒトラー自身はこういうふうなことを口にしたりあれしたりするというのはないんじゃないかと、私どもは現地におって思いますが、これは藤村(義朗・兵55)君がここに来ておられますが、何か私の記憶その他で間違っているようなことがあったら訂正をして頂きたいと思います。それだけであります。

寺崎 ありがとうございました。佐薙(毅・兵50)君は何か意見が。

佐薙 最後のヒトラーの対日不信の問題で、これは出処はどこかというと、ヒトラーが戦陣中で戦争の塹壕か何かの中で、幕僚に話した言葉なんです。その言葉は”Worlds of what Japaneseasy”、日本の言うことは、早く言えば片言半句も信用できないという言葉なんです。これは考えてみると、結局潜水艦作戦あるいはインド洋作戦とか、ドイツ側にある程度予告をしているわけです。今度日本軍は、ことにS作戦ですか。十七年のガダルカナルの直前にインド洋で大作戦をやるとか、そのほか潜水艦作幟で中心近くまで出すとか、色々言っていたことがみんなとりやめになってしまったと。こういったことで、日本は口先だけは言うけれども実行しないじゃないかということで、日本の言うことは信用できないということで、作戦が始まってそういう段階のヒトラーの述懐だと私は見ております。

豊田 それは逆に私のほうの聞いたのは、ヒトラーにもそういう日本が何もやらないんじゃないですかと、もう少しつついたらどうでしょう、というような意見に対してだろうと思いますが、大島(浩・士18)さんの口からヒトラーの言として聞いたのは、そういうことは日本に圧力的にかける必要は一つもないと。日本という国は、それは情勢が色々違うからこちらの要望でできるだけのことはやるんだというふうに、逆にヒトラーは言って、下のほうから突き上げてくるやつをなだめておったという点もヒトラーというのは偉いよと。一つも泣き言を言わないということをよく聞かされておりました。そういう状況です。

寺崎 藤村(義朗・兵55)さん、何か関連していることで何かあったら。

藤村 大島(浩・士18)大使とヒトラーとのつながりは、我々の想像を絶するようなもので非常に深いものがあったと思います。大使はヒトラーのところへ行って帰ってこられて、(私が)ドイツの作戦が今こんなに弱っているじゃありませんかと大使に申しましても、いや、ヒトラーはこう言ってい。るから間違いないんだ、と言うんですね。大島(浩・士18)大使はもうヒトラーと本当に、今頃の口ン、ヤス(ロナルド・レーガン米大統領と中曽根康弘首相)のような状況だったと思いますよ、ヒトラーと大島(浩・±18)さんはね。だから、大島(浩・士18)大使が色々言われたことをそのまま受け取っていいかどうかということは、私どもはその当時からベルリンにおってやはり一つの疑問を抱いておりました。そういう状況で、大島(浩・士18)さんからヒトラーを通じて色々聞いたということは、やっぱり最後のときに日本は信用できなかったと、そういうこともあったでありましょうし、また非常に親しかったと、両面があったと思います。だから、片方だけ見てどうということはできないのであります。

それからもう一つ、私どもがドイツにおりまして、本当に今度の大戦争で我々がしっかりと将来のことを考えなきゃならんと思ったことがありますが、日本が南方にずっと出て行ってうんと勢力を張った頃、ドイツがロンメル軍でアフリカにまで席巻した頃、つまり日独ともに一番力が出た頃です。

昭和十六年の暮れ頃でございますが、その頃ドイツ陸軍の大将ぐらいの人なんですが、海軍武官のパーティーに来られまして、横井(忠雄・兵43)さんのときでございましたが、そのパーティーにおられまして、そして言いました。今ドイツはうんと勢力を張っているし、日本も大変に南方まで伸びておるが、この次は日本とやるんだよ、と、こういうことを言いましたですよ。ドイツ陸軍の大将級の人でございますが、私どもが同盟国であって一生懸命にやっていると思っておりましたが、ドイツ側にはそういう考えがあったんであると。アングロサクソンにはそういう思想があるということを私どもは考えました。

そういうものがあって、戦争の大指導、根本的な指導にやはりうんと考えていかにゃならんものがあるということを彼らに学びました。終わります。

寺崎 なお、この機会にドイツ関係の豊田(隈雄・兵51)さんとか、これは藤村(義朗・兵55)君がおるので、今のことに関連して何か疑念があったら質問その他、意見があったら言って下さい。

豊田 今、藤村(義朗・兵55)さんの言われた点で、私も大島(浩・±18)さんを、ほかの面については、今、藤村(義朗・兵55)君の言われたように、大島(浩・±18)さんというのはドイツ側ぴったりですから、それは決して信用しない。ほとんど信用しないというのが海軍側の現地の空気でございましたが、ヒトラーと会ってきて日本とのそういう関係についてまでヒトラーに言いもしない。あるいは、反対のことを述べるとも思われないので、その点を佐薙(毅・兵50)さんの記述に関連して私は申し上げた形なんです。それはもう大島(浩・±18)さんはドイツぴったりで、もう海軍とは色々な判断でいつもそれが大きな問題になって、大使の打った報告はそれを訂正する意味で必ず海軍からまた、同じ事件について別の電報を出していたぐらいですから、その点は一つ申し上げておきます。

電子書籍の使い心地

2015年01月19日 | 6.本
『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』より

以前、ある原稿で「本は重いから本なのだ」などと偉そうにいってしまった。ところが、その後ぎっくりと腰をやってしまい、今やなるべく鞄を軽くして歩く日々。足下も必ずスニーカーで、本棚を触るときは、コルセットが欠かせない。つまり、なるべく腰に負担をかげないよう気をつげてなければいけない。一言でいうと、「とほほ」である。

そんな状況下、少しでも手荷物を軽くしようと思ったら、やはり電子書籍の話になるのだろう。僕の場合、数年前から紙の本と電子書籍を車の両輪のように使い分げなから読んでいるのだが、マンガの一気読みなどでは存外に便利なのだ、電子書籍か。日々少なくなる家の居住空間を本に占拠される恐れもない。

電子書籍リーダーにはブラウザビリティの限界かある。つまり、片ページずつしか読めないので、六インチ端末の場合、マンガの見開き表現がもの足りないのは仕方かない。読むマンガの種類に気をつけるのが賢明だ。見開きを使った大コマに特徴がある作品は避け、コマのリズムか安定している四コマなどをよく読んでいる。また、セリフが多く、絵の描き込み密度か高いマンガもそのサイズではちと厳しい。ただ、画面の大きい端末を選ぶと結局重くなってしまい、最大の特徴であるモビリティがなくなってしまう。なかなか難しいバランスだ。僕がもうひとつ気になるのか、最適化の問題だ。インターネットマンガが紙の書籍になる時には、それ用にコマ割などをつくり変える。対して、紙のマンガを電子書籍化する際は各端末に対する最適化はほとんど行われない。マンガ作品はどんどん長大なものか増加しているのに比例して、それを保管する場所に困る人も同じように増えている。電子端末でもより読み易くなると、そちらでマンガを愉しむ人は格段に増えると思うのだが、何年か後はどうなっているのだろう。ともあれ、電子書籍は僕の腰痛と本の保管問題を思いのほか助けてくれているのは確かだろう。

併読を常とする僕の読書は、とにかく無理なく読むことを信条としている今夜の晩ご飯について、肉を喰らうか、冷奴と野菜で済ませるのかと悩むように、体がいま一番読みたいものを読む。だから、目の前にはマンガに限らず常に何冊かの選択肢かあって欲しい。そんな僕が、一週間ほどの旅行に出ようものなら、以前はスーツケースが重い本で埋まってしまっていた。だか、電子書籍リーダーなら二百グラム弱ほどのプラスチックを持ち運べばこと足りてしまう。軽い電子書籍リーダーのモビリティは、確かに画期的だと思える。しかも最近は、辞書や書き込み、検索や単語学習など、電子ツールの特徴を活かした機能がどんどん付け加えられている。

他方、電子書籍リーダーで読み終えた本の中でも、再読したいものは必ずといっていいほど紙の本で買いなおし、本棚に並べてしまう自分がいる。単純に考えれば、出版社のいいカモである。パソコン内にデータとして保存した本は、昔デジカメで撮った写真のように、なかなか再生する縁がない。日常の生活導線上に実存感のある「もの」として本があると、なにはともあれ安心する。そして、事務所や家の本棚にひょいとその本を入れておけば、安堵して忘れることかできるというものだ。「ただそこに在る安穏」という意味では、近い将来に紙の本棚か「神棚」化してしまうのかもしれない。

電子書籍リーダーを使うようになって幾許か経つか、その新型ツールを使えば使うほど、紙の本を読むことがフィジカルな行為だと気づくようになった。例えば、「読み戻り」が特徴的だ。かつて僕は、紙の本をただめくりなから目と脳で読んでいたつもりだった。だか、「あれ、この人は誰だったかしらん?」と読み戻る時に、指先の感覚と記憶の交差点をまさぐり、近いページを開くことか不思議とできるのは、すべて体で読んでいたことに由来する。最新機種の電子書籍リーダーでは、圧力センサーと振動を使って紙に近い「ページめくり」感を追求しているが、やはり慣れ親しんだ紙のそれとはまったく違う感触だ。そもそも紙の本を真似るということには、電子書籍の未来はなく、別の道具として独自に進化するべきだと思っているのは僕だけではないはずだ。

以前、脳卒中のリハビリ病院にライブラリーを制作した時、紙の本を一ページずつ丁寧にめくることが、リハビリになることを知った。そう、紙の本を読むという行為は、ささやかなから、ちゃんとした運動にもなっていたのだ。一方で、その事実を別の方向から考えてみると、体が万全でない状態では、紙の本を読むことが難しいともいうことができる。本に向かう好奇心や持久力は、体のコンディションに大きく左右されるのだ。

そんな時、体への負荷か少なく文字サイズの調整もできる電子書籍リーダーには、紙の本とは別の担うべき大きな役割かあると思えてくる。病気や老眼など身体的理由で読書への興味を失いつつある人をつなぎ止める、お年寄り向け読書ツールとしての進化である。電子書籍は来るべき高齢化社会の読書を支えるといったら大袈裟な妄想だろうか。

そんな電子書籍リーダーが抱える問題点も幾つか挙げておかねばなるまい。紙と比べ、「読み戻る」操作かまだおぼつかない電子書籍は、直線的な物語の再生にこそ本領を発揮する。けれど、断片が複雑に組み合わさり、いくつかの時間軸が並行したり、行き来するような物語は、実のところ少し読みにくい。だから、電子リーダーで読まれることか物語の主流になれば、シンプルでRPG的な物語ばかりか増え、大きくて複雑な物語か描かれなくなってしまう危惧もある。幾つかの断片を縦横無尽に行き来しながら読ませるような長大な物語は、ひょっとしたら書かれなくなる可能性もある。

またテキストの容れ物の変化に応じて文体か変わってしまうことも予想かできる。巻物の時代に造本の技術が輸入され、ページという概念が生まれた時に文体も大きく変換したといわれている。そのときと同じように、Eペーパーで読まれることが潮流となれば、そのメディア特性に合わせた言葉の使い方に移り変わってゆくのだろう。

紙とEペーパーでは、情報の容量がかなり違う。乱暴にいえば、紙の方が深くて奥行きのある器といえる。ひとつの文字が持つ情報の総量は、表音文字よりも表意文字の方が多いのは皆さんご存知の通りだろう。紙では簡単に再生できていた漢字という表意文字か、モニター上だとチラチラして読みにくいといった経験には誰もか頷く。Eメールを誰かに送る際の「様」か、どんどん表音文字の「さま」に変わってきているのにも理由があるのだ。現在、携帯端末でのコミュニケーションか表音文字と絵文字やスタンプといった図像中心で交わされているのと同じように、Eペーパーや液晶で読まれる文章も表音文字の平仮名か中心となり、漢字はほとんど使われなくなってしまうかもしれない。

と、ここまで電子リーダーについて所感を書いてきたか、正直なところ、僕は紙でも電子書籍でもどちらでも構わないと思っている。重要なのは、何に載っているテキストを読むかではない。読んだ情報を活かし、日々の生活のどこかの側面を一ミリでも上に向かせること。人間か主体となってじっくりテキストに向き合うことか大切で、紙の本だろうかEペーパーだろうが、どちらも人が有用に使うため生まれた道具に過ぎない。

電子書籍は、平穏だった(?)本のマーケッ卜を壊す黒船として紹介され続けてきたが、本当に大切にすべきは人が本を読む機会か増えることだ。今までの既得権をもっている者は利益確保に必死だが、もっと読者の方を向いた電子図書政策か進んでいくことを切に願っている。主役はガジエットではなく、あくまで読み手であって欲しいのだ。

宇宙に「無」はあリ得るか

2015年01月19日 | 2.数学
『人間だけでは生きられない』より

宇宙に「無」はあリ得るか

 現代の宇宙論によれば、宇宙は有限の過去(百三十八億年前)にビッグバンで始まったと考えています。では、宇宙はどのようにして始まったのでしょうか?

 宇宙とは時間・空間のことですから、時間や空間もその時点で始まったことになります。むろん、そこに存在する物質(=エネルギー)も同時に生まれました(もし、始原的な物ればなりません)。つまり、時間も空間も物質もない完全な「無」から宇宙が誕生したことになります。

 「無」から「有」を生み出す、なんだか禅問答のようなものと考えられるかもしれません。

 しかし現代の物理学では、実は完全に何もない状態である「無」は存在しないのです。

 まず、空間があって、物質が何もない「真空」を考えてみましょう。この場合、空間は空っぽのように見えますが、超ミクロの状態では物質と反物質が生成されたり消滅したりする反応が起こっているのです。

 ミクロ状態の物理法則である量子力学によれば、不確定性関係のためにエネルギーと時間が完全に確定せず、ある値の範囲で揺らいでいます。したがって、まったく物質が存在しない状態であっても完全にエネルギーがゼロの状態にはなれず、「ゼロ点振動」と言われる量だけエネルギーが揺らいでいるのです。

 また同時に、時間も確定せず、ある幅で時間が生まれたり消えたりしています。

 さらに、ごく小さな超ミクロな空間が不確定性関係のために、ある幅で生まれたり消えたりしています。

 つまり超ミクロの時空においては完全な「無」はあり得ず、空間・時間・物質が絶えず生まれたり消えたりする振動状態となっているのです。しかし、その状態は仮想的(バーチャル)なもので、そのままでは現実の宇宙とつながっているわけではありません(煮え立っている湯から泡が生まれたり消えたりしている姿を想像してください)。

 ところが、ある瞬間に、一つの揺らぎ(泡)が突然、膨張を始めました。揺らぎが持っていた「真空」のプラスエネルギーが一気に解放されたのです。

 例えば、摂氏一〇〇度の水蒸気が液体の水になったとき「相転移」が起こったと言い、そのとき水蒸気が内部に持っていた潜熱が解放されることになります。いわば熱湯が持っていたエネルギーが泡の形成を通じて放出されたと言えるでしょうか。これと似て、揺らいでいた「真空」からエネルギーが放出されて、現実とつながる時間と空間が生まれたのです。私たちは、これを「真空の相転移」と呼んでいます。

 言い換えれば、「無」とはいえ、エネルギーがプラスになったりマイナスになったりして揺らいでおり、プラスのときに何かの拍子でエネルギーが外部に放出されて宇宙が誕生する、というシナリオです。

 荒唐無稽のように思えるかもしれませんが、「真空」といえども、エネルギーに満ち満ちているということ(それは量子力学の世界では当たり前のことなのです)と、その状態の遷移が起こり得ることは、(「水の相転移」のように)ありふれた現象なのです。その意味で、宇宙は、どこでも、いつでも生まれる可能性があると言えます。

 とすると、「無は豊穣である」とも言えるでしょう。あるいは、「有」と「無」は融合連結しているという老荘思想や中国仏教で主張されていることに通じるかもしれません。あるいは、『般若心経』の「色不異空」「空不異色」は、このことを言っているのかもしれません。「色」という形ある宇宙は、「空」に起源があるのですから。つまり「色即是空」なのです。

 もっとも、以上のような宇宙の誕生劇は、現代の物理学で許される物理過程で最もありそうなストーリーを結びつけたもので、実際に証明されているわけではありません(証明することもできません)。物理学の知見が広がればまた異なったシナリオになるでしょう。その意味で、宇宙は卵から生まれたとか、盤古という巨大な人形から生まれた、という神話時代に語られた物語と同じなのです。その時代に最も自然と思われる事柄をつなぎ合わせて語り継いでいるのですから。

 驚くべきことは、神話時代の宇宙創成物語が意外に本質を射ているということです。素朴に考え想像したことが現代科学の真髄につながっているのです。子供たちがアレコレ想像して紡ぎ出す話も、狭い知識にとらわれて判断するのではなく、豊かな可能性があるとゆっくり聞いてやるのも必要かもしれませんね。

心構えて世界が変わるわけ

 世の中には「偶然」の発見が多くあります。日本でノーペル賞を得た白川英樹さんや田中耕一さんの発見も始まりは「偶然」でした。しかし、それを「偶然」のまま放っておかず、「必然」に転化させたことが偉大な発明につながったのです。私の研究分野である宇宙論でも、「偶然が必然に転化」した例があります。

 一九六五年のことです。ビッグバン宇宙論の直接の証拠である、「宇宙背景放射」(24頁で解説した、ビッグバンで始まった宇宙の残光)が発見されました。ジョージーガモフが一九四六年に予言していたものですが、当時はほとんど誰もがそれを覚えてはいませんでした。

 アメリカの電話会社であるベル研究所のウィルソンとペンジアスが、人工衛星を使って電波による電話回線がうまくつながるかどうか実験していたときのことです。空からやってくる電波で、装置をどう改善しても落とせない雑音が入っていることに「偶然」気づいたのが発端でした。つまり、彼らは宇宙背景放射を検出しようとして実験を行ったのではなく(彼らは宇宙論については素人でした)、全く別の目的で望遠鏡を空に向けていたときに「偶然」に、余分の電波を拾っただけだったのです。

 しかし、そこに一つの「必然」が控えていました。ベル研究所の技術力は非常に優れていて、その電波雑音が装置から発せられたものではなく、空からやってきていると確信を持って断言できたことです。そのため、ウィルソンとペンジアスは、それが宇宙のどのような天体に起因するのかを探索する気になりました。「偶然」を「必然」に転化する第一歩を踏み出したのです。

 実は、この電波はそれより前に日本の科学者も受信していたことが後でわかりました。彼は、その電波が本当に空から来ているものなのか、それとも装置の不具合がまだ残っていて雑音を拾っているだけなのか、はっきりと弁別できなかったそうです。そのため、それが明らかになるまで発表を差し控えました(単なる装置からの雑音では赤恥ですから)。技術に対する確信が「偶然」に得た結果を「必然」にできるかどうかの分かれ道となったわけです。

 さらに、ウィルソンたちにはもう一つ「偶然」を「必然」に変える幸運がありました。ベル研究所の近くにプリンストン大学があり、そこに宇宙論を研究する科学者がいたことです。ウィルソンとペンジアスは、さっそく自分たちの結果をプリンストンの科学者に見せ、それが何であるかの相談をしました。運がいいことに、プリンストン大学の科学者はガモフの予言を覚えていて、それを確かめようと実験を開始したばかりでした。ウィルソンとペンジアスはすぐに結果を解析して、「宇宙背景放射」であることを確かめるや、直ちにノーベル賞を授与される論文を書いたというわけです(その論文は、たったてヘージ半だけのごく短いものでした)。

 同じような逸話はあるもので、同じ頃、旧ソ連の科学者もやはり宇宙からやってくる電波の存在に気がついていました。そこで彼は、銀河物理学を専攻している同僚の科学者に相談したそうです。そこで彼が得た解答は、「そんな奇妙な電波を発する天体はない」というものでした。銀河を専門に研究している科学者から言えばそれは当然の答えです。確かに、そんな天体はないのですから(それが宇宙論に関係した電波かもしれないと露とも考えなかったのが不幸でした)。そのため、その電波は装置からの雑音だろうと考え、この科学者もやはり発表しなかったのです。

 こうして科学の歴史を緩いてみると、「偶然」に始まった事象が「偶然」のままに終わるのか、「必然」に転化するのか、紙一重であるように思えてきます。日本の科学者もソ連の科学者も、世紀の発見のすぐ傍まで行っていたのですから。しかし、それを掴み損ねてしまいました。とはいえ、そこには何か重要な示唆が隠されているような気がします。

 パスツールが「偶然の幸運はそれを待つ人間の心構え次第」と言ったように、「偶然」の幸運は漠然と待っていれば来るものではなく、「必然」に変えようと待ち構えている人間に訪れるということです。そのためには、技術力を鍛えて、何事も学ぶオープンな心を持っていなければなりません。「偶然」を「必然」に転化できるのは人間の姿勢次第なの

 右の文で、「偶然」を「不幸」に、「必然」を「幸福」に置き換えても同じように成立することがおわかりだと思います。「不幸」は「偶然」にやってくるのがほとんどであり、 「幸福」は「必然」にしたいと求めるものだからです。「不幸」を「幸福」に転化するのも人間の心構え次第なのですね。