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OCRした10冊

『第2次世界大戦』

 冬戦争 1939年11月~40年3月

 ギリシア電撃戦 1941年4月~5月

 レニングラード包囲戦 1941年9月~44年1月

『戦争と平和』

 中学の時に、ナターシャに惚れていたが、最後に「多産な雌」の表現にはついていけなかった。

 多産な雌

 新しい歴史

『語源に隠れた世界の歴史』

 モカ

 カプチーノ

『将来の学力は10歳までの「読書量」で決まる!』

 本を読まずにはいられない「環境」をつくる

 読書は習慣。習慣づけは親の役目です

 一日の中で「本を読む時間」を決める

 本は惜しまずどんどん買おう

 図書館で本をごそっと借りてくる

 この誘導作戦で、本を読まずにいられなくなる!

『資本主義の招待』

 日本型資本主義の終わり

 日本的経営の起源

 所有と経営の分離

 日本は経営者資本主義のモデル

 勤勉革命から産業革命へ

 アソシエーションの挫折

 民主制から独裁へ

 企業の解体・再編

 G型産業とL型産業

 都市間競争の時代

 資本主義のゆくえ

 成長から幸福度へ

 必要の国と自由の国

 労働と余暇の分離

 労働が目的になる社会

 ヨーロッパ中心主義の限界

 新たな国家の役割

『歴史の歴史』

 歴史の知とアイデンティティについて

 グローバリゼーションとローカリゼーションについて

 1 グローバルとローカルの弁証法か

 2 外側へ、または内側へ国家をこえる

 3 環境問題を手がかりに

 4 グローバルな貨幣、ローカルな貨幣

 5 最後に、情報について

『ロシア』

 ハルバロッサ作戦

 スターリングラード攻防からべルリン陥落へ

 戦後のスターリン政治

 フルシチョフと軍備拡大競争

 フルシチョフと「処女地」

 ブレジネフ時代

 ゴルバチョフ--民族主義とヨーロッパ

 ソヴィエト連邦の崩壊

『人間だけでは生きられない』

 人間はどこから来たのか

 すべての始まりはビッグバンから

 宇宙に「無」はあリ得るか

 大量生産・大量消費・大量廃棄

 心構えて世界が変わるわけ

 東京オリンピックに反対します

『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』

 大きな図書館の中にある小さな図書館

 電子書籍の使い心地(あくまでも個人の感想です)

『海軍反省会7』

 必要だった一〇〇〇機、用意できた三〇〇機

 ヒトラーの本当の日本観とは

 真珠湾攻撃--日本のミス、アメリカのミス
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なぜ、報告するのか

ポータル検討会

 ど素人のあつまり

 点が集合のプログラムを作れないのか。SFDCはやはり、ダメです。ポータルから市民コミュニティを作りたかった。やはり、地域ポータルですね。

NAWとの火曜日友の会

 スペイン料理です。割引で1000円です。昼休みは短すぎるけど。

パートナーからメール

 販売店あいさつ回りが明日まで。いよいよ、独り立ちです。

 ハレー彗星はどこから信号を出しているのか。どう応えればいいのか、まるで不明です。

スケジュール表の使い方

 半々で使いましょう。今のやつだけではダメです。家を含めると三分割です。それをスケジュールで行います。

 反映がまるで出来ていません。1月分は。池田晶子が入っていません。スケジュールに入れます。

 当然ながら、読書は捨てています。これはあとからゆっくりするしかないでしょう。下手すると、ほぼ、一年分になります。反映で最低限をフォローしています。

 またしても時間が縦に流れています。

なぜ、報告するのか

 会社の仕事を見ていて思うことは、何も問題意識を持っていない上司に対して、報告するのか。レベルがはるかの下のモノに話しても、何の意味も持ちません。分かるはずがない。

 一応、それでお墨付きをもらったような形で展開するけど、そんなものはダメです。彼らを動かさないと。それだけの能力を持った人間が来ないというのは、組織の問題です。思いがないのです。

 全体を考えていないし、先を見ていない。いかにローカルなところに押し込めて、済ませようとしている。その取り巻き連中をこの間のセミナーでハッキリ見ました。あんな会話では無能さだけを示しています。

池田晶子から見たウィトゲンシュタイン

 これを理解するためには、世界とはすなわち「私」なのだということが、理解されていなければならない。世界とは「私」である、ゆえに「私」は世界の部分ではない、属さない。「私」は形而上学的主体である。

 たいていの人は、世界が在ることそのこと、自分が居ることそのことが神秘なのだとは感じていない。神秘はどこか別のところにあると思っている。だから科学でありオカルトなのだ。本当の神秘を感じた人は哲学をする。しかしこの哲学的天才の見ていたものを、続く研究者たちは見ていない。亜流は魂を受け継がない。天才の技術や方法を真似ることはできても、その天才を真似ることだけはできない。そうでなければ、この人の最期の言葉、これを真似ることのできる者はいるものだろうか。
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