『知的生活習慣』より
家から脱出する
図書館の三階に読書室がある。大きな粗末なテーブルが五つある。一つのテーブルを八つの椅子がかこむ。午前中は人がすくない。一見して定年退職したという人が難しそうな本をひらいている。それを見ると、なにかいじらしいようでもあり、少し哀れでもある。やはり、うちにいられないのだろうと思う。こちらだって、似たようなものだから他人のことをとやかくは言えない。
歩いて数分のところに区立図書館がある。学校をやめて研究室が使えなくなった。うちにもちゃんとした書斎があるが、どうも落ち着かない。台所の音はきこえないが、(ナがいいから食べものの臭いがする。脱出するために図書館へ行く。十時から十二時すぎまでいて帰宅、食事をして二時すぎから夕方まで机に向かってすごす。
本はめったに読まない。もっぱら書きものである。能率が上がる。まわりに人のいることを忘れる。図書館は、いいなあ、とときどき天井をながめながら声にならないひとりごとを言う。
休憩する
かっては、机に向かったら一時間でも二時間でも、席を立たず、本を読んだり仕事をしたりして得意になっていたが、あるとき、これがいけないということを知る。
きっかけは、航空旅客がエコノミー症候群とかいうので命を落とす事故が多発したことである。同じ姿勢で長時間、腰かけているのはたいへんいけない、という。そんなことは聞いたこともない。どうしていけないのか、少しずつ得た知識によると、座席に座っていると、脚と心臓の距離が大きくたふて、血行が悪くなり、血栓ができやすい。それがのぼってきて、とんでもない悪さをするらしい。
その後、病院でも、長い時間同じ姿勢で仕事をするのがいけない、と言われた。どこかが充血するという。
図書館で座り続けるといっても知れている。エコノミー症候群になったりする気づかいはないが、疲れる。ということは、体が休憩を求めているのだろう。それで学校の時間割を思い出す。授業は一時間ごとに区切られ、放課の時間がある。ぶふ続けということはない。先年、東京のある都立高校が、午前中ぶふ続けで同一教科、午後も同じ教科を教えることにして話題を呼んだ。やはり失敗だつたらしく、すぐやめた。長時間、同じ姿勢をとり続けるのがよくなかったにちがいない。
そういうこともあり、図書館での仕事の仕方を変えた。一時間したら、席を立つ。トイレヘ行って、館外へ出る。隣が小公園だから行ってベンチに腰をおろして空をながめる。のどが乾いているときは自動販売機で、ヴ。ンーホーテンのココアを飲む。
天気が悪かふたりすると、一階の雑誌閲覧室へ行って新刊雑誌をめくる。読みたい雑誌はたいていほかの人が読んでいる。バ″クナンバーも欠けている。失敬していく不心得者がいるらしい。しかたがないから、アメリカの「タイム」を見る。これは見る人がすくないらしく、いつも、待っている。
長くて二十分、たいていは十分少しで切り上げて三階の席へ戻る。休憩前に考えていたことの流れを見失って、しばらく、まごつくこともある。ものを書くには、中休みはよくないようで、調子が出たら、何時間でも、かまわずぶっ続けにするのが分別である。本を読んでいるときは中休みをした方がよい。
執筆する
ものを書くには、図書館が適している。うちにいると電話が鳴る。出てみると、屋根を直せ、とか、墓地を買わないか、とか、マンションで節税しないかとか。ロクな電話はない。そのつど立っていてはしかたがないから、子機を書斎の机の上に置いたら、飛び上がるような音を立てて、心臓がおかしくなる。うちにいてはダメ。図書館に限る。いっさいわずらわすものがない。以前、近くの中学生が来て私語してうるさいから注意した。そのせいかどうか、その後、来なくなった。
十分もすれば隣に人のいることも忘れて仕事に没頭できる。そうして図書館で書き上げた本がどれくらいあるか、自分でもわからない。書いていてわからぬことがあると、十歩も歩けば書架である。辞書類もわりによく揃っている。図書館は、私にとって、本を借りて読むところではなく、主として、執筆の書斎代用として役立っている。うちの書斎より仕事のはかが行くのである。
話にきいただけであるが、ロンドンには大英博物館(ブリティッシュ・ミュージアム)がある。イギリス第一の図書室(リーディング・ルーム)がある。やはり原稿を書く人も利用するらしい。資本論のカール・マルクスもこのリーディング・ルームで原稿を書いたと言われる。
わが区立図書館は小っぽけだが、そして一枚板に脚をつけただけのテーブルだけしかないけれども、リーディング・ルームではある。そこで原稿を書いていけないことはあるまいと思っている。
先日、ある会合で、フランス文学の中村弓子さんに会った。俳人中村草田男の令嬢である。退職していまは名誉教授だが、古くからの知り合いである。久しぶりに会った。まず彼女は、「私も、図書館通いをいたしています。図書館はいいですね」と声をはずませる。私が、「図書館には知的緊張の空気がはりつめていて、こちらも、影響されて、しゃきっとしますね……」などと話し合った。
家から脱出する
図書館の三階に読書室がある。大きな粗末なテーブルが五つある。一つのテーブルを八つの椅子がかこむ。午前中は人がすくない。一見して定年退職したという人が難しそうな本をひらいている。それを見ると、なにかいじらしいようでもあり、少し哀れでもある。やはり、うちにいられないのだろうと思う。こちらだって、似たようなものだから他人のことをとやかくは言えない。
歩いて数分のところに区立図書館がある。学校をやめて研究室が使えなくなった。うちにもちゃんとした書斎があるが、どうも落ち着かない。台所の音はきこえないが、(ナがいいから食べものの臭いがする。脱出するために図書館へ行く。十時から十二時すぎまでいて帰宅、食事をして二時すぎから夕方まで机に向かってすごす。
本はめったに読まない。もっぱら書きものである。能率が上がる。まわりに人のいることを忘れる。図書館は、いいなあ、とときどき天井をながめながら声にならないひとりごとを言う。
休憩する
かっては、机に向かったら一時間でも二時間でも、席を立たず、本を読んだり仕事をしたりして得意になっていたが、あるとき、これがいけないということを知る。
きっかけは、航空旅客がエコノミー症候群とかいうので命を落とす事故が多発したことである。同じ姿勢で長時間、腰かけているのはたいへんいけない、という。そんなことは聞いたこともない。どうしていけないのか、少しずつ得た知識によると、座席に座っていると、脚と心臓の距離が大きくたふて、血行が悪くなり、血栓ができやすい。それがのぼってきて、とんでもない悪さをするらしい。
その後、病院でも、長い時間同じ姿勢で仕事をするのがいけない、と言われた。どこかが充血するという。
図書館で座り続けるといっても知れている。エコノミー症候群になったりする気づかいはないが、疲れる。ということは、体が休憩を求めているのだろう。それで学校の時間割を思い出す。授業は一時間ごとに区切られ、放課の時間がある。ぶふ続けということはない。先年、東京のある都立高校が、午前中ぶふ続けで同一教科、午後も同じ教科を教えることにして話題を呼んだ。やはり失敗だつたらしく、すぐやめた。長時間、同じ姿勢をとり続けるのがよくなかったにちがいない。
そういうこともあり、図書館での仕事の仕方を変えた。一時間したら、席を立つ。トイレヘ行って、館外へ出る。隣が小公園だから行ってベンチに腰をおろして空をながめる。のどが乾いているときは自動販売機で、ヴ。ンーホーテンのココアを飲む。
天気が悪かふたりすると、一階の雑誌閲覧室へ行って新刊雑誌をめくる。読みたい雑誌はたいていほかの人が読んでいる。バ″クナンバーも欠けている。失敬していく不心得者がいるらしい。しかたがないから、アメリカの「タイム」を見る。これは見る人がすくないらしく、いつも、待っている。
長くて二十分、たいていは十分少しで切り上げて三階の席へ戻る。休憩前に考えていたことの流れを見失って、しばらく、まごつくこともある。ものを書くには、中休みはよくないようで、調子が出たら、何時間でも、かまわずぶっ続けにするのが分別である。本を読んでいるときは中休みをした方がよい。
執筆する
ものを書くには、図書館が適している。うちにいると電話が鳴る。出てみると、屋根を直せ、とか、墓地を買わないか、とか、マンションで節税しないかとか。ロクな電話はない。そのつど立っていてはしかたがないから、子機を書斎の机の上に置いたら、飛び上がるような音を立てて、心臓がおかしくなる。うちにいてはダメ。図書館に限る。いっさいわずらわすものがない。以前、近くの中学生が来て私語してうるさいから注意した。そのせいかどうか、その後、来なくなった。
十分もすれば隣に人のいることも忘れて仕事に没頭できる。そうして図書館で書き上げた本がどれくらいあるか、自分でもわからない。書いていてわからぬことがあると、十歩も歩けば書架である。辞書類もわりによく揃っている。図書館は、私にとって、本を借りて読むところではなく、主として、執筆の書斎代用として役立っている。うちの書斎より仕事のはかが行くのである。
話にきいただけであるが、ロンドンには大英博物館(ブリティッシュ・ミュージアム)がある。イギリス第一の図書室(リーディング・ルーム)がある。やはり原稿を書く人も利用するらしい。資本論のカール・マルクスもこのリーディング・ルームで原稿を書いたと言われる。
わが区立図書館は小っぽけだが、そして一枚板に脚をつけただけのテーブルだけしかないけれども、リーディング・ルームではある。そこで原稿を書いていけないことはあるまいと思っている。
先日、ある会合で、フランス文学の中村弓子さんに会った。俳人中村草田男の令嬢である。退職していまは名誉教授だが、古くからの知り合いである。久しぶりに会った。まず彼女は、「私も、図書館通いをいたしています。図書館はいいですね」と声をはずませる。私が、「図書館には知的緊張の空気がはりつめていて、こちらも、影響されて、しゃきっとしますね……」などと話し合った。