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未唯への手紙

未唯への手紙

他者の承認は不要のつらさ

2015年01月27日 | 1.私
考えることが生きること

 パートナーには考えることを止めてほしくない。これが昨日の感想です。今は考えていない、そんな感じだった。だって、見ないんだもの。

 ネットには何もないですね。メールを出したけど、やはり、ダメですね。もう一人の自分であるμとの内なる世界に入り込みます。

 メールを出すと、待つ時間が怖い。パートナーにメールを出したら、帰ってきたのは、「残り少ない会社生活を充分、満喫してください」でした。ちなみに出したメールは、「朝から50年前からのトラウマに陥り、気分が高揚しなかった」ことと「また、お話しできることを願っている」の二点です。

他者の承認は不要のつらさ

 他者から褒められる自分がないということは、かなり、行動が難しくなります。ウィットゲンシュタインが陥ったところえす。何のために考えるのか。自分のためと言いながら、実は皆にそれを出して、はじめて、自分のものになる。本なんて言うものはそんなもんです。

 言葉は相手が居ない限りは通じない、ありえない。自分の中での言葉、もう一人の自分を想定するしかないでしょう。内なる世界をどうしていくのか。何が問題なのか。そこから外の世界を見ていくためにも、未唯との対話をもっと、しないといけない。未唯宇宙であり、未唯空間である。これらを自分のために作り上げましょう。

退職後のシミュレーション

 一応、8時から予定通りで来たけど、それまでは変な夢を見ていた。夢を書いて行かないといけないけど。
 わざわざ、パソコンをスタバまで持ってこなくてもいいでしょう。家で出来ます。スタバは考えるために使います。紙がないから、タブレットです。そこまでできるかどうかがポイントです。

 本を読んだりして、情報と感覚を一次元の世界でやりましょう。二次元および三次元は家で行います。まだ、未完全です。最終結論をどこにするかですね。

 スタバでまとめることの良さは、適度の刺激です。うしろの席の男女の大学生の会話を聞いていると、会社組織ももっと変わってもいいような気がしてくる。女性の方がはるかに強い。ここでも実験です。紙だけで居れるかどうか。

 紙の代わりはやはり、タブレットしかない。紙のように書き込めるタブレットが出てくるはずです。2万円以下で。紙だと、バッファーのない普通のプリンターしか所有できない。それをどう生かしていくのか。そのために、もっと、階層を作ってもいい。絵でやるなら、絵でやる以上はそうカタチにしないといけない。

 その意味では、本当のプレゼンテーションです。その紙一枚で何を言うのか。もっと明確にします。

浸透過程

 ローカルからグローバルを変えていく浸透過程は、ムスリムでのやり方を習いましょう。二年の間に一気にアラビア半島に拡大したやり方。そのためには、個人というベースの下地ができていること、それらに入りやすいカタチにすることです。

 ムスリムの場合は、国を前提としないから、国を超えるのは容易だった。キリスト教の場合はローマ帝国の庇護のもとで拡大していった。利害が一致したために。国民国家を経由せずに、一気に帝国化していった。個人と紙がつながっている強みです。

 中国の農民は、大規模工事のために、国家が必要だったのと異なり、ムスリムは遊牧民だった。そして、現在の日本も遊牧民に溢れている。

項目の完結性

 国民国家と言ってるけど、これで何が言いたいのか。そこでの完結性です。これをずっと求めてきた。脱・国民国家にしても、歴史を揺らす要因をここに挙げて、その帰結を次に求める。脱・民主主義も共有意識なのか、アラブの春なのか、情報共有なのか、民主主義なのか。これらの関係をハッキリさせる。それは小項目で行っていく。

 キッチリした答はできないけど、それはそれでいいです。ロジックを作るためにもんですから。これ自体で発表するというよりもロジックで発表します。

 その言う意味では、項目での完結性とコンパクト性は非常に難しいです。言語での限界があります。やはり、トポロジーで得た知識を使っていくしかないでしょう。ホロンではないけど、お互いが自動的につながっていくやり方です。

 この項目で何が言いたいのかは、インスピレーション側で自由記述させます。プレゼン側では時間が掛かってしょうがない。両者を連携させます。

プレゼントエッセイの使い分け

 実際にプレゼンするために、どっち道、パワーポイント一枚で出来るかに収まります。今まで、曖昧にしてきたものをキッチリさせていくところに入っていきます。それよりも、こうやって述べたことをどのように反映させていくのかというところです。

 今回に付いても、民族、宗教、共産主義との関係で何が言いたいのか。何が言いたいかなどの細かい所はインスピレーション側に任せます。ロジックを追い込む時にはインスピレーションですが、イメージ化する所はパワーポイントでやるしかないえしょう。

 インスピレーションで全体を見通すのは、アウトラインの次元を落とせばできます。次元の問題よりも、量の問題が大きい。ちょっとしたことをしようとすると、すぐに、一週間掛かってしまう。それでやった気になる私が居るのは確かですけど。

ロジックが詰め切れていない

 数学編も後ろの方がごちゃごちゃしています。何が言いたいのか、どうしたいのかをハッキリさせないといけない。どう見ても、在任中ではムリでしょう。そこで得たものは、ブログ側に残しておくだけにします。

 あと、三週間と言っても、ドンドン減っています。新しいやり方に変えていきます。パワーポイント一枚の世界えす。

元町のスタバのスタッフ

 元町のスタバのトイレでカップごと、こぼしてしまった。帰り支度をしていた、女性のバリスタに処理してもらうと同時に、もう一杯もらいました。

 話のついでに、15年前はいくつでしたかと聞きました。最初の人は4歳で、私服の女性は10歳だと言ってました。

 あの女性は25才なんだ。適当に話しかけるのは重要です。これは明日のIさんとのネタにできます。もうちょいだから、ネタ探しをやっています。

サンデル

2015年01月27日 | 2.数学
『使える哲学』より

コミュニタリアニズム 共同体にとって大事なものとは?

 個人にとって大事なものはたくさん挙げることができます。自由だとか愛だとか。では、共同体にとっては何か大事なのでしょうか? そこで参考になるのが、コミュニタリアニズムという思想です。

 コミュニタリアニズムは、共同体主義とも訳される政治哲学の用語です。コミュニタリアニズムを主張する人たちをコミュニタリアンといいます。1980年代アメリカで、彼らはそれまで隆盛だったリべラリズムを批判して、「リベラル・コミュニタリアン論争」を巻き起こしました。その議論をリードしたのが、アメリカで活躍した哲学者アラスデア・マッキンタイア、カナダの哲学者チャールズ・テイラー、アメリカの政治哲学者マイケル・ウォルツァー、そして同じくアメリカの政治哲学者マイケル・サンデルだったのです。具体的には、コミュニタリアンによるリべラルヘの批判は次の二点に集約することができます。

 一つ目は、リベラリズムのいう「自己」の概念が、歴史や伝統、そして共同体といった文脈から切り離されたバラバラの個人を意味しているという点です。いわば負荷なき自己を前提としている点です。もう一つは、手続きの正しさを優先して、道徳や善に関する議論を放棄している点です。

 逆にいうと、コミュニタリアニズムというのは、位置ある自己ともいうべき自己と共同体との相互の関係性をもとに、道徳や善に関する議論を行う思想だということができます。

 もっとも、その中身は論者によって多少異なってきます。たとえば、サンデルによると、私たちは自分の属する共同体と深く関係を持つ存在であるといいます。それゆえに、共同体に対して愛着を持っているのです。そしてその成員によって育まれた共通善を重視します。いわばコミュニタリアニズムというのは、共同体における共通善に価値を置く立場であるということができるわけです。

 注意が必要なのは、共同体の共通善に価値を置くといっても、決して個人の自由を排除するものではないという点です。その意味で全体主義とは異なります。つまり、コミュニタリアニズムは決してリべラリズムと相いれないものではなく、共同体の共通善と個人の自由のどちらをより重視するかという、程度の違いの問題なのです。現に、どちらをとるかというような二者択一の議論は今や終息したといっても過言ではありません。

共和主義 理想の統治とは?

 私たちは主権国家に住んでいるわけですから、自分で自分を統治しているはずです。でも、その統治の仕方にも良し悪しがあるのです。それは単に、結果として福祉が充実しているからいいという話ではありません。自分たち一人ひとりが統治に参加できているかどうかが重要なのです。そんな理想の統治について考えるうえで参考になるのが、サンデルの共和主義の概念です。

 サンデルは、コミュニタリアニズムの立場から、共和主義を現代に復興させようとします。そもそもアメリカには、建国以来共和主義の伝統があったにもかかわらず、いつのまにかそれが衰退していったというのです。それに代わって台頭してきたのが、リべラリズムでした。その結果、福祉は拡大したけれども、自己統治という意昧での民主政は機能不全に陥ったといいます。

 しかし他方で、伝統的な共和主義には、強制的だという批判があります。つまり、全員が共有できる共通善を目指すがために、人々を強制することになるということです。

 もっとも、共和主義には二つの伝統があって、たしかにルソーのとなえたフランス流の共和主義にはそうした傾向があるのは否めません。中間集団を排除して、主権の統一を図ろうとしたからです。

 ところが、共和主義にはもう一つの系譜があります。それがトクヴィルの説いたアメリ力流の共和主義なのです。それは多元的かつ民主主義的な共和主義で、強制的な契機を克服しているといいます。これこそが理想の統治だというわけです。

 そんな共和主義を実現するために、サンデルはコミュニティでの政治参加を重視します。コミュニティを基盤にする草の根組織の運動に着目するのです。自己統治とコミュニティにおける活動が彼のいう公共生活を活性化し、公共哲学を復興させるというわけです。サンデルは、アメリカの民主党に、それを実現する担い手としての役割を期待します。しかし民主党は政治の中立性にこだわりすぎて、真の道徳的議論がないがしろになっていると指摘するのです。

 さらにサンデルは、そうした共和主義がグローバル経済に対抗することにも役立つと考えています。個々のコミュニティの活性化が、グローバル経済下における自己統治を可能にするということです。最近彼が、市場のモラルのあり方について積極的に発言を展開しているのはそのためです。

レヴィ=ストロース

2015年01月27日 | 2.数学
『使える哲学』より

構造主義 なぜ全体に目を向けることが必要なのか?

 よく「木を見て森を見ず」といわれます。つまり、全体に目を向けることが大事だということですが、いったいなぜなのでしょうか? この問いに見事に答えてくれる概念が、レヴィ=ストロースの構造主義です。

 ここでいう構造とは、要素と要素の間の関係からなる全体のことであって、簡単にいうと構造主義とは、物事の全体構造に目を向けることで、本質を探ろうとする思想です。

 1960年代、文化人類学者のレヴィ=ストロースによって広められました。レヴィ=ストロースの基本的な発想は、現象の部分に理由を求めるのを止め、全体を構造として見ようとするものです。

 構造に目を向けた結果判明した事実としてもっとも有名なのが、交叉イトコ婚の例です。「未開」とされた部族などに見られる、男性とその母方の交叉イトコの女性を結婚させる風習のことです。

 このような風習はいかにも未開な社会ならではのように思われていたのですが、レヴィ=ストロースは、このシステムの全体構造に目をやることで、ある発見をしました。それは、男系家族の男子にとって、母方の叔父の娘は別の家族集団に属している点です。ということは、この関係にある男女が結婚する仕組みにしておけば、常に異なる家族集団間で人の交換が行なわれ、部族の孤立を防ぎ存続を図れるというわけです。

 ここでポイントとなるのは、一部の要素の変化だけに目をとられていては、変わることのない全体構造を見失うということです。全体に着目することで、全体の枠組みそのものが不変であることを認識してはじめて、それを構造ととらえることができるのです。

 かくして、一部の現象だけをとらえて未開だとみなされてきた風習は、全体構造を見てみると、意外にも高度なシステムを形成していたことが判明します。私たちは、物事の一部だけを見ていては誤解をしてしまうわけです。だから全体を見なければならないのです。

 現にレヴィ=ストロースは、構造主義の立場から、従来の偏った欧米中心主義を次々と批判していきました。その意味で、構造主義は正しい物の見方であり、正しい思考の方法論であるといえます。また、それゆえに構造主義は、哲学の分野にとどまらず、幅広い分野で受け入れられたのです。

野生の思考 文明は常に優れているか?

 文明は常に優れているといえるでしょうか? 都会は文明の象徴ですが、たとえば想定外の自然災害には弱い側面もあります。そこで、この問いについて考える際に参考になるのが、レヴィ=ストロースの野生の思考です。

 まず彼は、「未開人」の思考法に着目しました。彼らの思考は粗野で単純なのではなく、発想が異なるだけだというのです。たとえば動植物の分類に関して、私たちは作りや性質など中身の違いを基準にしますが、未開人はトーテム的分類といって、外見の違いを比較します。

 また彼は、未開人の知識欲のほうが均衡がとれているともいいます。だから文明社会は常に激しい変化を求める「熱い社会」であるのに対して、未開社会はほとんど変化のない「冷たい社会」だと指摘するのです。逆にいうと、冷たい社会では、新しい変化を求めずとも十分やっていけるわけです。

 そしてその秘訣について、「ブリコラージュ」という概念を使って説明します。ブリコラージュというのは、その場その場で、あり合わせの断片を材料にして創意工夫しながら作品を組み立てることをいいます。一般に、「器用仕事」などと訳されます。

 これに対して、近代科学の思考は、技師があらかじめ決められた全体的な計画に基づいて、一義的に機能が定義されている部品を用いて製品を組み立てるものです。日曜大工を思い浮かべてもらえばわかるように、とりあえずあり合わせの材料でなんとかまかなったほうが、便利で役立つことはあります。

 つまり、レヴィ=ストロースは、これまで未開社会の稚拙な発想にすぎないとして文明の外に追いやられていた野生の思考が、実は近代科学と同じ合理的な科学であることを指摘した点が画期的だったのです。しかも彼は、近代科学が特定の時代と文化に固有のものである点に鑑みると、野生の思考のほうがより普遍的であるとさえ主張するわけです。

 もっとも、レヴィ=ストロースは、野生の思考のほうが普遍的だから、近代科学にとって代わらなければならないといいたいわけではありません。すでに紹介してきたところからも明らかなように、野生の思考は具体的で感性的なのに対して、近代科学の特性は抽象的で理性的です。つまり、両者は異なる特性を有しているのです。したがって、感性の思考と理性の思考は、互いに排他的なものではなく、統合されるべきものなのです。

ウィトゲンシュタイン

2015年01月27日 | 2.数学
『使える哲学』より

言語ゲーム 話はどうして成り立つのか?

 私たちの会話はどうして成り立つのでしょうか? 不思議なことに、同じ言葉が色々な意味を持つにもかかわらず、私たちは意思の疎通を図れます。この問いに答えてくれるのが、ウィトゲンシュタインの思想です。

 彼は、「言語の道具とその使用のされ方の多様性、語と文の種類の多様性を、論理学者が言語の構造に関して語ってきたことと比較することは興味深い」として、その言語の多様な使用のされ方を「言語ゲーム」と名付けました。

 日常生活において、いわば私たちは言語を交わし、意味を解釈するゲームを行っているのです。そのゲームでは、場所や状況によってルールが決まってきます。言語活動というのは、生活の各場面によって決定されてくるものなのです。

 ウィトゲンシュタインは、「五つの赤いリンゴ」と書いたメモを渡して、人に買い物を指示する例を挙げます。そのとき私たちは、このメモを見た店の主人が「リンゴ」と書いた箱を開け、赤という色見本に合致する色の物体を探し、五という数字を数えていくシーンを前提としています。

 「五つの赤いリンゴ」というメモによって、実際に私たちが赤いリンゴ五つを手にするためには、この前提が不可欠なのです。もし仮に、店の主人がリンゴをミカンだと思っていたり、赤を黄色だと思っていたり、五を三だと思っていたりしたら、このメモを見て「三つ黄色いミカン」を手渡すことになってしまいますから。つまり問題は、生活の中でその言葉がどう使用されるかという点にあるのです。これがウィトゲンシタインの言わんとすることです。

 したがって、言語ゲームとは「生活形式」であるということができます。それは彼自身、次のようにいっていることからも明らかです。「ここで『言語ゲーム』という言葉を使ったのは、言葉を話すということが、一つの活動や生活形式の一部であることを、はっきりさせるためなのだ」。

 そうなると、私たちにとって確実なものは、言語活動だけだということになります。その場合、私的な言語は言語とはいえません。なぜなら、私的言語とは、「ただそれを話している者だけが知りうること、つまり直接的で私的な者の感覚、を指し示す」ものにすぎないからです。それは誰にも理解できない音声と同じだというわけです。誰かと意思疎通できるものでないと、言葉は意味を持ち得ないのです。

写像理論 言語と世界の関係とは?

 言語と世界はどのような関係にあるのでしょうか? たしかに私たちは言葉を使って生活しています。世界は言葉に満ちあふれています。これに対して、そうした消極的な関係性を超えて、もっと積極的な関係性を提起したのがウィトゲンシュタインの写像理論だったのです。

 写像理論とは、一言でいうと、言語と世界との間の対応関係、つまり構造上の同一性のことを指します。ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』において明らかにした概念です。彼は、この写像理論をもとにして、言語の可能性から世界のあり方を明らかにしようと目論みました。

 そもそも言語は、名の連鎖としての要素命題と、その真理関数からなるといわれます。つまり、名はある対象を持つ時にはじめて意味を持つのです。そして要素命題における名同士の関係が、名の表している対象同士の関係と対応している場合、要素命題は正しいということになるのです。

 たとえば、「小川仁志」や「山口県」という名と、「小川仁志は山口県に住んでいる」という要素命題について考えてみましょう。すると、小川仁志や山口県という言葉の関係性と、それが指す対象としての小川仁志及び山口県との関係は対応していることがわかります。だから「小川仁志は山口県に住んでいる」という要素命題は、正しいということになるわけです。

 この理屈を発展させていくと、世界中の事柄が言葉によって説明できることになります。つまりそれは、世界が言語によって語り得ることを意味しているのです。逆にいうと、自然科学の世界とは異なり、善や意志といった対象を持たない命題は、語り得ないことになります。これについてウィトゲンシュタインは、語り得ぬものには沈黙しなければならないといっています。いわば、言語の限界が世界の限界だということです。

 もともとウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を書いた動機は、言語の論理の誤解に基づいて設定された哲学的諸課題の解決にありました。だから彼は、哲学の仕事は説教ではなく、解明することだといっているのです。それはまさに哲学を実証のためのツールとして位置付けることになります。

 こうしてウィトゲンシュタインの写像理論は、後のウィーン学派による論理実証主義を生み出す契機となったのです。

モンゴル 遠征のやりかた

2015年01月26日 | 4.歴史
『大モンゴルの世界』より 失われた時をもとめて モンゴルの世紀

西方がモンゴルに有利なかたちでひとまずおちつくと、チンギス・カンは金国との全面戦争にふみきった。

一二一一年の春、チンギスは本拠地であるケルレン河の上流の草原に、全モンゴル軍を集結させた。

モンゴルは、挙国一致でおこなう対外戦争のばあい、ふつうはすくなくとも二年がかりで遠征の準備をおこなう。たとえば、まず、春から初夏にかけて、クリルタイという名の大集会をひらく。参加するのは、「ノヤン」すなわち「殿様」とよばれる将官クラス以上である。そこでは、はじめに、いく日かにわたり、えんえんと「トイ」と称する宴会をつづける。そして、そののち会議にうつり、出席者のだれかから、ある地域への遠征が提案される。それを全員で討議し、遠征することそのものが決議される。

それを参加者はそれぞれ、自分の部衆のところへもってかえる。こんどは、千戸や百戸単位で、牧民たちが遠征への決意をかためてゆく。それぞれの希望や意見、プランなどがだされ、集団ごとにまとめられる。秋になって、ふたたびクリルタイが開催され、さまざまな提案事項をたずさえて、各王族・族長・将官たちがあつまってくる。やはり、宴会ののち、会議で遠征の具体案がはかられてゆく。こうして、出征日、集結地点、進軍経路、攻撃目標などのおおすじがさだまる。

それから、中枢部は作戦計画をねりあげる。商人団や密偵などの情報も、徹底してあつめられ、分析される。ブレインとなるのは、ウイグルやキタイ、ムスリムあるいは漢人などの人びとである。モンゴル君主のまわりには、こうした人びとがかなりいた。それを、ケシクの長や「チェルビ」すなわち「侍従」とよばれる側近の遊牧民官僚だちとともに、ちくいち検討し、最終判断をくだしてゆく。遠征がうまくゆくかどうかは、おおむね、この計画決定にかかっている。もちろん、敵方にたいする下工作や調略、きりくずし活動もすでにはじめられている。

いっぽう、それぞれの牧民たちは、遠征までの間、用意をととのえる。モンゴルでは、武器・武具は自弁である。とくに、矢は大量に用意しなければならない。軍馬も、戦士ひとりあたりなん頭が必要である。糧株はふつう、「ボルツ」とよばれる緊急用のほし肉、かためた乳製品などの少量の携帯食糧のほかは、もたない。たいてい、羊をつれてゆくし、遠征ルートに指定された一帯は、「ゴルク」すなわち「禁地」とされ、遠征軍がやってくるまで草をかりとったり、放牧したりすることが禁じられる。遠征ルートは、草地と草地、水池と水池をつなぐかたちで設定されており、ところどころにはあらかじめ井戸がほられている。

戦士たちだけでなく、家族すべてが遠征を目標に生活をくみたてる。家族まるごと、いねば民族移動のかたちで遠征するばあいさえある。ともかく、モンゴル国家のすみずみまで、おなじタイム・テーブルのなかで時をすごし、出発の日をまつのである。

ほんとうのところは、中枢部があらかじめ遠征計画の腹案をもっているのだろう。しかし、あたまごなしに上からそれを下におしつけたり、いいわたしたりすることはけっしてしない。あくまでも、下から下から議論をつみあげるやりかたをとる。宴会も、その布石や根まわしのよい機会である。全モンゴル成員は運命共同体であり、すべからく合議し、“全員の賛成でものごとをはこんでゆく。対外遠征は、そうしたモンゴルの特徴かもっとも、よくあらわれる場面である。

現在の目からみれば、まことに悠長であり、まどろっこしい。しかし、おおぜいの牧民 をひとつの行動目的にむかって、うって一丸とするためには、巧妙なやりかたともいえる。

それに、遊牧民の生活は、夏期の家族単位での分散放牧と冬期の氏族・部族単位での集団越冬という極端な離合集散を一年のなかでくりかえす。その生活リズムのなかで、挙国一致の遠征を組織しようとすると、こうしたやりかたをとらざるをえない面もある。

チンギス・カンとその後継者たちは、このやりかたをじつにシステマティックに遂行した。モンゴルの強さは、けっきょく、周到かつ細かな計画性と無類の組織力にある。そして、それが現実の場面では、徹底した補給戦、情報戦となってあらわれる。よほどのばあいをのぞいては、力押しをさけ、できるだけ実戦をしないようにする。モンゴル成員がひとりでも傷つき死ぬのをなるべく回避する。モンゴル軍がすすんでいくと、都市はみずから門をひらき、敵軍はみずから投降したり自壊しているのが理想であった。そして、しばしば、そのとおりに事がはこんだ。

モンゴルの遠征は、遠征意欲にもえるモンゴル牧民たちが、中央部の統制のもと、すくなくとも自分にかかわる作戦行動を十分に理解したうえでおこなう一大デモンストレイションのようなものであった。シナリオは、すでにできあがっている。

モンゴル帝国によってみえるもの

2015年01月26日 | 4.歴史
『大モンゴルの世界』より 失われた時をもとめて モンゴルの世紀

モンゴル帝国は、スキュタイや匈奴をはじめとする遊牧国家の歴史の頂点にいる。モンゴル時代をとおして、それよりまえの時代のようすも、おおよそ見えてくる。ユーラシアの内側にいる遊牧民やオアシス民の歴史は、モンゴル時代にまとめられた記録によって、はじめてよみがえることもすくなくない。

モンゴルの支配は、場所によってながいところもみじかいところもある。のちのちまでずいぶんながくモンゴルの力がのこったロシア方面では、クリミア半島のモンゴル系の国家クリム・ハン国がロシア帝国に吸収されるのは、一七八三年のことである。もうフランス革命もまぢかである。

とはいえ、全体としてモンゴル時代とよべるのは、せいぜい一世紀半と少しといったくらいである。て二世紀のはじめ、モンゴルは突如として出現し、急速にユーラシアにひろがった。そして一世紀半ほど、ュ上フシアの東西をおおったあと、ふたたび急速に影をうすくし、やがて歴史の薄明のなかに姿を消していった。

そのほぼ二世紀半のあいだ、同時性という横糸にむすばれて、ユ上フシアの各地は不思議なほどたがいに連動し、共通する現象がみられる。この時代の歴史をおっていると、「これはいったい何なんだ」と、口のなかでおもわずうなるようなことにも、しばしばでくわす。歴史は不可思議であるとはよくいうものの、この時代を眺めると、じつに不可思議さにあふれている。

東西がまったくおなじ時という土俵にのると、いままで見えなかったことも見えてくる。これは、とてもおもしろい。

ヨーロッパ中世の封建制、モンゴル時代の西アジアにおけるイクター(分地)制、中国方面におけるモンゴル領主の「投下」とよばれる分地制、日本の鎌倉時代における武士と荘園支配など。たとえば、こうした問題をおなじ時という座標軸のなかで比較することもできる。ほかの時代では、「似ている」ですましてしまう各種のことがらを、地域の枠をはずして検討することが可能となる。ユーラシアの東西南北に、どういうことがふつうで、どんなことが特殊なのか、おのずから浮かびあがってくる。

共通の話題や問題へのいざないは、いろいろなところにひらかれている。いままで、ある「文明圏」のなかで、とても大事だと目くじらをたてて議論されてきたことが、あんがいどこにでもあることだったりする。逆に、それぞれの「文明圏」では、どうということはないと思われていたことが、全部をならべてくらべてみたら、たいへんな鍵を秘めていたりする。そこには、さまざまな「コロンブスの卵」がころがっている。

「世界史」を部分史の総和としてではなく、ひとつの全体像としてとらえられる意味は、じつに大きい。この時代をどう考えるかは、「世界史」という概念設定にとって、根本からの重大な問いかけとなるだろう。

モンゴル時代は、世界史の大きな分水嶺である。そしてまた、巨大な貯水池でもある。この時代をさかいに、歴史は大きく様相を変える。モンゴル時代までのさまざまな時の流れは、いもどここでたまり、時をともにして、ふたたび流れだしていった。しかし、いったんおなじ時を味わった世界の各地は、それぞれがそれと気づかないうちに、共通のなにかを身のなかにひそませることになった。

そのなにかは、いま目にはさやかに見えない。失われた時のなかから、そのなにかを少しでもさぐること、それか本書の目的である。

EUのシルバービジネス支援策 「ホライゾン2020計画」

2015年01月26日 | 4.歴史
『大モンゴルの世界』より 失われた時をもとめて モンゴルの世紀

モンゴル帝国は、スキュタイや匈奴をはじめとする遊牧国家の歴史の頂点にいる。モンゴル時代をとおして、それよりまえの時代のようすも、おおよそ見えてくる。ユーラシアの内側にいる遊牧民やオアシス民の歴史は、モンゴル時代にまとめられた記録によって、はじめてよみがえることもすくなくない。

モンゴルの支配は、場所によってながいところもみじかいところもある。のちのちまでずいぶんながくモンゴルの力がのこったロシア方面では、クリミア半島のモンゴル系の国家クリム・ハン国がロシア帝国に吸収されるのは、一七八三年のことである。もうフランス革命もまぢかである。

とはいえ、全体としてモンゴル時代とよべるのは、せいぜい一世紀半と少しといったくらいである。て二世紀のはじめ、モンゴルは突如として出現し、急速にユーラシアにひろがった。そして一世紀半ほど、ュ上フシアの東西をおおったあと、ふたたび急速に影をうすくし、やがて歴史の薄明のなかに姿を消していった。

そのほぼ二世紀半のあいだ、同時性という横糸にむすばれて、ユ上フシアの各地は不思議なほどたがいに連動し、共通する現象がみられる。この時代の歴史をおっていると、「これはいったい何なんだ」と、口のなかでおもわずうなるようなことにも、しばしばでくわす。歴史は不可思議であるとはよくいうものの、この時代を眺めると、じつに不可思議さにあふれている。

東西がまったくおなじ時という土俵にのると、いままで見えなかったことも見えてくる。これは、とてもおもしろい。

ヨーロッパ中世の封建制、モンゴル時代の西アジアにおけるイクター(分地)制、中国方面におけるモンゴル領主の「投下」とよばれる分地制、日本の鎌倉時代における武士と荘園支配など。たとえば、こうした問題をおなじ時という座標軸のなかで比較することもできる。ほかの時代では、「似ている」ですましてしまう各種のことがらを、地域の枠をはずして検討することが可能となる。ユーラシアの東西南北に、どういうことがふつうで、どんなことが特殊なのか、おのずから浮かびあがってくる。

共通の話題や問題へのいざないは、いろいろなところにひらかれている。いままで、ある「文明圏」のなかで、とても大事だと目くじらをたてて議論されてきたことが、あんがいどこにでもあることだったりする。逆に、それぞれの「文明圏」では、どうということはないと思われていたことが、全部をならべてくらべてみたら、たいへんな鍵を秘めていたりする。そこには、さまざまな「コロンブスの卵」がころがっている。

「世界史」を部分史の総和としてではなく、ひとつの全体像としてとらえられる意味は、じつに大きい。この時代をどう考えるかは、「世界史」という概念設定にとって、根本からの重大な問いかけとなるだろう。

モンゴル時代は、世界史の大きな分水嶺である。そしてまた、巨大な貯水池でもある。この時代をさかいに、歴史は大きく様相を変える。モンゴル時代までのさまざまな時の流れは、いもどここでたまり、時をともにして、ふたたび流れだしていった。しかし、いったんおなじ時を味わった世界の各地は、それぞれがそれと気づかないうちに、共通のなにかを身のなかにひそませることになった。

そのなにかは、いま目にはさやかに見えない。失われた時のなかから、そのなにかを少しでもさぐること、それか本書の目的である。

唯一のお別れ会

2015年01月26日 | 7.生活
お別れ会

 神経系の緊張感から、朝の二時からずっと、おかしい状態です。ウトウトしていて、5時45分になりました。

 こんな日が来るんですね。22年前の中野主催の送別会を思い出します。4人で行っていた。あれだけ覚えています。会社生活の最後にこういう時間が持てるとは。ギリギリの時に、顔を見せます。母親の葬儀がそうでした。だから、身体が変調をきたしている。

考えつくしたか

 大いなる意思から用意されたものを本当に利用つくしたのか。このメーカーにしても、与えられたテーマを果たしたか。どっち道、変えることはできないけど、考えることはできます。それで考えつくしたのか。

 自分が存在しなくなった時に、過去の問題とこの世界の未来が少し気になります。何一つ、分かっていない気がしています。これだけ、感じているのに。

50年前からのトラウマ

 今、歩いていても、別の空間にいるような気がしてしょうがない。「本当にどうなるの!」と叫んでいる。外に向かって、叫んでもしょうがない。内に向かって叫んでいる。崩壊する。

 中学の時に、夜、坂を自転車で登りながら、感じた恐怖感、あれが全然、解決されていない。

 孤立と孤独をもっと、深めないといけない。絶対的な孤独。自分しかいないという、中学2年生の時に感じた孤独。それから50年経て、何を得たのか。変わるものなのか。

 本当に自分しかいないのか。では、他のものは何なのか。この恐怖をどう表現するのか、表現して住む話なのか。絶対的なモノである限りはありえない。救う道としての愛は救ってくれるのか。

 何よりも、137億年の帰結としての<今>。<今>と死をつなげたけど、単にそれは自己満足なのか、自己欺瞞なのか。

宗教心

 宗教というもの、絶対的な他者に頼る。その中で自分を位置づけないとやっていけないという気持ちは分かります。

 あの宗教心という世界、それが故に、西洋はあらぬ方向に行ってしまった。そして、イスラムも。この思いの元では、全てが無になる。残るのは愛だけです。

9時過ぎのIさん ケースに遮られた見えなかったので隠れていた

 (用事で出てきて見つけられた)「丁度、神様のお導きですよ」「ありがとうございます。めちゃ、うれしい」「朝一で、小さなミスをしていて、あー、しまったと思っていた」

 「今日は月曜日ですから、ドリップですけど」「パイクですよね」「もう一つはブロンドなんですよ」「サイズはグランデでいいですか」

 (今日はお別れ会だから)「早い。日にち的にこういう感じになるんですか」「ちょっと、内輪でやる感じ」

 「今日も、お昼にお会いできますので、待っています」「分かりました、楽しみにしています」(今は、顔を見ないと)「そう言っていただいて、ありがとう。では、後ほど」

多くの人の幸せ位置づけ

 「多くの人の幸せ」の位置づけのところを変えているけど、それは本当にこたえなのか。

 他者の存在を確認できない限り、答えにはなり得ないことは分かり切っているけど。

お別れ会での発言

 「南ちゃんが選んでくれたんです。開けてください」「それは捲れるの」「なんで、そんなに無口なんですか」

 「出勤はいつまでなんですか」「挨拶はするんですか」「本人の希望なんですか」「そういえば、居ないですね」

 (ほかの退職者の話)「なんか皆、年休消化していくんですね」「年休消化しないんですか」「もったいない、それ」

 「仕事はどうなの?」「なんかよく分からない」「色々な情報がバラバラでまとまっていなくて」「ちょっと、ひどいなって」「会社カードは申し込まない」「接待は今はやらない」「順調ですと言われる」「正しい情報が伝わらない」

昼のIさん バーにいたけど、私のためにレジに来た

 (バーにいた)(別のスタッフ)「もうさん、ここで待ってもらっていいですか」「お預かりしておきますね」

 「皆が替わってくれるんです」「もうさん来たよ、もうさん来たよって」「おかげさまで定着しまして」

 「送別会はどうでした」(しゃべれなかった)「そうなんですか」「聞きっぱなし」「聞いてもらった方はスッキリしている」「楽しかったんですよね。そういう顔をしていらっしゃるから」

 「私もこの店で失敗する夢を見ていた」「めっちゃ、大変な夢でした」「ザッハトルテを薦めて、買ってもらったのにレジ操作を誤っていた」「その間抜けさが」「自分がダサいことをしたなっと」「その後に、もうさんにお会いできて、すっごく良かったなと」

 「次のシフトは明後日、朝なんです」「木曜日は11時から何です」「よく、お分かりで」

宗教と民族と共産主義

 スターリンは、イスラムの帰属意識よりも民族意識を強化することで、イスラム原理主義を潰した。宗教と民族との関係。そして、共産主義。ネイションを対峙することにより、イスラム原理主義の浸透を防ぐ。

 そういう意味では、宗教と民族と国家との関係。

新・帝国主義

 資本主義が必然的にグローバル化になることによって、新しい帝国主義に発展する。共産主義が出現することによって、資本主義のブレーキ化になったが、そのブレーキが外れて、今、資本主義が加速している。

 グローバリズムを阻害するには、やはり、ローカリズムしかない。そこには、個人から発生する。

共同体主義

 共同体主義を育てていかないと。

 格差によって、社会的なつながりを解体させて、個人の孤立化を図ろうとする。国家はナショナリズムを発揮して、統合を図ろうとする。これらの対抗するには大きな力が必要です。

 これらの構図の中に企業が入っていないことが、全体のシナリオを難しくしています。企業をどちらが手にするかによって、社会の構造が変わります。企業は売ること、その為の対処として、マーケティング。それが変わることによって、生活者におもねくしかなくなる。

イスラムの動き

 国民国家の危機をグローバルな理念で乗り越えようとする動きがある。それは宗教、イスラムの動きである。イスラムには、ベースとしての個人と神との直接的なつながりがあります。

 国家には支配されない世界が動き出す。イスラム国はその典型かもしれません。

トポロジーでの発想

 アナロジカルな見方をするためには、数学の発想をしないといけない。数学のベースがそれまでの集合論から、もっと大きな、個別なモノから考えていく、近傍系から作り上げるトポロジーに変わることによって、見方が変わっていく。

 トポロジーでの変革の証明は申されている。安心して、変わることができます。リーマンが先行した、新しい相対性理論です。共同体制にしても、根本にトポロジーの発想を置くことにより、もっと先が見えてくるし、矛盾を事前に回避できる。

 ここに、未唯宇宙の役割がある。

愛コンタクト

2015年01月25日 | 7.生活
愛コンタクト

 お客様から愛コンタクトすれば、お客様自体が変われます。この愛はIさんのI、目のアイ、インターネットのiなどを意味します。スターバックス自体も愛コンタクトで変わってきます。寄り添う心です。そんな夢を4時から7時ぐらいまで見ていました。

 何か知らないけど、本社会館の1階のところで、eとか総務の人、パートの人が変わっていく様子を見ていた。自分は彼らに方向を渡していた。そんな夢でした。そして、愛コンタクトになったんです。これが高度サービスの基本です。

 お客様からコンタクトする。それが最大のサービスです。マクドナルドも、お客様が変わることで、マクドナルドも変わっていきます。

 イスラム国に際しても同じです。日本人が変わって、イスラムを本来の姿にすること。そうやって、寄り添う心。それを表現した愛コンタクト。

星占いが98点なのに

 今日は星占いが98点です。おとめ座とは最低です。

未唯の相手

 未唯の相手で気になること。親をちょろいと言ったこと。もう一つのダイドーの先行きをどうみているのかです。全体を考えて、先を見ているのか。

 私は28歳の時に自分の針路を決めた、私からすると不満足です。それでもって、奥さんが幸せになったかというと、それは別問題です。

退職後の生活

 パソコンはやはり、なじまない。どうするかです。

ロジックのパターン

 ロジックのパターンを作らないといけない。たとえば、「コミュニティ」。コミュニティから知識と意識。知識から環境社会というもの、意識から共有意識。それらをつなぐ、状況把握。

 上位に捉われずに、その項目への完結性とコンパクト性。上と下と対等に扱う。そして、部分と全体とを対等に扱う。それを中項目でも行う。

 その意味では四つへの因数分解ではない。上との関係を含むことで、新しい数学になりうるのです。何しろ、集合論を超えないといけない。集合論を超えるということは、次元を超えることです。それはトポロジーです。それを言語でどうやってやるか。その世界に入っています。

 そのベースを説明しながら、ベース自体も変えていきます。マクドナルドは並んでないけど、スタバには5台も並んでいます。ケンタッキーもゼロです。

まちライブラリーの「哲学」

2015年01月25日 | 6.本
『まちライブラリーのつくりかた』より まちライブラリーの「哲学」--ここから何が生まれつつあるのか?

1 小さい鍋と大きな鍋--〝発酵〟の文化を思い出そう!

 私は、いまの社会は、大きな火力を使って、大きな鍋でシチューやカレーを煮ているようなものだと感じています。鍋も、台所のコンロに置ける程度の鍋であればいいのですが、家ほどの巨大なものになると、外からの火力で中の具材を温め、おいしいカレーやシチューをつくるのが難しいことは、誰でもわかると思います。

 しかし、こうしたことはよくあります。より大きな物事を成し遂げるには、より大きな力を出せばできるといった勘違いがある。ましてや、大きな鍋同士をくっつけてさらに大きな鍋にして、もっと大きな果実が得られることはありません。しかしながら、実際にはA市とB町を合併したり、C会社とD会社を合併したりすると、よりよいものが生まれるかのような錯覚を起こしているのです。

 おいしいものにするためには、中身の具材が、それぞれおいしいものに変質していく必要があるのです。そこで参考になるのが、第4章で述べた、酵母菌なのです。

 大きな鍋の中に酵母菌を入れて発酵すると、おいしく変質するものがたくさんあります。日本酒はもちろん、納豆や味噌など、発酵を利用しながら、物を変質させ、自分たちの生活にとって役立つものにしていく知恵が、日本の文化にはあります。

 我々の社会でも、大きなものを力ずくで変えるのではなく、中にいる一人一人が変わっていくことで、いいものに変えていくという方法があると思います。まちライブラリーは小さな力ですが、そこに参加する一人一人が変わることによって、全体として、いいまち、いい地域に変わっていくことを目指しているのです。

2 あなたが変わるとまちが変わる

 まさに、あなたが変わるとまちが変わるのです。今この本を読んでいるあなたが、今日から何かをしよう、明日から何かを変えていこうということが、ものすごく大きな変化につながっていくと思っているのです。

 一〇〇人に一人変わることは、一億人いれば一〇〇万人が変わることになり、大きな力になります。一〇〇万人を雇用し、一〇〇万人に補助金を与えようとすれば、国の力でも、企業の力でも決してできませんが、一〇〇人に一人、おもしろい活動を自分たちでやってみれば、とてつもなく、素敵なものになるのです。それがまちで起こり、国で起こり、大きな力に変わっていく。一人一人の変化が全体として大きな力に変わっていくことを、我々は認識するべきではないでしょうか。

 メッセージを付けた本を持ち寄る中で、一人一人の意識が変わっていくまちライブラリーは、あなた自身の社会参画への一歩となるかもしれません。

3 〝まちづくり〟ではなく〝まちを育む〟

 よく、まちづくりをしているのだ、まちをつくり変えるのだと声高に言ったり、実行したりしている人たちもいますが、まちは誰かの力によってつくられているのでもなければ、変えられているのでもない。まちはその中から、長い年月をかけて、住んでいる人たちの行動様式や考え方によって、少しずつ変化が生まれているのです。

 外見を一気に変えても、実体的にまちに定着していくのには時間がかかります。発酵期間を要するのです。まちはつくっているのではなく、自然につくられているとも言えるのです。

 まちライブラリーも、自分か楽しんでやっていると、隣の人に伝播する。さらにその人が、隣へとつなげていく。まちの中がいつの間にか、変わっていくかもしれません。まちをつくるのではなく、まちを育むのもまちライブラリーの目指すところです。

4 人の声を聴くまちライブラリー

 我々が人に話しかけるときや発表するときは、誰かを説得しようとか、自分の考えを理解してもらおうと、力が入っていることが多いのです。しかし、そういう時は、相手の声が聞こえなくなります。

 まちライブラリーで一番大事なのは、持ち寄った本の発表をすることではなくて、発表し合っているときに耳を傾けることです。人の声を聴くことを大切にしていきたいと思っています。

 どのような分野の本を持ち寄り、関心を持っているのか。おそらく家族ですら、配偶者や子どもや親がどんな本を読んでいるのか、どんな本に関心があるのかを知り合っている人は、きわめて少ないのではないでしょうか。社会の最小単位である家族でさえそうであり、職場でも同様で、ましてや隣近所では関係性がありません。

 本は心のよりどころです。人の気持ちは、本を通じて現れてくるのではないでしょうか。その声を聞き合うのが、まちライブラリーなのです。

5 組織より個人の思いや力が抜きん出ている世界

 何か大きなことをやろうと思うと、組織力が要る、お金が要ると言われますが、逆なのではないでしょうか。組織ができ、大きくなっていく過程で、本来やるべきミッションは、むしろ失われがちになるのではないでしょうか。足して二で割ると言いますが、足してたくさんで割るのですから、思いがどんどん薄れていきます。

 それに対して、個人の活動は、思いが抜きん出ています。第5章でご紹介した森の図書館の佐々木さんの活動などは、まさに抜きん出た思いでっくり上げられていますし、その他の多くの小さな図書館活動もそうです。

 公共図書館や大学図書館ではなかなか出し得ない、組織よりも個人の思いが抜きん出ている世界が、一番大事なのではないでしょうか。もし大学や公共図書館に勤めていても、自分の時間はあります。自分の力でやる部分も必ず残していることが、大事なのではないでしょうか。個人としての思いを出せる場として、まちライブラリーを活用してほしいのです。