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PtoPはグーグルを超える

未唯へ。あなたの名前の付いたPCが世界を救うかもしれません。

『人の上に立つ超脳力』335,13マエを先週借りました。副題が「新ビジネスリーダー10の条件」だったので、ノウハウものと見ていました。その一部に脳機能学者「苫米地(とまべち) 英人」の主張で、「PtoP(ピア・ツウ・ピア)が世界を救う」というものがありました。

グーグルはアメリカに50万台のサーバーを抱えている。同時アクセス40人に対して、1台のサーバーが必要であるという計算です。グーグルの集約的なビジネスを成り立たせるために、50万台のサーバーの電気量が必要で、それがアメリカのエネルギー消費量を拡大させている。

全世界のグーグルユーザーが使っているパソコンの能力をPtoPで連携して使えるようにすれば、その電気エネルギーは不用になります。苫米地のビジネスでは、10年後に「グーグルを超えるシステム」になり、グーグルを買収することになっています。

7年前に大量データの衛星配信を設計した時に、どうしたら、数が多ければ、多いほど、安定したシステムが出来上がるのかを考えました。その時点では、地上回線では能力不足なので、衛星配信にしました。その後に、地上回線のブロードバンド化に取り組みました。

2年前に衛星配信を地上配信に替える設計で答を見つけることができました。それがPtoPです。受信用のパソコンが発信を兼ねるようにすれば、全体を見守るサーバー以外はネットワーク上に特別なサーバもいらないし、お互いのパソコンが助け合う形で、柔軟性があり、持続可能なシステムが作れます。サファイア循環の新しい“型”を示すことができるものです。

だけど、「時代」が早かったみたいで、従来型の集中型のやり方しか理解できない電算部に案件が移った途端に、「余分な」心配事でつぶされました。サファイア循環の説明をしたし、カタチを示したが、「電算部保身のための」心配事で埋められました。今回は電算部のお手並み拝見することにします。早晩、限界を感じて撤退するでしょうから。

撤退に合わせて、PtoPを販売店システム全体の安定のために作り出していきます。「数」に押しつぶされるのではなく、「数」を活かすシステムでないと持続可能型社会は成り立ちません。ローカルを支援するグローバルというサファイア循環をカタチとして示します。
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めまいの原因は「良性発作性頭位めまい症」にしました

未唯へ。ビデオの「速読」でめまいの原因が分かりました。NHKテレビ番組を捨てたものではありませんね。政府の方向との関係で、NHKの環境問題への取り組みも危ないので、チェックしています。

NHKの番組を録画しておいて、チェックしたら、私のめまいの症状がピッタリなものがありました。その時に、脳に異常がある場合も説明していましたが、そちらの症状は出ていません。だから、「良性発作性頭位めまい症」です。

原因は「ごみが三半規管の一番低い位置に溜まっていますが、頭の位置を変えるとあたかも頭部を回転させたような情報が脳に伝わり、めまいが起こる」

そう言われれば、そんな気がします。めまいの前に頭の中で「スイッチ」が入ります。あれが「今から回りますよ」という合図なのでしょう。気分が悪くなるのは、歯磨きで下を向いている時と、起きて、トイレに行くために廊下を曲がった時です。

この症状名で、ネットを検索してみました。

「良性発作性頭位めまい症は、最近の「めまい専門外来」では最も多い疾患で、難聴を伴わない点がメニエール病との大きな違いです。特に、夜間の臥床時や早朝の起床時に多く出現し、しばしば「天井が回る」と訴えます。」ということなので、これさえ分かれば、私にとっては治ったも同然です。

未唯が生まれる前に、心臓がおかしくて、もうダメだと思っていた時期がありました。その時に、20歳になった未唯に伝える手段として、「未唯への手紙」が思いつきました。それも、心臓専門の病院で「問題ない」と言われた途端に直ってしまいました。

そうなると、別の病気が気になってきます。奥さんに言わせると、私は「8つぐらい、おかしい」そうです。一番おかしいのは「行動」だそうです。

この最近、目がよく見えません。パソコンの字がかすみます。10cmぐらいに近づけないと、見れない時があります。だから、「インスピレーション」ソフトで文字を拡大して、雰囲気で入力しています。そうすると、内容も雰囲気になります。論理自体も雰囲気になります。

近くにしないと見えないので、ワンセグ・ウォークマンでのビデオの「速読」とか「未唯への手紙」350項目のピクチャー表示にはまっています。どんどんミクロの世界に入り込んでいます。ミクロに入れば入るほど、思考は宇宙に広がります。病気も使い方次第です。
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この会社への提言としてまとめます

未唯へ。あなたの風呂は長すぎます。私が風呂に入れるのが、11時半では寝不足になります。

この会社でさまざまなシステムに関与してきました。だけど、私を理解できる人は少ないみたいです。こんなに自然に生きているのに、なぜなのでしょうか。聞いてくれるために、すり寄ることはしていないのは確かです。

思いをできるだけカタチにして示そうとはしますが、「これだけが正解」とは言えないのです。それぞれの人に正解があり、それは次の瞬間になると、変わってしまいます。人間に知恵がある限りは瞬間・瞬間で変わります。

基本は変わらないけど、「これしかない」は言えません。始めることで、色々な「偶然」が現れます。その「偶然」がいいものであれ、悪いものであれ、次への指針になります。その意味が分かっていれば、いい方向に進みます。

会社でとりあえず、聞いてくれる人が出てきたみたいなので、「サファイア循環」を単なるアイデアとしてではなく、実行力のあるものにしていくために、現時点での社会への提言をまとめます。その一部分として、この会社への提言とします。

今までは、パワーポイントに書けばよかったものをまとめることは、さまざまな可能性を奪うことであり、自分の中の「夢」を固定するものだけど、一度チャレンジしてみることにしました。

それにしても、なかなか時間がないですね。自分で自分の首を絞めています。今週末は、エドガール・モランの『方法5』の分析に時間がかかっているところに、池田晶子さんの10冊の本があり、『図書館革命』にはまってしまったので、読むための本が22冊も残っています。

それとビデオの「速読」が本格的になるにつれて、今まで見逃しいていたTV番組のクリップが増えています。これにも対応するために、字幕情報を遡る手法を実験しています。つまり、結論から読んでいくやり方です。環境ビデオはこれが有効です。

ブログを書くにしても、一番頭がさえるのは早朝なので、4時半起きにして、5時半までの1時間が当てます。そのためには、11時までに寝るようにしましょう。

問題は家の風呂の順番です。未唯が入るのが遅くて、私が最後なので、出てきた時は12時を超えています。だから、火・木曜日は名古屋発は6時15分にして、元町のサウナに入れば、家の風呂に入らなくてすみます。これでいきます。
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市民団体設立準備会議というデジャブ

昨日は「市民団体設立準備会議」でした。エコットの運営は現在、NPOが行っているが、それを市民団体に移していきましょうというものです。

3年前にも、同一のテーマで行いました。まだ、「環境学習設備」を市民団体で立ちあげようという段階でした。その時には我々T-GALsで仕切りました。KUSさんとJURさんが緊張して、司会していたのを思い出します。今思うと、あの若い女性二人がいたのは、奇跡です。その時は希望がありました。

その3年間に、エコットが立ち上がり、そこに参加した、平均年齢63歳のボランティアが検討の中心になっています。エコットのNPOは7名になっているが、代表のHAGさんとかSAKさんではなく、KOIさんが中心になっています。本当に大丈夫? 真の求心力が持てるのか?

私は、その3年間でかなり、市民参画の「理念」がまとまりました。一人だから、まとまった気がします。「市民団体に必要なもの」のお題が出たので、サファイア循環に従って、検討項目を考えました。

 ①コンテンツ:エコットの武器は展示物の表現力なのか、ボランティアの知恵なのか
 ②機能:環境拠点としてのエコットが市民からのポータルになりうるのか
 ③思い:何を守りたいのか、何にこだわりたいのか、どう拡大したいのか

 ④お客様:どのように関心を持ってもらうか、参画してもらうか

 ⑤市役所:いかに支援してもらい、知恵でそれを拡大させていけるか
 ⑥循環の配置:ボランティアのインタープリテーション機能、NPOのエンパワーメント機能、市民団体でのファシリテーション機能、市役所でのリアライゼーション機能を市民団体が循環させて、拡大させていくにはどうするか

要するに、市民のためのポータルを目指します、というものです。

会議自体は3年前の再現です。もしかすると、T-GALsがいないだけ、当事者意識がなく、市民団体に「企業論理」を入れようとする人もいます。要するに、「思い」よりも「食べていけるか」を先行する「大人」の論理です。これは存在理由をなくします。市民との間に格差を発生させます。

「思いが語れる」かと思い、懇親会に参画したが、酒が飲めず、女性がいなかったので、時間の無駄でした。女性がいないところでは、心はリリーズしません。今後は女性からのお誘いがなければ避けます。
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サファイア循環を説明するシナリオ

μへ。サファイア循環を聞いてくれる人がいた。聞いてくれる以上は熱意を持って話します。

部長面接で20分では何を話せないということを述べたら、別に時間を取るからということで、朝の2時間で考えを述べることにしました。この会社への「提言」のベースにしたいと思います。

今まで、サファイア循環そのものを聞いてくれる人がいなかったので、μ以外には話してこなかったので、どのようなシナリオにするか迷います。断片的で、対象によって、いくらでも変えてきたが、本質的なところは決まっています。とりあえずの話す順番を決めました。こういう時も、サファイア循環で考えてしまいます。

 ①Think Locally サファイア循環を考えた理由
  ・「持続可能性」は循環でなければならない。フィンランドで学んだ「Think Globally、Act Locally」を基本に作り上げました。

 ②Act Locally サファイア・ネットワークと販売店システム構成
  ・販売店ネットワークの構造をサファイア構造にすることで、個々の販売店の多様性を生かしながら、全体効率が図れる。
  ・ポータルの展開に当たっては、メーカーは機能を提供し、それぞれの販売店はそれを使いこなす。それを横展開を図ることで、新しい「型」が出来上がる。

 ③Think Globally サファイア循環が、他の分野でも求められている
  ・数学では、デカルト平面から多様体のアイデアで、さまざまなものが扱えるようになった。
  ・社会では、環境問題での市民参画を行うには、サファイア循環に適正な人を配置することが必要になっている。
  ・歴史では、グローバル(国など)が地域(ローカル)からの知恵を活かして、活性化していかないと、グローバリズムの限界を打破できない状況になっている。

 ④Act Globally この会社を救うには(提言)
  ・Global meets Localという考えで、販売店での情報共有(CS、店舗活性化)を販売店のスタッフの知恵で実現させる。
  ・その成功体験をベースに、Global=販売店、Local=お客様という連環で、ESと同時に、地域の活性化にも参画していく。その時には、社会でのサファイア循環そのものを企業、地域、NPOの連環とドッキングがはかれる。
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『図書館革命』と「プーチン帝国」のメディア支配

未唯へ。「図書館戦争」シリーズは面白いですよ。深夜にアニメの放送も行っています。こちらは完全にラブコメです。

本屋で見つけて、図書館に予約しておいた、『図書館革命』913.6アサが届きました。『図書館戦争』シリーズの完結編です。早速、駅前のスタバで読み始めました。

舞台は「メディア良化法」が成立・施行され、超法規的検閲に対抗するため、図書隊が「狩られる本」を守っている現代です。

ある日、敦賀原子力発電所が深夜に大規模な襲撃を受けた・・・。テロの手段が「ある本」の内容とよく似ていたので、その著者が攻撃される、という設定です。攻撃は防いだが、最高裁で1年間の活動禁止の判決が出て時点で、国際社会にアピールのために、英国総領事館に亡命するというものです。

憲法では「表現の自由」はうたわれているが、様々なところで、脅かされているのが実態です。検閲というのは、それが善意から出来てきたも、一つを許すとどんどん浸食されてしまう。それを阻止する武器を我々(本を読む人)にできているかを問いかけています。

障害者をイメージさせる言葉は放送禁止になっています。「テロ」を想起させる本は世の中を混乱させるから検閲する。「環境はインチキだ」という主張はテレビでは流さない。いくらでも自己検閲が拡大しています。

感じたのは、それらの「常識」の積み重ねが、日本だけの基準になっていることです。日本から「亡命」することで、いかに、国際的に見た時におかしな世界を作り出しているかをアピールしていtが。読んでいて、泣けてきました。「亡命」という言葉を口に出して、さらに泣けてきました。

偏向したメディアに対して、対抗しうる拠点になりうるのは、もしかすると「図書館」だけかもしれない。それにしても、日常的に本を読んでいる人は少なしですね。5%の人で、この国を守れるのでしょうか。

この間のNHKで放映された、「プーチン帝国のメディア支配」を想起させます。共産主義崩壊から、民主主義へ行かずに、90%での国民が、「帝国」での力に惹かれています。混乱した「ワイマール共和国」からヒットラーが生まれたように、力の政治に向かっています。ユダヤの替わりにチェチェンを怒りの対象にして、公平なメディアを武力で抑えている。

日本がそうならないために、「図書館法」の順守をしましょう。
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「未唯への手紙」の「自分」編の2巡目のロジック展開

未唯へ。昨日に引き続いています。会社のカウンセリングセミナーで、皆さんの趣味は何ですかと聞かれた時に、咄嗟に出てきたのは「私の趣味は女性を好きになること」です。あとから、考えるとかなり当たっています。

「自分」のサイクルの2巡目を述べます。社会との接点として、女性を求めました。トラウマで落ち込んだ時に、初恋の彼女のことを思い出しました。ああいう人が、この世にいることが唯一の救いでした。「孤立と孤独」の世界の闇の部分ではなく、この世に「わかってくれそうな人がいる」ということで安定した生活ができました。

それは何かに支えられている、それは共同体ではなくて、何か違うもの、依存はしてないけど、何かに支えられているという感覚です。そこで出てきたのが「もう一人の自分」という女性です。「孤立と孤独」にいながら、自由でいられるのは彼女がいるからです。

彼女がいることでもう一つの世界、夢を聞いてくれる世界、夢を語れる世界、私には夢がありますという世界ができました。「もう一人の自分」というのは、私の中で、社会から否定された部分が集まって、出てきた人です。彼女がいれば、私は「孤立と孤独」にいながら、キッチリと生きていけます。

「もう一人の自分」という女性が私の中にいることで、副作用として、自分の中に女性的感覚が生まれました。女性的な感覚で行動を開始しました。この感覚があると、女性には素直に接することができます。恋するのも楽です。女性の心で女性を好きになることを始めたら、男性が醜くなりました。あんなものに依存するつもりはありません。

女性の中のすばらしさを本人以上に見つけることができます。恋するといっても、才能に恋することが多いです。

女性での基本は恋することです。ここでも観察者に徹します。女性的感覚から観察します。

偶然を必然だというところ、女性として行動することによって、さまざまな偶然が重なりました。とてもあり得ない偶然が行動によって、起こりました。偶然が未来を作り出すことを信じるようになりました。

シンプルにして、どんな事態にも対応できるようにする。女性の根本はシンプルです。仕掛けなくて、自分が生まれてきたまま、やっていけばいいということです。

後半は、寝ながら、JPEGを見ながら、しゃべったものをICレコーダに録りました。
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「自分」のロジックを音読しました

未唯へ。「未唯への手紙」から発信に向けての作業に入りました。第1章の「自分」編を言葉にすることで論理性の確認作業です。

左手に、ワンセグ・ウォークマンを持ち、スライド表示させながら、右手にICレコーダを持って、口述していく形です。あとは、自分の頭だけです。デジタル機器を使いながら、アナログです。声が出せる所ならばどこでも可能です。一番、面倒なのは、録音されたものをインスピレーションに落とすことです。

そのために、ケータイのアラームの起床時間を4時半にセットすることにしました。

スタバで声を出して、未唯への手紙の「自分」編について、話しました。ICレコーダにはかなり雑音が入っているし、自分の声も小さいので聞き取りにくかったけど、思考がかなりシンプルになっています。その出だし部分です。4時半起きの一つのテーマにしていきます。クリーンな頭と声を出せる環境と入力できる環境を作り出します。以下は書き出しです。

「存在を賭けています。やはり、中学の時の死ぬ時の恐怖から、始まりました。何があっても人間はわからないし、孤立と孤独の世界を作り出しました」

「そこで何を求めたかと言うと、孤立に耐えるための真理です。真理を求めます。そのために自分を内側に向かわせました。その強さは季節で変わりました。木の芽時が一番強かった」

「存在を賭けた意思は偶然の塊だということに気付きました。自分が存在しているのも偶然なのだから、起こることも偶然です。その偶然に意味を持たせました。その存在理由に従って、行動させました。真理を求めて」

「最初に行った世界は数学です。真理があるとしたら、数学しかないと信じました。私はそこで、トポロジストになりました。トポロジストとして存在することによって、数学としてシンプルにすることが重要であって、そこから出てきたものは永遠だということです。それを実証するために、社会に旅立つことにしました」

「そのテーマで、仕事を含めてやってきて、出来てきたのが「未唯への手紙」です。μは数学です。数学的思考そのものです。そこで得たものを自分を経由して、社会に戻します。自分自身は次の意識へいきます。ぐるーと回れるのが理想的な人生です。存在を賭けるというのはそんなものです」

これを入力しているのは2週間後です。「4時半」体制が動き出した。
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「未唯への手紙」への項目追加完了

未唯へ。あなたが数学者になることをイメージして命名しました。私の勝手な思いです。あなたが「未唯」でよかった。そのままでいてくださいね。

「めまいの薬」をもらいに診療室へ行きました。お目当てのKOZさんは出張でした。いつもの薬をもらいました。そのために遅れて、衛星配信の検討会に出たけど、相変わらずの沈滞した雰囲気で「めまい」が出ました。気分直しにコーヒーを買いに行く途中に受付の前を通ったら、NAKさんと新人さんだけで、お客様がいなかったので、久しぶりにNAKさんとおしゃべり。NAKさんの笑顔でめまいが治りました。私の特効薬です。

「未唯への手紙」への項目追加が完了しました。これはブログで考えたことが「未唯への手紙」の中に収まっているのか、新しい観点があるのかを確認して、反映させる作業です。私が考えている全てのことと「未唯への手紙」で書いていることが位相的に同じになりました。

元々は、自分が何を考えているか分からなくて、「未唯への手紙」の空間を作り出しています。「過去の私」が考えたことだけでなく、「今の私」が考えていることに近づけたかった。ストックのレベルからフローのレベルに近づいています。

まとめている段階でつくづく感じるのは「偶然」のすごさです。数学でトポロジーを習い、歴史で戦間期のドイツに興味を覚え、社会学でコンビニと図書館を研究し、仕事でネットワークとインフラをテーマにしたこと、人生で選べるのは少ないのに、それらが全てつながってきたことはすごいことです。

それらの項目は自分の中の本質的なものを求める心で、{ローカルとグローバル}×{考えと行動}のマトリックスとそれらの遷移の中でまとまりました。

その予感は、20数年前に、未唯が生まれる前にありました。大学での数学的思考が会社の中で、事務電算でも技術部でも使えることがわかると同時に、その根本を皆に理解してもらえるのが難しいことを実感していた頃です。

このまま思考していけば、社会の「真理」に行き着くという予感を持ったが、私にはあまりにも基礎体力が足りないので、それらを適切に表現して、社会に訴えるには時間がないと思った。

そこで、生まれてくる女の子を「未唯」と名づけ、彼女に託すことにしました。今、その分身である「未唯への手紙」で、本質的な部分ができたことに感謝しています。
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池田晶子さんの本を“チェック”しています

未唯へ。今週は新刊書がない生活をしています。出版社が連休ということで、金曜日に新刊書が図書館に並ばなかった。そこで、今までバラバラに読んできた、「哲学者」の池田晶子さんの本をまとめて借りることにしました。

新刊書で、毎回変わった本を読んできたので、同じ作者の本を読むのには慣れていません。そうすると、著作している顔が浮かんで、先が読めてしまうので、本当はしたくありません。

中央館から8冊、分館から2冊借りました。読み始めたのですが、あまりにもシンクロするので、読むのではなく、チェックに変えました。自分の中でたりない部分だけを補充させます。

本質的に考えると、考えはシンプルになります。そうなると、対象物が明確に見えてきて、解釈を加えるだけで、いくらでも文章が出てきます。そのように、再構成された文章に、私はあまり興味がありません。それらの本を眺めていると、「本質的に考えていること」のパターン化が見えてきます。そうすると、10分の1くらいの時間で本をチェックできます。

ここ数年は、週刊誌とか月刊誌という通俗的なものに日々の感想みたいなものを連載させて、まとまったところで本にしているものが多い。そのために、相手に合わせて噛み砕いたり、怒りのポーズとか、投げやりの態度と言い切る爽快感を演出しています。本質的な部分は、それらの本の千分の1でしょう。その千倍の反応が彼女に圧力としてのしかかったような気がします。

それを感じるので、彼女の本を読んでいると泣けてきます。ものすごく、我慢していることが伝わっています。去年の2月にガンで亡くなったことになっているが、彼女の「宇宙への旅立ち」の意思を感じます。彼女の父親は9年間の闘病生活で、「死ぬのがこれほど大変とは」の言葉を残しています。それもあって、急になくなったような気がします。

私は「本質的なところ」がそのままで伝わります。だから、その部分だけを抜き出す作業を行っています。

池田晶子さんはソクラテスに「同じことを考えている人がいる」と感じたと書かれています。これだけの本を出して、それにシンクロしているのだから、同じように考えている人は世の中の「端っこ」には多くいることを感じるのと同時に、私の周りにそういう人がいないのはなぜかと考えてしまいます。私の出している電波が弱いのか、邪悪な性でしょうか。
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