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30年前の3要素の空間へ戻っていきます

今後のポータルの説明している時に、「系の安定化を図る」という言葉が自然に出てくるようになりました。今までの効率化とか「見える化」などとは異なり、システム全体を見渡した時の感覚になってきています。

それで、大学を卒業後、会社に入るときに、実業の世界で真理を見つけようと誓ったことを思い出しました。数学教室では空間論が気に入っていたので、実際の世界での3要素を見出し、それで空間を作ると同時に、それでどう動かしていくとどうなるかの予測ができるようにしようと考えました。工場実習で夜勤をやっている時に、空間を一生懸命考えていました。

そのときに出てきた3要素は{多様性、画一性}、{拡大、縮小}、{安定性、不安定性}であり、それらがどう関係するか空間を作り、その上での変化の線が動かして、かんがえていました。拡大・縮小と多様性は空間からカンタンに導かれたが、「安定性」を結果ではなくて、ファクターに入れることに躊躇がありました。

どう変化させるかがポイントです。連続的な変化で行くのか、カタストロフィー的な変化で行くのか。「系の安定性を図る」という言葉で今、ここに帰ってきました。

それと同時に金曜日に新刊書で、エドガール・モランの「方法 5.人間の証明」401モラ5を確保しました。「複雑性とは何か」で救われたモランの「方法」の最終稿で今年4月に日本語版の初刊です。こんな偶然があるのでしょうか! 本当に偶然は必然です。以下は解析の文章です。

『方法』の全巻を通じて、探索されてきたテーマ「人間とはなにか」は、こうして、一応の終息を迎えるかに見えるが、二つの意味で、これは新たな探求の始まりでもある。ひとつは、モラン自身が本書の末尾で認めているように、人間とは相変わらずひとつの神秘であり、その探求に終わりはないのである。ヒト化ひとつとっても、まだたくさんの知られていない事柄がある。数限りない「神秘」が前途に横だわっていて、認識において前進すればするほど、神秘のベールは厚くなっていくのである。つまり、人間の認識というものは、認識の前進につれて、どんどん認識の限界壁が後退していくという特質を持っているのである。それは、当然のことである。人間の認識は、無限の、言葉化されていない、考えられていないものが科学と詩という人間の言葉に置き換えられていく過程だから、前進すれば、それだけ謎が深まり、広がるように見えるのである。

もうひとつは、モランの人間探求は、厳密に言えば、人間学のための方法論を明らかにすることに向けられていたことからくる「認識」の限界を持っていたということである。しかし、これは、必ずしもモランの仕事にとって、負の側面ではなかった。『方法』のシリーズにおいて、モランは、軽快なフットワークを持つジャーナリストとして、人間認識の広範な分野で生みだされてきた成果とその人間学的意味をわれわれに伝えてくれたからである。最新の科学的成果から古代世界での出来事に至るまで、ホップな流行から厳格極まりない論理学の世界まで、詐欺まがいのエセ宗教からSF小説の世界に至るまで、人知のありとあらゆる領域に及んでいる。そのために、『方法』のシリーズに付けられた文献目録を頼りに、原書に当たってみると、思わぬ収穫が生まれるのである。
当分、この解析に時間がとられそうです。
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