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《ポスト・トゥルース》の時代 フェイクニュースの脅威

『<ポスト・トゥルース>アメリカの誕生』より 《ポスト・トゥルース》の時代

2016年11月16日、イギリスのオックスフォード英語辞典(OED)は「2016年の言葉」に“post-truth”を選んだと発表した。事前の予想の枠外にある事態をもたらしたBrexitとアメリカ大統領選の顛末から、人びとの意思決定には必ずしも事実かどうかの検証は必要なくなったことを考慮したうえでの“post-truth”の採択だった。

OEDが英語圏における揺るぎない文化的権威であることを踏まえると、2016年は、マスメディアの信頼が失われ、ソーシャルメディアと真っ当に向き合わないことには真実もへったくれもない時代に入ってしまったことが、英米圏では公式に認められた年となった。イギリスとアメリカの両国で「想定外」の動きが見られたのだから、当然といえば当然の選択だ。

そして翌日の17日、この「事実かどうかは言論の構成には関係のない時代」に忍び寄る恐怖について、その到来を危惧しつつ公然と語ったのが、トランプの勝利によって8年間に亘る政治実績が根こそぎ葬られる悪夢を迎えたオバマ大統領だった。彼は最後の欧州訪問の旅程で、ドイツのメルケル首相とともに共同会見を開いたのだが、その際、“post-truth”の時代の到来に触れ、事実無根の「ホラ」や「騙り」を流布するフェイクニュースの興隆に対して、デモクラシーを窒息死させるものとして強い憂慮を示した。

実際、Brexitにせよ、アメリカ大統領選にせよ、事前の世論調査を覆す結果が得られたことは英米社会に予期せぬ衝撃となった。そしてその衝撃を与えた張本人として、選挙後、にわかに注目を集めているのがFacebookなのである。

というのもアメリカでは、最初にニュースに触れる手段としてFacebookを挙げる大人が6割に上っているからだ(ビュー・リサーチ調べ)。今や「世界の窓」の役割は、かつてのテレビに代わってソーシャルメディア、とりわけFacebookが担っている。そのため、フェイクニュースの流布についてもFacebookの責任が問われないわけにはいかない。

選挙前の時点では、トランプの利用頻度の高さからか、もっぱらTwitterがプロパガンダ装置として問題視されていたのだが、選挙後はむしろ、日頃、民主党と良好な関係にあったFacebookやGoogleに非難の矛先が移ったような印象がある。

では、両社はどう対処したのか。フェイクニュースを扱うサイトからすれば、Facebookによってトラフィックを爆発的に増やし、その流入ユーザーを挺子にして、サイト内に掲載したGoogle経由の広告で利益を上げる、というのが常套手段だ。裏返すとFacebookとGoogleで「出禁」にされれば、彼らは収益機会を失うことになる。実際、FacebookとGoogleはフェイクニュースを掲載するサイトとのリンクを切ることから始めている。もちろん、それだけでは対処療法に過ぎないため、フェイクニュースを抜き去るアルゴリズムの開発にも早急に着手している。しかし、果たしてアルゴリズムだけで対処しきれるのか。

Facebookの場合、この5月に一度、ニュースフィードの内容が民主党支持(pro-Democrat)に偏っていると共和党の幹部から指摘され、急速、CEOのマーク・ザッカーバーグ自らワシントンDCを訪れ、共和党の要人にニュースフィードに偏向はないと釈明してまわったことがある。その後、ニュースフィードの編集チームが解雇されるという話もあった。

そのような経緯がすでにあったことも、トランプの勝利が確定した後のヒラリー敗退の原因探しの中で、Facebookの存在がクローズアップされた理由だった。2008年のオバマの選挙戦以来、Facebookは総じて民主党寄りの存在であると、当の民主党幹部たちからも思われていただけに、その反動も大きかったようだ。

とはいえ、フェイクニュースの発信元のプロフィールが徐々に明らかにされていくにつれて、Facebookだけにフェイクニュースが繁茂した責任を押し付けるのもどうやら行き過ぎであることがわかってきた。とりわけ今回の大統領選においてはそうである。

今ではウェブサイトの立ち上げそのものは極めて容易なことであり、それゆえフェイクニュースサイトの全貌を掴むことは困難を極める。自発的に参入するインセンティブを取り除かない限り、まさに雨後の笥のように次から次へと後続サイトが現れてくるからだ。

まずこのことを確認したうえで、今のところ明らかになったこととしては、フェイクニュースサイトの多くは、マケドニアやジョーージアなどアメリカ国外の国で、若いギークたちがウェブ広告で儲けるために行ってきた、という報告がある。彼らは、まずフェイクニュースサイトを立ち上げ、Facebookなどのソーシャルメディアを通じて広く人びとの間に周知させ、サイトに流入してきた人びとによって(彼らがサイト内広告をクリックしてくれることで)広告収入を得る。大事なことは、フェイクニュースを提供している側としては、あくまでも広告収入の最大化を図るために引きのよいコンテントを用意しているにすぎないということだ。

というのも、こうしたサイトを運営する若者たちの説明によれば、トランプだけでなく、ヒラリー・クリントンやバーニー・サンダースに関するフェイクニュースサイトも同じように立ち上げたのだが、ヒラリーやサンダースのサイトヘのウェブューザーの食いつきは芳しくなく、同じ手間ひまをかけるなら、トランプに関するフェイクニュースを掲載したほうが効果的だ、という結論を、彼らなりの試行錯誤の上で得ていたからだ。要するに、リベラル寄りの読者よりも保守寄りの読者の方が、フェイクニュースサイトを好んで閲覧してくれたのだった。

だが、この話自体はわからないものではなく、ヒラリーやサンダースに関するニュースは、ニューョーク・タイムズやワシントン・ポスト、あるいはもう少し保守寄りのウォールストリートージャーナルなどでも十分扱っていたからだ。対して、そもそも立候補した時から、トランプについては多くのメディアが泡沫候補ないしはイロモノとして扱ってきた。エンタメ番組では取り上げるが報道番組では特に扱わない。そうしたトランプに対するメディアの目線は、トランプが共和党予備選で勝利して以後はむしろ強化され、本選に入ってからは、多くの報道メディアがヒラリー支持(pro-Hilary)の立場を公表していた。10月に入ってからのプッシートーク事件にしても、ヒラリーの後押しのためにワシントン・ポストが暴露した話題であった。

要するに、普通のメディアに、トランプを肯定的に扱う、もっといえばトランプを崇めるようなニュースが現れることはほとんどなかった。トランプ支持を表明する報道メディアも数えるほどしかなかった。今から振り返れば、伝統的な主流メディアでは、ヒラリーとトランプの扱いは確かに対等ではなかったのだ。だがそうした傾向は、トランプ支持者の間で、トランプ賞賛の言説に対する飢餓感を煽ることにつながった。その飢餓感を埋めるために消費されたのがフェイクニュースだったわけだ。

つまり、アメリカ国内の多くの既存ジャーナリズムが、「トランプが大統領なんてないわー」とばかりにこぞってヒラリー支持に向かったため、トランプを好意的に取り上げるニュースフィードは、アメリカ国内では大して供給されなかった。その飢餓状態を突いたのが、海外で粗製乱造されたフェイクニュースだったのである。

となると、そのような飢餓感のもとでむしろ、メインストリームの既存メディアの「裏」で稼働していた、フェイクニュースを含めたウェブ上の言論や活動に目を向けることを怠った既存メディアの側の基本姿勢にも、フェイクニュースが広まった原因があった、ということになりそうだ。

もちろんトランプ自身が、事実かどうかにかかわらず、私見をTwitterで放流し続けたことも、フェイクニュースそのものの流布から目をそらす理由の一つであったように思われる。はなから嘘っぱちなのだからその流布について追跡する必要を感じないということだ。そもそも、トランプ自身が、世の中に事実(fact)などない、あるのは私見(opinion)だけだ、と公言してはばからなかったわけだから、臆見を広めるのもわかった上でやっていたことになる。そのため、ジャーナリストが、発言やツイートの中身にはいちいち取り合わないという姿勢をとってもやむを得なかった。

だが、そうした割り切りは発信者であるジャーナリストとしては正しかったかもしれないが、しかし、こと受信者である有権者の側からすれば、そうしてトランプの発言を切って捨てることからして、反感を募らせる理由を与えた。応援者たちが声を上げる理由にもなった。そうしてトランプは、たとえば10月に行われた3回のディベートにおいて、報道メディアからは負けを宣告されていたが、しかし、有権者である視聴者からの関心を集める点では勝利していたことになる。ジャーナリズムとしての正しさとキャンペーンとしての正しさは、端的に食い違っていた。だが、その食い違いについて、エンタメの文体で面白おかしく語られることはあっても、ジャーナリズムの文体で真面目に取り上げられることはなかった。それはジャーナリズムの自己否定にもつながりかねないからだ。

ウェブ以前であれば、メインストリームの報道メディアは言論のゲートウェイとして、何か明るみにされ、何かされないか、ということを決める力を持っていた。だが、ウェブ以後の時代では、そのメディアの決定によって表向きには排除されたものであっても、それを求める自発的意志ないしは欲望によってウェブ上で復活を遂げてしまうことになる。表舞台で黙殺されたネタもゾンビのように生き返る。

今回の選挙戦は、まさにその表向き「なかったことにされた」案件がウェブの中で、虚実合わせて言説として再浮上したうえで流通し、その蓄積結果が、選挙当日、トランプの勝利というかたちで噴出したということなのだろう。そのため、エスタブリッシュメントは皆、ヒラリー敗退の結果に耳を疑うしかなかった。
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暗い数十年の静かな変位 戦争と経済教訓を学ぶ

『地獄の淵からヨーロッパ史』より 自滅時代のヨーロッパ 暗い数十年の静かな変位

いずれの世界大戦も長期的な経済発展を、比較的短期問ではあれ、破局的に中断させた。大方のヨーロッパ諸国では一九一四~一九四五年の悲惨な時代、平均成長率は第一次世界大戦前あるいは第二次世界大戦後より低かった。

しかも、第一次世界大戦の敗戦諸国の復興には約一〇年を要した。だが、敗戦諸国は現に復興した。そして、戦前より緩やかとはいえ、成長は続いた。仮に一九一四年以前の戦前の成長が減速することなく続いていれば、一九一九年までに到達した世界の生産レベルは、食料では一九二三年までに、工業製品では一九二四年までに、原材料では一九二七年までに、それぞれ達成されたと見積もられている。そうした推定にどんな但し書きが付こうと--例えば、この推定はヨーロッパだけでなく世界の生産に関するものだ--、その推定は長期的な逆転ではなく、戦闘行為の影響で成長に一時的にブレーキがかかったことを示している。

一九一四年以前に到達されたグローバル化のレベルは、戦争と、次いで一九三〇年代の大恐慌期の保護主義と経済ナショナリズムによって妨げられ、中断された。次いでヨーロッパの経済生産は第二次世界大戦期間に再び下落し、そのうえ生産物の多くは、言うまでもなく軍事ハードウェアに向ける必要があった。しかし、今度の回復は速やかだった。第二次世界大戦後の成長は急速で、第一次世界大戦後の時期よりはるかに力強く、おまけにその影響は長続きした。教訓が学ばれたのである。国際協力を受け入れる用意があった。両大戦間期にはこれがひどく欠けていたが、今や復興のためには不可欠と受け止められたのだ。安定を回復し、経済を規制するため新たなレベルの国家介入措置が取られた。決定的な要素は、米国による完全な経済支配と、重大な意味をもつ米国の思想・技術・資本の輸出だ。しかしながら、続く三〇年間の前例のない経済成長の基礎は、ヨーロッパ自身の内部に、それも大陸のもっとも暗い歳月に敷かれたのである。というのは、厳密に経済的な意味では、戦争はたとえ一九一四~一九一八年と一九三九~一九四五年のような規模であっても、マイナス勘定になっただけではない。それは長く続く重要なプラスの結果ももったのである。

戦争の諸条件は、経済成長と技術進歩を著しく刺激した。独裁国家は言うに及ばず、民主諸国も戦争遂行のために大きく拡大された生産を管理するため、経済に大々的に介入せざるを得なかった。このため、例えば第二次世界大戦中の航空機生産に必要なアルミニウムのように、戦争が新たな需要(これはたいてい長続きした)を生み出すにつれ、国家が建設と資本設備、労働訓練に投資することが不可欠になった。すでに第一次世界大戦で、兵器の大量生産のために、より効率的な手法による工場組織と経営管理、そしてより徹底した機械化が必要になっていた。

農場に労働力が枯渇している時にあって、農業生産を最大化するための機械化の促進は、農業を利した。例えば第二次世界大戦の初年、約三〇〇〇台の新しいトラクターが英国農民の使用に供され、あらゆる種類の農業機械が増産された。他方、ドイツでは戦車や大砲、航空機に対する需要が逼迫し、トラクターのための生産余力がほとんどなくなったため、農民は一般に家族の勤労と外国人の強制労働、戦争捕虜で間に合わせるしかなかった。ドイツでは、戦時中に農耕法の近代化がほとんど進まなかった大陸の他の地域と同じく、農業の機械化と生産の増強は、おおむね戦後の再建期を待だなければならない。戦争期間中は、農業労働力の確保が容赦なく長期的に難しくなっていく状況を、反転させるすべはなかったのである。

両大戦、特に第二次世界大戦中の技術と科学の革新は目覚ましく、後々にまで影響した。必ずしも、戦争がまったく新しい発見をもたらしたということではない。だが、平時に突破口が開かれていた場合でも、戦時生産の緊急性がしばしば長足の進歩をもたらしたのだ。将来の戦争では航空戦が決定的になると見られていたため、航空機技術は第一次世界大戦時に飛躍的に進歩し、その技術革新が一九二〇年代と三〇年代に旅客航空の拡大に流れ込んだ。ジェットエンジンは一九四四年にドイツがm262戦闘機向けに初めて大量生産したのだが、一九三〇年代に英空軍技師フランク・ホイットルとドイツ人技師ハンス・フォン・オハインによって、同時に発明・開発されており、第二次世界大戦後に空の旅に革命をもたらすことになる。のちには、ヴェルナー・フォン・ブラウンらドイツ科学者がV2ミサイル発射のために開発したロケット技術を基に、宇宙開発が発展する。

ナチ党員でSS名誉将校であるブラウンの能力はたちまち米国の知るところとなり、彼は米国の新しい環境に移されて、米宇宙計画の発展に大きな役割を果たすことになる。大戦前夜の核分裂の発見は、米国での原爆製造の戦時計画につながり、戦後の核エネルギーの平和利用に道を開く。無線放送、レーダー、合成繊維製造、電子計算機といったさらに多くの戦時の技術革新、あるいは既存技術の急速な進歩が、戦後の時代に途方もない影響を与えることになるのである。こうした技術革新や進歩は、多くが戦前の先駆者たちに依存しており、戦争がなかったとしても実現したことは疑いない。だが、おそらくその開発はもっと遅くなっていたことだろう。

第二次世界大戦は、第一次世界大戦よりはるかに「総力戦」であり、それは独裁支配下の社会だけに限られなかった。諸国の指導者は戦時経済を運営するうえで、前の戦争から重要な教訓を学んでいた。彼らは例えばインフレの抑制で、先任者よりはるかにたけていた。第一次世界大戦期のいくつかの交戦国のように、インフレが破壊的勢いを得ることがあってはならないのだ。英国では租税が第一次世界大戦時よりはるか高率に引き上げられて、短期借入の必要性を減らし、そのことで、政府は比較的低利率で長期借入を続けることができた。ドイツでは、再びハイパーインフレに陥ってはならないという恐怖心が深くしみついており、膨らむ戦費の多くは占領地域によって支払われたため、租税は英国よりはるかに低く抑えておくことができた。

ドイツと英国は、国民への食料供給の国家管理でも両極の立場にあった。生活水準がひどく低下し、食料不足が深刻になるにつれ、とどめようもなく勢いづいた第一次世界大戦時の不満の高まりは、ナチ指導部の政治意識に深く刻み込まれていた。大陸の食料その他の資源を容赦なく収奪することで、第二次世界大戦中はその再発を防いでいた。最初の大幅な配給削減は一九四一~一九四二年の冬の危機を受けて実施され、これはいたって評判が悪かったが、極端な配給削減は戦争の最終局面まで行われなかった。ヨーロッパの多くの被占領諸国がその代償を払い、ウクライナとギリシアでは厳しさを増す食料不足が飢饉並みのレベルに、またオランダでは一九四四~一九四五年の「飢餓の冬」で飢饉寸前に達した。食料価格は公的に管理され、割当量は配給制になっていたけれども、いたる所に闇市がはびこった。英国では、食料価格が農家所得を超えて上昇しないようにするため、国庫補助金と厳格な配給制が使われた。ジャガイモとパンを除くすべての主要食料品の配給制は、必然的に不平を生んだが、それでも国民に広く受け入れられ、社会の調和を維持することに役立った。配給制は実のところ、食事の味気無さと引き換えにではあるが、同時に多くの人びとの健康を改善したのである。

第二次世界大戦中、実業・産業界の指導的人物らが政府の政策策定を支援するため、第一次世界大戦の時以上に動員された。産業家らは戦時生産だけでなく、戦後世界のプランニングにも専心していた。ドイツではナチ政権が(ほかの物事と同様に)経済に対する支配を強め、連合国軍の爆弾が国土の破壊を一段と進めていたのだが、そのドイツでも産業家たちは戦時の熱心な協力を、ひそかな再建計画に結びつけていた。戦争の末期数カ月の死の苦悶の中で、ナチ政権による無益な自殺行為に巻き込まれないよう気遣いながら、彼らは軍需生産相アルベルト・シュペーアと協力し、一九四五年三月にヒトラーが出した「焦土」命令で産業施設が無意味に破壊されるのを防いだ。実は、ドイツにおける産業の破壊は、戦争による一般の荒廃レペルには遠く及ばず、産業家らは自らの利益のために、復興促進対策に緊密にかかわり続けることができたのだ。ほかの経済大国でも、おおむね同じことがいえる。戦争のための動員は巨大な経済力を解き放っていて、それはたいていひどい損害を受けていたが、破壊されてはおらず、その一方で膨大な労働資源が、軍備ではなく戦後復興のために使えた。復興の潜在力が廃墟の中に眠っていたのである。

戦時経済への動員と同様、復興は国家を必要とした。ヨーロッパの物質的破壊の規模そのもののために、国家は経済管理から一歩も引くことができなかった。経済が市場の力によって立ち直れるなどという考えは、両大戦闘期の経済ナショナリズムによって根拠を失っていた。国家だけが、経済再建のための巨大インフラ計画に必要な規模の投資を提供できる。英仏の計画立案者らの考えは、この点て一致していた。ソ連ではもちろん、厳格な国家管理がとうに確立されており、一方、米国の指導者らは自由市場を好みながらも、この形勢にほとんど異議を唱えることができなかった。大型の住宅建設計画を作成しなければならない。食料不足からも、国家管理と割り当ての継続が必要だ。英国では配給制は一九五〇年代までずっと続くのである。

その結果、第二次世界大戦直後の数年、ヨーロッパ経済は一九二〇年代、三〇年代には考えられなかったような規模の、国家による財政支出と管理によって形づくられる。しかし、西ドイツは米国の影響の下で、英国とフランスで採用されたはるかに大々的な経済統制政策のモデルには従わないことになる(もっとも、ソ連支配下の東ドイツでは展開がまったく違っていたことは言うまでもない)。ナチズム一二年間の厳重な国家管理の経験が、自由市場に対する規制の撤廃と、官僚化の徹底的な削減、それに産業カルテルの廃止を促すことになる。実際、当初は高かった国家による介入・管理の度合いは、間もなく大方の国で縮小される。もっとも、それまでに復興はしっかり軌道に乗っていたのである。
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「支え合う社会」を次の時代の基盤にできないか

『単身急増社会の希望』より ⇒ 未唯宇宙では「支え合う社会」で家族制度を再構成するのが、次の時代だとしている。

「支え合う社会」は家族を壊すか

 7年前に前著『単身急増社会の衝撃』(日本経済新聞出版社、2010年)を発刊してから、全国で講演する機会をいただいた。講演後に「三世代同居を広げるべきだ」といった意見をいただくこともあった。

 しかし、今から「三世代同居」などの大家族を復活させることは、実現性に乏しい。農業社会では大家族も機能したが、工業化やサービス産業化が進展する中では核家族化が進んだ。産業構造の変化に伴って世帯構造も変化してきたので、今から大家族に戻ることは難しいだろう。

 一方、「家族や世帯の機能低下を是認したら、家族が壊れていく」という意見もあった。しかし、筆者はそうは思わない。「支え合う社会の構築」は、今ある家族を守ることになるだろう。

 単身世帯に限らず、家族や世帯の形態は、大きく変化している。未婚者も顕著に増えており、配偶関係も一昔前とは大きく変わった。世帯あたりの人数が減少しており、どのような世帯であれ、以前よりも世帯内の支え合い機能は低下している。こうした中で、これまでと同様に、家族に多くの負荷をかけていけば、家族自体が崩壊しかねない。

 単身世帯の抱える様々なリスクに対応できるように、社会としての支え合い機能を強化していくことは、単身世帯のみならず、様々な形の家族・世帯を守っていくことになるだろう。

自助努力に向けた条件整備

 これに対して、「単身世帯のリスクは、一人暮らしを選択した人の責任であり、自助努力で対応すべきではないか」という意見もあろう。確かに、生涯単身で生きることを「選択」した人は、そのリスクを認識して、経済面や人的ネットワークなどの面で備えた方が望ましいと考えている。

 しかし、実際のところ、明確な意思で一人暮らしとなったというよりも、「たまたま、そうなった」という人が多いように思う。単身世帯は、本人の選択もあれば、様々な事情や経緯が織り成す中で形成されることも多い。それに、誰かと同居するには、相手の合意が必要であり、本人の意思だけで選択できるものでもない。

 もっとも、自分で選択したか否かにかかわらず、自助努力は大切である。しかし一方で、「努力をすれば何とかなる」と思える程度に、社会として自助努力に向けた条件整備がなされているか、問われるべきだ。具体的には、非正規労働者の抱える課題である。単身世帯が増加する大きな要因として、未婚化があげられる。未婚者は、配偶者がいないという点において、単身世帯になりやすい。そして未婚化が進展する一因には、非正規労働者の増加がある。非正規労働は生涯にわたり賃金が低く、雇用が安定しない。そのため、男性を中心に世帯を形成したくてもできない人が増えている。将来の住宅費や子供の教育費などは、非正規労働者が自助努力で対応するにはハードルが高い。社会として、自助努力できるだけの条件整備をしていく必要がある。

 また、単身世帯予備軍--親などと同居して二人以上世帯を形成する40代・50代の未婚者--をみると、女性を中心に親の介護の問題を抱えている人が多い。介護離職をした人が相当程度いるのではないかと推察される。これらの人々は、積極的に一人暮らしを選択したとはいえない。

 このように、非正規労働に従事する人や、介護離職で途方に暮れている人々の中には、不本意ながら単身世帯や単身世帯予備軍になっている人がいる。単身世帯の増加の一部は、社会のゆがみが露呈している面がある。

「支え合う社会」とは

 では、社会のゆがみを是正して「支え合う社会」にしていくためには、具体的にどのようなことが求められるのか。

 第一に、社会保障の機能強化である。日本の社会保障制度は、強固な家族の支え合いを前提に構築されてきた面がある。そのため、日本の社会保障の給付水準を国際比較すると、高い高齢化率の割に低い水準である。いわば、安上がりな社会保障制度となっている。しかし、家族や世帯の支え合い機能が低下する中では、きちんと財源を確保して、社会保障の機能強化をしていくことが必要だ。

 また、日本の社会保障制度は、正社員として働く夫と、妻と子供からなる世帯を「標準世帯」として想定してきた。しかし、非正規労働に従事する未婚の単身世帯の増加に象徴されるように、「標準世帯」とは異なる世帯が増えている。「標準世帯」でなくとも、様々なリスクがカバーされるように、社会保障制度を強化していく必要がある。

 特に重要なのは、公的年金保険制度、医療保険制度、介護保険制度といった社会保険の強化である例えば、公的介護保険ができたとはいえ、要介護者を抱える世帯に「主たる介護者」を尋ねると、その7割が「家族」と回答している。しかし、単身世帯には同居家族がいない。また、息子や娘が遠方に住んでいたら、家族介護にも限界がある。しかも、今後増加していくのは、未婚の高齢単身者であり、老後を家族に頼ることが一層難しくなる。

 第二に、地域づくりである。身寄りのない高齢単身者であっても、安心して住み慣れた地域で自立した生活を送れるように、医療、介護、生活支援などを提供する人々が、地域ごとにネットワークを築くことが求められる。これは、「地域包括ケアシステム」と呼ばれている。

 また、「住民サイドのネットワーク」の構築も重要だろう。地域の住民同士で交流し、支え合える関係をどのように築いていくのか。特に、今後75歳以上の高齢単身者が増えていくのは大都市圏である。大都市圏の大規模団地やマンションなどでは、隣近所と人間関係が築かれていないことも珍しくない。大都市圏で、どのように住民ネットワークを築いていくのかは大きな課題となっている。

 第三に、働き続けられる社会の構築である。単身世帯の抱える貧困や社会的孤立のリスクに対して、働き続けることが対策となる。働けば収入が得られるだけでなく、職場の仲間との間に人間関係が生まれる。仕事を通じて社会との接点ももてる。働くことは、単に収入を得るためだけでなく、社会的孤立の防止にも有効だ。

 そして今後、少子高齢化によって、公的年金の給付水準の低下が予想されている。しかし、働く意欲のある高齢者は、就労期間を延ばすことによって、給付水準の低下を防ぐことができる。

 ただし、全ての人が働き続けられるわけではない。働けない人には、セーフティーネットの整備と地域における居場所作りが重要になる。また、若者や中年層を含めて、就労困難者には、ケアをしながら職業訓練を行える場が必要になろう。

「支え合う社会」は経済成長の基盤

 「支え合う社会」が必要だとしても、今の財政状況で社会保障の機能強化が可能なのか、という疑問もあろう。この点、日本の税や社会保険料の負担レベル(国民負担率)を国際比較すると、他の主要先進国に比べて低い水準にあり、幸いなことに引き上げの余地は残されている。負担能力に配慮しながら、税や社会保険料を引き上げて、財源を確保すべきである。なお、無駄の削減は常に続けていかなくはいけないが、無駄の削減だけでは社会保障の機能強化を実現できない。

 一方、税や社会保険料を引き上げれば、経済成長の足かせになるのではないかという批判もあるだろう。しかし、社会保障は経済成長を下支えする機能をもっている。例えば、社会保障が不安定であれば、人々は将来不安から貯蓄に励んで消費を減らす可能性がある。また、社会保障の削減は、一層の労働力人口の減少につながりかねない。例えば、介護保険サービスの抑制を続ければ、家族介護のために介護離職者の増加を招くだろう。一方、社会保障の機能強化は、親の介護を抱えていたり、経済的要因から世帯をもちたくてももてない人への支援を通じて、分厚い中間層を育てることにつながる。財源を確保して「支え合う社会」を構築することは、経済成長の基盤になる。
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OCR化した本の感想

OCR化した本の感想

 『単身急増社会の希望』

  家族ではなく、コミュニティで「支え合う社会」で初めて、「単身世帯」という迎年がなくなる。人が生まれてきた意味を考えた時に、単身は当たり前です。家族制度に縛られるから「単身」になる。

  リーダーシップの元の「意思の力」ではなく、個人の存在する意味からの「存在の力」に覚醒した後に、内面を作り上げて、「支え合う社会」を目指す。

 『地獄の淵からヨーロッパ史』

  総力戦で国と個人との関係が変わってきた。国家がそうした物質的繁栄と福祉向上のための仕組みを提供するという期待は、ファシズムの終焉後も生き残り、戦後の各国政府に取り上げられた。「総力戦」で国民が払った犠牲に対し、今度は、国家が栄誉を与えなければならない。それは、戦争がもたらした完全雇用を維持し、社会福祉と医療を万人に提供し、そして、一九三〇年代の欠乏と貧困の再来は決して許さないことを、国が保証することで行われる。英国では、そういう感情が広く行きわたっていた。英国政府は一九四四年、ウィリアム・ベヴァリッジが二年前に提案した社会保障政策を成功させるため、必要な完全雇用計画を公約した。社会政策は明らかに戦後政府の優先課題になるのであった。

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