goo

OCR化した10冊

『第四次産業革命』

 第四次産業革命とは何か

  歴史的背景

  根底からのシステム変革

  構造的問題としての不平等

 社会、個人への影響

  社会への影響

  不平等と中流階級

  コミュニティ

  個人への影響

  アイデンティティ、道徳、倫理

  人と人とのつながり

  公開および個人情報の管理

『二十一世紀の若者論』

 オタクたちの変貌

 1 オタクとは何か

 2 オタク論とは何か

 3 オタク(論)を相対化する

 4 社会学的オタク論へ

 5「オタク込みの社会」を構想するためのオタク論へ

『長倉洋海の眼』

 アフガン戦士マスードとともに

 獅子よ眠れ

 子どもたちの翼--働く、学ぶ、遊ぶ

『古代ギリシャのリアル』

 「ギリシャ史」1000年の空白を超えて

  なぜ「中世ギリシャ人」はひとりもいないのか

  「古代ギリシャ」は存在しない

  なぜ古代ギリシャ語には『海』という単語がないのか

 アポロンの神託・名(迷)回答集

『独裁者たちの最期の日々』

 魔のソファ スターリン断末魔の五日間

 毛沢東の長い死

 ティトーの長い夜

 カダフィ、迷えるベドウィンの浮かれたパレード

『公共経済学を日本を考える』

 日本社会における「共感」と市場経済

 市場経済への信頼と変動

  市場経済の評価

  市場経済への信頼の高まりと不安

  同感と共感

 社会サイドの役割

  市場と行政を支える社会サイド

  競争市場の原理

  市場経済におけるひとの繋がりへの関心

  市場経済における「社会サイド」の価値

 住民・市民が担う公共

  地域社会が担った「公共」

  企業一家も弱体化

  頼り切れない行政

 普通の市民が担う「公共」

  行政依存への反省

  社会で満たされないもの

  市民による「公」の復活への期待

 経済政策と共感

『不平等を考える』

 連帯と社会統合

  市民間の連帯

  エスノ・ナショナリズム

  リベラル・ナショナリズム

  許容としての寛容の脆さ

  制度再編による連帯の回復

  連帯の資源の形成

 社会保障の新たな構想

  何を保障するのか?

   厚生主義の難点

   資源主義の難点

   機能とケイパビリティ

   ケイパビリティ・アプローチの利点

   ケイパビリティ・アプローチ批判への応答

   基本的ケイパビリティ

   基本的な諸機能

   ケイパビリティの欠損

   安全の保障

   自由時間

   不利の複合

  どのように保障すべきか?

   「十分性」の保障

   ディーセント・ミニマム十公正な機会の平等

   十分性を超えたレベル

  どのような制度によって保障するか?

   アクセス保障の構想
   アクセス保障の制度

   アクセス保障のメリット

   補完的な所得保障

   ベーシック・インカムについて
   資産を保障する社会保障

 デモクラシーにおける市民

  「市民」への懐疑

  民主的正統性について

  正統性(legitimacy)と正しさ(correctness)

  民主的正統性についての判断

  「編者」としての市民の役割

  「作者」としての市民の役割

『PIVOT アメリカのアジアシフト』

 ピボットの舞台

  興隆するアジア、そこで問われているもの、その影響の大きさ

  アジアの概要

  人口と居住空間

  貧困、健康、そして教育

  都市化、衛生、そして汚染

  経済

  インフラストラクチャー

  エネルギー

  気候変動と自然災害

  セクター別の分析

  海運業

  国防支出

  テクノロジー

  映画産業

  美術品の市場

『メルロ=ポンティ 哲学者事典』

 へーゲル、ゲオルクヴォルヘルム・フリードリヒ

 ハイデガー、マルティン

『シリアからの叫び』

 アレッポ 二○一二年十二月十六日 日曜日
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アレッポは七千年の歴史があり、あらゆるところに歴史が刻みつけられている

『シリアからの叫び』より アレッポ 二○一二年十二月十六日 日曜日 ⇒ まだまだ、よかったころの「アレッポ」。シリアの昔の名前はアッシリア。7千年の歴史の果て。

午後になると必ずその老人を見た。変わっていなかった。同じ場所、同じ姿勢、同じ服。アレッポはこの数力月ずっと絶望的な状況にあり、その老人は病院へと延びる道路の脇で、ごみの中に腰まで埋もれていた。その姿はわたしには、この都市で死にかけているすべてのものを象徴しているように思えた。老人は広いごみ捨て場に立って、両手を何かの中に突っ込んで食料を漁っていた。ごみを漁って食べるものを探していたのだ。

わたしたち三人の女性ジャーナリストは、トルコででこぼこの車に乗せてもらいたいと頼み、暗闇の中にかすかな明かりを灯して開いている小さな病院に向かっていた。ドライバーは、神経質で小柄なシリア人男性のOだった。車の中で同僚のひとり、パディかニコルのどちらかがこう言った。「あの老人、前にも見たわね。毎日あそこにいるのよ」。その老人はいつも同じ場所にいた。同じところに、同じ格好で、同じぼろぼろの服で。

何か見つけられただろうか。

そうとは思えない。しかし彼はいつもそこに戻ってきた。

わたしたち三人は一緒にアレッポに行くことにしたのだった。ニコルは香港から来た小柄で勇敢な女性で、長い髪を黒いスカーフで包み、カメラを携えて、友人のジム・フォーリーを探すために前線へ向かう予定だった。パディはイギリス人で沈着冷静だった。わたしたちはアレッポの人々が食べているものや、飢餓の程度や、戦時中の生活について記事を書きたかった。

ところがここにはほとんど何もなかった。この冬の日、パンを焼くための動力がなかった。料理をするガスがなかった。ここでの生活は欠乏だらけだ、とわたしたちのドライバーが言った。切望する生活、不足する生活、なしで済ます生活だ。それは記憶と忘却の生活でもある。

友人のカメラマンが、かつてジハード戦士時代のアフガニスタンを「伸縮する時間の国」と呼んだことがある。彼がどういうつもりでそう言ったのかすぐにわかった。時間か性能抜群の車のように飛び去っていくか、無力のまま留まっているか、そのどちらかしかない場所なのだ。ここアレッポでは、記憶があやふやになる。戦争中には、時間がいつまでも進まない。いつまでたっても明日にならないように思える。いつになったら料理用ガスが使えたり、砲弾の雨がやんだりするかわからない。

時間のない感覚、時間を喪失した感覚は、アレッポがとても古い都市だという事実と対照的だ。アレッポは七千年の歴史があり、あらゆるところに歴史が刻みつけられている。地球上でもっとも古くから人が住んでいる都市で、その歴史は紀元前三千年代後半まで遡ることができる。

考古学者がメソポタミア文明の遺跡を発掘すると、この都市の軍事力や強大さを記した石版が見つかる。アレッポは、中央アジアとメソポタミアを繋ぐシルクロードの最終地点で、貿易の重要拠点だった。馬や隊商が、銅や羊毛、中国の絹、インドの香料、イタリアのガラス、ペルシャの金属を運んだ。

この二〇一五年十二月に、シリアの内戦は三年目に入っていた。わたしはアレッポのかつての栄光の軌跡を探していた。ぼろぼろの穴、砲弾の痕しかなかった。オスマン帝国時代に三番目に大きかった都市が、どうしてこんなひどい状態になってしまったのか。クリスマスを一週間後に控えたこの日、わたしは本当ならパリの家で幼い息子とともにクリスマス・ツリーを飾ったり、両親へのプレゼントを買いに行ってきらきら光る包装紙で包んだりしているはずだった。ところが、わたしはこの世の終わりのような町にいた。

アレッポの戦いに終わりはないように思えた。戦闘は、バッシャール・アル=アサド政権軍(とヒズボラの混成軍)対さまざまな反政府軍(軍を離脱したシリア軍の兵士の割合が多かった)でおこなわれていた。反乱軍とも呼ばれるシリア反政府側を構成するグループを表にしてまとめたかったが、その内訳は日々変化していた。仲間同士の殺し合いがある。戦争に発展し無政府状態になった市街地や村などでよく起きることだが、生き延びるために犯す犯罪がある。

いま現在、反政府軍の中には、アルトヌスラ、ジャブハ卜・アルトヌスラ(アル=シャムの人々のための支援戦線)が含まれていて、タンジム・カエダット・アル=ジハッド・ファイ・ビラッド・アル=シャムと呼ばれる、シリアにおけるアルカイダの支部が入ることもある。彼らは二○一二年一月に結成され、つい最近では六千人を数えると言われている。

イスラム国--この戦争で力をつけるのはかなりあとになってからで、やがてアル=ヌスラおよび反乱軍と戦い、七世紀にイスラム世界で成立した野蛮なシャリーア(イスラム法)をシリアの一部とイラクに導入しようとする--は、まだ萌芽も見えず、影のところで存在していた。形になるのをじっと待っている段階だった。

シリアでもっとも産業が栄えた町アレッポは、実に多様な人々で構成されていた。二〇一一年以前には、アレッポに住んでいたキリスト教徒はベイルートよりも多かった。そのほかにシリア系アラブ人、クルド人、アルメニア人、アッシリア人、トルコ人、サーカシア人、ユダヤ人、ギリシア人がいた。聖書にはアレッポについて語っている十三篇の詩がある(アレッポは十一世紀からアラム・ソバというヘブライ語で呼ばれていた)。

詩篇の第六十篇に「ダビデ、ナハイラムのアラムおよびソバのアラムとたたかひをりしがヨアブかへりゆき塩谷にてエドム人一万二千をころししとき教訓をなさんとてダビデがよみて『証詞の百合花』といふ調べにあはせて伶神(歌の神)にうたはしめたるミクタムの歌」とある。

塩谷はアレッポから馬に揺られて四時間のところにある、とわたしが読んだ文献には書かれている。一六九七年にこの地域を旅行した神学者ヘンリー・マンドレルが書いたものだ。その塩谷でダビデはシリア人一万二千人を殺した。

いまシリア人を殺しているのはだれなのか。シリア人は互いに殺し合っているのだ。野蛮に、見るも無残に。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

パートナーからのメール

パートナーからの4か月ぶりにメール

 なんと4か月ぶりにパートナーからメールが来た。内容はいつも通りに愚痴だった。

 メーカーの連中の陰謀は着々と進んでいるみたい。組織と闘っているパートナーを見ていると、太平洋戦争の末期を感じる。自分のことしか考えられない組織に対抗するにはどうしたらいいのか。

 観察することだけです。それを記憶することだけです。それを記録しておくこと。それは再生のために必要です。それらの葛藤のなかから、次の答を見つけて欲しい。販売店にとってみて、どうあるべきなのか。

 レスは要求しない。オープン系にはしない。クローズドにしておきます。プレッシャーを掛けない。

三人からのメール

 パートナーは私にメールが来る三人の内の一人。アテネのれいこさんは6か月に一回。パートナーは4か月に一回。スタバのIさんは2か月に一回。

OCR化した本の感想

 『シリアからの叫び』

  アレッポ 二○一二年十二月ということは、壊滅的になる以前の日常を描いている。7千年の歴史が新たな局面を開いている。

  以前の建築の本で、アレッポの街の配置と住宅の分析がなされていた。500万人以上が国外に出て行ってしまったシリアから何が生まれるのか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )