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右胸の痛さ

男だけだと殺風景

 午前中、スタバに行ったけど、バリスタが3人とも男性だった。殺風景だった。

「左胸の勇気」ではなく、右胸の痛さ

 午前中に歩くと、右胸が痛くなる。10分も歩いていないのに。

連続した日々

 昨日の記憶があまりないと思ったら、一昨日が強烈すぎたので、すっ飛んだみたい。

 昨日のまんじゅうが今一つだったので、今日は別のところで買っていこう。今月も赤字です。

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フィリピン・米国・中国の地政学

『フィリピン』より 地政学でみるフィリピン、そして日本 ⇒ やはり、米国が入ってくるのはおかしい。その前のスペインから方向を間違えた。

東アジアの地政学

 フィリピンの歴史は、大国との関係のあり方を抜きにしては語れない。過去数百年の歴史を振り返ると、①16世紀半ばから19世紀末まではスペイン、②1898年の米西戦争後から20世紀半ばまでは米国、③この間、20世紀半ばの数年間は日本と、フィリピンは異なる国の統治下に置かれた。この期間は、宗主国との関係のあり方が国の歩みそのものだった。その後、長年の「植民地の歴史」に終止符が打たれた20世紀半ば以降は、米国の同盟国(安全保障面に関しては、従属国と呼んだ方が正しいかもしれない)という立場を貫くことで、対外関係は一時的に安定した。

 もっとも、近年は、中国の台頭に伴う国際秩序の大きな環境変化の渦に巻き込まれている。その最たる例が、南シナ海を巡る中国との領有権問題であり、同地域は、米国と中国のパワーゲームの場と化している。その結果、フィリピンは、米国と中国の狭間でどう立ち回っていくのかという問題に直面し、外交上のバランスの取り方に腐心している。本章では、フィリピンの対外関係を考えるが、まずは、20世紀後半の東アジアの国際秩序の大きな枠組みから振り返ってみよう。

米国の東アジア回帰

 こうした中国の台頭を受けて、2009年1月~17年1月のオバマ政権における米国の外交方針は、東アジア回帰が鮮明となった。米国の東アジア回帰の方針が公式の場で最初に示されたのは、第一次オバマ政権のクリソトソ国務長官(当時)のハワイにおける演説(2010年1月)であると理解されている。具体的には、「アジアにおける地域アーキテクチャー:原則と優先課題」と題する講演の中で、クリソトソは「米国はアジアに戻る(the United States is back in Asia)」という強いメッセージを発した。同年10月には、同じホノルルで、クリソトン国務長官は「米国のアジア太平洋地域への関与」と題する演説を行い、アジア回帰の姿勢を一段と具体的に示した。

 オバマ大統領も、2011年11月のオーストラリア議会における演説で、東アジア回帰の姿勢を強く示した。演説の中では、「米国は、アジア太平洋地域の大きな潜在力に関心を向けつつある」と言及した上で、「我々は、この地域で強力な軍事的プレゼンスを維持するために必要な資源を配分する」意向を表明した。こうした米国の東アジア回帰の背景には、2001年の同時多発テロ以降の大きなテーマであった、イラクとアフガュスタンの問題がおおむね収束に向かったことも大きいが、台頭著しい中国への対応が念頭にあったことは間違いない。

南シナ海判決とドゥテルテ外交

 経済分野における中国の存在感の高まりを踏まえると、フィリピンとしては、米国との連携強化に傾斜するのではなく、米国と中国の双方を天秤にかけ、両国からなるべく有利な条件を引き出す外交を実践する選択肢も存在する。2016年6月に誕生したドゥテルテ政権は、中国に対して厳しいスタンスを貫いていたアキノ政権と異なり、中国との関係改善の道を探っている。この背景には、インフラ投資に代表される様々な経済的支援を得たいという、フィリピン側の思惑も透けてみえる。ドゥテルテ政権誕生後のこうした路線修正は、仲裁裁判所による南シナ海問題を巡る判決への対応にも如実に表れている。

 2016年7月、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所は、2013年にアキノ政権が国際司法の場に持ち込んだ南シナ海問題に関して、フィリピンの申し立て内容を全面的に認める司法判断を下した。仲裁裁判所の判断のポイントは、主に以下の三点に集約される。第一に、中国が設定している境界線「九段線」には、主権を主張する国際法上の根拠がないと認定した。第二に、南沙諸島のいかなる地形もスカボロー礁も、国連海洋法条約上の島ではなく、中国は排他的経済水域を有しないと認定した。第三に、中国のスカボロー礁におけるフィリピン漁民の締め出しは、国際法違反であると認定したほか、人口島建設に関する中国の環境保護義務違反なども認定した。

 司法判断を受け、ドゥテルテ大統領は施政方針演説の中で、「我々は仲裁裁判の判決を強く支持し、尊重する」と述べたものの、判決後初のASEAN首脳会議の場では、中国批判を抑制した。また、米国や日本が、「仲裁判断は紛争当事国を法的に拘束する」と主張し、中国が仲裁判断に従う必要性を主張する中、ドゥテルテ大統領は、ラモス元大統領を特使として派遣するなど、中国との二国間協議を排除しない姿勢を示した。一方の中国は、「判決は無効で、中国は受け入れない」との声明を発表し、強気の姿勢を崩していないが、フィリピンと二国間協議を行い、あの手この手を使って司法判断を棚上げさせたいとの思惑が存在する。

 こうした中、2016年10月のドゥテルテ大統領の初の訪中では、フィリピン政府が中国との対話を重視する姿勢が鮮明となり、アキノ路線からの転換が明確となった。共同声明では、仲裁裁判所の判決への言及はなく、南シナ海問題は、当事国同士の話し合いで平和的に解決することが明記され、フィリピンが中国側の意向に配慮した形となった。その一方、フィリピンは、イソフラ建設などの経済協力の推進を引き出すことに成功した。中国側からの公式な発表はなかったが、訪中に随行したロペス貿易産業相は、経済協力で合意した内容は。総額240億ドルに上ったと明かしている。

米国から離反する動き

 バランス外交を目指して中国との関係改善を図るだけであれば十分に理解できるが、ドゥテルテ大統領は、米国を刺激する発言を繰り返すなど、アキノ政権が連携を強化してきた米国との関係を見直す姿勢を示し、自主外交の旗を振っている。例えば、2016年9月のASEAN首脳会議の場では、米国が麻薬犯罪人の殺害を問題視するとみるや、米国によるフィリピン統治時代の話を持ち出し、米国には人権を語る資格はないとの批判を展開した。対米外交に関しても、ドゥテルテ大統領は、フィリピン海軍と米軍艦船による南シナ海の共同パトロールを見合わせる方針を示したほか、「米国とは決別する」、「外国軍部隊は2年ほどで出て行って欲しい」、「米国の大使にはスパイが多い」と発言するなど、暴言が目立っている。

 こうした発言に対しては、フィリピン国内でも懸念する向きが多いが、米国への従属を嫌うドゥテルテ大統領の姿勢が一定の支持を集めていることも事実だ。フィリピン国民の間では、米国に対しては総じて憧れの思いが強いが、ドダテルテ大統領は、米国に揉嗣されてきたフィリピンの歴史を強調することで、自主外交路線への支持を集めようとしている節がある。

 本書の執筆段階では、南シナ海問題の展開を予見することは困難だが、①フィリピンと中国の二国間協議が進展し、両国の間で何らかの妥協点が見出されるのが、②今回の司法判断をきっかけとして、中国がASEANとの間で、法的拘束力を持つ「南シナ海行動規範(COC)」の策定に本腰を入れるのか、といった点などが注目される。南シナ海問題がどういう展開を辿るにせよ、フィリピンとしては、ASEANの枠組みの活用、安全保障面における米国との連携、中国との妥協点の模索、という三次元で最適解を探っていかざるを得ない。この舵取りはそう簡単なことではないだろう。

 ドゥテルテ政権の誕生以降、フィリピンの外交方針が大きく見直されているように、民主主義国家のフィリピンの場合、大統領選挙のたびに外交の軸も変わり得る。ただし、中国が送る秋波に応える時期があったとしても、①中国が南シナ海問題を核心的利益と位置付けていることや、②フィリピンと米国が長年の同盟関係にあることなどを踏まえると、米国が東アジア回帰の姿勢を維持する限り、最終的には、フィリピンは米国との関係も重視せざるを得ないと考えるのが自然だろう。従って、フィリピンが米国から完全に離反するシナリオも考えにくい。

 大きな不確実性があるとすると、2016年11月の米国大統領選挙でトランプ候補が勝利したことで、トランプ政権のもとで、米国の東アジア回帰の姿勢が維持されるかどうかという点であろう。その意味で、ドゥテルテ政権がトランプ政権との関係をどう構築するのかという点は、今後の東アジアの地政学を考える上で大きなポイントとなる。いずれにしても、日本にとってフィリピンは極めて重要な存在であり、同国との関係を重視する意義は大きい。以下では、本書の締め括りとして、日本とフィリピンの関係を考えてみたい。
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生涯学習と学校教育

『現代教育概論』より 生涯学習社会の学校と社会教育 ⇒ 生まれてきた理由からの教育として、一貫性で考えると画一的な「学校」こそ見直さないといけない。

生涯学習における学校の役割

 すでに述べたように生涯学習は社会教育のみに関わるものではなく、学校教育も含む概念である。1990(平成2)年の中教審答申「生涯学習の基盤整備について」は、生涯学習における学校の役割として次の2点が重要だと指摘している。

 「第1は、人々の生涯学習の基礎を培うことである。このことはとりわけ小学校、中学校や幼稚園の段階で重要である。

 生涯学習の基礎を培うためには、基礎的・基本的な内容に精選するとともに自ら学ぶ意欲と態度を養うことが肝要である。平成元年3月に行われた学習指導要領の改訂においても、この観点が特に重視されている。

 第2は、地域の人々に対して様々な学習機会を提供することである。このことはとりわけ大学・短期大学、高等専門学校や専修学校(以下、「大学・短大等」という)に対して要請されている。

 このような要請に応じて今日では、社会人を受け入れたり各種の公開講座を開催するとともに、図書館や体育館・運動場等の施設を地域の人々の利用に供する動きが広まりつつある。」

 以上から、生涯学習に果たす学校の役割とは、①生涯学習の基礎づくり、および②地域の生涯学習機関としての対応の2っだといえる。もはや学校は、児童生徒だけを対象にするのではなく、地域の人々をもその射程に取り込み、また将来の生涯学習社会を展望した教育活動の展開を図る経営方針が求められている。

生涯学習の基礎づくり

 人々が学校を終えたのちも、生涯にわたって何かを学習し続けていく必要性は誰しも感じることであろう。ここに、学校教育における生涯学習の基礎づくりの重要性が見いだされるのである。児童生徒が学校を離れた後にも、学習を継続していこうとする意欲や態度、またそのために必要な基礎的知識・技術等を学校教育で養い、将来の生涯学習者を育成することが学校の役割になる。

 生涯教育は、学校教育の拡張、補償教育に続く、教育の機会均等化のために戦後試みられた第三の政策だといわれる几そうだとすれば、生涯学習は、社会の変化に適応していくために最新の知識・技術を改めて学ぼうとする人々だけでなく、何らかの事情によって義務教育後の教育段階に進学しなかった人を対象にすることにも重要な意味をもつ。教育の機会均等という観点から見れば、その後者に対してこそより多くの学習・教育のチャンスを与え、それへのアプローチを促すことが生涯学習に強く求められる。したがって、義務教育段階で生涯にわたる学習を行うことのできる資質や能力を身につけさせることが学校に課せられる重要な役割だといえよう。

生涯学習機関としての学校

 生涯学習における学校のもう一つの役割として、児童・生徒・学生だけでなく、広く社会に出ている成人の生涯学習のための機関として機能を果たすことがある。前述の答申においては、主として高等学校以上の段階の学校にこの機能が期待されているが、実際には義務教育段階においても「開かれた学校」として、この役割は期待されている。

 生涯学習機関としての学校の具体的役割は、学校施設の自主的学習活動への提供、成人を対象にしたノン・フォーマルな教育機会の提供、そして社会人に対するフォーマルな教育制度の開放に分けることができる。

 (1)学校施設の開放

  学校には、学校教育法施行規則第1条に基づき、校地、校舎、校具、運動場、図書館(室)、保健室などの設備が設けられている。学校の教育活動に支障がないと認められる場合に、これら施設を地域社会の学習の場として開放するのが施設開放である。社会教育法第44条は、「学校……の管理機関は、学校教育上支障がないと認める限り、その管理する学校の施設を社会教育のために利用に供するように努めなければならない」としている。また、学校教育法の第137条では、「学校教育上支障のない限り、学校には、社会教育に関する施設を附置し、又は学校の施設を社会教育その他公共のために、利用させることができる」と規定する。両法では、「利用に供するように努めなければならない」と「利用させることができる」という若干のニュアンスの違いがあるものの、学校施設の社会教育などの活動の利用を法的に認めているわけである。

  施設開放のなかでも校庭開放や体育館・プールの開放は古くから実施されているが、近年は児童生徒数の減少に伴って、余裕教室(空き教室)の開放や理科教室・家庭科室等の特別教室の開放も進められている。

 (2)学校機能の開放

  学校の施設とともに教員組織や研究成果を広く地域社会に開放しようとするのが学校機能の開放である。当該の学校に所属する教員が学校の施設を利用して、自らの専門分野にかかわるテーマに基づいて、通常の授業とは別に一般対象の授業を行うものである。

  社会教育法第48条は、学校管理機関は学校に対して、教育組織や施設の状況に応じて、文化講座、専門講座、夏期講座、社会学級講座等の学校施設を利用した社会教育のための講座の開設を求めることができるとしている。これらの開設に要する経費は国または地方公共団体によっても負担されている。文化講座等は、現在、大学が行うものは大学公開講座、高校や小中学校で実施されるものは開放講座とそれぞれよばれる。

 (3)学校制度の開放

  学校制度の開放とは、狭い意味からいえば学校開放の概念に含まれないが、学校をフォーマルな形で広く社会に開放し、社会人を正規の学生として受け入れようとするものである。これまで一部の大学で実施されてきている公開講座等は、正規の大学教育の余力を社会にも開放しようとするものであったが、今後は、大学教育を社会人に対して単に切り売りしていくのではなく生涯学習の観点から大学自身が新しい姿に変わるべきだという考え方が強くなっている。そのほか、放送大学や大学通信教育などが現在、社会人に対する学校制度として存在している。

  また、高校段階では、定時制高校や通信制高校の充実と並んで、単位制高校の設置が奨励されてきている。単位制高校とは、「学年による教育課程の区分を設けず、決められた単位を修得すれば卒業が認められる学校」である。学年制をとらず卒業までに所要単位を修得すれば卒業を認める学校である。その特色は、①多様な学科目の開設と昼夜開講制など複数時間帯授業の実施、②学期ごとの入学および卒業が可能で、転入学が容易であること、③過去に取得した単位を所要単位として認める単位の累積加算制の採用、④特定科目の履修のみを目的とする受講生を受け入れる「一部科目履修・聴講生」制度の導入などにある。1988(昭和63)年創設されて以来増えつづけ、2013(平成25)年4月現在、全国に974校(定時制、通信制、全日制の合計)設置されている。

  このように社会人等にフォーマルな教育を提供する機会を広げようとするシステムが現実に機能していくためには、勤労者等がそれにアプローチできる諸条件が整わなければならない。労働時間の短縮や有給教育休暇の導入などリカレント教育を可能にする条件の整備が今後の課題となる。
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だれも加害者にしない車

『天声人語2016冬』より ⇒ 車が中途半端だから、事故は起こる。責任転嫁が激しい。

 数学ロマンティック

  東京都心の西麻布や六本木で数学ファンが集う連続イベントが開かれている。題して「ロマンティック数学ナイト」。参加者が壇上で思い思いに数学の魅力を語る。春夏秋冬計4回の予定で3回目が終わったばかりだ。

  登壇者の持ち時間はひとり314秒。円周率に100をかけた。たとえば語りはこんなふうだ。「世の中、偶数と奇数が威張りすぎ。私は2でなく4で割った余りを基準に数に命名してみた。春数、夏数、秋数、冬数。どう、美しいでしょう」。会場がわく。

  主催は、東京と大阪で数学教室「和」を運営する会社。堀口智之社長(31)は「堂々と数学の面白さやロマンを共有できる場を作りたかった」と話す。「ふだんの生活で数学の話に熱中すると時に冷たい視線を浴びる。数学好きはかなり遠慮しながら暮らしています]。

  6年前に教室を創業し、受講者はいまや月間400人。ネットに集積される大量のデータを扱う職種が増え、「統計学やデータ分析を学びたい」と会社員たちが門をたたく。

  イベントでは数学と音階の関係に着目したピアノのライブ演奏もあった。会場の壁には難問が何枚も貼られ、参加者は出題者との対話に目を輝かせていた。

  書店に行けば、「もう一度中学数学」「大人の算数・数学再学習」といった本が並ぶ時代である。ただわが身をふりかえると、空間図形や微分積分にはひどく泣かされてきた。素数や数式の魅力を一晩全身に浴びても、どこかロマンに浸り切れないのが恨めしかった。との推薦理由にはうなずく。

  仮想通貨は、日本では「モノ」とみなされて取引に消費税がかかる。しかし財務省などは税をなくす方向で検討を始めたそうだ。普通の通貨に一歩近づいたのだろうか。一部の新電力は近く、電気料金をビットコインで払えるようにする。

  英国で金貨や銀貨が主流だった時代には、「紙のお金」の考え方は新奇なものと受け止められた。 18世紀初めにジョン・ローなる金融業者が英国で紙幣を提案したが、いかがわしいものと見られ、議会で否決された(トゥヴェーデ著『信用恐慌の謎』)。

  お金の歴史をひもとくと木の実があり、貝殻がある。ビットコインのような通貨が主役になる日は、いつか来るだろうか。

 だれも加害者にしない車

  命を絶たれた2人を悼む白いユリやキクが秋の風に揺れていた。83歳の女性が運転する車が暴走した東京都立川市の病院を訪れた。病院職員や通院の人々が立ち止まって祈りを捧げてゆく。

  運転していた女性は駐車場の精算機前で誤ってアクセルを強く踏んでしまったらしい。危篤の夫に一晩付き添った翌日だったという。

  高齢の運転者による深刻な事故がやまない。ハンドルヘの愛着を捨てられないお年寄り。運転をやめさせようと説く家族。細る公共交通網。不安を抱えた家々では葛藤が続いていることだろう。

   お年寄りから一斉に運転免許証を取りあげろといった議論には賛成できません」と話すのは東京の弁護士、外岡潤さん(36)。ホームヘルパーの資格を持ち、介護や福祉を取りまく法律問題に詳しい。「問題の本質は、高齢になっても安心して運転できる車が一向に開発されないこと。歯がゆくてなりません」。

  産官学の知恵を集め、高齢者を加害者にすることのない車を普及させるべきだと訴える。暗証番号を正しく入力しないと動かないエンジン。柔らかい素材のバンパーやボンネット。急に踏み込むとブレーキがきくアクセルベダルなどが育ちつつある。

  もう一件、横浜市内の現場へ向かった。登校中だった小1の男児が、87歳男性の運転する車にはねられて亡くなった。風船や折り鶴、クレヨンがたくさん供えられている。男の子は来月には7歳の誕生日を迎えるはずだった。失われた笑顔を思い、手を合わせた。

 配偶者控除、小幅な見直しに

  英国で17世紀末に「窓税」が導人された。家が大きく、ガラス窓がたくさんあるほど裕福だとして、七つ以上の窓があると税金が収られた。税を払えない人、払いたくない人は窓をれんがなどで塞いでしまった。

  こうした「塞ぎ窓」や「潰し窓」が見られる古い家がいまも残存すると、三谷康之著『イギリス「窓」事典』にある。日当たりや通気が犠牲になった。税のあり方は人びとの行動を変える。ときにおかしな方へ。

  現代日本のこちらの税制も暮らしに影響してきた。専業主婦などがいる世帯の所得税を軽くする「配偶者控除」である。妻の年収が103万円を超えると損になるため仕事を抑えてしまう弊害がある。そう考えた政府・与党は一時、廃止も検討した。

  代わりに年収に左右されない「夫婦控除」の案が出たが、増税になる世帯の反発を恐れて引っ込めた。結局、103万円を150万円に引き上げるだけに終わりそうだ。家族のあり方が多様化するなか、一定の生活様式を優遇するような制度はもうやめたほうがいいのではないか。

  政権は「女性の活躍」を掲げるが政治家が本腰を入れているように見えない。選挙で男女の候補者数をできるだけ均等にする法案を超党派グループが準備するが、思うように進まない。自民党の会合では議員から、「女性の社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」との声まで出た。

  時代を一歩前に進めるか、あるいは時代の足を引っ張るか。制度作りの重さと怖さである。
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