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OCR化した11冊のコメント

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 『イスラーム世界の論じ方』

  イスラム的な神(超国家)と市民がウンマ(中間の存在)でつながるのが、この世界を救う方向だと思っている。国とか民族ではなく、もっと小さな単位が基本のなることで、グローバル化と多様化に対応できる。

  個人は中間の存在で安心して分化でき、大きな循環(サファイア)で役割を与えられて、統合に寄与する。そのイメージを掴むため。

 『新しく学ぶ西洋の歴史』

  国民が生まれ、参画することで国家とすることで国民国家が生まれた。国家よりも国民が先にできた。その時の制約が曖昧なナショナリズムであったために、変な境ができてしまった。

  市民社会とネイションをどう昇華させるか。その時に中間の存在としての共同体の大きさはどのくらいなのか。

 『歴史の見方』

  歴史は歴史家しか語れないのか。歴史を語っている本は少ない。個別の「事実」は多く語られているけど。歴史と哲学をつなげた、へー月の「歴史哲学」にしても、語れるのは一側面になってしまう。

  哲学と同様に、各自が歴史観を持つしかない。そうすると歴史は複雑でなくなるし、起こってくることの意味が分かる。はじめて、未来が見えてくる。歴史家にとって、大切なのは、周辺で起こっていることは全て、何かを気づかせるためだという認識を持つことであるような気がします。

 『なぜ近代は繁栄したのか』

  「繁栄」という言葉に反応した。どうも賃金上昇と雇用拡大のようです。有限である限りは当たり前のことのように思えるけど、その中に入っている人には深刻なんでしょう。

  一九世紀に一部の国で市場経済が発達すると、人類史上初めて天井知らずの賃金上昇と雇用拡大が実現し、仕事から満足を得る人たちのすそ野が広がった。二〇世紀が進むうちに、すべての国で、そのすべてが失われてしまった。

 『ローザの子どもたち、あるいは資本主義の不可能性』

  ハンナ・アーレントとローザ・ルクセンブルクは共に、「好きな」女性です。あとは池田晶子さんとアレキサンドリアのヒュパティアです。

  資本主義の不可能性:「世界の資本主義化」が終了して資本主義の「外部」が消滅するとき、「剰余価値の実現」が不可能になり、「資本主義の内部的不可能性」が明らかになる

  この外部と内部の関係は複雑性からすると自明なので、資本主義の終わりの始まりはわかりやすい。問題はその先です。資本事態の考えが変わるところが知りたい。

 『生きるのが面倒くさい人』

  生きるのが面倒なのは確かですね。この世界に放り込まれて、何をせよというのか? 周りに居る人間が本当に存在しているのか分からないのに。

  この本の面白いのは、切り口として、「ショート・ショート」の星新一さんの場合で表現していること。結局は、個人のことなんです。まあ、好きなことができればいいんですね。それが大きな誤解だとしても。

 『熱狂する「神の国」アメリカ』

  キリスト教シオニストって、変な組み合わせですね。ユダヤ教シオニストでしょう。キリスト教シオニストは最後の審判で、ユダヤ教徒はキリスト教徒に変わると信じているらしい。

  イスラエルの未来はどうなるのか。その答えは隣国のレバノンにあるような気がします。日産のゴーンのように流浪のレバノン人が世界に居て、母国を見ている。シリアとは同じ国だったけど、キリスト教徒を受け入れている。

  トルコを仲介した、民族・宗教を超えた地中海連合の中で生きていく。そのためにはユダヤのキブツとアラブのウンマを中間の存在としてつなげることです。その見本はトルコのコミュニティです。

2016年07月11日(月) OCR化した11冊のコメント

人との関係

 パートナーからのアクセスレスが40日を超えたから、もう考えないようにしましょう。人との関係は何もない。あるとしたら、今月、生まれてくる子だけです。それに対して、未唯がどういう感覚で臨むのか。

<今>の時間コード

 時間が完全にスローダウンしている。一日がこんなに長いわけがない。137億年からすると。

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 『イスラーム世界の論じ方』

  イスラム的な神(超国家)と市民がウンマ(中間の存在)でつながるのが、この世界を救う方向だと思っている。国とか民族ではなく、もっと小さな単位が基本のなることで、グローバル化と多様化に対応できる。

  個人は中間の存在で安心して分化でき、大きな循環(サファイア)で役割を与えられて、統合に寄与する。そのイメージを掴むため。

 『新しく学ぶ西洋の歴史』

  国民が生まれ、参画することで国家とすることで国民国家が生まれた。国家よりも国民が先にできた。その時の制約が曖昧なナショナリズムであったために、変な境ができてしまった。

  市民社会とネイションをどう昇華させるか。その時に中間の存在としての共同体の大きさはどのくらいなのか。

 『歴史の見方』

  歴史は歴史家しか語れないのか。歴史を語っている本は少ない。個別の「事実」は多く語られているけど。歴史と哲学をつなげた、へー月の「歴史哲学」にしても、語れるのは一側面になってしまう。

  哲学と同様に、各自が歴史観を持つしかない。そうすると歴史は複雑でなくなるし、起こってくることの意味が分かる。はじめて、未来が見えてくる。歴史家にとって、大切なのは、周辺で起こっていることは全て、何かを気づかせるためだという認識を持つことであるような気がします。

 『なぜ近代は繁栄したのか』

  「繁栄」という言葉に反応した。どうも賃金上昇と雇用拡大のようです。有限である限りは当たり前のことのように思えるけど、その中に入っている人には深刻なんでしょう。

  一九世紀に一部の国で市場経済が発達すると、人類史上初めて天井知らずの賃金上昇と雇用拡大が実現し、仕事から満足を得る人たちのすそ野が広がった。二〇世紀が進むうちに、すべての国で、そのすべてが失われてしまった。

 『ローザの子どもたち、あるいは資本主義の不可能性』

  ハンナ・アーレントとローザ・ルクセンブルクは共に、「好きな」女性です。あとは池田晶子さんとアレキサンドリアのヒュパティアです。

  資本主義の不可能性:「世界の資本主義化」が終了して資本主義の「外部」が消滅するとき、「剰余価値の実現」が不可能になり、「資本主義の内部的不可能性」が明らかになる

  この外部と内部の関係は複雑性からすると自明なので、資本主義の終わりの始まりはわかりやすい。問題はその先です。資本事態の考えが変わるところが知りたい。

 『生きるのが面倒くさい人』

  生きるのが面倒なのは確かですね。この世界に放り込まれて、何をせよというのか? 周りに居る人間が本当に存在しているのか分からないのに。

  この本の面白いのは、切り口として、「ショート・ショート」の星新一さんの場合で表現していること。結局は、個人のことなんです。まあ、好きなことができればいいんですね。それが大きな誤解だとしても。

 『熱狂する「神の国」アメリカ』

  キリスト教シオニストって、変な組み合わせですね。ユダヤ教シオニストでしょう。キリスト教シオニストは最後の審判で、ユダヤ教徒はキリスト教徒に変わると信じているらしい。

  イスラエルの未来はどうなるのか。その答えは隣国のレバノンにあるような気がします。日産のゴーンのように流浪のレバノン人が世界に居て、母国を見ている。シリアとは同じ国だったけど、キリスト教徒を受け入れている。

  トルコを仲介した、民族・宗教を超えた地中海連合の中で生きていく。そのためにはユダヤのキブツとアラブのウンマを中間の存在としてつなげることです。その見本はトルコのコミュニティです。

 『ジャカルタ駐在生活ハンドブック』

  駐在ハンドブックにジャカルタの治安・安全対策で「もしテロ事件が目の前で起こったら」で、テロに対する基本的な心構え、銃乱射への対処、爆弾テロ事件への対処方法が載っていた。

  銃乱射への対処:もしも、発砲音が聞こえたら直ちにその場に伏せましょう。立ったままでは標的になってしまいます。まず伏せてから襲撃者の位置を探しましょう。不用意に動くと狙い撃ちされます。乱射が起こっていても、狙撃犯から数百メートルの距離がある場合は直ちに避難します。ただ、避難する時間がない場合はどこか物陰に隠れるようにしましょう。

  最近の事件から付け加えるのであれば、クルアーンの一節を現地語で叫ぶことも必要かもしれない。

 『ニカラグアを知るための55章』

  知るための本からは現地の状況は3項目ぐらいプロットしているけど、ニカラグアの場合、運河計画しか見当たらなかった。パナマの5倍くらいの距離になり、土砂の始末だけでも大変な計画が未だに残っている。メリットがないのがメリットかもしれない。

 『玄冬の門』

  「孤独死」のすすめ。トルストイの最後を思い出す。高齢になって、奥さんと喧嘩になって家出した。そして、ロシアの寒村の駅の待合室でなくなっているのが見つかった。トルストイが行方不明というニュースはヨーロッパ中に流された。森鴎外の日記に中にもその記事が出てくる。

  奥さんと別行動でドイツを回っていて、ケルンの駅でベルギー行きの最終列車に乗りそびれて、アーヘン止まりになった。その時に駅前ホテルで「孤独死」を感じていた。それ以来、トルストイの死が理想になった。

  ブラッセルで待ちくたびれた奥さんとは、その後、海外旅行には行けなくなった。

 『21世紀の図書館職員の養成』

  アメリカの図書館と図書館職員ではレベルの違いを感じた。日本の場合は箱物とかツタヤとか市長のプライドで図書館が決まる。

  市民の視点で考えたいけど、肝心の市民のレベルが低すぎる。本屋との争いにしても、見当違いです。社会をどう変えていくのかの拠点にする発想があって、はじめて図書館員の資質を問える。
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斎藤ちはるの「あなたへ質問」

どこまで語れるかな

 乃木坂をコミュニティと捉えた時に、メンバーと外部とのやりとりとして、抽出します。

斎藤ちはるの「あなたへ質問」

 ブログは双方向に1:nなってきた。斎藤ちはるの「あなたへ質問」で、齋藤千春になったつもりで答えを下さいという質問を出した途端に、ふだんは200件ぐらいのコメントに対して、現時点で1400件を超えています。それも皆、長文です。皆、語りたいんです。

 乃木坂のブログはコミュニケーションの道具になっている。こまめもブログを発信している斎藤ちはるに対するコメントは大体、200から300だった。今回、弱気のブログでどうすればいいのかのコメントを求めたところ、現時点で1600を超えている。かなりの初コメでちーちゃんを心配した長文で、具体性を持っている。四年間の努力を活かすにはどうするかを述べています。

 質問事項は3つ。1.今、あなたが現状を変えたと思ったら、何をしますか。2.逆にあなたしか持っていないと思っているものは何ですか。3.何をすれば、もっと、勇気や元気が与えられる存在になるとおもいますか

 それに対して、答えて下さいという問いかけです。かなり、苦渋に満ちている。それを皆が心配して、ファンが一斉に動いた感覚です。他のメンバーのブログに、寛恕が落ち込んでいるから、ハグしてくださいと言っている人もいる。

アイドルは分化する

 斎藤ちはるは一期生にもかかわらず、握手会の枠は1部だけです。現役の女子大生で勉強と野義様活動に挟まれている。この夏はかなりタイトです。同時に、他のメンバーが活性化しているので焦りは出てきている。

 乃木坂は、この4年間に15人が退出している。その中には学業に専念が含まれている。生ちゃんの場合は3ヶ月間の休業で、音大入学資格を取りきっている。生ちゃんが居る限りは弱音は吐けない。
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