goo

NPOの金儲け

今週は本が無いのでラクでした

 豊田市と岡崎市図書館、あわせても14冊しかないので、容易に処理が出来ました。OCR化したのは5冊で、普段の半分です。

NPOの金儲け

 自ら、金を生み出す手段を持たない限り、NPOは重要なことは出来ない。市役所みたいなスポンサー付きではダメです。では、「暮しの手帖」のようになればいいのか。それだとキャパシティが少なすぎます。もっと、広汎にお金を集める方法です。むしろ、お金を使うことを喜んでもらえる社会です。

 乃木坂のコンテンツを加工することで、商売が出来る。図書館のコンテンツも色々な加工が出来る。それなら、コミュニティの中に入り込むことで、商売になるような気がします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

長倉洋海 マスードとの再会

『フォト・ジャーナリストの眼』より 長倉さんを知ったのは、2001年の9.11が契機。前日にマスードがアフガニスタンで自爆テロで殺された。それで9.11は決行されたと感じた。そのマスードを10年以上前から撮り続けている、日本のフォト・ジャーナリストが居ることを知った。マスードが殺される理由を悟った。

マスードとの出会いから七年。今回の取材は三回目、二年ぶりだ。以前、五千メートル級の山を五つも越え、十二日間もかかった旅は、マスードたちが政府軍陣地を陥したため、回り道の必要、かなくなり、八日間に短縮された。しかし、山岳部を抜ける旅の(ードさは変わらない。一つの峰を越えても、また次の峰が目の前に現われる。高山病で頭がガンガンし、足は棒のようになって少しも動かない。「カメラを捨てて帰りたい」と何度も思うが、「写真を撮らずに、どうして帰れるんだ」と自分を励ましながら、また重い一歩を踏み出す。

難所は山だけではない。凍りつきそうな急流もある。腰まで水につかりながら、川底の石に足をとられてカメラを濡らしてしまわないように、戦士と手をつなぎながら必死に渡る。食料事情も悪い。固くなったナン(小麦粉のパン)を、砂糖をたっぷり入れた紅茶で喉に流しこんで旅を続ける。

一日の行程が終わり、寝床の準備をする瞬間が至福の時だ。今日はもう歩かなくてもいいのだ。サソリに気をつけながら、乾燥した大地にシュラーフを敷く。体を横たえると、地面の小石が痛いが、目の前に降るような星空が迫ってくる。マスードの家のテラスで寝ながら見た星空も、こんなふうだった。マスードと戦士たちは、どうしているだろうかと思う。

パキスタンを出て八日目、マスードの拠点タハール省に入った。マスードは五年前に、北部の組織化のため、拠点をパンシールから夕ハールに移していた。トラックをつかまえ、省都タラカーンヘの悪路を二日がかりで飛ばす。やっとマスードの作戦司令部にたどり着くことができた。

二年ぶりのマスード。眉間のシワはさらに深く刻まれ、白髪も見える。少しやせたようだが、「オマール(私が学生時代にもらったイスラム名)、来たか!」と昔と変わらない笑顔で迎えてくれた。

再会の余韻にひたる間もなく、マスードは次々と訪れる訪問客の対応に追われる。政府軍基地の情報を持ってくる戦士、行政や再建のプロジェクトの進行ぶりを報告する各コミッティの幹部たち、地域の悩み事を相談に来る老人……。そればかりでなく朝と昼の二回、アフガニスタン各地の司令官から無線連絡が入り、前線にも出向く。すさまじい仕事量に圧倒される。

最初に出会った頃から、マスードは好奇心と行動力にあふれていた。「議論ばかりで何事も進まない」という私のアフガン人観を、見事に打ち破ってくれた。外国の革命論や技術書を読みあさり、それを実際の作戦や行政に取り入れ、夜も遅くまで一人で作戦を練る。そして、翌朝一番に起き、礼拝のために戦士たちを起こすのもマスードたった。

マスードは、誰にでも分けへだてがなかった。組織化のため初めて訪れる村では、馬を必ず手前で下り、出迎えた人々を最後の一人まで、丁寧に握手していく。老人にも、名も知らぬ村の戦士にでも。だが、一度だけ、旅の途中で、マスードが駆け寄ってきた男の手を怒ってふり払ったのを見たことがあった。男は中腰で王侯貴族に対するように、マスードの手にキスをしようとしたのだ。マスードは、「神の前に、人間はみな平等」というイスラムの教えを体現しているように見えた。

しかし、彼にも指導者としての決断の迷いや、個人としての悩みがある。皆が寝静まった深夜に庭に出て、一人でコーランを唱える彼の姿を見たことがある。神に訴える真剣な祈りは何時間も続いた。彼の孤独な姿に、私は声をかけることはできなかった。悩みつつも、一歩でもコーランの示す理想の人間像に近づきたい、そんな信仰心が彼を支えていると感じた。

一度、彼に「死ぬのが怖いか」と聞かれたことがある。マスードの新しいオフィスが空爆から無防備のように思えて、「危険はないか?」とたずねたときのことだった。「もちろん怖い」という私に、「そうか、怖いか……。私は怖くない」と彼が笑みを浮かべていうのを聞いてハツとした。

「自分が死ぬとき、それは神の意志だろう。だが与えられた命を燃焼させたい。神もそれを理想に回帰する運動に加わるようになる。」

だが親ソに傾斜した政権のイスラム運動弾圧が強まり、仲間が次々と逮捕、殺害されるなか、マスードは七五年に大学を去って、仲間とともにパンシールで武装蜂起を起こすが、失敗。

一九七八年、クーデターによって誕生した革命政権が、イスラムの伝統を無視したマルクス主義的改革を急激に押し進め(モスクを焼き打ちし、コーランを機関銃で撃ち抜き、子どもたちには神を否定する教育をした)、人心がこの政権から離れるのを見てとったマスードは、再び二十八人の仲間とともに、パンシールで武装闘争を開始した。

その彼が十三年たったいま、三万人以上の戦士を率い、アフガニスタン全二十八省のうち十省の司令官を統括している。

一九八四年、ソ連軍が戦略爆撃機でパンシールを壊滅させようとした時、その情報を事前に入手し、渓谷の住民を避難させることに全力を尺くしたマスード。指導者としての彼への人々の信頼は厚い。

マスードの十五年にわたる戦いのなかで、一番つらかったことを聞いてみた。「最初の蜂起(七五年)で失敗し、銃を失い、食べ物もなく山中をさ迷った時、人々の支持がなければ何もできないと痛感した。また八四年にはソ連軍の大規模な爆撃で、数百万の人々が難民となって国外に逃れた。当時ソ連軍は強力で、われわれの力はあまりにも微力だった。難民化した同胞に、何の援助もできなかったのが一番辛かった」と彼は当時を振り返るようにいった。

タラカーンに着いて数日後、驚くような光景を目にした。「どうしてウソをつくんだ!」というマスードの声とともに、平手打ちの音が中庭に響いた。一人の男が、政府軍から没収したトラックを私物化していたのだ。

 「戦うわれわれにウソがあって、人々がついてくるか!」

戦士たちも客人もみな静まり返っている。組織が大きくなるにつれて、こんな不心得者もでるのだろう。彼が人を叩くのを見るのは初めてだった。マスードが指導者として身につけた、厳しい一面なのだろう。しかし、私はマスードが大きな力を持つ指導者になっても、当初の清廉さを失っていないことに内心ホごとしていた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

私たちは宇宙で孤独で、自由な存在

『ヒトはどこまで進化するのか』より 宇宙で孤独に、自由に

人間という種の物語は私たちに何を告げているのだろうか。ここでいう物語とは、宗教とイデオロギーにどっぶり浸かった古めかしいバージョンではなく、科学によって認識可能になった物語のことだ。大量で明白な証拠から、次のことは十分に言えると私は思う。私たちは超自然の知性によってではなく、偶然と必然によって、地球の生物圏に存在する無数の種のひとつとして創り出された。そんなはずはないと思いたいかもしれないが、外部からの恩寵が私たちの頭上に降り注いでいるという証拠はなく、私たちに課された明白な宿命だの目的だのも存在せず、この世での生を終えたのちに第二の生が約束されていることもない。私たちはどうやら正真正銘の天涯孤独らしい。それは非常にいいことだと私は思う。私たちは完全に自由なわけだ。そう考えれば、私たちを不当に分裂させる不合理な信念の原因は、診断しやすくなるだろう。私たちの目の前には、昔はほとんど想像もつかなかった新たな選択肢がある。それらの選択肢が私たちにもたらすのは、人間全体の結束という史上最大の目標に今まで以上に自信を持って取り組む力だ。

その目標を達成するには、正確な自己理解が欠かせない。では、人間の存在の意味とは何だろうか。本書でも示唆してきたように、それは私たちという種の叙事詩だ。生物学的進化と先史時代に端を発し、有史時代へと受け継がれ、現在では無限の未来に向かって加速している。それは私たちがどうしたいかという選択でもある。

人間の存在について語ることは、人文科学と自然科学の違いにより明確に焦点を当てることだ。人文科学は人間同士の、そして人間と環境とのあらゆるかかわりかたに非常に細かく取り組む。環境とは、美的な面や実用の面で重要な植物や動物などをさす。自然科学はそれ以外のあらゆるものを扱う。人文科学の自己完結した世界観は人間のありようについては説明しても、なぜこうであって、それ以外ではないのかについては触れない。自然科学の世界観のほうははるかに大きい。人間の存在の意味--人間のありようの一般法則、人間という種の宇宙での位置づけ、そして人間がそもそも存在する理由--を網羅している。

人間は進化の偶然として、ランダムな突然変異と自然選択の産物として誕生した。私たちの種は、旧世界ザル(サル、類人猿、ヒト)のひとつの系統がいくつもの紆余曲折の末にたどり着いた終点のひとつにすぎない。旧世界ザルの系統には現在ほかに数百の在来種が存在し、それぞれが独自の紆余曲折の産物だ。私たちも、類人猿と同じ大きさの脳を持つアウストラロピテクスどまりで、果実を集め魚を捕り、結局はほかのアウストラロピテクスと同じく絶滅の憂き目に遭ってもおかしくなかった。

大型動物が陸を占拠してきたこの四億年の間に、ホモ・サピエンスだけが文明を生み出すに足る高い知能を進化させてきた。それに一番近いところまでたどり着いたのが、ヒトと遺伝的に最も近いチンパンジーで、現在ふたつの種(チンパンジーとボノボ)が存在する。ヒトとチンパンジーが、アフリカを起源とする共通の系統から枝分かれしたのは約六〇〇万年前だ。それからおよそ二〇万世代がすぎ、自然選択が一連の大きな遺伝学的変化を起こさせる時間はたっぷりあった。先行人類には、その後の彼らの進化の方向を偏らせるいくつかの利点があった。最初のところでは、半分樹上で生活し、それに伴って前肢を自由に使えるようになったことがある。この古い状況はその後、地上主体の生活に変わった。同じくバイアスをかけたのが、祖先が大きな脳を持っていたことと、気候が概して穏やかで、乾燥疎林が点在する草地が広がる広大な大陸があったことだ。時代が下ると、頻繁な野火によって草本や低木の植物の成長が促進されたことも、有利な前提条件に加わった。もうひとつ、それ以上に重要だったのが、野火によって最終的に調理した肉を食べる生活に移行できたことだ。進化の前段階で、このまれな条件の組み合わせは、破滅的な気候変動も、火山の噴火も、病気の深刻な世界的流行も起きなかったという幸運と重なって、初期の人類に有利なほうへ賽を転がした。

彼らの神のごとき子孫は地上の大部分にあふれ返り、残りのものをさまざまな度合いで変えた。私たちは地球の頭脳となり、そしておそらくは、銀河系のなかで私たちが占める一角全体の頭脳ともなっている。私たちは地球に対して何でも好き勝手にできる。私たちは、核戦争、気候変動、黙示録に記された最後の審判の日のキリスト再臨など、地球を破壊する話ばかりしている。

人間は本来は邪悪ではない。私たちには、十分な知性と善意と寛容さがあり、地球を自分にとっても自分たちを生んだ生物圏にとっても楽園に変えられるだけの進取の気性を備えている。私たちは今世紀末にはその目標を達成できていてもおかしくない。少なくともかなり目標に近づいていてもいいはずだ。今のところ、すべてのネックになっている問題は、ホモ・サピエンスという種が本来機能不全である点だ。私たちは旧石器時代の呪いに縛りつけられている。何百万年に及んだ狩猟採集生活の時代には非常にうまく機能していた遺伝的適応が、全世界的に都市化したテクノサイエンス社会ではしだいに足かせになりつつある。私たちは、経済政策も、村より大きな単位の統治手段も安定させられないように見える。さらに、世界の大多数の人々が相変わらず部族的な既成宗教にとらわれている。そうした宗教の指導者は、信者を服従させ、その力や富などを利用する競争に勝つべく、自分には超自然的な力が備わっていると主張している。人間は部族間抗争の中毒になっている。それは、団体スポーツに昇華されている場合は害のない娯楽だが、現実の民族や宗教やイデオロギー間の闘争として表された場合には非常に危険だ。生まれついての偏向はほかにもある。私たちは自分のことで頭がいっぱいでほかの生き物を守ることなど思いもよらず、自然環境を破壊し続けている。自然環境は、人間という種が代々受け継いできた、かけがえのない、最も貴重な財産だというのに。そして、人口密度と地理的分布と年齢構成を最適化するための人口政策を提案することは、いまだにタブー視される。そうした考えは「ファシスト」的で、ともかくあと一、二世代は先送りできるだろうなどと甘い期待を抱いている。

人間という種の機能不全は、生まれついての近視眼を生んでおり、それらはすべて不快ではあるが、私たちにはおなじみのものばかりだ。人々は自分の部族や国を越えては他人をなかなか思いやれず、思いやる場合でさえ、一、二世代さかのぼるのがせいぜいだ。まして動物の種となると、犬や馬など人間が飼い慣らして忠実な友にした一握りの例は別として、気にかけるのはさらに難しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )