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未来とファクター

論理的であること

 Gの指導でパートナーが作ったシナリオは論理的でなかった。それを伝えたときに、理解できない様子だった。それ以上いうことは避けた。論理的かどうかは、目的に対する整合性です。

数学は割る世界

 この広大な未唯宇宙を見ていると、遇有性を感じます。何が夢ですか。これはトポロジーでインバリアントを選ぶのと同じです。そこにはいくつもの答が出てきます。そこでの順番です。

 だから、マルクスは資本と労働で分割した。私の場合は、ローカルとグローカル、それプラス、考えと行動です。

 数学は割る学問です。そこから出てきたカテゴリー、1年の時にビックリしました。同じ概念をカントが持っている。カテゴリー理論です。割り算によって、空間は違ってきます。

 結局、未唯空間とは、複雑性から意味を取り出すことです。意味は目的ですよね。

未来とファクター

 未来は新しいファクターを入れたらどうなるか? インバリアントを変えたらどうなるのか?

 ギリシャのバラバラのモノを統一する。日本の統一ものモノをバラバラにする。それは新しいファクターです。それまでの関係から、それらがどう動くのかが未来です。

 もう一つは、そのままのファクターで行ったら、全体がどのように変わっていくのか。ファクタ―が変わらなくても、時間は変わります。当然ながら、複雑性が増します。複雑性が増すことが混乱を増すことになります。

 だから、複雑性は周辺から変わってきます。周辺はインバリアントは変えやすい。また、ローカルの論理に徹してやっていけばいい。今回も全体の変化はローカルから変わっていきます。

 合わせて、人間も個人とか国家というレベルで変わりにくいし、変わったとしても影響が少ないから、中間の部分が新しくできて、その部分から変わっていきます。それが、地方から核というと同様に、伝播します。

内なる世界で作り出す

 そのシナリオをとりあえず、内なる世界で作ります。ヨーロッパの11日間はこんなことを考えているのでしょう。ドイツの風景を見ながら、EUを見ながら、フライブルグのクルマがなく、電柱がない世界で皆がどうしているか。

シナリオA、B、C

 未来の予測はシナリオA、B、Cを作ることなのでしょう。今のまま、行ったらどうなるか? あるファクターを変えたらどうなるのか? それでもって、結果を比べてみて、ファクターを選ぶというのが未来額かもしれません。

 当然、複雑性がどう動くかを理解するためのシミュレーターが必要になります。ファクターが難しいですね。環境でのIPCCのように、CO2が増えたらどうなるかです。これは計算できるけど、増える理由が分からない。

 人間の活動がCO2になっているかどうか。ライフスタイルを変えたら、CO2は減るのか? 温暖化で助かる人も出てくるし、海温上昇でCO2が空中に発散されたのかもしれない。色々なファクターが複雑になっています。それから何を選ぶかです。

マーケティングの変化

 マーケティングの変化も同じです。車を売って、買うだけの瀬赤井でなくなるというシナリオは掛けるけど。それで、シェア社会になったら、どうなるのか? なるにはどうするのか?

 中国とか日本で状況は大きく異なります。ギリシャの未来のシナリオ、トルコとの未来のシナリオ、中国の未来のシナリオ。そして、日本のシナリオA、B、C。

環境の変化

 このまま、いったらどうなるかを描くにはシナリオは分かりやすい。だから、IPCCも使っている。そして、誤魔化すことも簡単です。環境にしても、変化に対するパラメーターは一つではない。

 そして、変化も緩やかなカタチになっていくでしょう。革命ではないでしょう。そこでポイントをやるとどういうカタチになるのかがシナリオです。

言葉での表現

 未唯空間の解析には言葉が少ないでしょう。だから、起こっていることをいかに、一つの言葉で表せるか。ウィンゲントシュタインではないけど、言葉でしか表現できない世界。それが世の中の変化です。

 それを伝えることができるかどうかは別の問題としている。別の問題ではないけど。

点が集合、集合が点

 点は集合であり、集合は点です。言葉の中でそれができるかどうかです。集合を点にできれば、点の集合を点にできる。点を集合にさせるには、そこでの位相が必要です。

 幾何学の根幹がインバリアントであるとするならば、これが最大の発明です。結局、未来から発想するしかない。だから、未来学者が必要なんです。

 本そのものが本から抜きだされて、言葉にされている。それが誰に発信されているか分からない。それの集大成として、ウィクペデアされているけど、それでどうなるのか。それでどうなるかがやはり、必要です。

未唯へ

 ブリュッセルに持っていくノートを作りましょう。

夢の実現

 さあ、未唯宇宙に飛び出しましょう。得るモノは自己満足だけど、失うものは多い。だけど、これが私の夢なんだから、私の将来なんだから。
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技術革新による様々な市場の変化

『2050年の世界』より

製造業界では、これから数十年のうちに、大量生産の登場以来、最大の革命が起こるだろう。大量生産は、巨大な組織と膨大な数の人々の集合体から成る世界を創りあげた。例えば、ヘンリー・フォードが創設したリバー・ルージュエ場は十万人の作業員を雇い、床面積は千六百万平方フィートの広さを誇った。これからの製造業は、3Dプリント、つまり〝積層造形〟によって、裏表と上下が逆転する。裏表の逆転とは、3Dプリントが減法でなく加法で製品を作ることを指す。つまり、材料から塊を取り去ったり削ぎ落としたりせず、一度に一層ずつ材料を積み上げて作る。上下の逆転とは、3Dプリントを使えば、一個の製品を作るのと同じくらい安価に千個の製品が作れるということだ。これは、美術工芸運動を唱えたウィリアムーモリスたちを始め、大量製産に批判的な面々の理想にかなり近い世界を創る一助となるだろう。夢のような平和のもと、自立した工芸家たちが全盛をきわめる世界だ。そこでは、ごく辺鄙な場所にある小規模な製造業者も、グローバル市場にサービスを提供することができる。そして一般の人々は、既製品を買わずに、自分でデザインした独自の製品を〝プリント〟できるようになるだろう。

ほかにも三つのイノベーションが、過激な変化という感覚を増幅し、世界経済に波紋を広げていく。第一に、〝モノのインターネット化〟により、物体に組み込まれた何百万というセンサー経由で、人と物体が交信し合えるようになるだろう。冷蔵庫が食料を追加注文し、ワイングラスが飲み過ぎを警告し、薬瓶が薬の服用を勧めてくれる。第二に、多数のSF作家によって描かれた世界が遠からず現実のものとなり、人間がやりたがらない作業、例えば、原子力発電所の清掃などのきつくて汚くて危険な作業や、家事などの型にはまった作業が増えても、口ボットが引き受けてくれるだろう。十年くらいのうちに、高齢者や障害者のための個人用ロボットが一万ドル程度の手ごろな価格で入手可能になるはずだ。そして第三に、このロボットたちに電子秘書という形の仲間ができて、われわれの前に次々と現われる情報を整理し、われわれの予定表を管理して、ミーティングの段取りをつけたり、出張の予定を立てたりしてくれる。

このイノベーションの大波は、民間セクターはもちろん、公共セクターにも広がるだろう。というのも、政府は税金をもっと活用しようと努め、国民(納税者)は民間で手に入るのと同レペルの公共サービスを求めるからだ。インターネットによって共同作業のコストが大幅に削減され、公共セクターが民間さえしのぐほどの根本的な変革を遂げるのは、ほぼ間違いない。国家機関は官僚帝国から。基 地〃へと自己変革を遂げ、ボランティア団体や民間の事業所や積極的な市民だちと手を取り合うことになるだろう。学校が日々コンピューターを使って基礎となる授業を配信すれば、教師は個々の生徒と過ごす時間を増やせる。医師はインターネット経由で患者の容態を観察し、異変を見つけた場合は患者に連絡して手術を受けさせる。大学は人気のある講義や最先端の講座を擁する。銀行・と提携できるようになる。このような改革はー例えば、学者や医師たちが既得権益を守ろうとして抵抗する、などー専門職の組合との激しい軋蝶を生じさせるだろうが、政府は、公共セクターの生産性向上を求める圧力から逃れられないだろう。

新興世界ではイノペーションが大きな渦を巻くだろう。高度成長経済が、肉体労働はもとより、頭脳労働をめぐって富裕世界に挑むからだ。新興世界の巨大企業は、かつてないほど洗練された物を生産するようになる。富裕世界の企業は、新興国の頭脳を利用するため、そして、自社工場と成長市場との距離を縮めるために、業務をこれまで以上に新興国へ移動させる。その結果、十六世紀(商業革命)以降は西洋の独占下にあった企業活動が、グローバルに広がっていく。新興経済の〝突破型〟イノベーションは、どんどん数を増やしていくだろう。中国はすでに。モノのインターネット化々、つまり、製品にセンサーを組み込むことについては世界一の地位に立ちつつある。ケニアは〝モバイルーマネー〟(携帯電話を利用した支払い)の分野で世界の先頭を走っている。概してアジア諸国は、ビデオ・ゲームに関して世界を牽引している。

新興世界は、新種のイノベーション、いわゆる〝倹約イノベーション〟の先導役も務めるだろう。その駆動力は、製品コストを段階的に十パーセント削るというような発想ではなく、一足飛びに九十パーセント削りたいという強い願いだ。すでにいくつか、実現した例もある。夕夕の二千二百ドル自動車、ゼネラル・エレクトリックの四百ドル心電計、ゴドレジ&ボイスの七十ドル冷蔵庫。リトル・クーケなどだ。しかし、スラム街の生活に革命をもたらす三百ドル住宅から、安価な遺伝子組み換え食品に至るまで、はるかに規模の大きい製品の開発も進んでいる。これらのイノベーションは、貧しい世界はもちろん、富裕世界の生活をも変えるはずだ。新興世界の国々は、富裕世界にコスト削減や製品価値の向上、あるいは廃業を余儀なくさせるような製品を続々と生産するだろうし、その業務はますます多方面に向かうことになるだろう。

新興市場は、福祉の実践について創造的な発案をすることでも、世界をリードするだろう。すでにインドの起業家たちは、大量生産の手法を医療に応用している。デヴィ・シェッティはバンガロールに特化型の病院を創設し、専門化と規模の経済性(この病院では週に六百件の手術が行なわれる)を組み合わせて、サービスの質をまったく落とさずに、心臓手術の費用を大幅に削減した。ライフスプリングは、私立病院における出産費用を、対象となる妊婦の数を増やすことで四十ドルまで下げた。世界最大の眼科医院チェーンであるアラヴィンドは、年間およそ二十万件の眼科手術を行なうにあたり、文字どおり〝流れ作業〟方式を採用している。四台の手術台を並べ、二名の医師が隣り合った台で手術を行なう。最初の手術が終わったときには、すでに二番目の手術の準備ができている。電話代行業者によって設立されたメキシコの会社、メディカルホームは、電話を主軸にして医療従事者の再編成を行なった。六千人の医師から成るネットワークと顧客とを電話で結びつけ、その代金を通常の電話代に五ドル上乗せするだけでまかなったのだ。これで六十パーセント超のケースが通話のみで解決し、残りの約四十パーセントのケースでは、顧客がただちに会社の嘱託医に診察を受けている。
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SNSが開く未来の三つのトレンド

『2050年の世界』より

これらの変化が生み出したいくつかのトレンドは、今後数十年間にもっとはっきり姿を現わしてくるだろう。第一のトレンドは、意思決定に友達の影響力が強まること。人間は昔から仲間に助言を求めてきた。しかし、相談相手に電話をかけまくったり、大量の電子メールをやりとりするのは、かなりの時間と手間を要する作業だ。

SNSはこのプロセスを大幅に簡素化してくれる。例えば、誰かが質問を投稿すれば、接続中の友人全員に一瞬で伝わり、友人たちはすぐに答えを返すことができる。また、用意されている。ソーシャループラグイン・を使えば、ほかのサイト上の友人と交流することもできる。現在、フェイスブックだけで、アプリやサイトとのリンクが七百万以上も貼られている。このように、SNSによるインターネットの植民地化が進めば進むほど、社会にあふれるコンテンツの濾過装置として、友達の重要性はどんどん大きくなっていくだろう。

第二のトレンドは、情報が。クラウドソース化・すること。著名な例としてはウィキペディアが挙げられる。もうひとつの例であるクオーフは、オンラインの質疑応答機能にSNSの風味を付け加えたものだ。フェイスブックの元幹部たちによって創業されたクオーラでは、利用者の疑問にほかの利用者たちが答えを提供するだけでなく、最高の答えを選び出す投票も行なわれる。すばらしい回答を寄せた利用者たちには、ネット上の好評という報酬が与えられ、彼らの回答はまわりから一目置かれるようになる。今後数十年のあいだ、人類の知識を向上させるべく、このようなオンラインの集団的努力が数多く試みられていくだろう。

ブログとSNSは、第三のトレンドにも影響を与えている。大規模な情報伝達と情報共有がたやすくなった結果、人々は自分にとって大切な主義や問題に対して、以前よりもすばやく組織的行動をとれるようになった。今では、新聞やテレビ局などのマスコミに頼らなくても、不平不満を広く公表することが可能だ。じっさい、二〇一一年に北アフリカと中東で起こった民衆蜂起では、抗議者たちがフェイスブックやツイッターのサービスを活用した。ソーシャル・メディアが蜂起に果たした役割は、おそらく過大評価されているだろうが、間違いなくブログとSNSは、アラブ世界に渦巻く一般民衆の不満が増幅される一因となっていた。

この世論の増幅効果は、富裕諸国にも新しい政治形態を芽生えさせている。二〇〇八年のアメリカ大統領選挙は、ソーンャル・メディアが政治参加を促す可能性を際立たせ、以降、ソーシャル・メディアの影響力は増大を続けてきた。ピュー・リサーチセンターの別の調査によれば、二〇一〇年の米国中間選挙の前と最中に、成人のインターネット利用者の五分の一以上が、ツイッターやフェイスブックなどのSNSで選挙戦の情報を得ていた。そして、該当者たちのおよそ七パーセントは、同時期に政治活動を開始したり、政治組織に参加したりしていた。

SNSで政治運動とつながっている人々の多くは、これまで積極的に政治と関わってこなかった若者たちだ。さらに言うと、ブログやSNSを通じた政治目的の達成は、ほかの政治活動形態と比べた場合、個人の社会経済的地位や所得や学歴との関連が薄いように思える。この二つのトレンドは、人々の政治参加の形が一変していることを示唆するだけでなく、今後数十年のあいだに、ソーシャル・メディアが伝統的な政治関与のパターンを激変させることを予測させる。

すでにブログやSNSを含むソーシャル・メディアは、ほかの市民活動の形態にも影響を与えている。例えば慈善活動の分野では、津波などの自然災害で心に傷を負った人々をケアする動きや、幅広く寄付金を募る動きが見られる。慈善サイトのコージズでは、特定の慈善活動に適したプラットフォームの立ち上げを支援するだけでなく、各活動家の交友ネットワークをうまく利用する方法を伝授している。
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ソーシャル・ネットワークとメディア

『2050年の世界』より

ソーシャル・ネットワークの可能性

 常時接続と常時オンライン、ソーシャル化されたスーパークラウドの世界は、車や電化製品などにも広がる。一方で一社支配に対する懸念も強まり、政府の規制が予想される。

 世界は今、前代未聞の集団的実験のまっただ中にある。あなたが本書を読んでいるころ、フェイスブックはソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)として初めて、登録利用者が十億人を突破しているかもしれない。これを一つの国と考えれば、中国、インドに次ぐ世界第三位の人口規模だ。執筆時点でのアクティブ・ユーザーはおよそ八億人と言われているが、十億人の金字塔を打ち立てるという保証はもちろんない。しかし、フェイスブックのこれまでの成功は、物理世界における友情の概念を、仮想世界へうまく移行させられることを示してきた。わたしたちはまだ、サイバー空間におけるソーシャル化革命の揺藍期にいる。現在から二〇五〇年までのあいだに、この革命はさまざまな分野で進行していくはずだ。

 SNSと同様、ほかの数多くの。ソーシャルーメディア々も、インターネットの内外の人間関係を強化している。例えば、オンラインで友情を育んだあと、オフラインで実際に顔を合わせるというように……。ソーシャル・メディアには、ブログや、ウィキ(誰でも編集に参加できるウェブページの集合体)や、出会い系サイトや、友人だちと位置情報を共有するフォースクエアのようなサービスが含まれる。

 フェイスブックを含むこれらのサービスの一部は、ネットワーク化が進む世界においてプライバシーの未来はどうあるべきか、という激しい論争を喚起してきた。

ソーシャル・メディアの進化史

 ソーシャル・メディアの先カンブリア時代が始まるとき、オンラインでの交友と情報共有は、ほとんどテクノロジーおたくの専売特許だった。彼らは、電子掲示板などのオンライン・コミュニティにたむろし、互いにメッセージを投稿し合ったり、オンライン・ゲームに没頭したりした。一九八〇年代に大流行した討論掲示板やチャットルームでは、実名を使う人も一部にはいたものの、多くはハンドルネームの後ろに隠れたまま、仲間に入りたがる新参者たちを愚弄して楽しんでいた。

 ソーシャル・メディア史の次段階では、徐々にツールの大衆化が進み、一般の人々がワールド・ワイド・ウェブを通じて意思疎通を図れるようになった。〈コンピュサーブ〉や〈アメリカ・オンライン〉などの企業が、電子メールや電子掲示板やチャットサイトを導入し、登録利用者の数はどんどん増えていった(途方もないフェイスブックの数字には遠く及ばないが)。商業用サービスが提供する電子版の〝壁に囲まれた庭〟では、比較的安全に情報を交換できたため、人々はサイバー空間で本物のIDを使うことに、以前ほどの不安を感じなくて済むようになった。

 そして一九九〇年代半ば、ワールド・ワイド・ウェブが次々と打ち出した新機軸によって、ようやくソーシャル・メディアは一般大衆の手元に届いたのである。ブログの数は爆発的に増えた。調査会社の〈ニールセン〉によれば、二〇一一年十一月の時点で、公開されているブログは一億六千六百万以上。ウィキの数も激増しており、最も有名なウィキペディアは、二〇〇一年の創設以降、屈指の人気を誇るインターネット・サイトに成長してきた。無名の病気から無名の俳優まで、あらゆる分野の二千万項目を擁するこのサイトは、オンライン共作のめざましい成功例であり、毎日、数百人の利用者によって既存の項目が編集され(すべてとは言えないまでも、ほとんどの場合で内容の向上が見られる)、新規の項目が付け加えられている。

 しかし、一九九〇年代の最も重要な進展は、シックスディグリーズ・ドットコムのようなSNSの隆盛かもしれない。個人のプロフィールと、データを検索する機能と、ユーザー同士を接触させる機能を組み合わせたサービスは、フレンドスターやマイスペースが登場する道を開いた。フレンドスターとマイスペースは、二十一世紀初頭に多くの人々から注目を浴びたが、韓国の〈サイ・ワールド〉、フランスの〈スカイロック〉、ロシアの〈Vコンタクテ〉を含めた新興のSNSは、従来型のソーシャル・メディアと二つの点で大きく違っていた。第一の相違点は、トピックやテーマによってサイトを構成せず、恥ずかしげもなく〝個人中心主義〟を標榜して、オンライン・コミュニティの中核に人間を据えたこと。第二の相違点は、簡素なインターフェイスを導入して、テクノロジーおたく以外の人々の参加と使用を可能にしたことだ。

 しかし、フレンドスターとマイスペースは消えゆく運命にあり、入れ替わるようにして飛躍を始めたのが、二〇〇四年、マーク・ザッカーバーグがハーバード大学の寮で創業したフェイスブックだった。ソーシャル・メディア史がフェイスブック時代に入ると、ネット上で友情を育てて形にするという概念は、少数者のみに追求される対象から、世界じゅうで主流の活動へと移行してきた。おそらく今後もさまざまな意味で、友情と共作の概念は変化していくだろう。
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