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パキスタンの情勢

『進む対中包囲網、交代する指導者たち』より

アフガン情勢とパキスタン

 パキスタン・アフガニスタンは、パキスタンの独立以来緊張関係にある。デュアランド・ラインを国境と認めないアフガニスタンに対し、パキスタンは大英帝国が獲得した領土を自国領とみなし、国境問題は画定済みとしてきた。デュアランド・ラインを挟んでパシュトゥーン人が両国に居住しているわけで、それがタリバン問題を複雑にしている。アフガニスタンが国境を認めないことから、イスラム過激派の「越境」問題についても有効な手立てが打てず、互いに相手国を非難する状態が続いていた。 2011年12月にアフガニスタンでシーア派を標的とした大規模なテロ事件が起こり、パキスタンの過激派組織に属する人間が犯行声明を出すと、カルザイ大統領はパキスタン政府の責任問題を強調し、クリントン国務長官もそれに同調してパキスタンにテロとの闘いに協力するよう呼びかけた。

 こうした情勢の中、パキスタン国内ではアフガニスタンから米軍およびその他のNATO軍が撤退した後の情勢を懸念する声が聞かれる。 NATO軍撤退後にアフガニスタンが統一国家としての体裁を維持することはおそらく不可能で、アフガニスタンは分裂状態に陥るだろうとの見方が強いが、その状況がパキスタンにいかなる影響を及ぼすかが問題である。悲観的な見方ではあるが、分裂状態に陥ったアフガニスタンで南東部を支配するタリバンは、アフガニスタン国内での他勢力との闘争を避け、矛先をパキスタンに向けるであろうというものがある。その場合、パキスタンはタリバン勢力に対抗しきれないという。タリバンは元々パキスタンが育てた勢力であるが、90年代にアフガニスタン国土の90%を支配した時も、パキスタンはこれをコントロールできなかった。デュアランド・ラインを国境と認めること、麻薬の取締りをすることなど、パキスタンの要請をタリバンはことごとく拒否したというのである。したがって今回パキスタンがタリバンを統制できるはずはなく、逆にパキスタン西部のタリバン化か進むだろうと言う。

 欧米軍撤退後のアフガニスタンに影響力を拡大したいパキスタンとしては、和平に向けてもタリバンに対して指導力を保持しようという意思を顕わにしているが、すでにタリバンは独自の道を歩み始めているとの見方が強い。こうしてパキスタンは四面楚歌に陥りつつあるが、その最後の望みはインドとの関係修復との見方が次第に強まってきている。国民感情的にはアメリカとの関係に比べればはるかに印パ関係の修復の可能性は高いが、問題は軍の動きということになろう。

不安定な国内政治

 米軍によるビン・ラディン殺害によって面子を失ったパキスタン軍部は内外から厳しい非難を受け、威信回復に全力で取り組まねばならなくなった。パキスタン軍がこれほど威信低下を招いたのは、1971年の第3次印パ戦争での敗北以来である。なかでも窮地に立たされたのが軍トップのアシュファク・キヤニ陸軍参謀長であった。彼は軍内部からは親米的過ぎると批判され、国内では無能さが取り沙汰され、海外からはパキスタン軍とイスラム過激派とのつながりが指摘された。

 キヤニ参謀長が最初に取り組んだのは軍内部の不満を和らげることであった。彼は5月2日以降6週間かけて、彼の立場に理解と支持を取り付けるべく、全土の駐屯地や軍施設を回った。これまでになく強まった反米感情を目の当たりにした彼は、6月、CIAの協力者と思われる者(陸軍大尉を含む少なくとも5名)を逮捕した。アメリカはパキスタン軍にとって年間20億ドルに達する援助を供給する最強のパトロンであるが、あえて反米的姿勢を示すことによって、まずは軍内部の不満の解消を試みたわけである。

 続いて7月にはイスラム過激派組織ヒズブル・タハリール(解放党、HT)との関係の疑いでアリ・カーン陸軍准将を逮捕した。HTは厳格なイスラムの教えに基づいた国家を樹立すべきとのイデオロギーを持つグローバル・イスラム党を自称し、多くの過激派組織に思想的影響を与えている。その影響は大学や近代的な高等教育を受けている若者の間に浸透しつつあり、軍内部にもネットワークを築いているとされる。彼を逮捕することによって、パキスタン軍はテロリストの協力者ではないとの断固たる姿勢を示そうとしたものと考えられる。

 ビン・ラディン殺害後の混乱する情勢の中、アースフィ・アリー・ザルダーリ大統領は、ハッカーニ駐米大使を通して、マレン米陸軍参謀長にパキスタン軍の政治介入を抑えるよう圧力をかけるよう要請したとの極秘メモが発覚した。 11月のことである。「メモゲート」と呼ばれるこの事件は、政軍関係を一気に悪化させた。政府側はこの問題を「選挙で選ばれた政府を転覆しようとする陰謀」として非難し、「国家の中の国家」のような軍の政治介入は許さないと強い口調で牽制した。政軍間の不和が深まったが、今回は政府側が譲歩せず、対抗姿勢を強めている。メモゲートは最高裁が調査委員会を設けて、早期の解決を図るとしたが、与党のパキスタン人民党は大統領の任期中の非訴追特権を理由に協力を拒んでいる。軍と最高裁、それに野党のナワーズ・シャリーフが手を組んで与党に挑戦を挑んでいる形だが、首相は軍人出身の国防次官を更迭するなど、対決姿勢を強めている。軍事クーデターが起きても不思議はない状況であるが、軍内部の統一が乱れており、行動を起こせない状態であるとみられる。
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中国の概観と内政

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ロシアの概観

進む対中包囲網、交代する指導者たち』より

2011年から2012年にかけての内政においては、11年12月の議会選挙、12年3月の大統領選挙を前にして、選挙の不正や与党統一ロシアおよびウラジーミル・プーチン批判の、数万から10万規模のデモや集会がモスクワやロシア各地で起きたことが特筆に値する。デモ、集会の参加者は貧しい国民ではなく、中産階級や知識人たちで、腐敗・汚職の蔓延による閉塞感が背景にある。この新しい現象は、口シア政治の質的な転換点と言えるかもしれない。ただ、このデモ、集会がテレビやインターネットで広く報じられた結果、政変や混乱を恐れる一般国民がプーチン支持の対抗デモを行い、世論調査でも2012年始めにはプーチンの支持率が一時的に高まるという「逆バネ」現象が生じたことも注目に値する。

予想通り3月の大統領選挙でプーチンが当選し5月に就任した。今後6年、あるいは12年の新たなプーチン政権の安定度には問題がある。これまでのプーチンの7割前後という高い支持率を保証してきた4つの要因が何れも弱まるか、消滅するからである。4つの要因とは、1)オイル(ガス)マネー、2)「屈辱の90年代」の反動として、プーチンが経済発展と安定のシンボルとなった、3)ポピュリズム(軍人、教師、公務員などの給与、年金などの大幅値上げ)、4)欧米に対する対抗姿勢と大国主義、などである。世界経済の落ち込みにより、エネルギー価格の急激な値上げは期待できず、90年代の屈辱の記憶は徐々に薄まり、大盤振る舞いのバラマキ政策を続ける財政基盤はなく、資源依存から八イテク中心の産業構造への転換戦略を考えると、欧米との協力は不可欠となるからだ。今後のプーチン政権にとって、これらに代わる新たな安定要因も期待できない。中産階級の台頭は、政権にとって両刃の剣である。さらに、従来のような与党に一方的に有利な選挙法などによって、野党の政治活動や権力批判の動きを封じることも難しくなってきた。こうして、今後のプーチン政権は、少なくともこれまでの12年(含むタンデム政権)と比べると、より不安定なものとなり、予期せぬ突発的政治事件が生じる可能性もある。 2011年には、プーチンが復帰すると2期12年の権力維持が当然とみられた旗今では6年無事に政権が維持できるかに関心が向けられている。

経済面でとくに注目されるのは、国家財政における軍事費、治安予算の大幅増額である。 2012~2014年連邦予算では、国防費と安全保障り台安費の増加が注目された。すなわち、3年間の連邦予算の歳出総額が15.7%、8.5%、6.2%増加するなかで、国防費は22.2%、25.7%、17.5%増加する。歳出総額に占める比重も、14.6%、17.0%、18.8%と上昇し、対GDP比も3.2%、3.6%、3.8%に高まる。連邦予算の歳出総額の増加の3分の1が国防費の増加で、安全保障・治安費も大幅な増加が予定されており、とくに、2012年には44.6%もの増加となっている。国防費と安全保障・治安費を合わせると、2011年から2014年までの連邦予算増加の56%までをこの2つの費目がもたらすことになる。

この大幅な増額は、軍人などの俸給の2.5から3倍の引き上げl装備費の増加が中心である。装備費は「非公表値」の大半を占める眠これは2011年に国防費総額の30.7%を占めたのに対し、2014年には47.1%になる。プーチン政権における政治的なナショナリズム、大国主義の傾向と、軍事費の大幅な強化は、国際社会にとって無視できない事実である。資源依存のロシア経済を、ハイテクを中心とした先進的な産業国家に転化することが国家戦略である旗ロシア経済の資源依存体質は簡単には脱却できない。

対外政策では、ドミートリー・メドベージェフ時代には、グルジア戦争後悪化していた米露関係のリセットが注目されたが、プーチンの大統領復帰への動きのなかでは、NATO拡大、ミサイル防衛(MD)システムの問題、アラブの春、イランや北朝鮮問題への制裁問題などを巡って、ロシアと欧米、NATOなどの緊張、対立、不信関係が目立つようになった。大統領選挙前にプーチンが公表した論文でも、欧米への対決姿勢と、そのメダルの裏側として、中国との「史上最高の良好な関係」の強調が注目を引いた。ただ、アメリカヘの対抗という面で中露に共通の利害が存在し公式関係の良好さは強調される眠中露関係には真の信頼関係は存在しない。欧州の経済停滞などにより、ロシアはアジアに関心を向けている。中国との間で経済関係は発展している旗不均衡な貿易構造やロシア製武器の中国によるコピーにはロシアは不満を抱いており、ガスの輸出も価格面で折り合いが付かず行き詰まった。そこでロシアは韓国やとくに日本との経済、技術交流に強い関心を向けている。プーチンは2012年3月に北方領土問題にも立ち入った発言をし、日本側にプーチンが大統領に復帰すると領土交渉も進展するとの期待感を抱かせた。主眼の経済交流を進展させるための「人参」でもある。しかし、その発言内容を分析すると、プーチンの姿勢は従来と同様、あるいはそれ以上に硬いもので、当初に述べたようにナショナリズムの高まりとプーチン政権の不安定性を考えると、今後のプーチン時代に北方領土問題が解決する可能性はほとんどない。
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