未唯への手紙
未唯への手紙
スタバで姪とギリシャ論議
スタバで姪とデート
結局、豊田市へ歩くことにしました。時間が中途半端だから。
ギリシャの姪とのスタバでデートです。帰国した時に恒例です。10時から12時まで、ずっと話し続けた。スタバは寒くて、やかましたかった。ノースリーブで凍えていた。それでも話し続けた。これではICレコーダーは使えない。
話題は、奥さんとの旅行のこと。そして、メインテーマはギリシャです。ギリシャがどうなっていくのかとか、今のギリシャのことです。姪はギリシャ人と結婚して、5年です。
ギリシャ人は思考停止に入っている。そこから抜ける方法もない状態です。ギリシャの女性は家族のことしか考えていない。他人のことは非難するだけです。フィンランドのように、女性の発想での国作りはムリみたいです。ギリシャの政治では、極左とか極右とか出ています。次の選挙待ちです。
休み明けの9月が一つの山場です。国民が休んでいる間に、政府は色々な取り決めをしている。その次は年末です。
家のローン遅滞では追い出しできないという、期間限定の法律が無くなるのも、社会が流動する。一斉に、追い出される。政治家は次の選挙を考えているだけで、今のことは考えていない。日本とも似ているよね。
日本の集団性と哲学
日本の集団性は、書くこと=行動することにしている。だから、集団の中で合意しないと書けない。行動も、全体と縛ることになるので、言えない。
それに対して、哲学は自分で考えて、書くことになります。その意味で集団主義にはなり得ない。それを受けて、どうしたいかを考えていけばいいんです。
カントのような、生活から生まれた哲学をそのまま、真似することはできない。真似した所で、本当はやりたいことと異なります。カントがさせたいこととも違っています。単に書くだけです。それを受けて、やれるようにするのが、生涯教育、つまり学習でしょうね。
未来学者を目指す
未来学者を目指すとしたら、未唯空間をどう昇華させるかです。一般化はさせる必要はない。考えをもっと上げていくだけです。
数学とは何かを四方教授から学んだときも、高等数学ではなく、三角形から始まって、三角形で終わった。それで十分、理解できた。
モノを考えるとはどういうことなのかを伝えようとした。伝えることが重要です。あれだけのことをその人が考えないとダメです。教える人の責任ではない。
もう一つ在るのは、危機感です。危機感から、そういうこともありということで考えさせる。それで行動させる。それも一時的なものだから、どうやって安定させるか、どうやって、自分たちが生きていけるか。
今は、本当に弱者の世界になっています。
北欧とギリシャ
北欧からすると、こんな国が持っていること自体がおかしいと感じている。自国であれば、対策を取らないと耐えられないのに、ギリシャはどうにかなるとかというカタチでやっています。フィンランドはギリシャはEUから出ていくことを主張している。
感覚的には、ギリシャは地中海連合でしょう。ギリシャに未来学者はいないのか。その観点から政治をしないと、国は変わらない。
カリスマにしても、ギリシャ国民には資産を持っていないから、維持できない。日本の場合は資産があるけど、国民がミーハーです。その意味では、気づいていないだけで、ギリシャの問題は日本とも似ているし、この会社とも似ている
日本の集団性とギリシャの個人主義
日本の集団性に比べて、ギリシャの個人主義の比較ができそうです。国民は対極にあります。姪から紹介された本は2月に読み込んでいます。一応、図書館に貸出依頼をしておきました。
ギリシャと日本とこの会社、そしてナチドイツです。これの比較になります。カリスマ的指導者というのはナチの発想です。土台があってのモノです。土台が似て来ています。
生まれてきた理由が基準
そんな時に、決められた仕事をしているのは意味があるのでしょうか。
何故、本を読むのか。生まれてきた理由を知りたいから。これほど端的な答はない。仕事も皆一緒です。
そうやって、あっさり、応えられる人は本当に少ない。生活のためとか、自己実現とか言うけど、それよりも単純なことです。生まれてきた理由を考えること。単にそれだけです。未唯空間はそれで組み立てました。
本がない生活
明日の岡崎図書館は無理やり、借りることはしたくない。返すのが、目的です。9月2日以降は本がない生活です。本質を考えることに主眼を置きます。そうしないと、どうにも間に合わない。
旅行中は書きたくない。話しかけるし、偶々、ペンとノートがあれば、書くだけです。それ以外はせずに、頭の中で廻していきます。
個人レベルの変化
ギリシャの問題で、どんな対策を打とうとも、個人のレベルが変わらないとダメです。ギリシャ国民の10%がまともに働いている。その他は、官庁とか無職とかだそうです。
家のローンを払わなくても、差し押さえしない猶予期間を設けると、90%は、では払わなくてもいいという判断をするみたいです。今の判断基準だけでリミットまでいく。
ならば、年末まで払わなくてもいいという判断をする。その時になった、また、騒げば、どうにかなると思っている。銀行の体力はドンドン、落ちていきます。
条件に対して、反応が即物的になっている。生活もそうなっている。元々の個人主義です。個人主義が悪いわけではない。循環として、見ていないだけです。その結果、自分にどうなって帰って来るかの想像力がないだけです。
この会社も同じようなモノです。循環で考えていない。自己工程でしか考えていない。その幅をドンドン狭くしている。ましてや、大きなループのお客様との関係での循環を考えられるはずがない。
結局、豊田市へ歩くことにしました。時間が中途半端だから。
ギリシャの姪とのスタバでデートです。帰国した時に恒例です。10時から12時まで、ずっと話し続けた。スタバは寒くて、やかましたかった。ノースリーブで凍えていた。それでも話し続けた。これではICレコーダーは使えない。
話題は、奥さんとの旅行のこと。そして、メインテーマはギリシャです。ギリシャがどうなっていくのかとか、今のギリシャのことです。姪はギリシャ人と結婚して、5年です。
ギリシャ人は思考停止に入っている。そこから抜ける方法もない状態です。ギリシャの女性は家族のことしか考えていない。他人のことは非難するだけです。フィンランドのように、女性の発想での国作りはムリみたいです。ギリシャの政治では、極左とか極右とか出ています。次の選挙待ちです。
休み明けの9月が一つの山場です。国民が休んでいる間に、政府は色々な取り決めをしている。その次は年末です。
家のローン遅滞では追い出しできないという、期間限定の法律が無くなるのも、社会が流動する。一斉に、追い出される。政治家は次の選挙を考えているだけで、今のことは考えていない。日本とも似ているよね。
日本の集団性と哲学
日本の集団性は、書くこと=行動することにしている。だから、集団の中で合意しないと書けない。行動も、全体と縛ることになるので、言えない。
それに対して、哲学は自分で考えて、書くことになります。その意味で集団主義にはなり得ない。それを受けて、どうしたいかを考えていけばいいんです。
カントのような、生活から生まれた哲学をそのまま、真似することはできない。真似した所で、本当はやりたいことと異なります。カントがさせたいこととも違っています。単に書くだけです。それを受けて、やれるようにするのが、生涯教育、つまり学習でしょうね。
未来学者を目指す
未来学者を目指すとしたら、未唯空間をどう昇華させるかです。一般化はさせる必要はない。考えをもっと上げていくだけです。
数学とは何かを四方教授から学んだときも、高等数学ではなく、三角形から始まって、三角形で終わった。それで十分、理解できた。
モノを考えるとはどういうことなのかを伝えようとした。伝えることが重要です。あれだけのことをその人が考えないとダメです。教える人の責任ではない。
もう一つ在るのは、危機感です。危機感から、そういうこともありということで考えさせる。それで行動させる。それも一時的なものだから、どうやって安定させるか、どうやって、自分たちが生きていけるか。
今は、本当に弱者の世界になっています。
北欧とギリシャ
北欧からすると、こんな国が持っていること自体がおかしいと感じている。自国であれば、対策を取らないと耐えられないのに、ギリシャはどうにかなるとかというカタチでやっています。フィンランドはギリシャはEUから出ていくことを主張している。
感覚的には、ギリシャは地中海連合でしょう。ギリシャに未来学者はいないのか。その観点から政治をしないと、国は変わらない。
カリスマにしても、ギリシャ国民には資産を持っていないから、維持できない。日本の場合は資産があるけど、国民がミーハーです。その意味では、気づいていないだけで、ギリシャの問題は日本とも似ているし、この会社とも似ている
日本の集団性とギリシャの個人主義
日本の集団性に比べて、ギリシャの個人主義の比較ができそうです。国民は対極にあります。姪から紹介された本は2月に読み込んでいます。一応、図書館に貸出依頼をしておきました。
ギリシャと日本とこの会社、そしてナチドイツです。これの比較になります。カリスマ的指導者というのはナチの発想です。土台があってのモノです。土台が似て来ています。
生まれてきた理由が基準
そんな時に、決められた仕事をしているのは意味があるのでしょうか。
何故、本を読むのか。生まれてきた理由を知りたいから。これほど端的な答はない。仕事も皆一緒です。
そうやって、あっさり、応えられる人は本当に少ない。生活のためとか、自己実現とか言うけど、それよりも単純なことです。生まれてきた理由を考えること。単にそれだけです。未唯空間はそれで組み立てました。
本がない生活
明日の岡崎図書館は無理やり、借りることはしたくない。返すのが、目的です。9月2日以降は本がない生活です。本質を考えることに主眼を置きます。そうしないと、どうにも間に合わない。
旅行中は書きたくない。話しかけるし、偶々、ペンとノートがあれば、書くだけです。それ以外はせずに、頭の中で廻していきます。
個人レベルの変化
ギリシャの問題で、どんな対策を打とうとも、個人のレベルが変わらないとダメです。ギリシャ国民の10%がまともに働いている。その他は、官庁とか無職とかだそうです。
家のローンを払わなくても、差し押さえしない猶予期間を設けると、90%は、では払わなくてもいいという判断をするみたいです。今の判断基準だけでリミットまでいく。
ならば、年末まで払わなくてもいいという判断をする。その時になった、また、騒げば、どうにかなると思っている。銀行の体力はドンドン、落ちていきます。
条件に対して、反応が即物的になっている。生活もそうなっている。元々の個人主義です。個人主義が悪いわけではない。循環として、見ていないだけです。その結果、自分にどうなって帰って来るかの想像力がないだけです。
この会社も同じようなモノです。循環で考えていない。自己工程でしか考えていない。その幅をドンドン狭くしている。ましてや、大きなループのお客様との関係での循環を考えられるはずがない。
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生まれてきた理由に応えて
ひどい会議だった
あの結果が、張本人に寄り添うとは分からない。だから、他っておきましょう。その結果、どうなるかは、パートナーなら見えてくるはずです。
自分でどう動きだすのかを自分で決めて、助けを求めるのであれば、助けます。この室を助けることはしません。どうなろうと関係ない。本当に、この室を出た方がいい。だから、私は世の中のために、私のことをします。
こんなどうしようもないところで、咲く二輪の花。TMも救いたいけど。それがやろうとしていることと、別の次元の問題です。二人とも、自分のミッションに気づいて、組織に縛られずに動けば、色々な人が集まってきます。
日本の集団性との関係
今時、日本の集団性に従っていても、意味がない。2015年までに、皆に気づかせることが、私のテーマです。よく考えると、日本はどうでもいい。そういうことを元々、考えている国から変えていくことです。日本は置いてきぼりになります。この室が置いてきぼりなように。
そこで、どう判断するのかは、彼らの役割です。しなければしないで、潰れるだけです。多分,Sが狙っているのはそこです。潰れることを狙っている。前にそう言っていた。
それに耐えられる能力を皆、持ってない以上、私はそんなことをするつもりはない。だから、2015年に向けて、まとめの方を急ぎましょう。観察者に徹します。内側からの観察です。
企画は人を動かす
ああいうミーティングも勝手に出ていって、観察します。パートナーがどういう行動を取るのか、どういう発言をするのか。何しろ、人を動かすことが企画の最大のテーマです。それができるようになるようにさせていきます。本人はそのままでやればいいから、勝手に見ています。
人に認められたい
パートナーにアピールしたいとか、この職場にアピールしたいという欲は邪悪です。人類のためというのが正解です。
何故、認められたいという方に走るのか。存在理由をそこに感じているからです。だけど、私の存在理由は大きく変えています。時として、忘れるだけです。
悲しい顔からこわい顔
パートナーの悲しい顔には対抗できません。この間の会議の時はこわい顔になっていた。やはり、どこかで道を間違えたみたいです。元へ戻ることはできないので、新しい道へ行ってくれることを期待します。私は誘導しません。問われたら、応えるだけです。
256項目の中分類からの問い合わせ
未唯空間から256項目の問い合わせがあります。こちらの方を優先します。よく見ると、中分類だけで256です。小分類で1024です。さらにコメントが同じ数あります。この内容を見直しているので、時間が掛っています。
入れ込むのは、小分類の中にいれます。そこに入っている詳細が5000ほどあります。その整理に掛れるのはいつになることやら。これをまとめる方法を作り上げるしかない。そこから、仕事の仕方とかモノの考え方とかも提案できます。
生まれてきた理由で応えて
仕事の提案からすると、あなたが今やっていることは、生まれてきた理由として、答えられますか。それが組織に依存しているかどうかの答になります。自分のミッションを持っているかどうかです。金儲けをする人にも、それは言えます。
これだけのモノがあれば、相手が誰でも質問できるし、応えられます。問いかける人と、応える人。後者が哲学になります。
一般的な方は、やはり、女性です。女性に声を掛けて、答を出します。役に立たないのは、男性です。それも若い連中です。独りよがりで動いています。自分たちのことなのに。この世界をどうしていくつもりなのか。自分が職を得ているから、いいということではないでしょう。
これは環境塾のメンバーにも言えたことです。自分の職場の役割を考えているだけです。生まれてきた理由からちょっと考えれば、答が出て切るのに。
レポートの発表だろうと、何だろうと一緒です。会議でそこに座っている時も同じです。何のために生まれてきたのかの自問自答です。
もう、旅に出よう。居ないものとして、行動する
2週間前だけど、私はこれから旅に出ましょう。どっちみち、14日だと言っているから。順位寄せバージョンだけは返します。
ドイツでも似たようなことをしましょう。考えながら歩く。単にそれだけです。世界がどうなっていくのか、またどうしていくのかを考えながら歩くには、ドイツがいいかもしれない。中学からの思いです。
ヘーゲルの論理の飛躍
ヘーゲルの論理の飛躍を感じられるようにしましょう。これは遺言です。
本はThink
本を見ていると、ThinkとActが分かれていることがよくわかります。どう頑張っても、本はThinkです。書いて、誰に渡すのか。それは受ける方が感じることです。Actはそれだけで動くわけではなく、色々なことから動いてきます。
全体主義では、分かれているのが生ぬるいのでしょう。民主主義では当たり前です。その間をどう取り持つのか。また、間がいるのか。
あの結果が、張本人に寄り添うとは分からない。だから、他っておきましょう。その結果、どうなるかは、パートナーなら見えてくるはずです。
自分でどう動きだすのかを自分で決めて、助けを求めるのであれば、助けます。この室を助けることはしません。どうなろうと関係ない。本当に、この室を出た方がいい。だから、私は世の中のために、私のことをします。
こんなどうしようもないところで、咲く二輪の花。TMも救いたいけど。それがやろうとしていることと、別の次元の問題です。二人とも、自分のミッションに気づいて、組織に縛られずに動けば、色々な人が集まってきます。
日本の集団性との関係
今時、日本の集団性に従っていても、意味がない。2015年までに、皆に気づかせることが、私のテーマです。よく考えると、日本はどうでもいい。そういうことを元々、考えている国から変えていくことです。日本は置いてきぼりになります。この室が置いてきぼりなように。
そこで、どう判断するのかは、彼らの役割です。しなければしないで、潰れるだけです。多分,Sが狙っているのはそこです。潰れることを狙っている。前にそう言っていた。
それに耐えられる能力を皆、持ってない以上、私はそんなことをするつもりはない。だから、2015年に向けて、まとめの方を急ぎましょう。観察者に徹します。内側からの観察です。
企画は人を動かす
ああいうミーティングも勝手に出ていって、観察します。パートナーがどういう行動を取るのか、どういう発言をするのか。何しろ、人を動かすことが企画の最大のテーマです。それができるようになるようにさせていきます。本人はそのままでやればいいから、勝手に見ています。
人に認められたい
パートナーにアピールしたいとか、この職場にアピールしたいという欲は邪悪です。人類のためというのが正解です。
何故、認められたいという方に走るのか。存在理由をそこに感じているからです。だけど、私の存在理由は大きく変えています。時として、忘れるだけです。
悲しい顔からこわい顔
パートナーの悲しい顔には対抗できません。この間の会議の時はこわい顔になっていた。やはり、どこかで道を間違えたみたいです。元へ戻ることはできないので、新しい道へ行ってくれることを期待します。私は誘導しません。問われたら、応えるだけです。
256項目の中分類からの問い合わせ
未唯空間から256項目の問い合わせがあります。こちらの方を優先します。よく見ると、中分類だけで256です。小分類で1024です。さらにコメントが同じ数あります。この内容を見直しているので、時間が掛っています。
入れ込むのは、小分類の中にいれます。そこに入っている詳細が5000ほどあります。その整理に掛れるのはいつになることやら。これをまとめる方法を作り上げるしかない。そこから、仕事の仕方とかモノの考え方とかも提案できます。
生まれてきた理由で応えて
仕事の提案からすると、あなたが今やっていることは、生まれてきた理由として、答えられますか。それが組織に依存しているかどうかの答になります。自分のミッションを持っているかどうかです。金儲けをする人にも、それは言えます。
これだけのモノがあれば、相手が誰でも質問できるし、応えられます。問いかける人と、応える人。後者が哲学になります。
一般的な方は、やはり、女性です。女性に声を掛けて、答を出します。役に立たないのは、男性です。それも若い連中です。独りよがりで動いています。自分たちのことなのに。この世界をどうしていくつもりなのか。自分が職を得ているから、いいということではないでしょう。
これは環境塾のメンバーにも言えたことです。自分の職場の役割を考えているだけです。生まれてきた理由からちょっと考えれば、答が出て切るのに。
レポートの発表だろうと、何だろうと一緒です。会議でそこに座っている時も同じです。何のために生まれてきたのかの自問自答です。
もう、旅に出よう。居ないものとして、行動する
2週間前だけど、私はこれから旅に出ましょう。どっちみち、14日だと言っているから。順位寄せバージョンだけは返します。
ドイツでも似たようなことをしましょう。考えながら歩く。単にそれだけです。世界がどうなっていくのか、またどうしていくのかを考えながら歩くには、ドイツがいいかもしれない。中学からの思いです。
ヘーゲルの論理の飛躍
ヘーゲルの論理の飛躍を感じられるようにしましょう。これは遺言です。
本はThink
本を見ていると、ThinkとActが分かれていることがよくわかります。どう頑張っても、本はThinkです。書いて、誰に渡すのか。それは受ける方が感じることです。Actはそれだけで動くわけではなく、色々なことから動いてきます。
全体主義では、分かれているのが生ぬるいのでしょう。民主主義では当たり前です。その間をどう取り持つのか。また、間がいるのか。
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