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英連邦とは何か

『英連邦』より

「家族」のなかでの「自立」

  二一世紀に入った現在でも、カナダやオーストラリア、ニュージーランドでは、いぜんとしてイギリス君主がそれぞれの国の国家元首を務めている。東京の赤坂にあるカナダ大使館の正面玄関を入ると、メープルリーフのカナダ国旗(一九六五年制定)とともに、「カナダ女王」としてのエリザベス二世の肖像が掲げられているのは、まさにそのことを目に見える形で示している。

  しかし他方で、「家族」にたとえられる英連邦諸国間の歴史上、血縁上のつながりを過度に強調することにも問題がある。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどの人々は、結局のところイギリスの支配下にとどまることをよしとせず、英連邦の枠組みを通してイギリスからの自立を追い求め、イギリスと対等な地位を獲得することを目指したのである。カナダでは、一八六七年の自治領形成から一〇〇年以上を経て、一九八二年に自主憲法の「カナダ憲法」が制定され、それまで多分に形式的とはいえ、イギリス議会が保持していた憲法修正権がカナダ側に移管された。これにより、共通の君主を除き、イギリスとカナダの間に残されていた憲法上のつなかりに終止符が打たれた。

  こうした「家族」のなかでの「自立」はどのようにして達成されたのか。さらに、カナダやオーストラリアは、イギリスからどのような経緯で「独立」したのか、あるいは、そもそもまだ完全には「独立」を達成していないのか。英連邦について考えることは、こうした歴史的かつ現代的にも重要な、しかし答えを出すことが容易でない問いについて考えることにつながるのである。

現代イギリスにとっての英連邦

 では、現代のイギリスにとって、英連邦の意義とは何なのだろうか。

 イギリス政府の対外政策にとって、帝国および英連邦諸国との関係か大きな柱となりえた時代は、もはや過去のものとなった。英連邦の存在が、自動的にイギリスの国際的影響力の確保につながるものでないのは言うまでもなく、一九六〇年代~八○年代の人種問題をめぐる対立と紛糾に見られたように、ときにイギリスは英連邦諸国間で孤立する立場に立だされてきた。一九九七年には最後の主要な植民地であった香港も中国に返還され、ブレアが、二〇〇〇年一一月の演説で「アメリカとEUの間の架げ橋となること」について語ったように、現代のイギリス対外政策の二つの柱は、英米関係とEU諸国との関係に収斂してきた。

 それにもかかわらず、ブレアが同じ演説で「私たちの影響力はそれを大きく超えるものであることができ、またそうあるべきである」と述べたように、イギリス対外政策には、いぜんとして旧帝国地域や英連邦諸国との関係に代表される世界的な関与を重視する姿勢が見られる。また、英連邦は現在にいたるまで、政治や経済の面に限らず、イギリスの文化やアイデンティティを少なからず規定する存在であり続けている。

 ブレア政権が誕生した一九九七年総選挙の際の労働党マニフェストは、「英連邦はイギリスに、歴史、言語、法制度によって結び付げられた関係の独特なネットワークを提供している」英連邦の意義をあらためて強調するとともに、英連邦諸国との関係強化を目標に掲げる。として、この総選挙でブレア率いる労働党に大敗し、その後一三年間にわたり野党暮らしを強いられた保守党の側でも、英連邦を重視する姿勢は根強く見られる。

 実際、同じ一九九七年総選挙の際の保守党マニフェストでは、「私たちは、ハラレ宣言で示されたように、民主主義の拡大を奨励するため、私たちの独特なグローバルなネットワークである英連邦を支持し続けるであろう」と明記された。二〇世紀末にいたっても、労働党、保守党は、ともに「独特な」という形容詞を用いて英連邦の意義を強調しており、さらに保守党は、英連邦を通して「民主主義の拡大」を目指す姿勢をより明確に打ち出している。

 英連邦の存在は、多くの点でイギリスのソフトパワーを支えるのに役立ち、そのことが、イギリスが世界的な帝国でなくなった後も、国際的に大きな存在感を保つひとつの要因となってきた。確かに、過去の帝国支配の記憶や英連邦を通した世界的な役割を持つという意識は、いぜんとしてイギリス人の間に見られる大国意識や地理的にヨーロッパに限定されない世界的な関与への志向を支えてきた面かある。

 実際、二〇世紀の終わりから二一世紀に入ってもなお、イギリス軍は世界各地に派遣されてきた。一九九九年には、ブレア政権は旧ユーゴスラヴィア連邦のコソボ自治州での人道被害の防止を掲げた「人道的介入」を積極的に推進し、NATOによるユーゴスラヴィア空爆にイギリス軍を参加させた。二〇〇〇年には、シエラレオネで、前年の和平合意を受けて現地に展開していた国連PKOの要員約五〇〇人が反政府勢力の人質として拘束された際、ブレア政権はイギリス単独での軍事介入を敢行し、事態の収拾にあたった。その後もイギリス軍は、二〇〇一年の九・一一同時多発テロ事件後のアフガニスタン空爆や、二〇〇三年のイラク戦争でアメリカ軍とともに大規模な軍事作戦を行い、二〇一一年のリビア空爆ではフランス軍と並んでNATOの主力を形成した。

 そうした軍事面でのグローバルな関与は、イギリスがいぜんとして世界的な大国の地位を保持している証左と捉えることもできるか、他方で、しばしばイギリスに多大な経済的負担を課し、国内外での厳しい批判を巻き起こす要因にもなってきた。

 しかし、そうした根深い大国意識と表裏一体ではあるものの、イギリスの指導者だちが英連邦の枠組みを通して、途上国の開発や民主主義・人権擁護など、自国から遠く離れた世界各地のさまざまな課題に積極的に取り組む姿勢を見せてきたことも確かであろう。英連邦という「独特な」存在について考えることは、イギリスをはじめとする英連邦加盟国、さらにはより広い世界について理解を深めるうえで、多くの有益な視点を提供してくれると期待されるのである。
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新刊書がない

未唯へ

 街はFTで溢れています。豊田市前のスタバではなかなか会えないけど、街は行楽シーズンです。

 8月30日の健康診断まで、耐える生活にします。共通の話題のためのヨガをしましょうか。体力がつくのかな。中野さんのサックスと話を合わせるために、フルートを5年やりました。私には音感も運動神経がないので、モノにはなりません。だけど、音を出すことの楽しみは分かりました。

新刊書がない

 今週は新刊書がありません。24日まで本なしです。24日に借りたものは、日曜日までに返さないといけない。9月第一週は日本に居ないから、考慮して置きます。また、あまりムリしてもしょうがない。

 もうじき、15000冊ですけど、ムリせずに、本なしの生活をシミュレートします。未唯空間をまとめる方にシフトします。そうしないと、踏ん切りがつかないです。

 今日はネットで、自分のブログに対して、未唯空間との紐付けをしたいと思います。これは新しい試みです。その時の名前は「もう」にしておきます。これ真夜中の作業になるのでしょうね。

ブリュッセル旅行

 ブリュッセル旅行で、3カ国パスは買わないことになりました。本当は自由に適当に動きたかったけど、奥さんの信用を得るためには、ムリをしない方がいいです。テーマとしての「ユーロ崩壊」は譲れません。かならず、ヨーロッパで9月に何かが起こります。

 結局、ホテルは全キャンしました。航空券だけになりました。二人で330万円です。

 奥さんたちがロンドンに行っている間は、ドイツを単独で、適当に回ります、フランクフルトに二泊です。できたら、ベルリンまで行きたいけど、片道、4時間掛かります。まあ、パリは諦めて、ドイツの田舎をブラブラ旅をしましょう。

 3日間離れるから、連絡をどうするかですね。私がブリュッセルに戻ればいいのでしょう。1700ユーロは妹から借りていきます。出来高払いです。

複雑性と偶然と意味

 今日の成果はニーマンです。複雑性と意味とがつながりました。偶然得られる情報と、そこからどのように自分の中に持ってくるのかという認識をニーマンは持っていました。この大量の情報と自分との関係です。

 そんなことは理論的に言われなくても、感覚的には分かっているけど、理論化したかった分野です。そこで、複雑性が出てくるとは思わなかったけど、社会学の言葉だからでしょう。
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