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未来学者として、2015年から2030年へ

未唯へ

 何となく、頭がぼやけています.一昨日の後遺症でしょう。

 蝉が減りましたね。道端に転がっているのでしょう。

 4時40分に出発です。今日は考える日にしましょう。今日は長野への出張です。振り子電車で往復、6時間。行きも帰りも考えるだけにしました。

未来学者の意識

 やはり、未来学者を目指しましょう。自分で名乗った方が勝ちです。学問のジャンルはないでしょう。今回の7つのジャンルを対象にすれば、十分でしょう。2015年から2030年の世界のシナリオを作っているのは、これは完全に未来学者です。22世紀はとても考えられない。今の延長線上ではない。マヤ文明ではないけど。

 未来学としたら、どこを中心とすればいいのか。歴史編がベースになります。

ゲームでのシミュレーション

 内なる世界はゲームの世界で、皆一緒になって。シミュレーションです。ゲーム全体でのシミュレーションです。理論をカタチにします。石油のない世界をイメージすれば、今、どうするかをそれぞれの立場で考えるというゲームです。その複雑性を回避させるのに、ゲームを使います。

詳細編の折込

 詳細編に掛からないといけない。どうすれば、実現できるかを考えましょう。何しろ、膨大です。なかなか、折込ができません。

2015年から2030年へ

 2015年に経済クライシス。それから30年までにどのように、体制を変えていくのかのシナリオです。

 今回の増税にしても、みんなの持っている金を集めて、それを捨てるという政府が、永続きするはずがない。同じ金を地域で使っていかないといけない。個人のお金があるから、国が赤字でも、日本はどうにも持っている。政府の赤字を使ってはお終いです。

 新しいインフラを地域に作り上げていく、地域で必要なもの、その発想で自分たちの金を自分たちで使う。2030年の時に何がどうなっているかを、歴史と社会で明確にします。当然、地域によっては、大きな差が出てきます。地域のトップが絡むが、地域そのものがコミュニティを作るときに影響します。

 都会はゲームから作っていくし、田舎は従来組織を変えていきます。何しろ、税金の扱い、お金の使い方には、地域のエネルギーが関係します。

 2015年までに起こることとしては、ギリシャ並みの緊縮、中国の分裂、そして、痴呆からの反乱です。2015年から2030年までの様子を考えていました。今以上のアイデアは出なかった。どのようにコミュニティを作るかは、なるべく考えることから行きます。

次期ネットの通信仕様

 次期ネットの通信仕様が出てきたけど、無線の費用が高すぎる。知恵が出ていない。ネットワーク会社ではムリです。セキュリティが出てきたけど、今までの延長線です。それをいつやるかと、サーバーの構えに依存しないことです。クラウドとの接点と自社ネットとの接点が基幹系とは別になっています。

 電算部はクラウドとの関係がメインみたいです。基幹系の中枢までインターネットを引き込むとコストがかかり、時代についていけない。

直帰で家での作業

 帰りに会社に寄ろうかと思ったけで、未唯空間の詳細編の折込です。そう判断して、直帰した。読んだ本の織り込んだものを未唯空間のメインロジックに関係づける部分が遅れています。来週やることがメインになっています。帰って、織り込み作業をします。これは急務です。

車道の幅を減らす

 道路を歩いていると車の存在と軽車両が邪魔です。車道の幅を狭くする。車の幅もそれに合わせる。大型車が通れる道を少なくします。それで軽車両用の道を作り出します。

 今の車が環境社会で最適と思えない。大きすぎます。人間の幅で十分です。バイクは人間の幅です。移動するのに、あれだけいるのか。多くがいくときはくっつけて走ればいい。人間と同じように。道路の車道の幅を狭くさせます。
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エンゲージメントエコノミー

『幸せな未来は「ゲーム」が創る』より

二〇〇九年六月二四日、二万人以上のイギリス人がオンライン上で力を結集し、イギリス議会史上最大級のスキャンダルの調査に乗り出しました。この調査は何十人もの議員を辞職に追い込み、最終的に徹底的な政治改革につながったのですが、これらの普通の市民たちは、どうやってこのような大きな変化を起こしたのでしょう。彼らが使った方法、それはゲームをすることでした。

ゲームが始まったときには、このスキャンダルはすでに何週間も新聞をにぎわせていました。リークされた政府文書によると、何百人もの国会議員が恒常的に違法な経費請求を行っており、政治活動とは何の関係もない私的支出のために、納税者のお金を毎年、何万ポンドも使っていたのです。

国民は激怒し、すべての議員の経費の全面公開を要求しました。それに応えて、政府は四年分の議員の経費請求記録をすべて公開することに同意したのですが、その公開はこの上なく不親切な形式で行われました。それ以上の調査を妨げるためとしか思えませんでしたが、スキャナで読み取った一〇〇万枚以上の経費申請書や領収書を、何の分類もせずどさっと出してきたのです。ファイルは画像として保存されていましたので、申請書を検索したりクロス・レファレンスしたりするのは不可能でした。しかも、データの多くが黒く塗られていて、何に使われた経費かという詳しい説明が読み取れなくなっていました。このぞんざいなデータ公開は「ブラックアウトゲート」と名づけられ、「大規模な隠蔽」と批判されました。

『ガーディアン』紙の編集者たちは、この膨大なデータの山を選り分けてその意味を読み取るには、自社の記者だけでは時間がかかりすぎると判断しました。そこで、政府が暴かれたくないと思っていることを暴く作業を、一般の人々に直接手助けしてもらうことにしました。つまり、調査を「クラウドソース」したのです。

ITジャーナリストのジェフ・ハウが二〇〇六年に生み出したクラウドソーシングという言葉は、クラウド(群集)への業務アウトソーシングを縮めたものです。大勢の人に通常インターネットで呼びかけて、大きなプロジェクトに協力して取り組んでもらうことを意味します。一〇〇〇万人以上の無償の(そしてしばしば匿名の)執筆者や編集者が協働しながら制作しているオンライン百科事典、ウィキペディアは、その代表的な例でしょう。クラウドソーシングは、ひとつの組織が単独で取り組んだのではとうていできそうにないことを、大勢の人が協力して、より速く、よりうまく、より安く行う方法なのです。

一〇〇万枚の政府文書が手中にあるのに、どの文書がどの議員の不正の証拠になる可能性があるか見分けるすべがなかったのですから、多くの人から得られるかぎりの協力を得る必要があるのは明白でした。そこで、ガーディアンは、「群集の英知」を活用することにしたのです。ただし、同紙がそのために使ったのは、ウィキではなくゲームでした。

ゲームの開発は、ロンドンを拠点に活躍している、若いながらも実績のあるソフトウェア開発者、サイモン・ウィルソンに依頼しました。ウィルソンの任務は、「スキャンされたすべての申請書とその裏付け書類を四五万八八三二件のオンライン文書に変換、圧縮し、不正の証拠を見つけるために誰でもこれらの公的記録を調べられるウェブサイトを設立すること」でした。開発チームのわずか一週間分の労働と文書をホスティングするテンポラリーサーバーのレンタル料五〇ポンドだけで、ガーディアンは世界初の大規模多人数参加型調査ジャーナリズムプロジェクト「地元選出議員の経費を調べよう」を立ち上げたのです。

ゲーマーは地球上の他の誰よりもオンライン・クラウドソーシングプロジェクトに貢献する可能性が高いと、私は自分の経験と研究から考えています。彼らは取り組む必要のない障害にわざわざ取り組む時間と欲求をすでに持っています。彼らがゲームをやっているのは、より多くのよりよい関わりを渇望しているからにほかなりません。

彼らはコンピュータのスキルと新しい双方向インターフェイスをまたたく間に使いこなすようになる能力も実証しています。また、オンラインでゲームをしている場合には、オンラインプロジェクトに加わってただちに活動し始めるために必要なネットワークアクセスをすでに持っています。

今日の優れたゲームのきわめてソーシャルな性格からすると、ゲーマーは友人や家族の大きなネットワークも持っており、すでにそのネットワークをゲームからゲームヘと連れ歩いているものと思われます。これはまさしく、参加者層を拡大するために必要な類の社会的インフラストラクチャーです。

全体的に見て、ゲーマーは集合知を集めることに--そしてそれを有効に利用することに--すでに他の誰よりも多くの時間を使っています。彼らは世界でもっとも活発なウィキユーザーです。たとえば、もっとも人気のあるウィキホスティングサービス、ウィキア上では、ゲーマーはダントツでもっとも多くのコンテンツを作成しているもっとも能動的なユーザーです。一万のウィキサイトーそれぞれ異なるゲームのためのサイトーに一〇〇万本以上の記事が投稿されており、ウィキアネットワーク全体のアクティブコンテンツのうち最大の割合を占めています。私はウィキアのエンジニアリングーオペレーション担当副社長、アーサー・バーグマンから、ゲーマーはネットワーク上で群を抜いて一番まめで意欲的なウィキユーザーだと、何度も聞かされています。今年の秋、発売されたばかりのゲームのいくつものウォークスルーが一夜にしてアップされるのを目にした後、彼はこう言いました。「ゲーマーはすごい。ゲームが発売された瞬間から編集を始めて一瞬の休みもなくぶっ通しで作業する。二四時間もしないうちに、彼らはそのゲームのすべてを文書化してるんだ」

新しいゲームを手にした瞬間から、ゲーマーはそのゲームについて集合知を集めはじめます。それはゲームをするのに飽きてから行われることではなく、ゲームをすることの欠かせない一部なのです。ウィキアのトラフィック統計によれば、ウィキ貢献者ひとりにつき、何千人もの他のプレイヤーがそのデータを利用しにサイトを訪れています。ゲーマーは集合知を日常的に利用しており、そのため大型クラウドプロジェクトの価値や可能性を直感的に理解しています。
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リアリティ・イズ・ブロークン

『幸せな未来は「ゲーム」が創る』より

現在、パソコン、携帯電話、家庭用ゲーム機すべて合わせたデジタルゲーム産業は二〇一二年には六八〇億ドル規模になりまが。これは私たちが巨大な仮想貯蔵庫を作り、思考する努力、感情的子不ルギー、集団的関心を現実世界ではなくゲーム世界に注ぎ込んでいることを意味します。

かつてない時間とお金がゲームに注ぎ込まれていることで、一部の人々―-親や教師たち--は心配して注意深く様子を見守っています。が、別の熱心な人々--‐多くの技術産業--は、この一大ブームによる大きな利益を期待して、熱い目で眺めています。一方一で、ゲームは、急速にその数が減少しているとはいえ、今も米国の人口の約半数近くを占めているノングーマーからの当惑や蔑視にさらされています。ノングーマーの多くは、ゲームをただの時間の浪費だと考えています。

私たちはゲームの価値を見極め、その中毒性に関する倫理を議論しつつ、この巨大産業を拡張させようとしています。しかし、ある重要なことが見落とされています。つまり、世代を越えた世界中の人々がこれほど長時間ゲーム世界で過ごしているという事t実は、何か重要なことの兆しで、早急に認識すべき真実を表しているのではないかということです。

ここで言う真実とは、次のようなことです。今日の社会において、ゲームは現実世界が満たせないでいる人類の真のニーズを満たしているのです。ゲームは現実がもたらさない報酬を人々に提供し、現実ができない形で教え、示唆を与え、夢中にさせ、協力へと導いているのです。

そして、この大脱出を引き戻すような何か劇的な変化が起きないかぎり、かなりの人口の割合が何よりもゲームに打ち込むようになります。最高の思い出も、成功の経験もすべてゲームの世界で起こるという社会への変容は急速に進んでいくでしょう。

おそらく、これは耳を疑うような話かもしれません。ゲームをしない人にとって、こんな予測は非現実的か、SFのような話だと感じるでしょう。文明の大部分がゲーム世界に消えていこうとしているですって? 私たちは本当に、大切な欲求の多くをゲームによって満たすような未来に突入しようとしているのでしょうか?

もしそうだとしても、現実からゲームヘのこのような大脱出はこれが初めてではありません。実際、三〇〇〇年以上昔の古代ギリシャのペルシア戦争を描いたヘロドトスの『歴史』には、歴史に記された人類初のゲームプレイに関する物語が描かれています。最古のゲームとして知られているのは「マンカラ」という古代の数理ゲームです。エジプト帝国期もしくは紀元前一五〇〇年から一一〇〇年頃のものとされていますが、こうしたゲームの起源や文化的な機能を書き残そうとしたのはヘロドトスが最初でした。ヘロドトスが残した古文書から、私たちは今何が起こっていて、この先何か起ころうとしているかを学ぶことができます。

未来を考えるのに過去について考えるというのは、やや違和感があることでしょう。ですが、カリフォルニア州パロアルトにある世界最初の未来予測シンクタンク、「インスティテュート・フォー・ザーフューチャー(IFTF)」の研究部長として、私はあるひとつの重要なトリックに気がつきました。未来を予測するには、過去を振り返る必要があるのです。技術も文化も、そして気候も変化しますが、人類の基本的な欲求は依然として生存であり、家族の安泰であり、幸福で意味のある人生を送ることです。そのため、IFTFの私たちが好んで使うのは「未来を理解するには、見ようとしている未来までの長さの少なくとも二倍は過去を振り返らないといけない」という表現です。幸運にもゲームに関しては、それよりもずっと過去に遡ることができます。ゲームは何千年ものあいだ、人類の文明の基本的な部分を担ってきたのです。

ヘロドトスの『歴史』には次のように記されています。

アティスが小アジアの王国であるリディアの王であった約三〇〇〇年前のこと、甚大な食糧不足が王国を襲った。人々はそのうち豊作の時期が戻ってくるだろうと希望を持ち、しばらくはさほど不平を言わずに事態を受け入れた。しかし事態は好転せず、リディア人はこの問題に対処するために、ある奇策を考えた。飢饉を乗り切るための計画として、一日はゲームに没頭して空腹を紛らわせ、その翌日は食事をしてゲームを控えることにしたのだ。この方策で彼らは一八年を耐え抜き、その嘱にサイコロとナックルボーンズ(錯)とボール、そして現代に通じるゲームを考案したのだ。

古代の羊の拳の骨で作られたサイコロが未来のゲームとどんな関係があるのでしょう? それは想像をはるかに上回るものがあります。

知っての通り、ヘロドトスは歴史という学問を生みだし、具体的な経験の記録の中に倫理的な問題と真実を明らかにすることを歴史の目的としました。一八年の飢饉をゲームで乗り切ったという話が真実であれ、現代の歴史家が言うように作り話であれ、そこで描かれた倫理的な真実はゲームの本質について重要なことを示しています。

私たちはゲームに没頭することを、現実から消極的な形で距離を置く、ある種の「現実逃避」と考えがちです。しかしヘロドトスの歴史のレンズを通して見てみると、ゲームが目的に沿った逃避、思慮深く積極的な逃避、さらに重要なことはとても助けとなる逃避となり得ることがわかります。リディア人にとって、ほとんど一日を費やしてみんなで一緒にゲームで遊ぶことは、困難な状況に対応するための方策だったのです。ゲームが人生を耐え易いものにしました。ゲームが飢えに苦しむ彼らの無力な状況に力を与え、混沌とした環境に秩序をもたらしました。そしてゲームが、まるで救いもなく生きるすべも見いだせないような状況におかれたときによりよい生き方をもたらしたのです。
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