鵜飼さんが教室に来られたのは、ちょうど2年前の6月だった。
足と手が不自由で、「家に居ると鬱になりそうで来ました」
49歳の時に脳梗塞になられ、それから2回又再発された。
合気道を長年されていて、受け身などはきれいな円だった。
不自由だが、皆と一緒に楽しそうにされていた。
「先生みたいにきれいに動きたい」、とDVDで練習に
励んでおられた。
年会にも2回出席され、表演にも出られた。
2月の年会の後、お休みが多くなり4月から休会されていた。
その間も、時々電話をいただき、「下半身の血が通わないので
手術しました」と近況報告をしてくださっていた。
「もう少ししたら教室に行きます。皆さんどうですか」
と、教室の仲間のことも聞いておられた。
しかし、7月8日に亡くなられ、12日はお葬式だった。
お見送りで会場を出ると、出棺の車の前が海のように見えた。
「京都の南にこんな海があったかな?」
よく見ると、建築中の覆いだったが、曇りだったのと覆いが
グレーの曇り空の色だったので海に見えたのだった。
しかし、「ああ、旅立ちなんやわ」、と実感した。
2年とう短い間だったが、お休みの時は必ず電話をくださる
いいお付き合いをさせていただいた。
死は終わりではなく、次に生まれ変わる旅立ちなのです。
と日蓮上人が言われたそうだ。
いい旅立ちの見送りをさせていただいた。ありがとう!
足と手が不自由で、「家に居ると鬱になりそうで来ました」
49歳の時に脳梗塞になられ、それから2回又再発された。
合気道を長年されていて、受け身などはきれいな円だった。
不自由だが、皆と一緒に楽しそうにされていた。
「先生みたいにきれいに動きたい」、とDVDで練習に
励んでおられた。
年会にも2回出席され、表演にも出られた。
2月の年会の後、お休みが多くなり4月から休会されていた。
その間も、時々電話をいただき、「下半身の血が通わないので
手術しました」と近況報告をしてくださっていた。
「もう少ししたら教室に行きます。皆さんどうですか」
と、教室の仲間のことも聞いておられた。
しかし、7月8日に亡くなられ、12日はお葬式だった。
お見送りで会場を出ると、出棺の車の前が海のように見えた。
「京都の南にこんな海があったかな?」
よく見ると、建築中の覆いだったが、曇りだったのと覆いが
グレーの曇り空の色だったので海に見えたのだった。
しかし、「ああ、旅立ちなんやわ」、と実感した。
2年とう短い間だったが、お休みの時は必ず電話をくださる
いいお付き合いをさせていただいた。
死は終わりではなく、次に生まれ変わる旅立ちなのです。
と日蓮上人が言われたそうだ。
いい旅立ちの見送りをさせていただいた。ありがとう!
不自由な体をものともせず懸命に太極拳に取り組まれていたお姿に「すごいなぁ」とお見かけしていました。
懸命に挑戦される姿は今も私の脳裏に鮮明に刻まれています。
私も見習わなければと思いながらご一緒させていただいていました。
天国に行かれて不自由な体から解放され思いっきり太極拳を楽しんでおられることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
人の命は儚いです。