明日、遠来のお客様を駅まで迎えるため車の中を整理していたら、昨年
逝去した多賀城の叔父宅を訪問した際に頂戴していた写経が置いたままに
なっていたことに気が付いた。
毎年、自身の誕生日に行っていた写経が30余枚も残されていたので、
その内の一枚をセロケースに入れて頂戴して来たものだった。
几帳面で手先が器用な叔父を象徴するような遺品だったが、叔母との
コミュニケーションはイマイチだったらしく、叔母は写経の存在すら
「知らなかった」とのこと。
本来は、僧侶の修行の一環として行われた写経が一般の人たちも行う
ようになり、心願成就や故人を供養する目的、或いは趣味として取り組む
など、今は多くの人が写経に親しんでいるらしいが、叔父がどんな目的
だったかは知る由もない。
25年前、実家の父の葬儀の際、一番年少の孫に当たる末娘が「お別れの
言葉」を奉読することになり、原文を私が作成し、叔父が一文字一文字丁寧
に筆で清書してくれたことを思い起させる遺品だった。
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