当地の桜は今が満開で、厳美渓にも花見客が多く訪れていた。
小学校の低学年の頃、校庭脇の大木に咲いていた桜の花を眺めながら、担任の金森孝子先生が「綺麗ね」と
何度も繰り返すのを、不思議な感覚で聞いていたことを思い出す。
幼少の頃から見慣れた「春の当たり前の景色」で、花を観ても「何の感動も無い」というのが本音だった。
(赤荻小学校に近い、照井堰沿いの桜)
成人後も、西行の「願はくは 花の下にて 春死なむ」を読んでも、「へエ、そんなもんか」程度の感覚で
しか無かった。
四季折々に咲く花の美しさに「心を動かす」ようになったのは、就農してからだった。
「何事についても晩生」のキャラを如実に示す好例のような気がしている。
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