霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

歳の離れた「跡継ぎ」

2024-09-21 17:15:28 | 家族
 連休を利用して帰省中の孫娘から「産直出荷を手伝いたい」と申し出が
あった。
 断る理由など有ろうはずもなくパッキングやシール貼りから始めて産直
巡りとなり、値札シール貼りや商品展示も含め手伝って貰った。
 いずれも小学一年とは思えない手際のいい仕事振りに驚かされた。 
 産直社員や生産者仲間等から「お孫さんですか」と声がかかった際には
「歳の離れた『跡継ぎ』です」と胸を張って答えておいた。


 孫達に「芋の子汁」をご馳走したいとバアバは降り続く雨の中から収穫
して来た。
 天気が良ければ孫達に収穫体験をさせたかったが、生憎の天気で叶わ
なかった。(写真は三日前のもの)
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NTT横須賀研究開発センタ

2024-08-24 04:05:49 | 家族
 東京で暮らす次男が、中学時代を過ごした横須賀の級友を先日訪ねた際、
私が勤務していた研究開発センタの建物を撮って送ってくれた。
 三浦半島突端の山頂に位置する大きなビル(幅100m、奥行50m、
10階建)で、当時は右に書類の山、左に相模湾を通し富士の霊峰を眺めなが
ら働く毎日だった。
 研究者やそのスタッフを含め千人余が働き、中曽根総理大臣や郵政大臣等
国会議員が見学に訪れる盛況振りだったが、今は「空きビル」に近い状態
になっているようだ。


 社宅の近くの武山中学校の体育館でママさんバレーボールチームが練習して
いて妻が仲間に入れて貰った。
 「お手伝い役」で私も同行していたのだったが、監督が突然他のチームに移った
ために、急遽、監督代行を担うことになった。
 練習方法を見直し、また、控えの選手に出場機会を作る等でチームが活性化し、
実力も向上しつつあったが、転勤辞令が出て僅か半年で退任となった。
 妻は、今でも「あの半年間が一番楽しかった」と振り返っている。
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布袋様

2024-06-27 06:44:31 | 家族
 庭に鎮座する2m超の布袋様の石像はジイチャンが逝去後は誰も手を掛け
ないままとなり、ハクモクレンの大木の下に位置していたこともあって汚れ
が染み付き黒ずんだままとなっていた。
   春にハクモクレンを伐採し汚れの元凶を除去出来たことから息子が洗剤、
タワシ、洗車機を総動員し立派に生まれ変わらせた。
  ジイチャンっ子だった息子に「写真に撮って墓前に報告したら」と提案し
たら「いつも天国から見守ってくれているから大丈夫」とのことだった。



 息子は、ジイチャンの葬儀の際、孫を代表して「送る言葉」をノーペーパー
で献じている。
 それを仙台からわざわざ参列してくれた荒川先生が「喪主挨拶よりも立派
だった」と誉めてくれた。

「ジイチャン、今度生まれて来るときも僕のジイチャンで居てください」
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罪滅ぼし

2024-06-25 21:19:31 | 家族
    今日は長男の53回目の誕生日。
 薄給のサラリーマン時代、4人の子供達の誕生日に毎回ケーキを買って
お祝いする余裕は無かった。
 日常の生活でも、外食は勿論のこと休日に何処かに出掛けることも無い
日々だった。
 米や野菜は、ジイチャンとバアチャンの「汗の結晶」を一関に帰省した
都度、車一杯に積み込んで家計の負担を抑えていた。

 最近になって、子供時代に「いい思い出」を作ってやれなかった「罪滅
ぼし」のつもりで誕生日にケーキを添えて祝うようになった。



 ケーキは丸い形の一般的なバースディケーキではない。
 甘い物に目が無い奥様や娘のリクエストにより、店で「一番人気」の
フルーツロールにイチゴや生クリームを特注で追加した逸品である。
 幸い息子の今日の勤務は「日勤」。
 夕食時にHappy Birthdayを歌って蝋燭の火を消すセレモニー付きの
誕生会となった。

 Happy Birthday to you,  Happy Birthday to you,
 Happy Birthday dear JUNちゃん Happy Birthday to you.
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コロッケ

2024-06-24 14:53:22 | 家族
 「コロッケ、コロッケ、百個でも出て来い 千個でも出て来い」

  この短い詩は、間も無く53歳を迎える長男が仙台の西多賀小一年の時に
授業中に書いたもの。
 成長が遅く身長も一番低かったが、大好きなコロッケに対する気持ちを
素直に表現した「傑作」と親バカは受け取めている。 
 当時の息子は身体の動きは鈍かったものの口だけは今同様に達者で、
「恥ずかしさ」知らないまま当時流行っていてジイチャンの十八番になって
いた「おやじの海」を校内放送で田舎なまりで歌ったとのこと。
 都会の子供達には珍しい存在だったのかもしれない。


 (昨日から当地も「梅雨入り」。干天の慈雨にはなったがまだまだ足りない)

 新ジャガが穫れるようになり奥様は自称「可愛い息子チャン」のために
コロッケを沢山作った。
 揚げたたての大きなコロッケはジャガイモ自体の美味しさも加わって極めて
美味で息子はご飯と一緒に5個、私はビールのツマミに7個も頂戴したら満腹
になってしまった。
コメント (2)
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